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    <title>エンサイクロメディア空海</title>
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    <title>空海の知（知の源流）New</title>
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    <summary>知の源流－日本列島と古代インドはじめに　知によってものごとを理解し、是非・善悪を...</summary>
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        <category term="北尾克三郎のページ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<div><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em; "><b>知の源流－日本列島と古代インド</b></font></div><div><br /></div><div>はじめに</div><div>　知によってものごとを理解し、是非・善悪を識別することよりも、｢知とは何か｣が哲学の究極的な命題となる。例えば、紀元前五世紀ギリシャの哲学者ソクラテスは、｢無知の知｣すなわち、ヒトはほんとうのことが分かっていないのに、余計な知によってすべてを知っていると思っている。だから、自分はヒトが無知であるということを知っている分だけ、他のヒトより少しだけ勝っているとの自覚を得たし、ほぼ同世紀の古代インドのブッダは、知そのものの本質が｢無(む)｣であることを瞑想によって感得し、なぜ、知による識別が無であるかの真理｢十二縁起(えんぎ)｣を考察した。そのような知によってヒトは世界と向き合ってきた。</div><div><br /></div><div>　＜ヒト＞：ほ乳類ヒト科の動物。現存種はホモ・サピエンス"知性ある人"ただ一種。</div><div>　その知性によって作りだされる言葉の論理性に気づいたのがソクラテスとブッダである。つまり、ヒトはモノ・コトの存在を、原因と結果の考察によってとらえ、それらを論理とし、道理を導きだし、｢なぜ、そうであるか｣を結論づけようとする。しかし、そのことによって、とらえられたことが真実であるかどうかを、事象の経緯のすべてにわたって検証・判断しなければならないという知の煩雑さを抱え込むことになり、こころの迷いもまた、生じることになった。</div><div><br /></div><div>　そこで、ソクラテスは論理によって検証・判断する必要のない絶対の道理(神とその言葉・哲学的理念・倫理・自然の摂理など)をヒトは感得することができると認めていたし、ブッダは知の作りだす論理そのものが、ヒトの言葉による識別から生じた連鎖に過ぎないと考察し、識別がなければ迷いはもともとないとした。</div><div><br /></div><div>　それではほんとうの知とは何なのか、言葉以前の知、あらゆるいのちがもともと有していて生きるちからとなっている知、その根元の知のはたらきを空海が説いた。</div><div><br /></div><div>　本論では、そのような知の系譜を日本列島と古代インドを結んで辿ってみたい。</div><div><br /></div><div>Ⅰ 縄文一万年の知</div><div>　今から七万年前、ナウマン象やオオツノ鹿などの大型草食動物が草原を歩き回っていた時代、今日からもっとも近い氷河期は始まった。</div><div>　そうして、数万年をかけて、陸地の三分の一が氷におおわれた。</div><div>　(極地の)海水は氷となって盛り上がり、(地球上の)海面は百メートルも下がることになった。</div><div><br /></div><div>　(その結果)海のなかの陸があらわれ、島と島、島と大陸が結ばれた。</div><div>　しかし、生物の環境は激変し、上にいたものは下に降り、北にいたものは暖かい環境へと、あらわれた陸を渡って移動することを余儀なくされた。</div><div><br /></div><div>　手をつかい加工した石や木を道具とする二足直立歩行の動物(ヒト)も、その知能のもつ旺盛な好奇心によって住み場を離れ、食糧と快適さを求め、未知の土地への旅に出た。</div><div>　そのうごきに合わせて、もろもろの動物も生存本能をかけて、暖流の流れるところ、すなわち、緑のある暖かい地へと移動することになった。</div><div><br /></div><div>　やがて、数万年に及ぶ氷河期の終わる一万二千年前には、海面はふたたび上昇を始め、衣食住に恵まれた地に渡っていた二足直立歩行の動物は、(彼らの祖先がその旅により、未知の環境を克服する知恵を身に付けたことをも含め)より知能を発達させ、すぐれた道具となる石器(せっき)や木器(もっき)や土器(どき)、動物の角や牙や骨を加工した釣り針や縫い針、それに機織りによる衣服や丸木舟を作るようになり、生物界のなかでのヒト科の地位を向上させていた。(そのようななかに、日本列島の縄文のヒトビトもあった)</div><div><br /></div><div>　六千年前、海面の上昇がピークに到達すると、黒潮(暖流)と親潮(寒流)の流れるところにタツノオトシゴ(竜の落とし子)のかたちをした日本列島が、大陸に寄り添って、洋上のノアの方舟(はこぶね)のように、ぽっかりと浮かんでいた。</div><div><br /></div><div>　方舟の山幸彦(やまさちひこ)と呼ばれるヒトビトはタツノオトシゴの背骨(尾根)を道として行き来し、海幸彦(うみさちひこ)と呼ばれるヒトビトは丸木の舟をこぎ出し、海流に乗り、太陽と夜空の星を羅針盤として海の道を開拓し、魚場を見つけ、荷を運び、島と島、島と大陸を結ぶようになった。</div><div><br /></div><div>　(日本列島の)</div><div>　針のかたちをした葉の繁る北の森にヒト。</div><div>　手のひらのかたちをした葉が落ちては、また繁る、東と西の森のヒト。</div><div>　さまざまなかたちをした常緑の葉の繁る、南の森のヒト。</div><div>　ヒトビトは陸の道、海の道を通って交流しながら、その旺盛な好奇心を満足させる日々の生活を、あま(天・海)照らす太陽のもと、甘露の水の湧くところ、そして、森に囲まれたところを住みかとし、せっせと営む。</div><div><br /></div><div>　そこには、多様な種からなるいのちの息吹&lt;生命知&gt;と、生きる喜び&lt;生存知&gt;を映しだす環境要素(太陽の光と暖かさ・澄みきった水・清々しい空気)があり、そして、衣食住を平等に相互扶助することのできる&lt;創造知&gt;豊かな土と森と海とがあった。そのなかで、ヒトビトは世界のかたちと出来事を好奇心をもって観察&lt;学習知&gt;し、それらをイメージとして記憶することができたし、編集して物語にすることもできた。また、五感と手足&lt;身体知&gt;を使い、自己の情感と遊びをさまざまに表現し、その生を楽しむことができたし、互いの意思を伝え合うことができた。</div><div><br /></div><div>　それらの生まれもった原初の知によって、ヒトビトはたくましく生きていた。</div><div><br /></div><div>　五千五百年前、タツノオトシゴの首部分(本州最北端、三内丸山)に位置する森に道が切り拓かれ、盛土(もりど)が築かれ、六本柱のやぐらがそびえ、大小数百の建物が立ち並ぶコロニーが出現する。</div><div>　東の森のヒトビトが、目の前の海峡の向こうの島に住んでいる北の森のヒトや、陸つづきとなる西の森のヒト、遠方の南の森のヒトの交流地点として、縄文の都を築いたのだ。</div><div><br /></div><div>　ヒトビトは大地をならし、地をうがち、陸の道、海の道からこの地を訪れるヒトビトのために、太さ一メートルもある栗の巨木を三対に計六本、組み上げ、そのやぐらをランドマークとし、やぐらの前には、百名以上を収容できる多目的(集会/共同作業等)ロングハウスが二棟、これに併設する高床式の倉庫が十数棟、また、生産エリアには土器製作所や燻製食品加工所、食糧貯蔵庫、それに海につづく河口には港湾施設、生活エリアには谷水を利用した飲料水用の共同水場と下水用の水場、そして、共同墓地など、皆で使用する施設を次々と建設していった。</div><div>　また、住居エリアは数十戸単位ずつに分散され、それらを手入れした栗林で囲んだものが計五百戸以上あり、それぞれの単位を家族と親戚から成る血縁の小共同体として、地縁による大集落の広がりを形成していた。</div><div><br /></div><div>　都ビトは、森と共生する生活のなかで、便利さ、豊かな食糧、美味しい料理、すぐれた道具づくり、公共工事や海・山からの協同収穫、季節の祭りや死の弔い、他の森のヒトとの交流と交易など、誰もがその生活基盤の快適さとこころの拠りどころを求め、その共同体の秩序を維持するために協力を惜しまなかった。</div><div><br /></div><div>　はるばると都を訪れるヒトには、物々交換による交易を目的とするヒト。道具の加工や狩りの達人、または都の技術を学ぶヒト。他部落からの表敬訪問のヒト。遠方からの花嫁や花婿がいた。</div><div><br /></div><div>　旅に好期な季節になれば、ヒトビトの往来は昼夜、絶えない。</div><div>　千客万来。長(おさ)は多目的ホールで宴(うたげ)をもよおし、かしこまった挨拶のあとは客人をもてなすヒトと客人が、果実の酒を酌み交わしながら、マダイ・ブリ・ヒラメの魚に、ウサギ・ムササビ・カモの肉、腹ごしらえに栗・芋・ヒエ、デザートにキイチゴ・ヤマブドウ。四季の味覚に皆で舌づつみをうち、楽器を奏で、歌や踊りに興じる。</div><div>　女たちは美しく着飾り、客人のお相手をし、その旅の疲れを癒したであろう。</div><div>　客人にとっては見るもの聞くものみな珍しく、都の住人は客人の風貌や見知らぬ土地に想いをはせ、夜の更けるのも忘れ、宴はつづくー</div><div><br /></div><div>Ⅱ 渡来文化と神</div><div>　さて、縄文一万年は六千年前の温暖化のピークの後、寒冷化へと徐々に向かい、日本列島の森の文化も、東北から南下することになる。(三内丸山の縄文の都は千五百年間も栄えたが、やがて、海面後退と寒冷化によって、豊かな暮らしを得る地の利はなくなり、衰退してゆく)</div><div>　気候変動による地の利の移行が、その後、大陸から米を主食とする大勢のヒトビトが(東海中の不老不死の島、蓬莱と呼ばれた)日本列島の南や西に渡って来たことを要因として、新しい文化の開化につながる。すでに、縄文の末期には、寒冷化による食糧事情から根菜農耕や雑穀農耕が行なわれるようになっていて、森の文化は畑の文化を一部取り入れつつあったから、その下地はできていたのだ。</div><div>　そう、農耕文化の始まりである。その文化が大規模な稲作文化へと渡来人によって決定的に移行する。何しろ、稲は畑の穀物として、雑穀よりも収穫率が高かったのである。</div><div>　稲作文化、つまり、水田耕作が豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに：これが原初の日本のすがたではないことは縄文時代の数多くの遺跡によって確認できるから、あくまでも、米を主食とするヒトビトから見た日本の葦原の豊かな土地部分を指した表現である。本来は、豊かな森の島である)へと日本列島を変えることになる。縄文の森の国が水田造成によって大規模に開拓されることになったのだ。</div><div>　また、渡来人の伝える製鉄技術も、日本列島の各地に多く産出された砂鉄を鍛造(たんぞう：金属のかたまりを加熱し、それを打ち、強いかたちを造りだすこと)するために、その燃料としての森の木を伐採することになる。(技術の発達が、人為的な環境を生みだし、その環境は自然を改造、もしくは破壊することによって成り立つ)</div><div><br /></div><div>　それらの生活技術の導入が、人為的な秩序を自然に対して要求することになる。</div><div>　縄文時代には自然の秩序そのものがヒトの世界でもあったから、自然を観察することによって、そこに世界観を置けばよかったが、その自然をヒトの手で大はばに弄(いじ)り始めると、当然ながら、世界観は再編集されなければならない。そこで、生み出されたのが"神"の概念である。自然科学のなかった古代において自然をとらえるとなると、その底知れぬちからをもつものを神格化して分類し、皆の納得のいくところで、都合の良いように世界は神によって再配置されることになった。</div><div><br /></div><div>　(どのようなことかと云うと)まず、太陽・月・風・雷・星とそれらの運行による時空の刻みは&lt;天の神&gt;となり、土(つち)・水(みず)・火・金属・木などは&lt;地の神&gt;とし、天の神はうごき、地の神はうごかない大地にあるものものとする。</div><div>　その地の神にヒトは手を加え、そこから産みだされる豊かな恵みを得ることになった。その恵みの豊穣なることを願うには、神のちからをコントロールしなければならない。例をあげるならば、&lt;山の神&gt;は無垢の自然の底知れぬちからをもつ神であり、&lt;田の神&gt;はヒトの手が作りだし、改造された自然の神である。その神に、無垢の自然のもつ底知れぬちからが宿るように祈る。つまり、作物が豊作であるように、種まき・発芽・生長・成熟・収穫と種子の採取のプロセスを、山の神を招き、田の神としてのちからを発揮していただくように祈るのである。また、&lt;金属の神&gt;には、良質の砂鉄とその堅牢なるかたちを産みだすことを、&lt;水の神&gt;には、必要なときに豊かなうるおいをもたらすように、&lt;火の神&gt;にはすべてを浄化し、ヒトの願うかたちを産みだすちからを発揮してくれるように祈る。そのことによって、物質的な恵みを産みだす自然の神々へのヒトのこころによるコントロールが可能になる。</div><div><br /></div><div>　このように、人心による自然のコントロールが始まると、すべての事物と事象を神にしなければ収まりがつかない。そこで、ヒトビトはそれらの神々を序列化するために神話の世界を作りだす。</div><div><br /></div><div>　うごかない大地の上を運行しているのが天の神である。</div><div>　そこから、渡来民は&lt;天つ神&gt;、先住民は&lt;国つ神&gt;の神話の骨格が生まれる。ここで云う国つ神とは地の神と同義である。天つ神は渡来し、もともとそこにあった土地にいる国つ神からその国を譲り受けた経緯を物語にして&lt;記紀神話&gt;に記す。(天の神は、すべての大地の上を運行しているから、地の神より常に上位の存在である)</div><div>　また、多くの&lt;地主神&gt;も生みだされ、その地域の風土(由来をもつ地名・産物：銀銅/土器/織物/草木/禽獣/魚虫など・地勢・山川原野の名称・古老相伝と史籍、つまり歴史)によって固有の文化を築いていたヒトビトとして、水田開拓民としての先祖と、そのもっと前の森の民としての先祖がいるが、それらを、古(いにしえ)から伝承された物語&lt;祖神神話&gt;にし、地縁によって結びつく一族の氏神(うじがみ)として、祭った。</div><div><br /></div><div>　このように八十万神(やそよろずのかみ)を出現させることによって、渡来した者と、もともとそこにいた者とを融和させる、神話による国&lt;倭国：わこく、二世紀から七世紀&gt;の土台が出来上がった。(自然と共に暮らしていればそのような神々を生みだす必要もなかったが、本来、自然体であることにヒトがさまざまな行為を及ぼすから、自然の秩序が混乱し、その秩序を図るために神々による世界を創作しなければならないことになる。しかし、これはこれで、日本列島に住む混成民族が生みだした巧みな精神文化である)</div><div><br /></div><div>　神々によって秩序を保っていた国、その国にインド伝来の仏教が伝わって来た。</div><div><br /></div><div>　その教えの根本とは、「ヒトは言葉によってモノ・コトを識別し、その識別への執着によって、こころを迷わせられているが、識別がなくても世界は初めから存在している。そこにあるのはあるがままのヒトのからだと生命圏(空間)のみである。その空(くう)のなかで慈悲のこころと自他の喜びをもって、無心に生きよ」というものであった。 (この教え、縄文のヒトビトが無垢なる知によって生きてきたものと同じものである。自然の秩序と共にヒトは無心にして生きることができるのだが、そのことができないのは、常に、ヒトが余計な知識でもって、自然に人為を加えるから、その作りだされた世界に秩序を与えつづけなければならないことになる)</div><div><br /></div><div>　ではその仏教、どのようにして、日本国(七世紀末期以降)に根付くことになったのか、以下は、そのことを考察してみたい。</div><div><br /></div><div>Ⅲ 聖徳太子と仏教</div><div>　大和王権によって、日本列島の平定が進みつつあったなか、縄文一万年の知を受け継ぐヒトビトは中部地方以東、関東から東北地方一帯に、まだ多くが暮らしていた。つまり、大陸から渡来し、米を主食とし、鉄によって各種の道具を作り出し、それらの技術と神の文化によって列島を平定しようとする渡来集団と、もともと列島にいて、森や海の自然と共に暮らしていた先住民とが、まだ、共存していた時代に、インド大陸から中国・朝鮮半島を経て、ブッダ(本名はガウタマ・シッダールタ。父はインドのシャーキャ族の王。紀元前五世紀頃の人。二十九歳で｢ヒトはなぜ、生老病死に苦しみ生きるのだろう｣との迷いをいだき出家する。そうして、その迷いを脱却するために数年にわたる山林での苦行をしたが答えは得られなかった。だが、三十五歳のとき、それまでの苦行を止め、川水でからだを清め、村の娘から供養された食物を摂り、涼しい菩提樹の下で静かに呼吸を整え、ふかい瞑想に入り、やがて、東の空に明けの明星がかがやくのを見て、そこに、迷いのない無垢なる知をもつ自己がいると悟った。その知によって、七日間の思索をつづけ、｢ヒトに迷いをもたらす執着は言葉による識別を因とし、情動を果としている｣と分析し、次に｢因と果による存在は、ヒトの識別した事柄に過ぎないから、もともとの自然にはそのようなものはなく、あるがままである。因があるから果がある、因がなければ果はない｣と考察した。その考察によって、こころの迷いは消え去り、しばらくはその心地好い開放感に浸っていたが、そこに、インドの天地と言葉の創造神である&lt;梵天：ぼんてん&gt;があらわれ、｢そのようなことに気づいたのはお前が始めてである、お前にはその考察した法のちからを用いてヒトビトのこころに生じる迷いを取り除く特別な使命がある｣とうながされ、｢ヒトの甘露の門はひらかれた。耳あるものは聞け、古き信を去れ｣との説法の決意をした。その後、その法をもってヒトビトのなかに入り、屈託のない遊行によって一人ひとりの悩みに接し、それぞれの素質に合わせて、こころを執着から解き放つさまざまな説法を行なった。また、生まれによる差別を排し、すべての階層のヒトを平等に受け入れ、生きとし生けるもののいのちを大切にするこころと、相互扶助による質素な衣食住を得る生活と病気治療と健康法をも指導し、その教えにもとづいて生きようとする集団の生活規範&lt;戒：殺さない・盗まない・邪淫しない・偽らないなど&gt;を定め、八十歳でクシナガラ郊外の沙羅双樹のもとで安らかな入滅を迎えられた。しかし、ブッダの説いた&lt;法&gt;と&lt;戒&gt;はヒトビトのなかで永遠に生きつづけることになった。原初のさまざまな説法は｢阿含経：あごんきょう｣として伝えられ、法はその後、さまざまな解釈がなされ、多くの｢大乗の諸経典や論書｣を生んだ)を祖とする仏教が伝来した。</div><div><br /></div><div>　五三八年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来(ブッダ)像や経典、仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりとする。だが、その仏教とは、為政者にとって、異国の神としての祈りの対象となるものであり、本来の｢生の悟りと、その悟りによる慈悲の実践｣を得るものとはほど遠かった。</div><div>　では、その後、仏教本来の教えが本格的に列島に住むヒトビトの精神世界に広く入り込むようになったのはどのような経緯によるのか、そこに登場するのが聖徳太子(厩戸皇子：うまやどのおうじ)である。</div><div>　太子は五九二年、推古天皇の即位にともない二十歳のとき摂政となり、新興国家づくりのために仏教本来の教えによる文明開化を行なうことを決意し、そのことによって列島を平穏に平定することを願った。</div><div><br /></div><div>　その文明開化とは、日本最初の官寺となる四天王寺(五九三年建立。インドをルーツとする情報と利を司る神&lt;多聞天：たもんてん&gt;と、国土の秩序を支え守る神&lt;持国天：じこくてん&gt;と、五穀豊穣と万物の成長・繁殖を司る神&lt;増長天：ぞうじょうてん&gt;と、異文化・異言語を理解する神&lt;広目天：こうもくてん&gt;の四天王を祭り、列島の平穏を守り、また、ブッダの説く"慈悲"の精神を実践する、こころの修行の道場である｢敬田院：きょうでんいん｣と、病人に薬を施す｢施薬院：せやくいん｣と、病気の者を収容し、病気を癒す｢療病院｣と、身寄りのない者や年老いた者を収容する｢悲田院：ひでんいん｣の四つの福祉施設を併設する)や法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれる。太子没後の六二三年に仏師、鞍作止利(くらつくりのとり)作の釈迦、すなわちブッダの像とその慈悲のはたらきを示す二菩薩の三尊像を祭る)などの数々の寺院の建立と、六〇四年に我が国最初の｢憲法十七条｣を制定し、その第一条に｢一にいわく。和をなによりも大切なものとし、いさかいを起こさないことを根本とする云々｣と記し、第二条に、「二にいわく、あつく、三宝(さんぽう)を敬え。三宝とは、仏(いのちの知に目覚めること)と法(その無垢なるいのちの知のはたらき)と僧(そのはたらきがもたらす相互扶助によって生きる集団)とである。それらは、四生(ししょう：胎生&lt;ほ乳類&gt;・卵生&lt;鳥類と爬虫類&gt;・湿生&lt;水棲類&gt;・化生&lt;昆虫と両生類&gt;のすべての生物)の根元の拠りどころであり、すべての生きとし生けるものの世界の究極の規範である。どんな世界であっても、いかなるヒトであっても、このいのちの規範を大切にしないといったことがあるだろうか。ヒトには、もとよりわるい者はいない。よく教えるならば、正しい道にしたがうものなのだ。そのためには、すべてのいのちのかけがえのない存在と、そのいのちのもつ無垢なる知と、その知にしたがい無心に生きる集団への慈しみを説くブッダの教えに帰依する他にない。そうしなければ、まがったこころをただすことはできない」と記すことによって、争いの絶えない世にあって、万民のこころを鎮め、いのちの"和"を大切にする国づくりを目指すものであった。(この条文、当時の日本列島の異民族間の人心を太子が憂いをもって受けとめ、その問題を解決するためにブッダの教えである"慈悲"のこころと、その実践をもってしようとしていたことに他ならない)</div><div>　そうして、太子は、亡くなる一年前の六二一年に仏教の学問所として｢熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)｣を創建し、百年後(八世紀初頭)の、大陸の最新の文化を学び、その情報を集約し発信する仏教総合大学｢大安寺(だいあんじ)｣の隆盛へとつなげた。</div><div><br /></div><div>Ⅳ 仏教総合大学｢大安寺｣</div><div>　奈良時代、平城京の｢大安寺｣には海外からの渡来僧を含め、九百人近くの僧侶が居住して、日夜、勉学修行に励んでいたという。(今日的に云えば、仏教の国際大学の様相を呈していた)</div><div>　仏教は、聖徳太子の蒔いた"ブッダの慈悲の精神の種"によって、信仰の対象としてだけではなく、｢ヒトはどう生きるのか、そして、どういう知をもって国の文化を築くのか｣の人間総合学の学問として、東洋の果ての新興国日本に定着したのだ。</div><div><br /></div><div>　その学問は、(仏教学にとどまらず)古代インドの学問分野｢五明(ごみょう)｣までをも取り込んでいた。それらの学問を身に付けてこそ、ブッダの教えも広がる。なぜなら、ブッダの教えとはヒトビトの精神と物質の両面を救済しようとする社会福祉(相互扶助)の実践の教えでもあったからだ。</div><div><br /></div><div>　その学問分野とは</div><div>　・工巧明(くぎょうみょう)：工芸・技芸、土木・工学技術、天文学・占術</div><div>　・医方明：医学・薬学</div><div>　・声明(しょうみょう)：言語学（文法・音韻）、仏教音楽（音曲）</div><div>　・因明：論理学</div><div>　・内明：仏教（各宗）学、倫理、哲学</div><div>である。</div><div>　以上の学問を｢大安寺｣では総合的に教えていたのだ。</div><div><br /></div><div>　大学には、海外からの渡来僧が多くおり、七三六年に遣唐使にしたがって来朝を果たし、大安寺に住していたインド僧の菩提僊那（ボダイセンナ）。ボダイセンナは行基＊と親しく交わり、東大寺の大仏殿開眼供養では大導師を務めた。また、ボダイセンナの来朝時には唐僧の道璿(どうせん)やベトナム僧の仏哲(ぶつてつ)も来ており、同じく大安寺に住している。その他、朝鮮半島からの僧もいた。</div><div>　また、大安寺の僧が(ブッダの教えの伝わる)唐に留学することも頻繁に行なわれ、その留学僧(るがくそう)には、入唐して｢三論宗(さんろんしゅう)｣＊を究め、空海の師である勤操(ごんぞう)にその三論の奥義を授けた善議(ぜんぎ)。七三三年の第九次遣唐使に加わり、在唐二十年、五度の渡航失敗を経て、七五四年に帰朝を果たし、鑑真和尚を招聘した普照(ふしょう)。入唐し十七年目の七五〇年に熱病で入寂した栄叡(ようえい)。唐から帰朝し、事情により筑紫の国師となった戒明(かいみょう)。渤海経由で入唐し、長安の西明寺で学び、空海が入唐したときに僧坊を譲って帰国し、その後も空海との親交がつづいた永忠(ようちゅう)などがいる。</div><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;">＊行基(ぎょうき)奈良時代の僧。父は百済系渡来人の書(ふみ)氏の分派の高志才智(こしのさいち)。六八二年十五歳で出家し、飛鳥寺の道昭(どうしょう)を師とする。道昭は、六五三年に入唐して長安の玄奘(げんじょう)に師事し、同室に住むこと許された。その後、経論をたずさえ帰国、民間で井戸・船・橋などを造る社会事業に努めた僧。行基はその影響を受け、インドの学問分野｢五明｣にも目をそそぎ、諸国を巡遊し、最初の日本地図の作成や丸瓦葺(まるかわらぶき)や鼠色の素焼きものなどを独自に考案するとともに、土木・建築・農業技術にも通じた。また、多くの社会福祉事業を行ない、その事業は孤児院の設立にまで及ぶ。(その不屈の社会活動は聖徳太子が目指した仏教による国づくりの理念と一致するものであった)</blockquote><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;">＊｢三論宗｣(さんろんしゅう)大乗仏教の論理を説く三つの論書によって一宗としたもの。その教学の大成者は隋の吉蔵(きちぞう、嘉祥大師)。<br />(１)『中論』龍樹(南インドのバラモン、ナーガールジュナのこと。｢ナーガ｣が｢龍｣という意味で、アルジュナが昔の英雄の名で、音写して｢樹｣としるす。｢りゅうじゅ｣と読む)の著作：ヒトは作用と作用主体の相対性の論理によって存在をとらえているが、その論理を突き進めていけば、存在の有無を論証することできない。有るともいえないし、無いともいえない、そのような存在意識の中間にヒトはいると説く。<br />(２)『百論』龍樹の弟子の提婆(だいば)の著作：作用と作用主体の相対性によって、すべての論理は論破できると説く。<br />(３)『十二門論』龍樹の著作：中論の入門書として作られたもの。</blockquote><div><br /></div><div>　当時の多くの僧たちの、荒海もものとはせずに渡航し、異言語をも克服し、時にも耐える屈託のない行動力そのものが、仏教によって文明開化を図ろうとしていた新興国日本のすがたそのものである。その国家プロジェクトの仕掛け人こそが聖徳太子であったのだ。</div><div><br /></div><div>Ⅴ 青年空海と大安寺</div><div>　空海(幼名、真魚：まお。七七四年に生まれる。父は佐伯直田公、母は阿刀氏)の青年期おける仏教の師は大安寺の勤操(ごんぞう：七五四年、大和国高市(たけち)に生を受ける。十二歳で大安寺の門をくぐり、十六歳にして山岳修行をし、二十三歳のころ大安寺の僧となった。若き日の空海を伴い、和泉の槙尾山寺(まきのおさんじ)に赴いて出家させたとも、また、空海に｢虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじのほう)｣&lt;からだを自然のもつ過酷さとやさしさにゆだね、言葉を本来のひびきに戻し、意識を自然の道理と一体化すれば、そこにいのちの発揮する無尽蔵の知のファイルが開かれるとする修行&gt;を授けた人物であるともいわれる。八二七年に遷化された)であった。</div><div>　(空海は『勤操大徳影の讃序』を記しているから、当然ながら、その生涯において大きな影響を受けたのが勤操であったにちがいない。そのことからして、青年期の空海は大安寺に出入りして、その学問の場で多くのことを学ぶ機会を得ていたと推測できる。したがって、)空海は大安寺の経蔵(大学図書館)に入り込んで、膨大な蔵書を紐解いて読破し、それらのすべてを記憶する勉学に励んでいた。(それらの書物の大半は漢語で書かれたものであり、そのすべてを空海は読むことができたし、話すことができた。また、一部には梵語もあったであろう。梵語の基礎程度は理解していたと思われる。それらの、勉学の手助けをされたのが大安寺におられた勤操先生であった)</div><div>　空海のことだから、分からぬところは先生をつかまえ、真摯に屈託なく質問攻めにしたであろう。(そのようなことをしても、憎まれない性格の持ち主であった)そのようして、空海の青年期は、大安寺を拠点とした勉学と、仏道修行の瞑想と、山岳修行の日々によってまたたくまに過ぎていったのであろう。</div><div><br /></div><div>　また、大安寺のあった場所は、当時、渡来文化の栄えていた地(大和国：今日の奈良)であり、空海が『大日経』(だいにちきょう：七世紀インドの最先端の経典。ヒトの知の根元とは何かを考察し、その知によって生きよと説く。その知とは極めてエコロジカルなものであり、自然と共にあるからだと、言葉のもつひびきのちからと、それらによって無心に形成される意識&lt;知&gt;こそが、ヒトとあらゆる世界を結ぶものであるとする)を目にしたという久米寺(くめでら)は、その地の高市(たけち)郡(住人の九割を渡来人が占めていた)にあり、それも百済から渡来した技術集団、東漢氏(やまとのあやし)が朝廷から賜り、居住していた檜隈(ひのくま)のすぐ近くであった。</div><div>　空海はそれらのヒトビトとも屈託なく交流し、大陸渡来の土木・建築技術、造船と港湾技術、金属生産と加工、織物等の工芸技術、それに、渡来人を通じて、実地に外国語会話や文書の作成を学んでいたと思われる。(つまり、仏教者としての幅広い学問｢五明｣を書物だけではなく身をもって学んでいた)</div><div>　人一倍好奇心が強く、向学心に燃えていた空海にとって、奈良の地はそれらを満たすには有り余る環境であった。当然ながら、渡来人の多くの各種技術者とも人脈をもったことであろう。(そのことが、後の貯水池や港湾の築造、寺院建築、各種工芸等の空海の無尽蔵の創造性を可能にしたと思う)</div><div><br /></div><div>　そのように大安寺と大安寺の位置する当時の国際都市、奈良の地は、青年空海にとって、時代の与えた先進文化の学びの場であり、そこから、後に弘法大師と呼ばれるたぐい稀なる人格も形成されることになった。</div><div><br /></div><div>Ⅵ 空海密教誕生</div><div>　さて、縄文一万年の知から始まり、渡来文化によって激変を余儀なくされた日本列島は、渡来民と先住民との融和の課題を孕みながら、その世界観の秩序を模索しつつ、空海という時代の落とし子を生んだ。</div><div>　その空海の父方は佐伯、すなわち、エミシ(縄文の血をひくヒトビト)と関係のある家系であり、母方はその叔父(阿刀大足：あとのおおたり)が天皇の皇子の家庭教師を務める家柄であった。双方の気質の融和のもとに空海は生まれた。</div><div>　その原質となる知をもって、空海の後の知も生まれることになる。</div><div><br /></div><div>　若き日の空海が山岳修行によって悟った知、それは縄文一万年の知につながるものだが、その心境を記した空海の詩の一節がある。</div><div><br /></div><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;">谷川の水一杯で、朝はいのちをつなぎ<br />山霞を吸い込み、夕には英気を養う。<br />(山での住まいは)たれさがったつる草と細長い草の葉で充分<br />いばらの葉の上に杉の皮を敷いた上がわたくしの寝床。<br />(晴れた日には)青空が恵みの天幕となって広がり<br />(雨の日には)水の精が白いとばりをつらねて、自然をやさしくおおう。<br />(わたくしの居場所には)野鳥が時おりやって来て、歌をさえずり<br />山猿は軽やかにはねて、その見事な芸を披露する。<br />(季節になれば)春の花や秋の菊の花がほほえみかけ<br />明けがたの月や朝の風がわたくしのこころを清々しくする。<br />(この山中で)自分のからだと言葉と思考のすべての知のはたらきが<br />清らかな自然の道理と一体となって存在している。<br />今、一欠けらの香を焚き、立ち昇る煙りを見つめ<br />真理の言葉を一口唱えると<br />それだけのことで、わたくしのこころは充たされる。<br />そこに生きていることの悟りがある。<br /><div style="text-align: right;">遍照発揮性霊集｢山中に何の楽(たのしみ)か有る｣より</div></blockquote><div><br /></div><div>　このように若き日の空海は自然と共にあることだけで、生を楽しむことができた。そして、自然の秘める無尽蔵の知を感得していた。これ以上の知はない。その知と同質の知を説いたものが奈良の久米寺で空海が目にした『大日経』であったのだ。</div><div><br /></div><div>　この"無垢の知"でもっていかに生きるべきか、そのことを求めて、八〇四年五月に空海(三十一歳のとき)は満を持して唐の長安へと留学生(るがくしょう：期間二十年)として旅立った。</div><div><br /></div><div>　そこには、青竜寺の恵果(けいか：教理の始祖を龍樹とする密教第七祖。不空金剛＊の弟子)が空海の来るのを久しく待っていたし、また、恵果に会うまえには醴泉寺(れいせんじ)のカシュミール出身の般若三蔵(はんにゃさんぞう)や中インド出身の牟尼室利三蔵(むにしりさんぞう)から、直接に梵語を学ぶ機会をもが用意されていた。(すでに『大日経』を久米寺で目にし、その説くところと同質の知を感得していた空海にとって、その感得したことをいかに表現し伝えるかを編みだしていた密教修法を実地に学ぶ目的があったのだ。それにはハードではあるが粛々と異国の密教伝授者の手順にしたがうことのできる語学能力が必要であった。空海は漢語に関しては中国の文化人以上に堪能であったが、その手順と教義をすぐに理解できるには梵語の習得が不可欠であったのだ。なにしろ、インドを本家とする密教の教義には梵語がそのまま多数、含まれていたのである)&nbsp;</div><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;">＊不空金剛(ふくうこんごう、インド名アモーガヴァジラ)七〇五年西域地方に生まれる。父はインド北部出身のバラモン。七二〇年長安で金剛智(こんごうち、インド名ヴァジラボーディ。六六九年南インドに生まれる。十歳のときナーランダー寺院に入り出家した。各種経典や五明の論書を学び、七二〇年インドから中国に渡る。『金剛頂経』などを訳出し、同じく長安に赴き、『虚空蔵求聞持法』や『大日経』を漢訳していた中部インド出身のシュバカラシンハ・善無畏と共に中国に密教を広めた)に師事。師の入寂後の七四一年にセイロン・インド南部に渡り、多くの経典を集め、それらを七四六年に中国に持ち帰り漢訳した。七七四年入寂(その年に日本で空海が生まれた)。</blockquote><div><br /></div><div>　そのような、成るべくして生る、時の幸運とでもいうべきことが重なって、短期間で密教のことごとくを恵果から伝授された(八〇五年)空海はインド伝来の密教第八祖となって、師の遺言(空海に密教を伝授し終えた恵果はその年の十二月十五日世寿六十で入滅された)となった｢空海よ、早く郷国に帰って国家をたてまつり、密教を天下に流布し蒼生(そうせい)の福を増せ。しからば四海泰(やす)く、万人楽しまん云々｣の約束を果たすべく、留学期間を二年に短縮し、八〇六年十月に帰朝する。</div><div><br /></div><div>　その後の活躍は史実にある通りである。</div><div><br /></div><div>　空海の知とは、日本列島に住む民族の融和を祈り、安泰を願うものであり、その安泰はすべての生物(空飛ぶ鳥・地を這う虫・水に泳ぐ魚・森に遊ぶ動物)にまで及ぶ広大無辺ものであった。</div><div>　願いの理念は、八三二年八月二十二日初秋、空海五十九歳のとき、高野の山の自然道場で多くの弟子たちと共に満天の星の下、｢世界の包括的なすがた&lt;物質・生命・意識&gt;｣(胎蔵)とそのすがたを形成している｢物質といのちをうごかしている知の原理｣(金剛界)の一対のマンダラを示し、そのすべてのすがたとすがたのもたらす知のはたらきに感謝し、万の灯明と万の美しい花をささげて催された｢高野山万燈会｣の願文に詳しい。</div><div>　それらの世界の本質のなかで、すべてのいのちは親から生を受け継ぎ、住み場所を得、生きとし生けるものの相互扶助のはたらきと、そのはたらきにしたがういのちの知の原理によって生かされている。(そこに、すべてのいのちあるものの生活がある)</div><div><br /></div><div>　万燈会はその後、千年以上つづけられている。</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</div><div><br /></div>   ]]>
        
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    <title>生態学×空海密教New</title>
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    <published>2009-12-14T10:10:09Z</published>
    <updated>2009-12-14T10:24:32Z</updated>

    <summary>はじめに　梅棹忠夫/吉良竜夫編『生態学入門』の序説に　｢人間とはどういうものか？...</summary>
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        <![CDATA[<div><div>はじめに</div><div>　梅棹忠夫/吉良竜夫編『生態学入門』の序説に</div><div>　｢人間とはどういうものか？人間を理解するのに、人間と自然とを対比してとりあつかうのも一つの方法であり、また、人間を自然の一部としてとりあつかうのも一つの行き方である。後の行き方をとるならば、自然というのは世界と同義であり、その場合、問題は、この世界において、人間とはどのような位置を占めるか、ということになる。</div><div>　この世界に存在するあらゆるものとともに、人間もまたこの世界の構成要素の一つであることは疑いない。世界における人間の位置づけとは、世界の他の構成要素と人間との関係を明らかにすることにほかならない。関係を明らかにし、さらに、なぜそのような関係においてあるかを明らかにすることにほかならない｣とある。</div><div>　また、｢生態学が、生活する有機体と、世界の他の構成要素との機能的連関の科学である以上、人間だけを対象とするということ自身が矛盾である。人間と動物、人間と植物、そして、人間と無機的自然との交渉が、はじめから問題であったのである｣とある。</div><div>　これらの今日の生態学の学問的理念、空海が千二百年前にその哲学的課題とし、その答えをインド伝来の密教の教えに求めたものと同質のものであると思う。</div><div>　以下は、それらの課題に空海はどのような答えを見つけだしていたのかを考察したい。(そのことによって、今日の人々が抱えるエコロジカルな生き方への先人による知恵を学ぶことになる)</div><div><br /></div><div>Ⅰ 物理的秩序&lt;六大(ろくだい)&gt;</div><div>　空海の『即身成仏義』即身の詩の第一句に</div><div>　｢六大無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり｣(固体&lt;地&gt;・液体&lt;水&gt;・エネルギー&lt;火&gt;・気体&lt;風&gt;の存在要素と、それらから成るあらゆる生命とその生命の有する知覚&lt;識&gt;は、空間&lt;空&gt;の中で常にさえぎるものなく、無限に結びつき、とけあっている)とある。</div><div>　同じことを『生態学入門』でも説く。</div><div>　｢住み場所は、空間であり場所である。それは、生物自身が、そして世界の構成要素自身が、すべては空間的にしか存在していないという構造によっている｣とある。</div><div>　また、｢各種生物の生存するこの空間は、物質によって形成される地形&lt;固体&gt;と、その場所の気候&lt;エネルギー&gt;や土壌、水質&lt;液体&gt;と、大気&lt;気体&gt;によって物理的特性をもち、そこを棲み分ける生物(植物/動物)によって、景観という相互に知覚&lt;意識&gt;しあう環境を生じている。(このあらゆる生物の有する知覚能力とエネルギー代謝による広義の意味での意識が空海の説く&lt;識&gt;である。この要素を加えて、地・水・火・風・空・識の六大を存在の構成要素としたのは空海の先見であった)｣とある。</div><div>　空海は今日の生態学によって分析された存在の根元となる要素とまったく同じ要素をすでに洞察していた。そうして、それらによって形成される物理的秩序の中にヒトの存在を置いた。</div><div><br /></div><div>Ⅱ 生物的秩序&lt;四種法身(ししゅほっしん)&gt;</div><div>　(１)三十八億年前、地球上の海の中で生命は誕生した。その生命は物質を構成要素とし、物質が自らその形質を受け継ぐ情報機能&lt;ＤＮＡ&gt;を生み、進化し、太陽光エネルギーを得て生きている。そのことがすべての生命に共通する、自性(じしょう)のすがたである。</div><div>　(２)その自性によって、生命は多様な種を生みだした(種の数は二百万種の数倍といわれている)。その種とは、同じすがたをしているグループを指し、その形質は遺伝によって等しく流出してくるので等流(とうる)のすがたである。</div><div>　(３)しかし、その種ごとの個体は遺伝の法則によって少しずつ異なり、個性をもつ。その異なりが変化(へんげ)のすがたとなる。</div><div>　(４)そうして生まれてきたそれぞれの個体そのものが受用(じゅゆう)のすがたである。個体は享受された個性によって、それぞれに生き、他と交わる。したがって、個体には自と他のすがたがある。</div><div><br /></div><div>・自性法身－生命存在(進化・生命圏・エネルギー代謝)のすがた&lt;大日如来&gt;</div><div>・等流法身－多様な種のすがた</div><div>・変化法身－遺伝の法則によるそれぞれのすがた</div><div>・受用法身－個体そのもののすがた&lt;自・他&gt;</div><div><br /></div><div>　それらの生命の無垢なるすがた&lt;法身(ほっしん)&gt;よって、地球上に存在する個々の生物が生物的秩序を保っている。そうして、その生物は六大の相互作用によってすがたを成していると空海は説く。ヒトもその法身の現われである。その法身を自覚せよとも。(そこに、それぞれの個体に宿された、生まれもったかけがえのない創造性がすでに存在する)</div><div><br /></div><div>Ⅲ 文化的秩序&lt;四種曼荼羅(ししゅマンダラ)&gt;</div><div>　あらゆる生物の種は物質自らの創造性によって、地球上に生まれ、その生命と物質によって形成される自然(景観)を住みかとして繁殖している。</div><div>　その中にヒトもいる。ヒトはその知でもって、そのような世界を認識でき、ヒト自らが自然に創造性を加えることを性(さが)とする生物である。(この性は人間中心主義の性であり、前章の大日如来の自性法身とは異なる)</div><div>　その創造性とは以下のようなものである。</div><div><br /></div><div>　ヒトは、神経細胞&lt;ニューロン&gt;の電気的パルスによって脳内に浮かぶイメージを</div><div>　(１)｢形象｣：万象の色彩・形態・動きによるすがた&lt;大マンダラ&gt;</div><div>　(２)｢シンボル｣：象徴となる事物・事象/声音のひびき&lt;三昧耶(サンマヤ)マンダラ&gt;</div><div>　(３)｢単位｣：数と文字による理論&lt;法マンダラ&gt;</div><div>　(４)｢作用｣：万象の運動と相互作用/ヒトの行為&lt;羯磨(カツマ)マンダラ&gt;</div><div>によって創造、伝達する能力をもつ。</div><div>　それらの創造性によって</div><div>　｢宗教｣：霊なるちからの本体への帰依と生きる節度</div><div>　｢芸術｣：各種メディアによる美のイメージの具現化</div><div>　｢哲学｣：真理の論証</div><div>　｢科学｣：万象の識別と実証、技術とモノづくり</div><div>が生みだされる。</div><div>　そのことによって、また、ヒト科の文化の諸相も生みだされている。</div><div>　この文化的な知の諸行、ヒト特有の生態にもとづくものであり、他の生物が無心に衣食住を自然に得て生活していることとは著しく異なる。(このヒト科の文化的生態、特に｢科学｣による飽くなき技術の進展が、すべての生物の相互扶助によって築かれている生態系の秩序と自らのもつ本来の創造性をも破壊することになる。それは、一つにはヒトも自然の生態系の秩序の一員であることを｢技術の際限なき進歩による欲望の実現｣という名の負の落とし穴をもつ創造性によって混乱させられるからであり、もう一つには情報を代替する道具によって実在する空間から自らの生身のからだを遠ざけてしまうからだ。からだは自然そのものであり、自然は生態系の秩序そのものである。そこに本来の無尽蔵の創造性が秘められており、生の喜びもある。その喜びをヒトは喪失しつつあるのではないだろうか)</div><div>　では、それらの知の創造性をもってヒトは世界の他の構成要素(物理的環境・多様な生物・文化様式)と共に如何に生きるべきか、空海の究極の哲学がそちらに向かう。</div><div><br /></div><div>Ⅳ 行為の秩序&lt;三密(さんみつ)&gt;</div><div>　ヒトは住み場所となる風土の中で、その持ち前の創造性によって固有の文化を形成する。その創造性の根元に、六大による&lt;物理的秩序&gt;と、四種法身による&lt;生物的秩序&gt;と、四種曼荼羅による&lt;文化的秩序&gt;が相互に照らしあう世界があると空海は教える。それらのすべては生命の存在知そのものである大日如来から生まれるものであるとも。そこにヒトの性(さが)でもある創造性の昇華を見いだすことができる。(そうすれば、自らの母胎である自然生態系を破壊してまで創造性を実行しようとは思わないだろう)</div><div>　その創造性はからだと言葉と思考の三つ行為によって実践される。そのそれぞれの根元に生態系の秩序を司る大日如来の摂理が潜んでいる。そのことを空海は密とした。</div><div><br /></div><div>　・身密(しんみつ)－手を使い、足を動かす(所作と運動)&lt;シンボルと作用&gt;</div><div>　・口密(くみつ)　－口を開き、声を発する(言葉のひびき)&lt;シンボルと単位&gt;</div><div>　・意密(いみつ)　－心を起し、念を動ずる(イメージ)&lt;形象(色彩・形態・動き)&gt;</div><div><br /></div><div>　・ヒトは手足で道具を使い、美しい布を織り、田を耕し、種を蒔き、家を建て、道を拓く。そして、踊り、指で仕草を示す。</div><div>　・そのような生活の日々の中で、言葉のひびきで意思を示し、物語の世界を創作し、それを共に語り、歌い、他と共感しあう。</div><div>　・それらの創造性は、ヒト自らがそれぞれの個性をもってあるがままの真実の存在をイメージできるからである。</div><div><br /></div><div>　そのようにからだと言葉と思考が一体化したところに、ヒトの創造性が発揮する無垢なる行為の秩序があり、そのすがたは大日如来と共にある。</div><div><br /></div><div>Ⅴ 生態系への回帰&lt;即身(そくしん)&gt;</div><div>　Ⅰの章の空海の即身の詩の第四句に</div><div>　｢重々(じゅうじゅう)帝網(たいもう)なるを即身と名づく｣(生命圏の生態系の中にヒトはいる)とある。</div><div>　ヒトがその生命圏の輝きの中の一員であること、それがそのままにして我が身である。そのことを空海は即身と名づけた。</div><div>　本論のはじめに｢この世界において、人間はどのような位置を占めるか｣、また｢世界の他の構成要素と人間との関係を明らかにし、なぜそのような関係においてあるかを明らかにすること｣が今日の生態学の学問的理念であるとしたが、ここに至って、空海がその答えを千二百年前にすでに示していたのだ。</div><div><br /></div><div>　今日の科学の創造性の中で生きなければならない者のエコロジカルな世界への希求、それは、ヒトに即身なるところがある証拠でもある。しかし、今日尚、その即身から離れつつある創造性は、生態系を壊すことまでして何処に行こうとしているのだろう。</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</div><div><br /></div></div><span class="Apple-style-span" style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Times; font-size: medium; "></span>]]>
        
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    <title>相対と絶対</title>
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    <published>2009-12-07T08:28:00Z</published>
    <updated>2010-01-15T03:55:02Z</updated>

    <summary>相対と絶対－空海と荘子と湯川秀樹の知Ⅰ 二つの空(くう)　ヒトは対象を観察し、言...</summary>
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        <category term="北尾克三郎のページ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<div><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em; "><b>相対と絶対－空海と荘子と湯川秀樹の知</b></font></div><div><br /></div><div>Ⅰ 二つの空(くう)</div><div>　ヒトは対象を観察し、言葉によって相対的に分別するが、その分別されたモノ・コトの存在を考察すれば</div><div>　生じないし、消滅しない。</div><div>　断絶しないし、連続しない。</div><div>　同一ではないし、別でもない。</div><div>　去ることはないし、来ることもない。</div><div>　そのことを論証したのが、ナーガールジュナ(龍樹：二世紀、大乗仏教の論者。彼の考察を記した『中論(ちゅうろん)』によると、まず、｢存在条件｣の有無から始まり、｢去来(動き)｣｢認識作用｣｢物質存在｣｢存在要素｣｢寿命(発生・持続・消滅)｣へと論証は進み、確論となる｢相対性｣の考察によって、分別されたモノ・コトのすべては論理によって証明することはできないから、｢空観(くうがん)｣であるとした)である。</div><div>　その&lt;相対による存在の空(くう)&gt;の論理の上に、空海(九世紀、インド伝来の密教第八祖)は実在する&lt;絶対の一の空(くう)&gt;を説く。</div><div><br /></div><div>　なんと大空はひろびろとして静かなのだろう。</div><div>　万象をその中に一気に含み</div><div>　大海は深く澄みとおり、一つの水(水という元素)にすべての生物が宿る。</div><div>　このように、一は無数の存在の母である。</div><div>　空間は現象を生じるための基(もとい)である。</div><div>　(それぞれの)現象は(不変に)存在しているものではないが</div><div>　(それでも)現象はそれぞれにそのまま実在する。</div><div>　"絶対の空(空間もしくは虚空)"は現象の生じる場として存在し</div><div>　その存在は特定の現象にとどまることはない。</div><div>　現象し、実在するものは不変でないから</div><div>　あらゆる現象が生起しても空間はそのまま空(くう)である。</div><div>　(このように)空間があるから存在があり、存在があるから空間がある。</div><div>　存在の分別による諸相は(論理によって)実証できなくても、現象と空間はそのままにして実在する。</div><div>　だから、存在は(論理によっては)空想であり、空想であるものが存在する。</div><div>　すべての存在はそのように"絶対の一の空(くう)"に実在する。</div><div>　そのようでないものは何物もない。</div><div style="text-align: right;">　空海著『十住心論』第七住心、大意の序より</div><div><br /></div><div>　こうして、空海は実在する世界を&lt;イメージと単位&gt;によって示し、論理による存在の空(くう)を超えた。(つまり、実在する空間としての空と、ヒトが論理によってとらえる存在の空を一つにし、極めて物理学的な世界観を築いた。そして、その世界を示すにあったて、相対的な論理ではなく、包括的なイメージと単位によって、現象と空間が実在していることを一気に説いた。この実在世界を誰も否定できない。その世界の中でヒトは生きている。しかし、ヒトが論理によって世界を識別しようとするから、混乱してしまうのだ。)</div><div><br /></div><div>Ⅱ 知魚楽(魚の楽しみを知る)</div><div>　荘子(そうし：紀元前四世紀、古代中国の思想家)の説くところをまとめた書に『荘子』がある。その秋水篇第十七に以下のような話がある。</div><div><br /></div><div>　ある日、荘子と友人の論理学者の恵子(けいし)が遊びに出かけた。出かけた先は豪(ごう)川の梁(やな)に魚の集まるところであった。</div><div>　梁の早瀬を見ながら、荘子が言った。</div><div>　｢魚はいいなあ。のびのびと自由に水の中を泳ぎまわれて。これこそが魚の楽しみというものだよ｣</div><div>ところが、恵子はこういった、</div><div>　｢きみは魚ではないのに、魚の楽しみなど分かるはずがないだろう｣</div><div>　荘子、</div><div>　｢きみはぼくではないのに、どうしてぼくが魚の楽しみが分かってないと分かるのだい｣</div><div>　恵子、</div><div>　「ぼくはきみではないのだから、もちろんきみのことは分からない。だから、きみももちろん魚ではないのだから、きみには魚の楽しみが分からないといった論理になるだろう」</div><div>　荘子が答えた。</div><div>　｢話を初めに戻してみよう。きみはぼくに『お前は魚ではないのに、魚の楽しみなど分かるはずがないだろう』と言ったが、それはきみがぼくのことをすでに分かっているから言えることだよ。きみがぼくの立場に立っていてくれたということが、すでにぼくのことを分かっていることじゃないか。そうだよ、濠川のほとりにいても、ぼくには水の中の魚の立場が分かるのだ。そして、その泳ぐ楽しさが自然に伝わってくるのだ｣</div><div><br /></div><div>　恵子は真理を説明するのに相対の論理を用いたが、荘子は絶対世界を感得し、その場に現出している世界と一体化している。荘子が魚になり、魚になった荘子が水の中を自由に楽しく泳いでいる。その荘子(ぼく)と恵子(きみ)も一体化した世界に今、実在する。しかし、恵子にはその一体化した包括的な世界が分からない。なぜなら、論理によってモノ・コトの真理をつかもうとしているからだ。</div><div>　ノーベル賞学者の湯川さんもこの｢知魚楽｣を自ら訳し、｢荘子が魚の楽しみを知ったように簡単にはいかないが、いつかは素粒子の心を知ったといえる日がくるだろうと思っている｣との感想を語られている。絶対世界の希求者として、恵子の説く論理の実証性と実証されないが実在していないとは云えない荘子の世界に遊ぶことを心得ておられたのであろう。それはそのまま空海の説く世界"絶対の一"とも結びつく。</div><div><br /></div><div>Ⅲ 百代の過客(無窮の旅人)</div><div>　李白(りはく：八世紀、中国の詩人)の｢春夜、従弟の桃花園に宴する序｣の詩に以下のような句がある。</div><div><br /></div><div>　夫(そ)れ</div><div>　天地は万物の逆旅(げきりょ：宿屋)なり</div><div>　光陰は百代の過客(かかく：旅人)なり</div><div><br /></div><div>　天地は空間であり、光陰は時間(月日)である。時間は無窮の旅人であり、そのすべての旅人が空間を宿屋とする。物理的にいうとそのようなことになる。</div><div>　時間の無窮の旅人、それが存在であり、その存在の究極が物理学でいう素粒子である。素粒子の宿屋とはどのようなものであろうか、そのことをノーベル賞学者の湯川さんが晩年に考察されていた。</div><div><br /></div><div>　｢素粒子の奥には宿屋があったのである。それは物質という物質が百代の過客として投宿し、また旅立っていく宿屋であった。その宿屋の名が&lt;素領域屋&gt;だったのだ｣とある。</div><div><br /></div><div>　素粒子の旅人は相対性によって、その個々のちからとはたらきを実証できるが、その背後にある&lt;素領域&gt;という名の未だ証明できない宿屋を湯川さんはイメージしていた。だが、その宿屋は時空を超えていて言葉で説明することが難しい。そこで、その宿屋のイメージを荘子の説く&lt;渾沌(こんとん：もやもやしていて、すべてが分別されることなく、全体がひとつにまとまり、まるく溶け合っている状態)&gt;に求めた。</div><div>　その宿屋(四次元時空の連続体らしきもの)の場は渾沌としているが心地好いときを過ごすことができ、そこから時空が生み出されている。しかし、時間と空間は相対性によって論理化できるが、宿屋の場は分別以前の渾沌イメージの世界である。(したがって、「何をもって｣イメージとし、それを｢何とみなすか｣をイメージするという別々のイメージをつなげる観想によってのみとらえることのできる場であるから、その"絶対の一"のもやもやした場を相対性によって論証しようとすればその場は消える。この世界、荘子の｢知魚楽｣の説くところと同じものである。)そこにこそ、論理を超える絶対世界が実在すると湯川さんは考えていた。</div><div><br /></div><div>　この、(時空のすべての背後にある)絶対世界が存在するならば、その宿屋の主人として、投宿する旅人をもてなす器量をもっていたのが荘子と空海である。</div><div>　荘周屋は森羅万象の真理を絶対イメージをもって寓話にし、広大無辺のイメージの巧みでもって、客のこころの疲れをもみほぐした。</div><div>　弘法屋は物質・生命・意識からなる包括的な絶対世界のイメージをマンダラの美しい敷物にしてコンパクトに折りたたみ、あるいは曲げ、あるいは捩じり、投宿する客が訪れると必ずそれを広げてもてなした。</div><div>　(それらの宿屋の総本家は渾沌屋である)</div><div><br /></div><div>　例えるならそのような場であろうかと思われる宿屋には無窮の旅人(彼らの多くは時空が織りなす美しい風土の旅人であった。自然界の中にヒトは実在し、旅人はその持ち前の個性&lt;からだと言葉と意識&gt;によって、自然のもつ深淵なる宇宙の背後に迫ろうとした)が投宿していった。その客の中に、李白がいて、芭蕉(ばしょう：十七世紀、江戸前期の俳人。『おくのほそ道』は｢月日ハ百代の過客にして、行かふ年も又旅人也｣という一文で始まる)がいる。(そして、今日のノーベル賞｢創造性(自然科学と人文科学)｣に寄与した多くの偉人たちも)</div><div><br /></div><div>　今日も世界の何処かの風土のなかで無窮の旅人がその宿屋に投宿し、それぞれの壮大なる空(くう)の夢を見ている。その夢は時空を超えて結び付いている。</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>脳死移植、８ヶ月間事例ゼロの現実</title>
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    <published>2009-10-16T14:42:46Z</published>
    <updated>2009-10-28T07:39:55Z</updated>

    <summary>　この７月、改悪「臓器移植法」が国民的コンセンサスもないまま衆議院解散直前の国会...</summary>
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        <category term="生命倫理を問う" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="長澤弘隆のページ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<div>　この７月、改悪「臓器移植法」が国民的コンセンサスもないまま衆議院解散直前の国会で駆け込み可決され、「脳死」は臓器提供をする場合にかぎり人の死であったものが、臓器提供をしようがしまいが一律に人の死ということになり、さらに子供は「脳死」状態から蘇生する可能性があるとして「脳死」からの臓器提供が禁止されていた１５才未満の子供にも臓器の提供が可能となり、しかも子供も含め本人の意思確認ができない場合は家族の同意でいいということになったにもかかわらず、どうしたことか悪法の可決以後今日まで「脳死」移植の事例はなく、２月８日に名古屋で行われた８１例目を最後に８ヶ月もの間事例ゼロの状態が続いている。</div><div>　折りしも１０月は「移植推進月間」であり、ドナーカードを持つ人はすでに１０００万に達しているというにもかかわらず、臓器提供者が現れないのである。日本移植学会は、「臓器移植法」の改悪により、年に１０件程度のペースだった「脳死」移植が年７０件のレベルまで増えると見込んでいたが、まったく荒唐無稽の想定値だった。これが「脳死」移植に対する国民の正直な反応である。事実は小説より奇なものである。</div><div>　関係者は「改正法の国会上程を機に国民感情や世論が慎重の方に流れたのだろう」などと安直な感想を洩らし、移植ネットワークに至っては啓発活動が足りないからだとして、臓器移植に関心をもってもらうためのコンサートを行うなどと、まだ寝言を言っている。改悪「臓器移植法」が「脳死」移植オタクにとっては改正であっても国民一般にとっては改悪だったことや、彼らは「臓器移植でしか助からない命を救う」という美談に酔えても、国民一般は「その代りに、まだ心臓も動き、体温もあり、ヒゲも伸び、お産もできるのに、半ば強制的に身体を切り裂かれ、生きた臓器を切り取られ、その生存を止められてしまう」おぞましさに冷めていることを、彼らはこれからも無視し、懲りずに寝言を言い続けるにちがいない。</div><div><br /></div><div>　改悪「臓器移植」法が可決された参議院本会議の傍聴席で、感涙にむせんでいた人たちに敢えて問う。本人の意思確認が必要なくなった「脳死」移植によって、はからずも命を奪われることになる人の人権（生存権）はどうなるのか。人の命は、たとえ家族であっても、「お前はもう生きている意味がない」とばかり決めつけていいのか。皆さんが救おうとしている命と奪われる命と、「生きている意味」においてどんな違いがあるのか。皆さんの心のどこかに、もしかして「「脳死」者は、生命維持装置をはずせば生きられないのだから、生きる見込みのない人は生きる見込みのある人に臓器を提供してもいいのでは」といった優生学的な優劣感情や、もっと言えば命の選別意識はないか。さらに言えば、母性本能・父性本能あるいは「生への執着」（仏教のいう「無明」、我欲・我執の根源）を満たしたいあまり、「脳死」移植医療の闇（命の選別と合法的殺人）から目をそらしていないか。いかがか。</div><div><br /></div><div>　このページにアクセスしてくださった皆さんにも問いたい。もし皆さんのお子さんが、例えば交通事故などによって頭部を強打し「脳死」状態になった場合、主治医の先生から「お子さんはもう蘇生する見込みがありません、よければ臓器提供をお願いできませんか」と言われて、ＩＣＵのベッドに横たわり必至に生きようと頑張っているわが子を見ながら「わかりました、どうぞわが子の身体から動いている心臓でもほかの臓器でも切り取ってけっこうです」と言えるだろうか。</div><div>　親であるなら誰でも、蘇生しないであろう現実を認めつつも奇跡的な生還を思い描かずにはいられない。そして生存の可能性ギリギリまで救命措置を行い、それでもダメだった時にはじめて「やれることはやったのだから仕方がない、寿命だとあきらめよう」という心境になり、家族の皆がそれに納得することで大切なお子さんの死の受容がはじまるのである。これが日本人の普通のメンタリティーである。</div><div>　お子さんが生死の境をさまよっている時に、まだ生きているお子さんの身体を切り刻むようなむごいことを考えること自体、親として不謹慎でありあるまじき行為である。仮に「脳死」移植の話に乗ったとして、臓器を切り取られた遺体を荼毘に付す時、臓器を切り取られることを知らずに逝ったわが子が不憫にならないか。親としてわが子の命に最善を尽くしたことになるだろうか。この手でわが子の死期を早めるような薄情な親は、一生、浮ばれないお子さんの（怨）霊を背負い、自分を責めて生きることになるだろう。やがて業病にとりつかれ、その罪業によって死後は地獄に堕ちるかもしれない。いかがか。</div><div><br /></div><div>　かくも「脳死」移植は、まだ救命装置によって生きている「脳死」者の身体から生きている臓器を切り取り、その「脳死」者をあたかも死刑執行の如くあの世に強制送致するという点において、日本人のメンタリティーに合わない。この文明社会がタブーとしてきたおぞましい「カニバリズム」（人肉漁り）の行為を、日本人は決して容認しないのである。「脳死」移植オタクはそれを、「脳死」移植医療の闇がわかっていない国会議員を動員して法律で糊塗し、いかにも文明的な医療行為であるように偽装した。</div><div>　「移植でしか助からない命を救う」という美談の影に潜む殺人医療正当化の傲慢さには、科学オタクとか切りたがり屋の示威趣味とかの次元を超えた、もっと深い移植医療の闇が見える。</div><div><br /></div><div>　その闇とは、移植医療先進国といわれるドイツの医学にかつて暗い影を落とした優生学や人体実験であり、そしてその優生学の信奉者ヒットラーが行ったあのユダヤ人の迫害と大量虐殺（ホロコースト）であり、ドイツに並ぶ移植医療先進国のアメリカも優生学的な政策で長いこと人種差別を行ってきた、ということである。</div><div>　とくに、ヒットラー時代のドイツの強制収容所で、回復の見込みのない収容者（ユダヤ人）の臨床実験が行われていたことはニュルンベルグ裁判が明らかにしたところである。生きる見込みのない人の身体を、ある意図のもとに、強制的に切り刻むことは、この強制収容所の人体実験に由来すると言っても過言ではなかろう。身体の自由を奪われ、意思の表明もできない、まったくの弱者を、無慈悲に死刑台に送るこのような医療行為の亡霊が、移植外科医には自覚されないまま今の「脳死」移植に影を落としてはいないか。胸に手を当ててよく考えてみるがいい。</div><div><br /></div><div>　世界で初の心臓移植手術を行った南アフリカの心臓外科医クリスチャン・バーナードは、アメリカのミネソタ大学で心臓移植を学び、交通事故で「脳死」状態になった黒人女性の心臓を白人男性に移植し、「この移植には人にいちばん近い形をしたもの（黒人）を使った」とうそぶいた。世界初の心臓移植は、黒人の人権を認めなかった人種差別国南アフリカで行われたのである。かのドクターは黒人女性のドナーを人間ではなくモノと見ていた。</div><div>　「脳死」移植は、このような優生学的人種差別、非人道の医療からはじまった。そして生命の選別という悪しき本質は今もなお変っていない。もともと人体実験の犠牲になってきたのは、奴隷や犯罪者や死刑囚や貧困層や被差別民や知的障害者たちであった。日本の臓器売買の闇ルートで買われる臓器はフィリピンほか東南アジアの貧困層のものだといわれ、中国における臓器提供者はほとんどが死刑囚である。</div><div><br /></div><div>　「脳死」移植に携わる人は、一度立ち止まって考えたらどうか。自分が信じてやまないヒューマニズムや医療が、人として立ち入ってはならない優生学的人種差別の歴史の闇を引きずっていること、現に生きる見込みのない人を強制的に死刑台に送る生命選別の殺人医療に手を染めていること、そして何よりこの日本では国民のコンセンサスを得られない、日本人のメンタリティーが受けつけない医療の偽善に埋没していること、そしてそういう自分をはずかしいと思わないこと、良心の呵責の有りや無しや、について。</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>佐々井秀嶺師に問う</title>
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    <published>2009-10-09T02:29:22Z</published>
    <updated>2009-10-16T14:50:02Z</updated>

    <summary>　インド国籍をもつ日本人仏教僧で、インドの不可触賎民（アウトカースト・アチュート...</summary>
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        <category term="宗教問題を問う" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="長澤弘隆のページ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mikkyo21f.gr.jp/">
        <![CDATA[<div>　インド国籍をもつ日本人仏教僧で、インドの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/不可触賎民">不可触賎民</a>（アウトカースト・アチュート・アンタッチャブル）といわれる最下層の人々の解放改宗運動や、長らくヒンドゥー教徒の管理下にあった仏教聖地<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ブッダガヤ">ブッダガヤ</a>の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ブッダガヤの大菩提寺">大菩提寺</a>を仏教徒の手に取り戻す運動などを通じ、インドにおける仏教復興運動指導者として知られる<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/佐々井秀嶺">佐々井秀嶺</a>師が、この春４４年ぶりに来日し各地で講演を行った。</div><div>　師の苦難に満ちた仏道の道のりとインドの仏教復興における辛苦の多少を知る一人として、師の崇高な菩薩行とそれを支える堅固な菩提心に対し、あらためて敬意と尊敬の念を表すのに何の躊躇もない。</div><div>　なのに、ここにわざわざ稿を起し、マスコミに報じられた師の今の日本に対する思いについていささか疑問を呈するのは、まことに不遜の極みながら、少し感ずるところがあり敢えてそれを問うことにした。以下に触れることは、あるいは師の本意とするところではないかもしれないが、今やインドの仏教最高指導者とまで評されるお立場、発言の軽重を問われる故恐れながら申し上げる次第である。</div><div><br /></div><div>　外国生活が長い日本人、あるいは外国で何かの仕事で成功をした日本人が、よく日本のことをつまみ食い的に批判する。安直に自分の住む外国と比較してである。あるいはまた、出かけた先の外国で「日本」を批判する人もいる。自分の思想志向が「日本」というものに無知なことを棚に上げてである。一番いただけないのは、外国に移住して長い人が久しぶりに日本に帰り、今の日本の表層を見て憂慮発言や批判をする時の日本終末論である。そのほとんどが、単なる思いつきだったり、見方の次元が違う話だったり、木を見て森を見ざるが如しの議論だったりする。</div><div><br /></div><div>　１０月３日付の読売新聞（夕刊）によれば、佐々井師は「彼の地の土になる」そうだが、東京の渋谷では「人間がいないではないかと思わず叫んで・・・・」、「日本の将来が気にかかる」、「助け合って生きるとか友達をだましてはいけないとか、そんな教育が足りないと思う」、「このままでは日本は行き詰ってしまう」と言われたそうである。</div><div>　師が４４年ぶりの日本で、何を聞いて違和感を感じ何を見て危惧されたのか、知る由もないし、どのような感想や感慨をマスコミに洩らしても自由なのだが、しかし私は、日本を離れて長い人が口にするこのたぐいの日本批判を聞くたびに、異邦人的気楽さや旅先の徒然なる言い捨てをしばしば感じてしまうのである。帰るところがあり、発言をした地を去ることができる人はいい。言ったことに責任をもたずに済む人はいい。</div><div>　さらに言えば、日本が高度経済成長に入る頃渡印された師に、爾後日本の著しい変容や日本人の変質がおわかりになっているのか、経済大国の座から滑り落ちていくなかで目標を失ったかのように漂う今の日本人の魂の枯渇をおわかりになっているのか、豊かさ神話のウソを教えられず命を削って生きている青少年の哀れさをおわかりになっているのか、その目で見てこなかった日本を、聞いただけ見ただけで危惧し論評するのは早合点なのではないか、失礼ながらそう疑ってしまう。</div><div><br /></div><div>　とくに「信仰の国インドでは、僧侶の周りに人が集ってくる。日本で本当に仏法を広めようとしている者がどれだけいるのか」に至っては、たとえマスコミ向けの発言であっても、黙っていられなくなる。</div><div>　師は、インドと日本の宗教的精神風土のちがいを度外視しておられるようだ。インドの仏教と日本の仏教とではまったく形態がちがうことも頭にないらしい。インドでは宗教や信仰が社会や生活や人々の心を規制し、日本では社会や生活が宗教や信仰や人々の心まで規制している。インドの仏教は究極釈尊への回帰であり、今では大乗も小乗もない。日本の仏教には最初から釈尊への回帰などなかった。</div><div>　日本仏教は大乗経典の伝来にはじまるからである。飛鳥・奈良・平安時代は朝廷中心の国家鎮護仏教、鎌倉・室町・江戸時代は武家中心の厭世仏教、そして明治以降は廃仏毀釈の弾圧からの生き残り策の死者儀礼・祖先供養・現世利益へ。いつも時代の主権者の要請や強制に振られながらソフトウェアを替えてきたのである。だから、日本の仏教を釈尊の仏教の視座から論評するのはそもそも見当違いである。</div><div><br /></div><div>　佐々井師がかねて、日本の仏教（宗派仏教）を「嫌いだ」と批判し、僧侶が結婚したり子供をもうけて寺院のなかに家族を置くことに批判的なことは知られている。師にとって仏法とは、もはや日本で学んだ真言密教でもなく法華経でもなく、独身（つまりは戒律）を貫き、釈尊への帰依とインド社会の最下層で貧困や差別や暴力に苦しむ人々の解放運動（菩薩行）を通じてヒンドゥーの民を仏教徒に改宗させることなのだろう。しかし、その反権力闘争の動機や実践体験やモチベーションを日本の仏教（者）に重ねても無理というものであり、「本当に仏法を広めようとしている者がどれだけいるのか」といぶかられても詮無いことである。日本の仏法ははじめから、師が選び行じてこられた仏法と全然形態が違うのである。次元の違う批判というものは、ただの言いがかりか嫌味になりかねない。</div><div>　師は、インド仏教史において、釈尊の仏教すなわち「無執着」の否定思弁が大乗の「空」観哲学によって凌駕され、その「空」観が「法性」「真如」「諸法実相」「如来蔵」「（必有）仏性」といった肯定形の思想にまで止揚したこと、日本の仏教はこの大乗の「空」観哲学の伝来からはじまっていること、日本の宗派仏教は中国仏教の流れを継承していること、そしてそれぞれに相当の理由で所依の経論に基づいていること、現在の日本の宗派仏教は戦後新憲法下における宗教政策のもとで行政組織に変質していること、その組織上の争いごとが嫌いであればそれに異を唱え行政組織のなかで改革運動をなすべきこと、についてどうお考えだろうか。</div><div>　仏教というものを釈尊原理運動や釈尊回帰運動に限定することは、小乗仏教国のタイやミャンマーやスリランカそしてインドでは通るかもしれないが、大乗仏教伝来国の日本ではいかがか。また、日本の僧侶の肉食妻帯と寺院に家族を置くことを、僧侶は僧院で修行生活に専念し食糧を托鉢によって布施される形態の小乗仏教国との比較において批判することもどうか。明治の廃仏毀釈以来、日本の仏教は実質在家仏教であり、今の日本の僧侶を小乗仏教国の出家僧といっしょにして評するのはいただけない。敢えて言えば、仏教僧は菩提心の有無に尽きる。姿形ではない。小乗仏教国の出家僧に堕落はないか、あの戒律の多さは何を意味するのか。日本の肉食妻帯の破戒僧のなかに真の仏法を得た人はいなかったか、事実は小説より奇なりでもある。</div><div><br /></div><div>　思えば、名のある知識人のなかに、日本の仏教を葬式仏教つまり死の宗教だとか寺院が一般大衆と遊離していて生きた宗教になっていないと批判する人がいる。いや、そういうことを言ってメシの種にしている宗教評論家もいる。日本の仏教を、生命観に満ち生きた宗教だった密教から死臭ただよう厭世宗教に変質させた鎌倉仏教の特質を黙視してである。今の仏教を葬式仏教つまりは死の宗教だと批判する人は、まず法然・親鸞や栄西・道元の現世否定の法門や、その法門が発明した法名や戒名ほかの死者儀礼のコンテンツや、その死者儀礼や祖先供養を行う仏教をなぜ日本人は受容してきたのかをよく調べてからにしていただきたい。</div><div>　今の仏教寺院が一般大衆と遊離していて生きた宗教になっていないと批判するのなら、寺院経営という商業活動や葬式坊主という役務から僧侶をまず解放し、代って寺院の護持や法務を批判する人たちにやっていただきたいと思う。私たち僧侶は、日々の金策行から解放されれば教学の研鑽や修行の練磨や本来の宗教活動に専念できるのである。</div><div>　日本の寺院が明治期に廃仏毀釈の弾圧により人材と資産を失い、戦後農地解放によってさらに経済基盤を奪われ、新憲法下で自営の法人になりさがり、寺院維持のために住職がマネージメントを余儀なくされて以来、本来の宗教活動とはかけ離れた現状に追い込まれたことを措いて今の仏教を批判されてはたまらない。良識ある住職はみな、寺院経営（俗）と学行や本来の宗教活動（聖）との二律背反の狭間でもがき悩んでいるのである。本当は学行（自利行）と菩薩行（利他行）に専念したいのだ。</div><div><br /></div><div>　佐々井師が久しぶりに日本の地を踏んでインドと日本の違いにとまどったであろうことは想像に難くない。</div><div>　渋谷の街を行き交う人が、師には人間に見えなかったらしい。しかし、そこにいたのは紛れもない人間である。師がナーグプルで毎日見ているインド人と、渋谷の街を行き交う日本人と、変りはない。同じく、生きることに四苦八苦する人間である。</div><div>　師には、師の周りにいるインド人や師が訓育した青少年がまっとうな人間に見え、渋谷の街を行き交う人は物質文明に疲れ、情報社会で神経をすり減らし、孤独で明日の希望もなく漂う、魂の抜けた「ものの怪」に見えたのであろう。思わず「人間がいない」と叫ばずにはいられなかったにちがいない。</div><div>　日本の教育の現状が、青少年の現状が、また子供をもつ親の現状が、嘆かわしい状況にあることは、師に言われなくとも日本人誰でもわかっていることだ。しかし、学校現場も、教育委員会も、地域も、父兄も、良識ある人はみながんばっているのに、物質的な豊かさ神話に呪縛された社会では、これほどに人間というものが劣化し悪質化する見本のような道をたどるばかり。これを仮に、インド人の人間らしさや仏教教育の目線で問うとしたら単純すぎる。教育論や人間論あるいは宗教的方法論で事が解決する話ではないのだ。</div><div><br /></div><div>　佐々井師は、日本の物質的な豊かさに人間の劣化が隠れていることに気づかれたのかもしれない。うたかたの繁栄という宴の後の日本人の人間性喪失や魂の枯渇をその膚で感じとられたのかもしれない。</div><div>　日本には、たしかに階級としてのアンタッチャブルはないが、がんばっても報われない貧困がある一方で、まっとうな自己責任に乏しい貧困や人間失格とも言える精神の貧困もある。豊かそうに見えて生きる力に欠ける日本人が、師の周りにいる貧しくても生きる力に満ちているインド人に比べ、師の目には人間として見えなかったのかもしれない。</div><div>　私たちは、実はその問題と対峙できていない。死者儀礼・祖先供養・現世利益ではない、日本人の人間性喪失や魂の枯渇に対応するソフトプログラムを、今の仏教は用意できていない。癒しとかヒーリングといった孤独療法ではなく、仏教ルネッサンスだとか寺院再生だとかの仲間遊びなどではなく、仏との一体感によって生きる喜びを実感できるような、仏教のストライクゾーンを突くニューソフトがないのである。師が「日本で本当に仏法を広めようとしている者がどれだけいるのか」と批判をされた意味が、もしそこのところを突いていたとすれば私たちは全面降伏である。</div><div><br /></div><div>　空海は唐に学んで唐に骨をうずめることもできた。唐に残れば、おそらく皇帝に重んじられ阿倍仲麻呂以上の存在になったであろう。しかし、正統密教第八祖の地位を得ながら日本に帰ってきた。そして、独自の日本的密教を創案し、それを律令国家の要所に用いてみせた。国家事業であった潅漑用水や港湾の改修プロジェクトにも力を注いだ。日本初の庶民の子弟のための私立学校も創設した。それが空海にとっての済世利人すなわち菩薩行であった。空海は、インド・中国の仏教に通じていたが、それをもって当時の南都仏教や天台を批判したりしなかった。それどころか、「十住心」のなかに仏教諸宗をすべて包摂したのである。</div><div>　佐々井師は、甲州の大善寺（真言宗）で助けられ、高尾山薬王院（真言宗）の山本秀順大僧正のもとで得度しているはず。日本の将来を危惧されるのなら、弘法大師にならって日本に帰り、日本の教育を改革し、日本の社会病理を治し、日本人に人間性を取り戻させ、同時に日本の仏教の改革する運動をされてはいかがか。</div><div>　今やインド仏教の最高指導者といわれ、支持者から「バンテジー」（お坊さん・師匠）と親しまれ、ラジブ・ガンジー首相からは「アーリヤ・ナーガールジュナ」（聖なる<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/龍樹">龍樹</a>）の尊名を贈られた師が、どんな仏法と実践でなされるか、失礼ながら師の仏法が２１世紀のこの日本で通用するかということも、ぜひ見たいのである。</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>「臓器移植法」改悪に抗議する</title>
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    <published>2009-10-05T12:23:48Z</published>
    <updated>2009-11-24T05:23:25Z</updated>

    <summary>　人類社会は、人間の理性や文明の証として、人肉を漁ること・人肉を食べること・人肉...</summary>
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        <![CDATA[<div>　人類社会は、人間の理性や文明の証として、人肉を漁ること・人肉を食べること・人肉を売買すること・人肉を何かのために供すること、すなわちカニバリズムをタブーとしてきた。タブーとは、文明から取り残された未開種族に見られる野蛮行為や習俗を文明社会が「禁忌」として忌避する事柄で、これは人類社会共有の禁止規範である。</div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.mikkyo21f.gr.jp/2009/07/21/image_item/nagasawa_img-090721-01.jpg"><img alt="nagasawa_img-090721-01.jpg" src="http://www.mikkyo21f.gr.jp/assets_c/2009/07/nagasawa_img-090721-01-thumb-180x151-601.jpg" width="180" height="151" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><div>　ところが、この文明社会において、「脳死」状態となったある人間の、心臓も動き体温もある生体から臓器を切り取り（結果、その人の生存を故意に終らせ）、あたかも部品交換（物々交換）のように他人の生体に移植する人肉のやりとりが行われ、この国ではそれを法制化していかにも文明社会の先進医療行為であるかのように偽装され、それに伴い臓器売買までが闇の世界で行われている。「脳死移植」は、いかに法律で文明性を偽装しようとも、ある人間が生きながらえるために他の人間の人肉を切り取って摂受する点で、「食人」「人肉嗜食」と何ら変らない立派なカニバリズムである。</div><div>　しかし、日本人のほとんどはこの犯罪的医療のおぞましさにたじろぎ、「臓器移植でしか助からない命を救う」という美談を半信半疑としてきた。「輸血だって、角膜移植だって、肝移植だって、腎移植だって、臓器移植に変わりはないではないか」と言う人がいるが、日本人の死生観・生命観・宗教観・人生観は「脳死移植」というタブー破りを容易に受け容れようとしなかった。</div><div>　現行「脳死移植法」が成立をした当初、関係者は「（これで日本の「脳死移植」は前進し）３年で１０００例は可能だ」とうそぶいたが、現実は１０年でわずか８１例に過ぎない。この惨憺たる結果に、功をあせる「脳死移植」推進派の人はカニバリズムのおぞましさを省みず、また指定病院の体制が未だ十分でないことを承知で、またぞろ政治の力を借りて「臓器移植法」の改悪（更なるタブー破り）に走ったのである。</div><div><br /></div><div>　昨日、改悪「臓器移植法」（いわゆるＡ案）が、先日の衆議院に続いて参議院でも可決された。</div><div>　これによって、臓器提供をする場合に限り「脳死」を人間の死とし、臓器提供をしない場合は「脳死」は人の死ではないとした現行法（これも動いている心臓を体温のある生体から切り取り人為的にその人の生存を止める医療殺人（かつては殺人罪で訴えられた例もある）を極めて政治的に国家権力を借りて正当化した異常な法律だったが）に込められていた「脳死臨調」や有識者あるいは宗教者・市民有志の慎重論・反対意見に対する配慮も葬り去られ、<u>「脳死」は臓器提供しようとしまいと一律に、この国に住む人間の「死」ということになった</u>。</div><div>　およそ人間の「死」の定義は、単に移植外科医や脳死移植を待つ人の都合のためにあるのではない。「死」を認識しそれを悲しむことが人間共通のものである以上、「死」の定義は人類共有のものでなくてはならない。</div><div>　ところが改悪法Ａ案は、WHO（世界保健機関）の「臓器移植は自国で完結を」（０９年５月）という指針、すなわち「今後はアメリカに行って「脳死移植」を受けられなくなる」事態をこれ幸いに、<u>いっこうに進まない日本の「脳死移植」の現状を打開するため、「脳死」を人間の「死」に加えることを強行した。この国の国会は、人類共有のものであるべき「死」の定義を移植外科医や脳死移植を待つ人の都合だけのために法制化をし、ふたたび文明社会のタブーを破ったのである</u>。</div><div><br /></div><div>　改悪法Ａ案はまた、<u>「脳死」状態から蘇生する可能性が子供にはあるとして現行法が認めなかった１５才未満の子供の「脳死移植」を可能にし、さらに現行法の生命線というべき「本人の意志」を放り捨て「脳死移植」は「家族の同意」だけで可能とした</u>。</div><div>　この結果、問題の多かった現行法でさえ担保した生命倫理の歯止めが完全に取り除かれ、「臓器移植でしか助からない命を救う」美名のもと、<u>蘇生するかもしれない「脳死」児童が、「本人の意志」に関係なく、身体を切り裂かれ生きている臓器を切り取られ、恣意的にあの世に強制送致されてもよいということになる</u>。</div><div><br /></div><div>　このたびの<u>改悪法Ａ案に賛成した国会議員はすべて、自分が「脳死」状態になった時はかならず臓器提供をするばかりでなく、妻・夫・息子・娘・孫もみんな臓器提供することを誓約し公表すべきである</u>。改悪法に賛成しておいて自分は臓器提供をしないばかりか、家族もそっぽを向いていては世間に対して示しがつくはずがない。率先垂範してこの国の「脳死移植」の進展に協力してはどうか。口だけなら何とでも言える。政治的ポーズなら誰にでもできる。<u>この問題に無節操にも手を染めた以上、政治的道義的責任をとらなければ政治家の資格はなく、単なる政治屋（政治を生活の手段にしている人）に過ぎない</u>。</div><div><br /></div><div>　参議院は、さすがにＡ案のおぞましさに対する反発を考慮し、「脳死」を一律に人の「死」とせず、現行法と同じく臓器を提供する時に限り「脳死」を「死」とするＡ´案を加えて採決したが、結局これも多勢に無勢だった。<u><span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold;">私たちは、このたびの「臓器移植法」改悪に対し改めて厳重に抗議する</span></u>。</div><div><br /></div><div>　かねて私たちは、「脳死臨調」の段階から「脳死移植」にさまざまな疑念をもち、これに反対する立場を公式サイト・文書・フォーラム・旧厚生省への請願などを通じて表明してきた。現行法が施行されるや、さほどの間を置かず「１５才未満の子供の「脳死移植」を可能にする」「「本人の意志」が確認できない時は、「家族の同意」でいい」とする法改悪の動きがはじまってからも、これに異を唱えてきた。</div><div><br /></div><div>■「現行の脳死移植は合法的殺人」</div><div>　<a href="http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-180.html">http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-180.html</a></div><div>■「深まる疑惑／問題だらけの脳死移植－脳死は人の死ではない－」</div><div>　<a href="http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-182.html">http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-182.html</a></div><div>■「脳死移植／いまこそ考えるべき脳死移植」</div><div>　<a href="http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-183.html">http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-183.html</a></div><div><br /></div><div>　私たちばかりでなく「脳死移植」に対し慎重あるいは反対の立場をとる人たちのサイトも以下に紹介しておく。「脳死移植」は単に、「臓器移植でしか助からない命を救う」とか「莫大なお金を用意してアメリカまで行かなければ助からない命を救う」といった美談で済まされる問題ではない。人間の「死」の定義を移植外科医ほかの「脳死移植」推進派に都合よく変更するために国家権力を動員して恥じないこの国の生命倫理に対し、みな警鐘を鳴らしている。</div><div><br /></div><div>■森岡正博（大阪府立大学教授、生命哲学ほか哲学者）の「臓器移植法改正を考える」</div><div>　<a href="http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm">http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm</a></div><div>■生命倫理会議（生命倫理の教育・研究に携わっている大学教員の集まり）</div><div>　<a href="http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/">http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/</a></div><div>■日本弁護士連合会（日弁連）「臓器移植法改正案に対する会長声明」</div><div>　<a href="http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2004_01.html">http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2004_01.html</a></div><div>■「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会</div><div>　<a href="http://fps01.plala.or.jp/%7Ebrainx/">http://fps01.plala.or.jp/~brainx/</a></div><div>■日本社会臨床学会</div><div>　<a href="http://sharin.jp/2009/?q=node/17">http://sharin.jp/2009/?q=node/17</a></div><div>■医療を考える会</div><div>　<a href="http://pikaia.v-net.ne.jp/">http://pikaia.v-net.ne.jp/</a></div><div>■リブ・イン・ピース「脳死臓器移植法改悪を許さない～」</div><div>　<a href="http://www.liveinpeace925.com/poverty/ishokuho090501.htm">http://www.liveinpeace925.com/poverty/ishokuho090501.htm</a></div><div>■社会問題勉強会</div><div>　「脳死臓器移植の問題」<a href="http://www5.ocn.ne.jp/%7Ekmatsu/ishoku/ishoku.htm">http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/ishoku/ishoku.htm</a></div><div>　「愛ですか？脳死臓器移植」<a href="http://www5.ocn.ne.jp/%7Ekmatsu/ishoku/ishoku301.htm">http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/ishoku/ishoku301.htm</a></div><div>　「いかがわしい臓器ネットワーク」<a href="http://www5.ocn.ne.jp/%7Ekmatsu/ishoku/ishoku336.htm">http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/ishoku/ishoku336.htm</a></div><div>■おほもと「異議あり！脳死・臓器移植反響」</div><div>　<a href="http://www.oomoto.or.jp/Japanese/jpBook/igihankyo.html" style=""><span class="Apple-style-span" style="text-decoration: none;">http://www.oomoto.or.jp/Japanese/jpBook/igihankyo.html</span></a></div><div><br /></div><div>　普通の外科手術も臓器移植も政治や法律（国家権力）の保護を必要としないのに、なぜ「脳死移植」だけが政治や法律の力を必要とするのか。「脳死移植」は、心臓も動き体温もありヒゲも伸びお産もできる生体から、生きた臓器を切り取り、その結果その人の生存を人為的に終らせてしまう殺人行為を前提にしている。それ故、法律の力を借りて移植外科医が殺人罪で訴えられないよう保護する必要があるからだ。</div><div>　こんな政治的な特例扱いを受ける医療行為がほかにあるか。そこまでして移植外科医の身分を守らなければならないこと自体、「脳死移植」がそもそも殺人と表裏一体のタブーであることを証明している。「臓器移植でしか助からない命を救う」医療がタブー破りの禁忌である限り、それは仁術や人道であるはずがない。</div><div><br /></div><div>　私たちは先ずそのことを問うているのである。医療はもともと、社会規範や人倫道徳に合致し、かつ崇高な生命倫理に基づいて行われるべきものである。事実、この国の医療もかつては「医は仁術」といわれ、人道の模範であった。国家権力を借り殺人行為を正当化してまで強行する医療を仁術や人道というだろうか。日本の仁術や人道とは、物欲と実用をサイエンスで満たすことを人間の幸福とする欧米のヒューマニズムとはわけがちがうのである。</div><div>　私たちはさらに、自分が生き永らえる（自己の生存本能を満足する）ために、あるいはわが子を少しでも永く生かしてやりたい（父性・母性本能を充足したい）ために、他人の臓器まで欲しがること、さらには他人の「死」を心のどこかで期待し待ち望むこと、そのおぞましさも問うている。</div><div>　人間には寿命がある。老いも若きも異なりなく、人間は、与えられた命を、与えられた有限の時間を、生きるのである。見ず知らずの他人の臓器を欲しがり、人為的に殺された人の臓器をもらい受け、それで平気なのか。生きる時間が多少伸びた分、それをただただ生存するだけで無為徒食に過すとしたら、それで幸せか。それを問うては失礼か。</div><div>敢えて言わせてもらう。「臓器移植でしか助からない命」もあるが、生まれつきハンディを背負い臓器移植さえ不可能な子が短い命を終えてゆくこともある。飢餓のなかで消えてゆく幼い命もある。枯葉剤や劣化ウラン弾で奇形になり臓器移植どころではない命もある。原発事故による放射能汚染で小児ガンに苦しむ命もある。</div><div>　「脳死移植」にかかる費用が一口に１０００万円とか。一生飲み続けなければならない免疫コントロールの薬代、折々の検査通院費、これ全部自己負担か。国民の税金が使われているのではないか。「脳死移植」に向けられる税金があれば、貧困のなかで医療の恩恵も受けられない多くの命が救える。</div><div><br /></div><div>　政治や法律の力で救わねばならない命は、この国だけでもほかにたくさんある。原爆症に悩む人、まだ原爆症の認定を受けていない人、公害難病に苦しむ人、公害認定を受けていない人、薬害難病に苦しむ人、薬害認定を受けていない人、自然災害の後遺症に悩む人等々、不治の病に苦しんでいる人は翰墨にいとまがない。みな理不尽な国家のあやまちや不作為による罪もない犠牲者である。この人たちにさえ政治や法律はまだ不充分である。</div><div>　では「脳死移植」を待つ人は国の犠牲者か、国の要救済者か。気の毒だが「自己責任」の問題、原則として他の病気の受診治療と同じく、当事者が自分の住む地域の医療環境のなかで、あるいは地域外の専門病院に足を運び、自分の経済力や縁ある人の協力の範囲内でせいいっぱいの医療措置を受け、それでだめな場合はあきらめるほかないという話ではないのか。１５才未満の子供の「脳死移植」を持ち出した町野朔氏の屁理屈を借りれば、「臓器移植」でしか助からない命もそう「自己決定している」のではないか。どうして、他の難病患者を尻目に「「臓器移植」でしか助からない命」という決めつけが一人歩きし、その患者が特別扱いなのか。ともかくこの国の「脳死移植」には、政治や法律の力を借りてまで行うタブー破りなだけに、アブノーマルな不自然さが数々つきまとう。</div><div><br /></div><div>　エコロジーの時代。人間の生命が自然（nature）の一部であり自然の摂理に従ってあることは、遺伝子や免疫レベルでも明らかになっている。これを仏教で「法爾自然」、「然るべくして、そこに、そうあること」といい、北野大（環境科学）は「そこにそうなくてはならない存在倫理」と言った。人間の生体は北野の言う「存在倫理」に従ったミクロコスモスである。</div><div>　過日、新型インフルエンザが広まった時、インフルエンザウィルスとて自然界に生きる微生物として生存する権利があり、人間は結局それと共存するほかはないと識者が言ったことがある。医学・医療がどんなに進化・発展しようとも、病原菌を自然界から撲滅したり、人間のかかる病気を全滅させたりすることは不可能である。抗生物質がより病原性の強いウィルスを生む温床となっていることがそれを証明している。</div><div>　人間の固体の生死は自然の摂理に従ってあるのであり、幼かろうと大事な人であろうとその固体の生存能力のなかで生命は完結すべくできている。臓器移植はせいぜいその摂理の範囲で、共に生きられる前提で行われるべきである。「脳死移植」はそれを越え、「臓器移植でしか助からない命を救う」ことを錦の御旗にし、他人の「死」（不幸）をあてにし、あるいはそれを待ち望み、そして動いている心臓を生体から切り取り免疫系の異なる生体に移植するという、自然の摂理に反する不道徳な手段を誇りたがっている。臓器の提供を受けたレシピエントが一生免疫抑制剤のお世話にならなくてはならないことや、それでも永く生きられなかった症例について、報道は多くを伝えない。「脳死移植」は政治や法律の力を借りなければ成立せず、しかもその細部は国民の耳目に達しない密室的な危うい医療行為であること（日本で最初の「脳死移植」となった高知赤十字病院で何があったか）を再認識すべきである。</div><div><br /></div><div>　かつて「和田心臓移植事件」（昭和４３年８月）は、「臓器移植」という特殊な医療行為のおぞましさと、「臓器移植」が単に医療行為にとどまらず日本人の死生観や倫理観や宗教観や人生観に深くかかわる（安っぽい人道主義や物々交換感覚では済まされない）問題だという衝撃と教訓を私たちに残した。</div><div>　私たちは依然、日本人のおよそが手を染めないでいる、体温のある生体から生きた臓器を切り取るカニバリズムの野蛮や、その殺人行為を国家権力の力を借りて免責にする偽善や、他人の臓器を欲しがりそしてその人の「死」を密かに期待し待つ密室の故意を、良心がとがめて認めることができない。</div><div>　その疑念から抜け出せない私たちを、時代おくれ・坊主の独りよがりだとあざわらった真言僧もいた。その友人で「医学も移植医療も知らないくせに、坊主如きがナンセンスなことを言う」と私たちをなじった医師もいた。彼らに改めて反論しておく。件の真言僧には「安っぽい人道主義を仏教者のアイデンティティーだなどと思うのは軽薄だ」「ちゃんと空海密教の生命観を勉強してからモノを言え」と。その友人の医師には「ここは日本です」「欧米のヒューマニズムだけが生命倫理の尺度だと思ったら大まちがい」「日本の精神風土はメスでは切り取れない」と。</div><div>　医療はしばしばサイエンスという武器で自然界を征服しようとする。科学オタクはこの武器が万能だとよく錯覚をする。移植外科医の独善と傲慢は、このサイエンス至上主義・自然征服主義の典型である。欧米では山は人間が征服するものだが、日本では山は神仏の宿るところ、人間が拝むものなのである。日本の山の頂上にはよく神仏が祀られている。その精神が日本人の身体観となり、日本人は永く肉体と精神を分けなかった。動いている心臓を切り取ることは、その人から心や魂を抜き取ることを意味する。デカルトはそこがわからなかった。肉体と精神を二分したのだ。それが欧米の生命観にもリンクしている。</div><div>　太平洋戦争でアメリカの近代兵器と物量に負けて以来、科学技術信仰に似た妄信が技術立国のこの国に蔓延している。先進的科学技術を背景とした繁栄とマネーゲームに酔ったアメリカの正体を、マイケル・ジャクソンの死が象徴している。アメリカの医療には常に科学技術と物欲主義への妄信がつきまとう。高度救命救急の天使もいるが薬物乱用や臓器売買などの悪魔も跋扈している。</div><div><br /></div><div>　「脳死臨調」の委員だった作家の曽野綾子氏が、最近の新聞（産経新聞、「小さな親切、大きなお世話」）で、相変わらず「臓器くれたがり」の立場から無邪気な「愛の行為」論を述べていた。この人には、臓器を他人にあげることがカトリック的「愛の行為」だと思い込む悪癖がある。これを「小さな親切、大きなお世話」とシャレ込みたかったのであろう。すでに８０才になろうという人の消費期限を過ぎた臓器を誰がもらおうか。この人には、世間で言う「小さな親切、大きなお世話」の意味がわかっていないのではないか。「大きなお世話」とは、「崇高なお世話」ではなく「余計なお世話」のことである。</div><div>　彼女のこの偏狭的思い込みの前には日本の人権派を代表する日弁連もかたなしで、これまでこの国の「脳死移植」がはかばかしくなかったのは、４人の「脳死臨調」委員（日弁連所属の弁護士？）が強引に（「脳死移植」を）否定したからだと八つ当たりをしている。「脳死臨調」は最初から、政府系の諮問機関が常にそうであるように、反対意見の委員は少数派だった。「脳死臨調」はその少数派の良識ある異論を尊重したまでで、「脳死移植」がノーテンキな「愛の行為」論で割り切れるような問題ではなかった証左である。</div><div>　臓器提供者に金銭の授受はないのか。この国で実質的な臓器売買は行われていないか。しばしば耳にする不正問題は何を意味するのか。臓器提供は本当にきれいごとか。</div><div><br /></div><div>　１５才未満の子供の「脳死移植」を持ち出した町野朔氏も、現行法がこだわった「本人の意志」（リヴィングウィル）を放り棄てるため、「たとえ、死後に臓器を提供する意志を現実に表示していなくても、我々はそのように行動する（臓器を提供する）本性を有している存在である」「我々は、死後の臓器提供へと「自己決定」している存在なのである」と、バチカンのローマ法王が聞いたら腰を抜かすようなことを平然と言ってのけた。</div><div>　この人は、教皇ヨハネ・パウロ２世がその回勅『いのちの福音』で、臓器・脳死移植について言及した「倫理的に認められる方法で実施されるべき臓器提供」や、ドイツのカトリック司教団とプロテスタント教会が共同で発表をした「臓器の確保という目的が先行し、救命治療や脳死判定がないがしろにされること」への警告を、知らぬがほとけであったに相違ない。彼にとり、「脳死移植」は殺人行為ではなく「善意の贈り物」なのだ。そうならば、政治や法律の力を借りる必要はどこにあろう。なぜ崇高な「善意の贈り物」に政治や法律の保護が必要なのか。この人のクリスチャニズムは偽善というべきである。</div><div>この国の「脳死移植」問題にしばしば心情クリスチャンが暗躍している。そして軽薄な「愛の行為」論や「自己決定」論をふりまわし、殺人行為を前提にした犯罪的医療行為を政治や法律の力を借りて正当化することに手を貸している。この程度の心情クリスチャンに、私たちはこの国の生命倫理を託したおぼえはないのである。</div><div><br /></div><div>　この国の「脳死移植」に付いていけないのは私たちばかりではない。日本の医療従事者はみな「脳死移植」推進派か。指定病院は「脳死移植」に積極的か。ただでさえ医師不足、まして中核病院から小児科が消えてゆく時代、そして病院経営悪化の時代、医師の過労が一線を越えている時代、指定病院とて「脳死移植」専門のチームをもつのは容易ではない。ほとんどが、院内の各科で通常の診療に忙しく従事している医師たちの臨時混成チームである。今回の法改悪によって、ますます小児科医の責任負担や超過勤務が増大し小児科医をめざす医学生がいなくなることを危惧する声や、移植医らの功名心のために院内各科の通常診療に支障をきたしその結果入院患者にも迷惑が及ぶという声がもう私たちに届いている。</div><div><br /></div><div>　「ターミナルケア」という言葉がある。「終末医療」といわれる。欧米では「死」はすなわち生命の「ターミナル」（終着駅）、これ以上生きることはないのである。しかし、湯川秀樹や井筒俊彦から世界レベルの哲学と評された空海の密教では、「死」は「不滅の滅」。始めもなく終わりもない不滅無限の大生命（大日如来）から生まれた生滅有限の生命活動を終え、またその大生命のもとに帰ること。日本的に言えば、「仏となってあの世で永遠に生きる」のである。これが東洋の知恵であり農耕民族ニッポン人の精神風土である。</div><div>　弘法大師空海は、「死」期をさとると五穀（食物）を断って五臓六腑を浄め、弟子たちに遺誡した日と時刻に（弥勒菩薩の）三昧（瞑想）に入った（即身成仏の）まま、高野山で有限の生を終えた。空海は、無垢なる六大所成の仏身となって「法爾自然」の原郷（大日）に帰一したのである。</div><div>　切り取られた五臓六腑が自分の死後も他人の身体の中で生きているという実質半死半生の人は、美談の主にもかかわらず、生命の原郷に帰る途中生死の境で迷うことになろう。私たちはこの生死の境で迷う半死半生の生命を「仏」とは言わない。「仏」とは迷いの世界を越えた人のことだからである。</div><div>　日本人は「死者」を「仏さま」と言っておがむ。心情カトリックの人のように、人間の冷厳な「死」を軽々しく弄べないのである。</div><div><br /></div> ]]>
    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    <title>存在と知</title>
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    <published>2009-09-26T07:09:12Z</published>
    <updated>2010-01-15T03:56:17Z</updated>

    <summary>存在と知－マンダラの物理　千二百年前に、空海は五つの知の根本と、その根本の知のも...</summary>
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        <![CDATA[<div><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em; "><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em; "><font class="Apple-style-span" style="font-size: 0.8em; ">存在と知－マンダラの物理</font></font></font></b></div><div><br /></div><div>　千二百年前に、空海は五つの知の根本と、その根本の知のもつ四つの&lt;ちから&gt;と、それぞれのちからの&lt;はたらき&gt;を四方に展開することによって、世界の本質図&lt;マンダラ&gt;を作り上げた。</div><div>　その本質によって、世界はうごいている。(マンダラ図に描かれている、｢如来｣がその知の根本の&lt;ちから&gt;を示し、｢菩薩｣が知のちからの&lt;すがた・はたらき&gt;を示し、｢明王｣がからだを制御しているエネルギーのちからとそのはたらきを示している。それらによって世界はうごく)</div><div>　空海の説く知とは、あらゆる生物が持ち分の知覚によって、万象の存在をとらえて生きる無心の知であり、知が無ければ存在(という概念)はない。</div><div>　さて、本論では、その生物の一員でもあるヒトが今日の数理・物理・脳科学などによってとらえている、万象の存在理論の要点を記し、それらが、空海の作成したマンダラの知の構造と重ね合わせることができるものなのかを考察したい。</div><div><br /></div><div>Ⅰ 存在の生成</div><div>(１)存在の元素を粒子とすると、粒子と粒子の間に、粒子を結び付けている何らかの&lt;ちから&gt;の存在が観察されることによって、粒子の存在が確認される。</div><div>(２)その何らかの&lt;ちから&gt;は、物質においては&lt;エネルギー&gt;の有無の観測によってとらえられ、その観測結果は、ヒトの&lt;知覚&gt;によって確認される。そのとき、その場に生じている&lt;ちから&gt;の根元は、物質においては&lt;引力・電磁気力・核力・崩壊力&gt;の四つであり、脳内においては&lt;イメージ：形象・シンボル・単位・作用&gt;の四つである。&nbsp;</div><div>－それらの&lt;ちから&gt;によって、観察者は対象とするものの存在を認知している。</div><div>(３)観察者の前で、粒子の形成する&lt;すがた&gt;はじっとしていない。</div><div>－それは、粒子間に生じる&lt;ちから&gt;によって粒子は結び付き、&lt;すがた&gt;を形成することができているから、そのちから、すなわちエネルギーは一瞬なりとも止まることはなく放出され、微妙に変化しているからだ。</div><div>(４)そのようにして変化し続ける粒子の集合によって形成される&lt;すがた&gt;は、時間の経過とともに空間に沈殿し、収斂(しゅうれん)し、最善の効率の&lt;かたち(構造)&gt;に収まろうとする。そして、その安定するかたちを保ちながらも、微弱な変化をし続ける。</div><div>－物質の構造においてその物理的特性として、粒子を結び付けている&lt;ちから&gt;に起きている止むことのない&lt;波動&gt;のゆらぎは、最小限の空間に最大限の存在を包含する&lt;かたち</div><div>(構造)&gt;を生み出そうとする。(形成された&lt;すがた&gt;を折りたたむ・巻く・捩じる・編むなどし、球体やドーナツ体の中に仕舞い込む。あるいは連鎖するための多様な幾何学形を作り出す。また、ヒトの脳裏に浮かぶイメージにおいては、万象のひびきを&lt;声音&gt;にして、そして、その声音を&lt;文字&gt;のかたちに収斂するなど)</div><div>(５)前項によって</div><div>　・物質は究極的に｢核｣に収斂する。</div><div>　・生物は究極的に｢種子｣に収斂する。</div><div>　・イメージは究極的に｢文字｣に収斂する。</div><div>(６)以上の原理と同じ原理によって、空海はヒトの知の&lt;ちから&gt;と&lt;はたらき&gt;をマンダラの&lt;かたち(構造)&gt;に収斂させた。</div><div>－ヒトは、神経細胞&lt;ニューロン&gt;の電気的パルスによって脳内に浮かぶイメージを、</div><div>｢形象｣：万象の色彩・形態・動きによるすがた(大マンダラ)</div><div>｢シンボル｣：象徴となる事物・事象/声音のひびき(三昧耶マンダラ)</div><div>｢単位｣：数と言葉による理論(法マンダラ)</div><div>｢作用｣：万象の相互作用/ヒトの行為(羯磨マンダラ)</div><div>によって表現し、伝達する能力をもつが、それらの知を収斂させたものがマンダラである。(マンダラの構造の基本は、中心に知のエネルギーを発する&lt;ちから&gt;の主体があり、そこから生じる四つの知の&lt;ちから&gt;が四方に配位され、そのそれぞれの&lt;ちから&gt;に存在を生起させる&lt;はたらき&gt;があるとする。それらの全体と個のはたらきの包括的な相互作用によって、すべての知が生成しているとする)</div><div>(７)収斂したあらゆる物象と事象は、その収斂した&lt;かたち(構造)&gt;によって、その中に、凝縮したエネルギーを貯え続けるが、やがては、自らの臨界点によって構造を崩壊させ、粒子に戻り、新たな生成の場へと向かう。(その寿命をあらゆる存在がもつ)</div><div>(８)こうして、&lt;すがた&gt;の存在していた場に虚空が生まれ、&lt;かたち(構造)&gt;の崩壊した分だけの空間が宇宙に広がり続ける。</div><div>(９)その広がり続ける宇宙の中で、｢在ることと無いこと｣を認識し、その世界観を楽しむことができるのは、すべて、ヒトの知によって観察・識別された事柄と、数と言葉の理論知のおかげである。</div><div>(10)そのように、ヒトの知によって、全宇宙はその&lt;すがた&gt;を現わし、展開し、収斂する&lt;かたち(構造)&gt;を生み、やがて、自ら崩壊し、また、粒子に戻り、次なる&lt;ちから&gt;の元になる。その&lt;ちから&gt;から新たなる&lt;すがた&gt;がまた、生成する。(そうして、物質・生命のミクロの世界であろうが、マクロの広大無辺の空間であろうが、同じ物理学的構造をもつ宇宙が進化をし続ける)</div><div><br /></div><div>　以上が、万象の存在についての今日の知の根幹である。どうやら、マンダラの知の構造と同質のものである。</div><div><br /></div><div>Ⅱ 知の本質</div><div>(１)ヒトの知は、宇宙における存在を、生成・展開・収斂・崩壊としてとらえている。また、それぞれの存在をとらえるにあったって、そこにある&lt;ちから&gt;を｢作用｣とし、その作用を引き起こしている存在を&lt;作用主体&gt;として、その相対性によってあらゆる存在のすがたを確認している。</div><div>(２)したがって、それらによってとらえられた存在が宇宙のすがたであり、その宇宙はヒトの脳内に生起したものである。</div><div>(３)その脳内宇宙の中で、ヒトは万象をイメージし、そのイメージを多様な&lt;かたち&gt;にし、表現・伝達している。</div><div>(４)そうして、(ヒト科社会においては)</div><div>　｢宗教｣：霊なるちからの本体への帰依と生きる節度。</div><div>　｢芸術｣：各種メディアによる美のイメージの形象化。</div><div>　｢哲学｣：言語による真理の論証。</div><div>　｢科学｣：万象の識別と実証、技術とモノづくり。</div><div>が生まれた。</div><div>(５)ヒトはそれらを信仰し、共感し、理解し、分析し、文化を築き生きている。</div><div>(６)(ヒト科における)知の本質がそこにある。</div><div>(７)ヒトは｢存在とは何か｣を命題とし、その謎を解く知をエネルギーとし、そして、五感・手足・言語をツールとして生きている。</div><div>(８)そのヒトは、親があることによって、この世に生を受け、呼吸をし</div><div>衣食住を生産・取得し、その相互扶助によって生き</div><div>　世界を観察し、真理を求め</div><div>　身体(からだ)によって世界に遊び、他とコミュニケーションする。</div><div>　その生を通じてヒトは、あらゆる存在に対面し</div><div>　知の&lt;ちから&gt;と&lt;はたらき&gt;によって、それぞれの宇宙を表現し</div><div>　表現された宇宙は"知"としてヒトビトに伝達され、文化を築くことができる。</div><div>　そして、肉体は寿命を終えると崩壊し、元の物質に戻る。</div><div><br /></div><div>　－空海はまさしく、その"知"の大道を実践したヒトであった。</div><div><br /></div><div>あとがき</div><div>　物質の基本的構成要素は古代の原子の概念から始まる。しかし、今日では、原子は原子核と電子によって形成され、原子核は陽子と中性子などへと細分化されるようになった。そうして、それらは固体としての物質のイメージをもたないものとなった。その存在を粒子(素粒子)と呼ぶ。粒子は空間的な広がりをもつものであり、雲の濃いところとか、薄いところとかの&lt;すがた&gt;をもつものである。その粒子は衝突によってつぎつぎとすがたを変えていると云う。</div><div>　それらの粒子間の相互作用によって、すべての物理的な&lt;ちから&gt;と&lt;はたらき&gt;が生じていると今日の物理学者が説く。</div><div>　その究極の存在知を元として、わたくしたちの生がある。生きていることと物質との融通無碍の世界、そして、知の無限性、その広大無辺の世界に空海は気づいていた。</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</div><div><br /></div> ]]>
        
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    <title>マンダラの方舟 ２</title>
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    <published>2009-09-24T05:11:45Z</published>
    <updated>2009-12-14T10:18:32Z</updated>

    <summary>金剛界マンダラと今日の視点「胎蔵マンダラ」が物質・生命・意識から成る世界を考察し...</summary>
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        <![CDATA[<div><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em; "><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em; "><font class="Apple-style-span" style="font-size: 0.8em; ">金剛界マンダラと今日の視点</font></font></font></b></div><div><br /></div><div>「胎蔵マンダラ」が物質・生命・意識から成る世界を考察した"知"の包括的な図であるならば、「金剛界マンダラ」はその知の"はたらき"を示すものである。双方によって世界観は完成する。</div><div>　本論は、その知の"はたらき"の方を今日の視点で考察するものである。(「金剛界マンダラ」は本来、修行者の悟りのプロセスを示すものであると承知しているが、ここでは、知のはたらきを探求する知性の遊びとしてとらえる。しかし、ヒトがそのからだと言葉と意識によって得るところの本質的な世界に近づくための一歩になればと思う)</div><div><br /></div><div><b>Ⅰ 知のはたらきの根幹〔成身会(じょうしんね)〕</b></div><div>　あらゆる生命の有している広義の意味での"知"は、五つの"はたらき"をもつ。</div><div>　生命存在そのものの無尽蔵の知のはたらき〔大日如来〕と、その生命がもつ、四つの知のはたらき、一に生活知、二に創造知、三に学習知、四に身体知である。</div><div><br /></div><div>　一の｢生活知｣のはたらきによって、あらゆる生物は生まれてから死ぬまで休むことなく無心に呼吸をし、大気の成分を摂取し、物質を燃焼させてエネルギーを作りだして生き、活動することができている。そこに、生の愛と喜びの根幹がある。そして、清浄なる大気があってこそ、快適な住み場としての自然が保たれる。〔阿閦(あしゅく)如来〕</div><div>　二の｢創造知｣のはたらきによって、あらゆる生物(植物・動物)が衣・食・住を無心に生産し、それらを相互扶助し、その自然界の連鎖があるがままの美しい景観をも形成している。そこに、それぞれの持ち分の固有の文化が発生する。〔宝生(ほうしょう)如来〕</div><div>　三の｢学習知｣のはたらきによって、あらゆる生物が万象のあるがままの真実を知覚し、判別し、個体と個体、個体と社会、個体と自然との限りないコミュニケーションをすることができている。〔無量寿(むりょうじゅ)如来〕</div><div>　四の｢身体知｣のはたらきによって、あらゆる生物が持ち分の能力による行動ができ、無垢なる習性を発揮し、与えられた環境で共に生きることができている。そこに生きるための固有の巧みもある。〔不空成就(ふくうじょうじゅ)如来〕</div><div><br /></div><div>　以上の知のはたらきによって、固体(地)・液体(水)・エネルギー(火)・気体(風)から成る万象と共に、あらゆる生物がその住み場となる空間(海・陸・空)で、それぞれの生を楽しみ、その身を飾り、歌い、舞う。</div><div><br /></div><div>　その生物(動物)の種の数は名前がつけられたものが二百万種と未だ分類されていないものがその数倍。それに種ごとの個体数を掛けると無数となる生物が生きている。</div><div>　それらの生物のすべてが、光の温かさとその光の化身である植物が発する美しい花の色と雅な香りと、それにうるおいのある世界の中で、対象を知覚の鉤(かぎ)によってさまざまにとらえ、イメージの索(なわ)で引き寄せ、判別の鏁(くさり)に繋ぎ、生の吐息の鈴をやさしく打ち振っている。</div><div><br /></div><div>　その生命を宿す水の惑星(地球)が天体の月・星・太陽と共に宇宙にある。それらの天体の運行とちからによっても、無窮の知は与えられる。</div><div><br /></div><div><b>Ⅱ 知のシンボル化〔三昧耶会(さんまやえ)〕</b></div><div>　古代、文字の未だなかった頃、ヒトはその器用な手を使って、脳裏に浮かぶイメージを絵や記号にして、岩や洞窟の壁、それに地面、木の幹や草の葉に描くことができた。</div><div>　描かれたものは、狩猟の対象となる動物(草食動物や鳥や魚など)と狩をする自らのすがたと道具、舟や家、地形と方位、数量、月・星・太陽と日付、それに神のすがたを示すものであった。</div><div>　それらの絵や記号によって、知(イメージ)を記録し、他に伝えようとしたのだ。</div><div>　描かれたものにはすでに名称があったにちがいない。ここで云う名称とは声音である。その声音と描かれた形象とが一体化して、象形文字が生まれ、やがてそれが表音文字になった。そのもともとのところ、つまり、イメージと形象によって、モノ・コトをシンボル化して伝えること、そのことはヒトの意思の伝達手法の根幹にある。その究極のシンボル化が表音文字のかたちとひびきのちから(真言)である。</div><div><br /></div><div>　因みに、以下はその表音文字と五つの知のはたらきを試みとして対比させてみたものである。</div><div>・口を開いて最初に出る声音｢あ｣：生命存在知&lt;生起&gt;</div><div>・歯を結んで、意志を示す声音｢い｣：生活知&lt;展開&gt;</div><div>・口と鼻から同時に静かに息を吐き出し、落ち着きを示す声音｢う｣：創造知&lt;収斂&gt;</div><div>・鼻から空気を吸い込み瞬間に口から出し、動揺と強調を示す声音｢え｣：学習知&lt;判別&gt;</div><div>・口をまるめて息を出し、慈しみを示す声音｢お｣：身体知&lt;同一化&gt;</div><div>　以上の表音文字が母音となって、わたくしたちの言葉(日本語)は展開されている。</div><div><br /></div><div><b>Ⅲ 物質と生命の最小単位〔微細会(みさいえ)〕</b></div><div>　物質の元素は原子であるが、その原子もまた、元素をもつ。それが量子である。量子は、粒子性&lt;物質の性質&gt;と波動性&lt;状態の性質&gt;双方の性質をもち、電子が量子の代表的な存在である。つまり、空間において、何らかのちから&lt;エネルギー&gt;が確認されたところに究極の物質が存在する。</div><div>　幾つかの原子が集合し、化学的性質を保った最小の単位が分子である。その内、数千から数万の原子からなるものを高分子と呼ぶ。ゴムやプラスチック、それに、たんぱく質(生物を形成する基本物質)やＤＮＡ(遺伝情報物質)などである。</div><div>　この高分子の上の巨大分子から、細胞&lt;生命&gt;が誕生した。(それは、天文学的な時間の流れのなかでの地球上で起こった、たった一回の奇蹟によって、わたくしたちに与えられた)</div><div>　自ら生活し、体内で高分子物質を作り出し、繁殖する巨大分子物質、それが細胞である。ウィルスを除き、すべての生物が細胞からできている。</div><div>　その生物のすがたは多様であり、一つひとつの細胞が独立して生きている単細胞生物から、同じような細胞が集まってコロニーや群体を形成して一緒に生きているもの、また、特殊化した細胞からなる多細胞生物まで、さまざまである。それらの種の数は二百万種の数倍もあり、種ごとの個体を形成する細胞の数と個体数と種の数を掛けると、細胞の数は無尽蔵となる。</div><div>　因みに、ヒトの個体は六十兆個の細胞から成り立っている。その細胞の一つひとつに生きるためのはたらきがあり、その総体がヒトのすがたとなる。そして、細胞の一つひとつが広義の意味での知(それぞれが自らのはたらきを為すことができる無心の知)をもつ。その細胞の知のはたらきによる意思(これも広義の意味で)の総体は、ヒトの精神の許容範囲をはるかに超えている。ヒトは言語によって意思を伝達しているが、細胞は言語がなくても相互に意思を伝達し合っているのである。その意思が生きるための根源の理念であり、ヒトはそれらを言語化することができない。何しろ六十兆個の細胞間における意思の伝達なのだ。(そこは、言語による情動や執着の及ぶところではない)</div><div>　細胞一つひとつの意思、それは何を因として発せられるのか、そこに自然のちからがある。そのちからとは、太陽の光(色波長・暖かさ)/月の引力/地球の磁場と重力/昼夜の周期/季節の周期/風(強弱・方向・冷暖)/大気の成分(酸素・二酸化炭素)/水/土壌/体内の摂取物質・分泌物質による化学反応/その他の生態環境などである。これらのちからに細胞は呼応する意思をもつ。その意思は電気的パルスとなり、他に伝達されるという。したがって、果も自然のあるがままである。</div><div><br /></div><div><b>Ⅳ 相互扶助作用〔供養会(くようえ)〕</b></div><div>　あらゆる生物の個体における物質代謝にともない行なわれるエネルギーの出入り・変換のことをエネルギー代謝という。一般的には植物が、太陽光線のエネルギーを転じて化学的エネルギーにし、その植物を動物が食べ、化学的エネルギーを熱及び機械的エネルギーに変化させて体温維持や運動などを行なっている。</div><div>　つまり、植物は光合成によって、太陽エネルギー(太陽の中心部で行なわれている、水素原子がヘリウム原子に変わる"核融合反応"の際に発生する核エネルギーのこと。そのエネルギーは非常に短い波長から長い波長まで、さまざまな波長の光となって地球に届いている。光そのものがエネルギーなのである。そのうち&lt;紫外線&gt;は目に見えないが、生物に強い作用を与え、ヒトの目に感じる&lt;可視光線：虹の七色&gt;と、目に見えないが熱を感じることのできる&lt;赤外線&gt;が、あらゆる生物のその生存にとって必要不可欠な作用を与える)を電気エネルギー・化学エネルギーに変換し、二酸化炭素と水から糖類(炭水化物)を作りだす。このときに、水の分解過程から酸素ができる。動物はその酸素を呼吸し、植物の作りだした炭水化物(有機物質)を食糧として、栄養を得て、生存できる。その動物が二酸化炭素を吐き出し、植物の炭水化物の生産を手助けしている。そして、あらゆる生物が死して、微生物がそれらを分解し、土壌に栄養を与え、その栄養分を得て、植物がまた、地上に芽を出す。そこに見事に成就された&lt;エネルギーを介在した&gt;生命圏の相互扶助作用の輪(わ)がある。</div><div>(その輪の中に、ヒトの立つ位置もあり、すべての所作と祈りの原点もある)</div><div><br /></div><div><b>Ⅴ 知のはたらきを示すメディア〔四印会(しいんね)〕</b></div><div>　ヒトは知のはたらきをからだと手と言葉を使って表現・伝達することができる。したがって、それらによって示される事柄そのものが存在の証しとなる。</div><div>　その表現・伝達は、四つのメディアによる。</div><div>　一に、｢イメージ｣：形象と映像(大マンダラ)</div><div>　二に、「シンボル」：象徴となる事物・事象と声音のひびき(サンマヤマンダラ)</div><div>　三に、｢単位｣：数量と理論(法マンダラ)</div><div>　四に、｢作用｣：万象の運動とヒトの行為(カツママンダラ)</div><div>　である。</div><div>　以上の四つによって、ヒトは世界をとらえ、そのとらえられた世界そのものが、ヒトの知そのものである。</div><div>　(今日の知、宗教・芸術・哲学・科学と技術も四つのメディアによってとらえられたものだ)</div><div><br /></div><div><b>Ⅵ 知の根本〔一印会(いちいんね)〕</b></div><div>　知は生命の存在があって起こる。つまり、生命は知そのものである。その生命は、太陽のエネルギーと大気と水と植物によって活動し、遺伝情報物質&lt;ＤＮＡ&gt;によって途切れることなく生を受け継ぎ、繁殖・進化してきた。その生命の一種としてヒト科もある。(ヒト&lt;ホモ・サピエンス新人&gt;は、生物の進化三十八億年の最も新しい生物として登場し、その歴史はせいぜい二万年である。だから、ヒトの認識している知といっても、それだけのものに過ぎない。しかし、認識されていないが確かに存在しているあらゆる生物の知は無尽蔵である)</div><div><br /></div><div><b>Ⅶ 性の昇華〔理趣会(りしゅえ)〕</b></div><div>　生命存在知の現われが、あらゆる生物のもつ身体(からだ)である。そのからだ、親から引き継がれたものである。雌雄があって、その卵子と精子の結合によって子が誕生する。それは、ヒト以外の生物にとっては本能的なものであり、子孫を残そうとする周期的な生殖欲求によって為され、種の存続を叶えるものである。しかし、ヒトの生殖は、男女それぞれの個性と自我意識によって、双方の気持ちが結びつくのは容易なことでない。</div><div>　まず、男と女の性別のからだがあり、そのからだは、生物が遺伝情報物質&lt;ＤＮＡ&gt;をもつようになった何十億年前から引き継がれ、進化してきたものである。</div><div>　そして、それぞれが存在する。その個体が、新たな子孫を残すべく、配偶者を求めることになる。それが性欲である。</div><div>　性欲によって、接触を試みる。</div><div>　接触によって、愛も生まれる。</div><div>　愛があるから、セックスに満足する。</div><div>　そのようなプロセスをもって、ヒトは子孫を残し、その愛によって子を育て、生きることができる。</div><div>　愛は、知覚(目・耳・鼻・口・からだ)の鉤(かぎ)によって釣られ、イメージの索(なわ)によって引き寄せられ、そして、判別の鏁(くさり)によって繋がり、性の歓喜の鈴を打ち振る。その愛に、ヒトは喜び、身を飾り、歌い、舞う。</div><div>　(この性があるからこそ、ヒトはこの世に生まれ、その存在によって、生きる楽しみと、そして、悟りの喜びもまたある)</div><div><br /></div><div><b>Ⅷ 知の物質&lt;作用とシンボル&gt;〔降三世会(ごうざんぜえ)〕(作用)</b></div><div>　　　　　　　　　　　　　　<b>〔降三世三昧耶会(さんまやえ)〕(シンボル)</b></div><div>　ヒトはからだの成長力・環境適応力・気力・精力の各ちからのはたらきを制御、促進するための司令塔を、発達した大脳ではない、あらゆる動物(昆虫・魚・鳥をも含む)に共通するもともとの脳(中小はあるが)にもっている。その脳によって、ホルモンと呼ばれる微量の物質を分泌し、それらのはたらきを調整している。</div><div><br /></div><div>　｢成長力｣は&lt;下垂体ホルモン&gt;のはたらき：他ホルモンの制御/成長ホルモンの分泌〔降三世明王〕</div><div>　｢環境適応力｣は&lt;甲状腺ホルモン&gt;のはたらき：細胞代謝・呼吸量・エネルギー産生の促進/昆虫や両生類等の変態促進〔軍茶利(ぐんだり)明王〕</div><div>　｢気力｣は&lt;副腎ホルモン&gt;のはたらき：糖バランス/性ホルモン調節/アドレナリン等ストレス反応調節〔大威徳(だいいとく)明王〕</div><div>　｢精力｣は&lt;視床下部ホルモン&gt;と&lt;性腺ホルモン&gt;のはたらき：体温調節/下垂体ホルモンの調節/呼吸欲・睡眠欲・飲食欲・性欲・群居欲・情動等の制御/性ホルモンの分泌〔不動明王〕</div><div><br /></div><div>　ヒト科を含め、あらゆる動物(水棲類・両棲類・爬虫類・鳥類・ほ乳類・昆虫類)のからだと情動をコントロールしているのは、微量の脳物質&lt;ホルモン&gt;であると今日の科学が解明した。その根底の上にヒトの意識もある。(したがって、Ⅰ｢知のはたらきの根幹｣・Ⅱ｢知のシンボル化｣に示される知の根底には、物質の知の作用が介在しているし、その作用主体のシンボルとなるのがホルモン&lt;内分泌物質&gt;である)</div><div><br /></div><div><b>あとがき</b></div><div>　世界の真実相を求めた空海の前に現れた存在とは、自然のもつ無尽蔵の知であった。その一部を知って、それでヒトはすべてを知ったと思いがちだが、それがすべてであるはずがない。そのヒトの知の境界を空海がわたくしたちに教えてくれているように思う。しかし、その知の境界を超えて、空海の世界観は広がる。</div><div>　｢六大(ろくだい)無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり&lt;固体・液体・エネルギー・気体によって形作られた生命の知と、それらの物質は、空間の中で常にさえぎるものなく、無限に結びつき、とけ合っている&gt;｣空海著『即身成仏義』即身の詩より</div><div>　そのような世界観を空海は説く。そして、無尽蔵の知の世界に入り込む。</div><div>　その世界は、今日の科学を生きるわたくしたちに与えられたものに他ならない。</div><div>　千二百年前に、すでに空海はその世界を洞察していた。だが、今日を生きるわたくしたちにとっての悟りは遠く、未だ"知のはたらき"の途上にある。</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>声のひびきと意味</title>
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    <published>2009-09-20T06:15:25Z</published>
    <updated>2009-12-07T08:32:39Z</updated>

    <summary>　空海は言語の人であった。その言語とは、存在の場のあらゆるひびきを感知し、そこに...</summary>
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        <![CDATA[<div>　空海は言語の人であった。その言語とは、存在の場のあらゆるひびきを感知し、そこに潜む意味を洞察し、新たなかたちと空間と作用を生み出すための創造媒体としてのはたらきを為すものであった。（その言語による創造性は、今日の科学や工学、それに経済学が理論によって生まれたことに相似する）</div><div>　それに引き替え、わたしたち凡人の言語は、言語のはたらきのベーシックな部分、つまり、自己の思いとその思いの伝達、それに知識を得るために用いられる。しかし、それらは本来の言語のもつちからを充分に発揮しているものなのだろうか。今日のいわゆる活字の意味だけがやり取りされる文明には何かが欠けている。その辺の文明への疑問を含め、本論考では言語の原点となる存在の場で発せられる声のひびきと意味について、空海の説く「六大(ろくだい)無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり：物質要素と意識はさえぎるものがなく、常に結び付き、一体のものである」との理論に学び、その考察を進め、言語の有するもう一つの原初的なちからを確かめたい。</div><div><br /></div><div>　ヒトはこの世に生を受け、声を発し、意思をもち、世界を識別し、コミュニケーションを取り合っている。その声は、吸う息が鼻と口を通って肺に入り、酸素を体内に取り入れ、そして、吐く息が喉を通って口の中のまるみと舌と歯と唇のうごき、それに鼻に抜けるひびきによって出されるのである。</div><div>　空海はその声のひびきを分類し</div><div>(１)「ア(a)」は、万物のひびきの元であり、そのひびきは固体&lt;地&gt;の存在があって、その形状の中を生命の息が吹き抜けるときに立てる普遍の音とする。(したがって、生の母胎にもともと存在する声である。｢ア字本不生｣)</div><div>(２)「バ(va)」は、言語による識別によっては伝えられない生命の無垢の意識を伝えるひびきを示し、生命の誕生と維持に欠かせない清らかな液体&lt;水&gt;に比すべき意味をもつ。</div><div>(３)「ラ(ra)」は、あらゆる生命活動が物質の燃焼よって成就しているひびきを示し、そのひびきの源が清らかなエネルギー&lt;火&gt;のちからであることを表わす。</div><div>(４)「カ(ha)」は、あらゆる事象の原因と条件を超克するひびきを示し、そのひびきの本体が気体&lt;風&gt;であることを表わす。</div><div>(５)「キャ(kha)」は、宇宙そのものの虚空のひびきを示し、そのひびきは空間&lt;空&gt;の存在によって生じることを表わす。</div><div>(６)「ウン(huum)」は、上記のひびきのすべての意味を悟ったとのヒトの意識&lt;識&gt;を表わす。</div><div>と説いた。</div><div>　以上のようなひびきを根幹として、言語が形成されているのだから、言語の伝える(気持ち・状況・万象の名称・概念・文脈等の)根底には、それらの根幹のひびきの意味が必ず宿っていると空海は洞察したのだ。</div><div><br /></div><div>　例えば、万象には色彩とかたちとうごきがあるが、それらをヒトは五感によって知覚し、識別し、赤・青・黄、円い・四角い、早い・遅いと言語にする。そして、対象を指して赤いものがあるいう。しかし、もともとの自然界にはそのような分別はなく、それらは、ヒトが対象を観察し、その印象を上記の声音のひびきにあてはめ、そのひびきの差異を聞き分けるようになり、言語が生まれたのである。であれば、ヒトの認識を司る言語の根底には、自然と生命と精神の共鳴する原初のひびきが必ず伴っている。その聞き取ることのできるひびきは「ア」から始まり、「ウン」までの根幹的な発声音の組み合わせによって生じたものである。</div><div>　つまり、ヒト科における言語発生の初期段階で、知覚したモノ・コトによってこころに生じる快・不快を基本として、そのことが惹き起こす気持ちの落ち着きとたかぶり、意志のちからと慈しみの感情等、そのこころのうごきが体験した事柄を分別する発声音となった。やがて、その声音が標準化し、共通の声音となり、意思疎通のできる言語として編纂された。その言語の基礎となる発声音をまとめたものが表音文字である。</div><div>　その文字、一字一字を見て、人類の原初声音のもつ森羅万象に通じるひびきの意味を、空海は鋭敏に感知することができる人であった。そのちからに比べれば、その後の言語の発達によって付加されたさまざまな名称や概念には何のちからもないに等しい。(空海の唱える真言とは、そのひびきのちからそのものかと考察できる)</div><div><br /></div><div>　さて、そのような意味をもつかと思われる真言がインド古代のサンスクリット語&lt;梵字（ぼんじ）&gt;のひびきであることは承知しているが、その発声音を基礎としてまとめられた日本語の表音文字(「あいうえお」を母音とする「かな文字」)、その一字一字に、もともとのひびきの意味を求めることは今日でも可能なのか、以下はそのことの試みである。（識別と概念によって慣らされてしまった言語感覚を、声音のもつ原初のひびきのちからとして見直すことによって、空海の説くところの世界に少しなりとも近づいてみたいと思う)</div><div><br /></div><div>　口を開いて最初に出る声音「あ」：生命力</div><div>　歯を結んで出す声音「い」：意志</div><div>　口と鼻から同時に静かに息を吐き出す声音「う」：落ち着き&nbsp;</div><div>　鼻から空気を吸い込み瞬時に口から出す声音「え」：動揺と強調</div><div>　口をまるめて息を出す声音「お」：慈しみ</div><div>　以上の生命力と感情のうごきを示す母音の「あ」行</div><div>　あ(Ａ)・い(Ｉ)・う(Ｕ)・え(Ｅ)・お(Ｏ)</div><div><br /></div><div>　歯を食いしばり、原因と条件を克服するちからを示すひびき「か」行</div><div>　か(ＫＡ)・き(ＫＩ)・く(ＫＵ)・け(ＫＥ)・こ(ＫＯ)</div><div><br /></div><div>　息をゆるやかに口と鼻から吐いて、流れ移る様を示すひびき「さ」行</div><div>　さ(ＳＡ)・し(ＳＩ)・す(ＳＵ)・せ(ＳＥ)・そ(ＳＯ)</div><div><br /></div><div>　一気に鼻から空気を吸い込み、気持ちのたかぶりを示すひびき「た」行</div><div>　た(ＴＡ)・ち(ＴＩ)・つ(ＴＵ)・て(ＴＥ)・と(ＴＯ)</div><div><br /></div><div>　息を鼻に抜いて、気持ちを自他に取り次ぐ様を示すひびき「な」行</div><div>　な(ＮＡ)・に(ＮＩ)・ぬ(ＮＵ)・ね(ＮＥ)・の(ＮＯ)</div><div><br /></div><div>　はっきりと口を開き、息を吐き出し、事象の真理を示すひびき「は」行</div><div>　は(ＨＡ)・ひ(ＨＩ)・ふ(ＨＵ)・へ(ＨＥ)・ほ(ＨＯ)</div><div><br /></div><div>　ゆるやかに鼻から空気を吸い込み、唇のうごきによって隠されたちからを示すひびき「ま」行</div><div>　ま(ＭＡ)・み(ＭＩ)・む(ＭＵ)・め(ＭＥ)・も(ＭＯ)</div><div><br /></div><div>　すぼめた唇と鼻からゆるやかに息を出し、物事の例えを示すひびき「や」行</div><div>　や(ＹＡ)・ゆ(ＹＵ)・よ(ＹＯ)</div><div><br /></div><div>　舌を使い、音を加工し、美しさと清らかさを示すひびき「ら」行</div><div>　ら(ＲＡ)・り(ＲＩ)・る(ＲＵ)・れ(ＲＥ)・ろ(ＲＯ)</div><div><br /></div><div>　鼻から静かに空気を入れると同時に口から静かに出し、物事の穏やかさを示すひびき「わ」行</div><div>　わ(ＷＡ)・を(ＷＯ)</div><div><br /></div><div>　口を結んで鼻から一気に息を出し、これですべてであることを示すひびき「ん」</div><div><br /></div><div>　言語による識別を超えた存在の様を表わすひびき</div><div>　が・ぎ・ぐ・げ・ご</div><div>　ざ・じ・ず・ぜ・ぞ</div><div>　だ・ぢ・づ・で・ど</div><div>　ば・び・ぶ・べ・ぼ</div><div><br /></div><div>　事象の真理を慈しむ様を表わすひびき</div><div>　ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ</div><div><br /></div><div>　事象の強さを表わすひびき</div><div>　ぎゃ・ぎゅ・ぎょ</div><div>　じゃ・じゅ・じょ</div><div>　ぐぁ・ぐぇ・ぐぉ</div><div>　どぁ・どぇ・どぉ</div><div><br /></div><div>　空間の中での存在のちからの状況を表わすひびき</div><div>　きゃ・きゅ・きょ</div><div><br /></div><div>　流れ移る状況を表わすひびき</div><div>　しゃ・しゅ・しょ</div><div><br /></div><div>　たかぶりの状況を表わすひびき</div><div>　ちゃ・ちゅ・ちょ</div><div>　うぁ・うぇ・うぉ</div><div><br /></div><div>　ゆるやかな状況を表わすひびき</div><div>　にゃ・にゅ・にょ</div><div>　ふぁ・ふぇ・ふぉ</div><div><br /></div><div>　真理の状況を表わすひびき</div><div>　ひゃ・ひゅ・ひょ</div><div><br /></div><div>　隠されたちからの状況を表わすひびき</div><div>　みゃ・みゅ・みょ</div><div><br /></div><div>　清浄なる状況を表わすひびき</div><div>　りゃ・りゅ・りょ</div><div><br /></div><div>　真理を慈しむ状況を表わすひびき</div><div>　ぴゃ・ぴゅ・ぴょ</div><div><br /></div><div>　＜五大（ごだい）にみな響(ひびき)あり＞</div><div>　　物質の形状によってあらゆるひびきが生じる。</div><div>　＜十界（じっかい）に言語を具す＞</div><div>　　そのひびきの違いによって、それぞれに違った世界が形成されている。</div><div>　＜六塵（ろくじん）ことごとく文字なり＞</div><div>　　ヒトはその違いを五感と意識によって感受し、声音のひびきに表して、それを文字とした。</div><div>　＜法身（ほっしん）これ実相（じっそう）なり＞</div><div>　　したがって声音文字の中には、世界の原初のひびきがあるがままにして存在する。</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（空海著『声字実相義』より）</div><div><br /></div><div>　世界の本質は言語の論理によっては識別できないというのが、ナーガールジュナ(龍樹、紀元二世紀、大乗中観派の論者)の『中論』の考察による帰結である。その識別に因らなくても、言語にはもともとの原初のひびきによる意味がある。そのひびきを感受するところにあるがままの世界が実在するというのが空海の理論である。その感受性によって、ヒトは言語による識別の迷いを超克できると空海は教える。（そしてそこには、もう一つの言語のちからによって生きるヒトの無垢なる生活の営みがある）</div><div><br /></div><div>あとがき</div><div>　今日の脳科学によれば、大脳言語野の左脳によって主に言語のはたらきを為し、その対となる右脳においてはからだの所在する場の空間認知のはたらきをしているという。そのことは、本来、モノ・コトの起きている実在する場があって、それらをまず、右脳によってイメージし、そのイメージよって言語が生まれたことを要因とする。</div><div>　ところが、言語による識別が進み、その言語によって世界観が築かれるようになると、実在する場がなくても言語&lt;概念&gt;だけによる学習とコミュニケーションの場が現出することになった。左脳主体でヒトビトは生きるようになったのだ。それが今日の文明である。しかし、ヒトのからだは自然そのものであり、自然環境と共に生きることによって生存を許されている。そこに精神の深遠なるふところもある。生存環境が失われてはヒトの立ち位置となる場はない。その実在する場と知性のバランスを空海が千二百年前に言語のひびきとして説いていたのだと思う。</div><div>　本論考はそのことを知るための一つの試みとなった。ヒトは言語のひびきのもつ感性によっても生きている。その対極にあるのが言語によって識別された事柄を用いて世界を捉え、文明を築いている理性である。両方の能力によってヒトは生きている。分断してはならない。空海の説くすべての根本がそこにある。</div><div><br /></div> ]]>
        
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    <title>マンダラの方舟</title>
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    <published>2009-09-18T07:28:36Z</published>
    <updated>2009-12-07T08:33:08Z</updated>

    <summary>胎蔵マンダラと今日の視点　千二百年前、空海は当時の国際都市、唐の長安に渡り、ヒト...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mikkyo21f.gr.jp/">
        <![CDATA[<div><b>胎蔵マンダラと今日の視点</b></div><div><br /></div><div>　千二百年前、空海は当時の国際都市、唐の長安に渡り、ヒトのあらゆる知性と行動の根底を一つの場に収斂させる"かたち"を、青竜寺の恵果(インド伝来の密教第七祖)から学んだ。そのかたちこそが"マンダラ"であった。</div><div>　"マンダラ"は時空の海を越えることのできる普遍的な"かたち"なのか、そうであるならば、今日の学問によって知ることのできる世界をも、その"かたち"に収斂できるはずである。</div><div>　そうして、"マンダラの方舟"を今日の海に浮かべる、以下の試みは為された。(したがって、本論考は、現行マンダラにおける修行者のための教義的解釈ではなく、あくまでも世俗による知的遊びに過ぎないものである。しかし、マンダラの説く包括的な世界観に、今日の人々が学ぶ一歩になればと思う)</div><div><br /></div><div><b>Ⅰ 知の基本〔中台八葉(ちゅうだいはちよう)院〕</b></div><div>　わたくしたちヒト科を含め、生命が宇宙に存在できるのは、それらの住みかとなる惑星</div><div>&lt;地球&gt;が、太陽の光 (エネルギー)がほどよく届くところにたまたま位置し、そして、その惑星が水をたたえているおかげである。その水(海水)の中で生命(細胞)は、太陽エネルギーを得て、奇蹟的に誕生し、遺伝情報物質ＤＮＡによって、形質を受け継ぐ生物として進化してきた。その進化の先にヒトもいる。ヒトが太陽から生みだされた子であるというとらえ方はまちがいのないところであり、そのヒトが住み場所を感知し、世界の全体像を感得し、そこから導かれる自己の生き方と他への施しを意識することのできる霊なるちからを授かった生物として存在している。</div><div>　ヒトの生は、そのように自他を意識し、意識の根元といえる第一の生命知〔大日(だいにち)如来〕、太陽の光と水と大気によって育まれ、あらゆる生命が共通して有するＤＮＡの知によって生まれた多様な種によって形成される、あるがままの生命圏の一員としての存在を得て、第二に、生活知〔宝幢(ほうどう)如来〕による生存欲求(呼吸・睡眠・生と世界の感知・行動)を無心に為し、第三に、身体知〔天鼓雷音(てんくらいおん)如来〕によってからだを空間に遊ばせ、楽しみ、第四に、学習知〔無量寿(むりょうじゅ)如来〕によって世界の妙を観察してコミュニケーションを取り合い、第五に、創造知〔開敷華王(かいふけおう)如来〕によって衣食住を生産・相互扶助し、そして、また、生活知、身体知、学習知へ循環させている。</div><div>　その循環の輪、法界体性智(ほっかいたいしょうち)の無心の悟りによって、生活知は、大円鏡智(だいえんきょうち)となり、創造知は、生物間の相互扶助によって生きている個体が、その点において対等であるとの平等性智(びょうどうしょうち)となり、学習知は、モノ・コトの真理を理解し、その価値観を他と共有するための妙観察智(みょうかんざっち)となり、身体知は、行為の自由の中に自然の摂理の作法をともなう成所作智(じょうそさち)となる。それらの悟りの行為によって個体は順当に維持され、あらゆる生物がそうしているように、ヒトの生の営みが生命圏の中で担保される。</div><div>　それらの知のちからの営みの元は、今日の脳科学によって解明されていて、ヒトの脳の各部のはたらきと比較することができる。</div><div><br /></div><div>・生活知〔普賢(ふげん)菩薩〕は&lt;大脳辺縁系・視床下部・脳幹&gt;による生存欲求、呼吸・睡眠・飲食・生殖・群居・情動(快・不快)の制御のはたらき。</div><div>・身体知〔弥勒(みろく)菩薩〕は&lt;目・耳・鼻・舌・身からの情報を感知する大脳頭頂葉・後頭葉&gt;による、運動の統合・随意運動・体性感覚、知覚・認識・理解のはたらき。</div><div>・学習知〔観自在(かんじざい)菩薩〕は&lt;大脳前頭葉・側頭葉&gt;による、思考・想像・意志・感情、判断・記憶のはたらき。</div><div>・創造知〔文殊(もんじゅ)菩薩〕は&lt;大脳言語野&gt;による左脳箇所：存在の場のひびきの感知と言語・数量等による意味の創造と伝達/右脳箇所：存在の場の三次元的(立体的)な認知による空間と形態の創造のはたらき。(その創造にあたっては、手と目・からだの寸法とうごき・心理作用等と、聴覚・嗅覚・味覚・触覚が重要なはたらきを為す)</div><div><br /></div><div>となる。(また、仏教の説く｢唯識論｣と比較すると、ア－ラヤ識：大脳辺縁系・視床下部・脳幹のはたらき/マナ識：大脳言語野のはたらき＊識別による情動を仏教では指していると思われるが、本来はヒトの空間的存在を認知すると共に、そのことを言語化する創造脳である/意識：前頭葉・側頭葉のはたらき/前五識：頭頂葉・後頭葉のはたらきと対応できる)</div><div><br /></div><div><b>Ⅱ 存在形態と色彩〔五色界道(ごしきかいどう)〕</b></div><div>　物質によって世界は形成されている。そのことは何人も否定できない。有機物も生命もその構成物は物質である。物質が海水の中で、自らの知のちからとはたらきをもつことによって、生命は誕生した。</div><div>　その物質は、固体〔地〕・液体〔水〕・エネルギー〔火(燃焼)〕・気体〔風〕・空間〔空〕として存在し、それらによって世界は形成されている。宇宙もそうであり、極微の世界もそうである。</div><div>　また、物質は色彩とかたちとうごきによってすがたを現わし、その中でも色彩によって、ヒトは物質を印象的に識別しているのであるが、その色彩は、太陽光線のうち、物質に吸収されなくて反射された光の色を物の色としてヒトが感知しているに過ぎない。光の波長のちがいで、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫などの色が生じ、それらの色がすべて反射され、混合されると白色になり、すべて吸収されると黒色になる。また、光がなければ色は生じず、ヒトは物を視覚によって見ることができない。</div><div>　因みに、草木の葉の緑と花の色が美しいのは、あらゆる植物が太陽の光をもっとも直接的に利用&lt;光合成&gt;することによって生まれた生物であり、光の波長をからだの主成分である炭素と同調させているからである。つまり、虹の色がそのまま花の色となったのだ。その見事な色が自然界を彩り、ヒトや昆虫の目を楽しませている。</div><div>　それらの物質と色彩によって、世界は形成されており、その美しい景観の中で生命の知のちからとはたらきも生起している。</div><div><br /></div><div><b>Ⅲ 個体制御〔遍知(へんち)院と持明(じみょう)院〕</b></div><div>　ヒトはからだの精力・成長力・周期力・気力・環境適応力の各はたらきを制御、促進するための司令塔を、発達した大脳ではない、あらゆる動物(昆虫・魚・鳥をも含む)に共通する元々の脳(中小はあるが)の中心にもっている。それらのはたらきはホルモンと呼ばれる微量の物質を脳が自発的に分泌することによって為されている。</div><div><br /></div><div>・「精力」は視床下部ホルモンと性腺ホルモンのはたらき(体温調節/下垂体ホルモンの調節/飲食欲・性欲・情動行動等の制御/性ホルモン分泌)〔不動明王〕</div><div>・「成長力」は下垂体ホルモンのはたらき(他ホルモンの制御/成長ホルモンの分泌)〔降三世(ごうざんぜ)明王〕</div><div>・「周期力」は松果体ホルモンのはたらき(二十四時間リズムとメラトニンの分泌/性機能発達/新陳代謝/季節の繁殖行動)〔般若菩薩〕</div><div>・「気力」は副腎ホルモンのはたらき(糖・電解質バランス/性ホルモン調節/アドレナリン等ストレス反応調節)〔大威徳(だいいとく)明王〕</div><div>・「環境適応力」は甲状腺ホルモンのはたらき(細胞代謝・呼吸量・エネルギー産生の促進/昆虫・両棲類等の変態の促進)〔勝三世(しょうざんぜ)明王〕</div><div><br /></div><div>　ヒト科を含め、あらゆる動物(水棲類・両棲類・爬虫類・鳥類・ほ乳類・昆虫類)のからだと情動をコントロールしているのは微量の脳物質&lt;ホルモン&gt;であると今日の科学が解明した。その根底の上に、ヒトの意識もある。マンダラに登場する｢明王｣はその根底の物質のはたらきに相似している。</div><div><br /></div><div><b>Ⅳ 右脳と左脳〔観音(かんのん)院と金剛手(こんごうしゅ)院〕</b></div><div>　前出、大脳の言語野において、そのはたらきをしているのが主に左脳であり、その対となる右脳においては、存在の場を空間的に感知するはたらきをしていると記したが、本来的にいえば、モノ・コトの起きている場がそこにあり、そこから言語が生まれたのだから、両者はもともと一体化したものであった。(しかし、ヒトは言語のもつ利便性と伝達性によって社会を築き、その社会的価値観によって生きるようになった)</div><div>　言語に偏れば理に走り、理屈のみの社会が出来上がり、言語を無にすればイメージに走り、感情のみの社会が出来上がる。</div><div>　いずれにしても、原点から洞察すれば、実在する場があってヒトの立つ位置もあり、場がなくなれば、虚ろな言語のみによって浮遊する社会&lt;情報化社会&gt;が現れる。</div><div>　そこで、ヒトの寄って立つ位置、かけがえのない水と緑の惑星&lt;地球&gt;の生命圏のイメージからくる慈しみのこころ&lt;自然との共生&gt;〔観世音(かんぜおん)菩薩〕の自覚と、その行ないとしての言語による創造性〔金剛薩埵(こんごうさった)〕をもった世界観&lt;エコロジカルな社会ビジョン&gt;の形成が必要である。</div><div>　そこにのみ、生命の根元の知のちからとはたらきによるゆるぎない世界が実在することになる。</div><div><br /></div><div><b>Ⅴ 識別の哲学〔釈迦(しゃか)院〕</b></div><div>　言語を生みだしたヒトは、モノ・コトの識別によって次々と作りだされる世界により、こころを迷わされることになったが、識別がなくても世界は初めからそこに存在し、その中でヒトも他の生物と共に生きているというゆるぎない根底がそこにある。この根底の自覚がなくては、世界を個別に識別してみてもそこに生まれるのは言語によって記憶される情動への執着だけである。そのことを最初に説いたのが釈迦如来、すなわちブッダ(紀元前五世紀、仏教の開祖)である。</div><div>　ブッダは菩提樹の下で、ヒトのこころに生じる迷いの根源を、十二の因と果によって以下のように考察した。</div><div>1、ヒトは、意識する脳をもって生まれてくる。</div><div>2、だから、世界を分別することを性(さが)とする。</div><div>3、分別することによって、あらゆるモノ・コトを声にし、それらを聞き分け、言葉にする。</div><div>4、だから、ヒトは言葉を作り、世界を識別するようになった。</div><div>5、識別によって認識されるものは</div><div>　　・色彩とかたちとうごき</div><div>　　・音</div><div>　　・匂い</div><div>　　・味</div><div>　　・感触</div><div>　　・法則</div><div>　　である。</div><div>6、それらによって、あらゆる対象となる世界をヒトは識別しなければならない。</div><div>7、しかし、識別した対象によってヒトはこころに快・不快を感じ</div><div>8、その快・不快によって、情動を起こす。</div><div>9、情動は識別された言葉によって記憶され、記憶されるから執着が生じ</div><div>10、その執着によって、ヒトは迷いながら生きている。</div><div>11、その迷いの中で、ヒトはこの世に生を受け</div><div>12、生を受けたから、老い、死ぬ。</div><div>　そうして、ブッダは｢ヒトの執着が、識別を因とし、情動を果としている｣と気づき、次に、｢因と果をもたらす識別は、ヒトの言葉が作りだしたものであるから、もともとはないものである。因がなければ果は生じない｣と瞬時に悟った。</div><div>　この悟りによって、以下の公式が成立する。</div><div><br /></div><div>・それがあるから、これが生じる。</div><div>・それがなければ、これは生じない。</div><div>・これが生じなければ、それはない。</div><div>　つまり、</div><div>・識別があるから、情動が生じる。</div><div>・識別がなければ、情動は生じない。</div><div>・情動が生じなければ、執着はない。執着がなければ迷いない。&lt;悟り&gt;</div><div><br /></div><div><b>Ⅵ 理論の世界〔文殊(もんじゅ)院〕</b></div><div>　ブッダの悟りから七百年後に、識別によるモノ・コトの存在の有無を考察したのがナーガールジュナ(紀元二世紀、大乗仏教の論者)である。その結果、存在は論理によっては識別できないということを実証した。そうして、以下の公式を説いた。</div><div><br /></div><div>　生じないし、消滅しない。</div><div>　断絶しないし、連続しない。</div><div>　同一ではないし、別でもない。</div><div>　去ることもないし、来ることもない。</div><div><br /></div><div>　この結論がその後の仏教の説く"空(くう)"へと展開するのだが、しかし、この結論を得るために、ナーガールジュナが用いた理論に意味がある。それは、存在を考察するには、「作用と作用主体の相対性」によって、すべての事柄が論破できるとしたことだ。</div><div>　因みに、アインシュタインの『特殊相対性理論』によれば、光速&lt;作用主体&gt;と同じ速度になると、時間は止まり、空間はゼロになり、質量は無限大になる&lt;作用&gt;が生じる。また、『一般相対性理論』によれば、重力&lt;作用主体&gt;の大きい場では、時間は遅くなり、空間は収縮し、質量は増大する&lt;作用&gt;が生じるという。このように、今日においても、作用と作用主体によって、宇宙そのものの存在が論じられているのだ。</div><div>　ナーガールジュナも相対性によって、モノ・コトの存在の有無を論じたが、個々の存在を相対性によって論証することにより、その実体は論理によって識別できないことから、存在を空(くう)なるものとした。</div><div>　アインシュタインは、空、すなわち宇宙を理論物理学として考察し、光と重力を&lt;作用主体&gt;とし、時間と空間と質量に&lt;作用&gt;するちからを&lt;シンボル&gt;と&lt;単位&gt;によって示し、存在そのものの空の絶対性をも否定した。物理学的に観れば、空(くう)の存在すらないのだ。</div><div>　一方は古代インド哲学であり、一方は今日の西洋科学である。西洋科学の方はその理論にしたがって、宇宙を観察し、そのことを証明しようとしているが、インド哲学によれば、証明する事柄すべてが、あくまでもヒトの認識している一瞬の出来事に過ぎないのだ。</div><div>　インドにおいてはその後、作用と作用主体による考察は、仏教哲学の範疇に止まったが、西洋科学はその理論によって、今日尚、壮大なる空(くう)の夢〔文殊菩薩〕をみている。</div><div><br /></div><div><b>Ⅶ 万物の構造〔虚空蔵(こくうぞう)院〕</b></div><div>　物質の元素は原子であるが、その原子もまた、元素をもつ。それが量子である。量子は、粒子性&lt;物質の性質&gt;と波動性&lt;状態の性質&gt;双方の性質をもち、電子が量子の代表的な存在である。つまり、空間において、何らかのちから&lt;エネルギー&gt;が確認されたところに究極の物質が存在する。〔虚空蔵(こくうぞう)菩薩〕</div><div>　幾つかの原子が集合し、化学的性質を保った最小の単位が分子である。その内、数千から数万の原子からなるものを高分子と呼ぶ。ゴムやプラスチック、それに、たんぱく質やＤＮＡなどである。〔金剛蔵王(こんごうぞうおう)菩薩〕</div><div>　この高分子の上の巨大分子から、細胞&lt;生命&gt;が誕生した。(それは、天文学的な時間の流れのなかでの地球上で起こった、たった一回の奇蹟によって、わたくしたちに与えられた)</div><div>　自ら生活し、体内で高分子物質を生産・生成または合成し、繁殖する物質、それが細胞である。ウイルスを除き、すべての生物が細胞からできている。</div><div>　その生物のすがたは多様であり、一つひとつの細胞が独立して生きている単細胞生物から、同じような細胞が集まってコロニーや群体を形成して一緒に生きているもの、また、特殊化した細胞からなる多細胞生物まで、さまざまである。それらの種の数は二百万種の数倍もあり、種ごとの個体を形成する細胞の数と個体数と種の数を掛けると、細胞の数は無尽蔵となる。〔千手千眼(せんじゅせんげん)観自在菩薩〕</div><div>　因みに、ヒトの個体は六十兆個の細胞から成り立っている。その細胞の一つひとつに生きるためのはたらきがあり、その総体がヒトのすがたとなる。そして、細胞の一つひとつが広義の意味での知(それぞれが自らのはたらきを為すことができる無心の知)をもつ。その細胞の知のはたらきによる意思(これも広義の意味で)の総体は、ヒトの精神の許容範囲をはるかに超えている。ヒトは言語によって意思を伝達しているが、細胞は言語がなくても相互に意思を伝達し合っているのである。その意思が生きるための根源の理念であり、ヒトはそれらを言語化することはできない。何しろ六十兆個の細胞間における意思の伝達なのだ。(そこは、言語よる情動や執着の及ぶところではない)</div><div>　細胞一つひとつの意思、それは何を因として発せられるのか、そこに自然のちからがある。そのちからとは、太陽の光(色波長・暖かさ)/月の引力/地球の磁場と重力/昼夜の周期/季節の周期/風(強弱・方向・冷暖)/大気の成分(酸素・二酸化炭素)/水/土壌/体内の摂取物質・分泌物質による化学反応/その他の環境などである。これらのちからに細胞は呼応する意思をもつ。その意思は電気的パルスとなり、他にも伝達されるという。したがって、果も自然のあるがままである。</div><div><br /></div><div><b>Ⅷ エネルギーの循環〔蘇悉地(そしつじ)院〕</b></div><div>　生物の個体における物質代謝にともない行なわれるエネルギーの出入り・変換のことをエネルギー代謝という。一般的には植物が、太陽光線のエネルギーを転じて化学的エネルギーにし、その植物を動物が食べ、化学的エネルギーを熱及び機械的エネルギーに変化させて体温維持や運動などを行なっている。</div><div>　つまり、植物は光合成によって、太陽エネルギー(太陽の中心部で行なわれている、水素原子がヘリウム原子に変わる"核融合反応"の際に発生する核エネルギーのこと。そのエネルギーは非常に短い波長から長い波長まで、さまざまな波長の光となって地球に届いている。光そのものがエネルギーなのである。そのうち、&lt;紫外線&gt;は目に見えないが生物に強い作用を与え、ヒトの目に感じる&lt;可視光線：虹の七色&gt;と、目に見えないが熱を感じることのできる&lt;赤外線&gt;が、あらゆる生物のその生存にとって必要不可欠な作用を与える)を電気エネルギー・化学エネルギーに変換し、空気中の二酸化炭素と水から、糖類(炭水化物)を合成する。このときに、水の分解過程から酸素ができる。動物はその酸素によって呼吸ができ、自然界の無機物質を利用して植物だけが作り出すことできる炭水化物(有機物質)を食糧として摂取し、カロリーを得て、地球上に生存できる。その動物が生きて、二酸化炭素を吐き出し、植物が炭水化物を生産するのを手助けする。そして、死して土にかえり、微生物が死骸を分解し、土壌に栄養を与える。その土の栄養分を得て、植物がまた、芽を出す。そこに見事に成就された&lt;エネルギーを介在した&gt;世界の輪(わ)がある。</div><div><br /></div><div><b>Ⅸ 生活と技術〔地蔵(じぞう)院と除蓋障(じょがいしょう)院〕</b></div><div>　さて、ヒトは根元の知のちからとはたらきによって、どのように文明を築けばよいのか、そのことを考察してみよう。</div><div>　ヒト科社会の生活には、二つの局面がある。一方はヒトも生命圏の一員であることの慈しみをもって、自然と共に簡素ではあるがこころ豊かにに生きようとする局面〔地蔵菩薩〕と、一方はヒトの生みだした技術の進歩によって生活の不便さを取り除き、快適さを求めて生きようとする局面〔除蓋障菩薩〕である。</div><div>　今日においては、この二つの局面が分離し、後者によって著しい自然破壊が起きている訳だが、その解決方法ははっきりしている。前者を基軸として両者を一体化させること、それ以外にない。(その一点に向かってマンダラのすべてがある。したがって、その理念はすでに説かれている)</div><div>　以下は、生活要素とその技術のマンダラ的あり方を参考までに掲げる。</div><div><br /></div><div>　学習・育児・健康：自然体験とモノづくりを通じた教育/慈しみの医療・介護技術。</div><div>　衣・食・住：地域固有の文化に根ざした自給自足経済/自然エネルギーを活用した生産・流通技術。</div><div>　住み場所：来街者へのもてなしと美しい景観を形成するまちづくり技術。</div><div>　移動・交流：環境への負担を減らした交通技術/広場と小路の創出。</div><div>　掟：安心して生きることのできる社会保障制度。</div><div>　精神：遊び・共感・実在空間創造の情報技術。</div><div>　自然との共生：地球にやさしい環境保全技術。</div><div><br /></div><div><b>Ⅹ ヒトと天体〔最外(さいげ)院〕</b></div><div>　宇宙に浮かんでいる地球をイメージしてみよう。太陽からの光を受けて青く輝いている球体が見える。その球体は傾いた地軸をもち、二十四時間で一回転する。球体に光のあたっているところが昼であり、その反対側の暗いところが夜である。(この昼夜が1日になる)自転しながら球体は一年(３６５日)をかけて太陽を一回りする。地軸が傾いているため、太陽の高度が冬と夏とで変わる。太陽が低いと寒く、太陽が高いと暖かい。そこに季節が生じる。赤道を除き、春夏秋冬、北半球と南半球で逆転するが、寒暖の強弱を繰り返している。</div><div>　古から、ヒトは夜空に輝く星を見上げて、その多くの星座を羅針盤とし、東西南北の方位を確認した。天空には星の神々がいる。その神々の四季の移り変わりにしたがい、ヒトは自然からの恵みの時期を知り、大海原の旅をする者は四季によっても位置を変えぬ星&lt;北半球では北極星、南半球では南十字星&gt;を見つけ、その燈し火によって進路を定めた。</div><div>　大地においても定めた方位によって、ヒトは自らの位置を確認し、季節によって四方から吹く風の助けを借りて、作物を育て、その方位からの災いと恵みの歴史をも記憶し、方位ごとに神を置き、住む土地の福徳・安泰・豊穣・文化を祈願した。</div><div>　また、地球の周りをほぼ四週間(２８日)かけて回る月の満ち欠けを基準として、一年を分け十二ヶ月とし、(太陽暦も含めて)週七日、曜日も定められた。ヒトビトは秋の満月の夜にはその明かりの下で踊り、冬の新月の闇の中では赤々とたいまつを燃やして邪気を祓い、春を迎える準備をする。</div><div>　そのようにして、宇宙に浮かぶ地球を住みかとするヒトは、天体を時空の周期の定点(右脳と左脳を同時にはたらかせ、時間と移動の中でのヒトの立ち位置を立体的に定めた点)としてとらえ、人類共通の恒常的な文化部分を築いて来た。</div><div><br /></div><div><b>あとがき</b></div><div>　今日のマンダラ・シフトと方位を明解にしておこう。</div><div><br /></div><div>　中心が生命根元部(知の基本院/存在要素と色彩/個体制御院)</div><div>　東方が精神部(識別の哲学院/理論の世界院)</div><div>　西方が物質部(万物の構造院/エネルギーの循環院)</div><div>　南方が科学部(左脳院/技術院)</div><div>　北方が生存部(右脳院/生活院)</div><div>それらのすべてを取り巻いているのが天体院である。</div><div><br /></div><div>　今、わたくしたちは西方のあらゆる物質の構造を分析し、それらを自在に操るエネルギー技術を手にしつつあるのだが、その無邪気な行為が結果的に宇宙の秩序を破壊していることも事実である。それに対し、東方は精神によって宇宙に屈託なく遊ぶ技術である。また、南方は科学技術の進歩によって文明を築いている方向であるが、そのことによってわたくしたちの生活の基本的な部分を見失わせている世界でもある。見失いつつあるもの、北方の生存し続けるための基本的な要素と、忘れてはならない根元的な生活の知恵を大師がすでに千二百年前に説いておられた。その大師の方舟が時空の海を越えて、今日の海に浮かんでいる。</div><div><br /></div> ]]>
        
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    <title>存在と言語－空海哲学と今日の視点－</title>
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    <published>2009-09-17T14:51:18Z</published>
    <updated>2009-11-24T05:23:59Z</updated>

    <summary>Ⅰ 言語以前の世界　地球上の生物のほとんどはヒト科のような言語をもたなくても生活...</summary>
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        <![CDATA[<div>Ⅰ 言語以前の世界</div><div>　地球上の生物のほとんどはヒト科のような言語をもたなくても生活できている。</div><div>　鳥やけものや昆虫、それに海のほ乳類は鳴き声を発するが、それはヒト科の言語とは異なり概念や文字をもつものではなく、ひびきの差異の受発信によって本能的にコミュニケーションを取り合うものであり、ヒト科の言語能力に比較すれば、言語以前の言語と云えるものである。しかし、言語以前の言語とは云え、それらの鳴き声によって個体の意思を的確に伝えることができている。</div><div>　その発せられる鳴き声は、大小の風が物質のさまざまな形状を吹き抜けることによって起きる空気の振動音 (ひびき)であり、そのひびきを生物はからだの各部を駆使して本能的につくりだせるのだ。</div><div><br /></div><div>　ひびきは、ひびきを聞き分ける聞き手があって声となる。その聞き手とは、ひびきをつくりだしている自らでもあるし、その声を受信する他でもある。</div><div>　この声を進化させ、その音声を細かく分別し、それらを組み合わせて多くの意味を作りだしたものがヒト科における言語となった。ヒトはそれらの意味を学習し、意味を組み合わせて文を綴り、世界観を築き、その世界観によって社会を形成しようとしている。</div><div>　だが、個体別に感知している世界は、その個体の有する体形や運動能力、それに観察力や感応力や記憶力、それらの差によって生みだされる識別と編集能力のちがいによって、さまざまに異なる。</div><div>　したがって、一つの言語のひびきのもつ意味もヒトによってさまざまな解釈を生み、築いている世界観も千差万別である。</div><div><br /></div><div>　しかし、その世界の根底には</div><div>一に、あらゆる生物が、日の光りの恵みを得て、大気を呼吸し、生きている世界。</div><div>二に、あらゆる生物が、住み場を得、地球の自転にともなう二十四時間の明と闇の繰り返しの中で、自然と共に生きている世界。</div><div>三に、あらゆる生物が、その固有の存在によって、衣・食・住を相互扶助し、生きることができる世界。</div><div>四に、あらゆる生物が、その神経細胞のはたらきによって、学習し、コミュニケーションできる能力をもち、自然界の秩序を保っている世界。</div><div>五に、あらゆる生物が、その個体をうごかし、生を謳歌している世界。</div><div>　という、ゆるぎない世界が実在している。</div><div>　(だが、その世界は、誰もが本来、有しているものなのに、ヒトのこころがその根底の自覚に至ることは稀である。なぜなら、ヒトは絶えず目先の出来事にこころを奪われているからである。その目先によって、世界観が個々に築かれている)</div><div>　そうして、その世界の根底によって、あらゆる生物が</div><div>一に、生命圏を形成し</div><div>二に、多様な種の中で生き</div><div>三に、遺伝・繁殖し、種を進化させ</div><div>四に、種としてのそれぞれの唯一無二の個体のすがたを存在させ、他と交わっている。</div><div>　(という、今日の科学が知るところのエコロジカルな世界が成立している)</div><div>　ヒト科もその生命圏の一員であり、そこに、実在する"世界の本質"があり、それ以外に世界の本質が存在するということはない。</div><div><br /></div><div>Ⅱ 言語の限界</div><div>　前記の"世界の本質"によって生かされているヒトビトが、それぞれの住み場(環境)での生活を通じて、ヒト・モノ・コトを目で見、耳で音を聴き、鼻で匂いを嗅ぎ、舌で味わい、手足とからだで触れることによって、その世界を感知していることになる。</div><div>　感知したことは、イメージとなり、そこに情動(快・不快)が生じ、それがまず、声となった。そうして、ヒトは個々の気持ちを相手に伝えることができるようになった。その便利さを覚えると、感知されたあらゆることが識別され、声のひびきとなって発せられることとなった。</div><div>　目に見えたものはその形象を分別した言語となり、その他の聴覚・嗅覚・味覚・触覚も感じたことを分別して言語とし、それらを綴って意思が表現されるようになり、そこから論理も生まれ、論理を展開するために概念も生まれ、その概念によって、身勝手な世界観も築かれるようになった。そうして、人間中心主義の世界にヒトビトは迷い込んだのだ。</div><div>　そうなると、大量に識別された言語が脳に蓄積され、その言語によってヒトは世界を観ることになる。しかし、今日の脳科学によると、言語脳と呼ばれるのは左脳のみに存在し、その対となる右脳では、空間における自己の存在位置を認知しているという。そう、実在する世界が先にあって、その世界を感知することによって言語は生まれたのだ。その世界とは、前述した"世界の本質"である。(その本質からヒトビトは離れてしまった)</div><div><br /></div><div>Ⅲ 言語以外の伝達手段</div><div>　さて、ヒトは言語のみでコミュニケーションしているのだろうか、そうではない。絵や図(イメージ・今日では映像) /象徴となるものによる喩え/モノ・コトの作用やヒトの行為と共に、言語(数量と文字)もあり、それらのメディアを多用して、世界は分析・表現され、伝達されるのだ。そうしてこそ、左脳と右脳は一体化し、存在の"場と意味"が成立することになる。(空海もそれらのメディアによって世界は表現されるとした。そうして、作成されたものがマンダラである。今日の情報化社会のマルチメディアに類似するものであるが、決定的にちがうのは、空海がそれらのマンダラのすべての中心に、前述した"世界の本質"を置いたことである。そこに空海の教えの根幹がある)</div><div>　いずれにしても、あるがままの実在する世界が先にあって、ヒトも存在できる。個別の識別によって存在できるのではない。その実在する世界の本質をヒトがどう包括的に捉え、どう表現できるかによって、世界観が決まり、ヒトの立ち位置も決まる。</div><div><br /></div><div>Ⅳ 識別の超克</div><div>　言語による識別によって、ヒトは惑わされることになったが、識別がなくても世界は初めからそこに実在し、その中でヒトも他の生物と共に生かされている。この根底の自覚がなくては、世界を個別に識別してみてもそこに生まれるのは執着だけである。そのことを最初に説いたのがブッダ(紀元前五世紀・仏教の開祖)である。</div><div>　それがあるからこれが生じる。&lt;縁起の法&gt;</div><div>　それがなければこれは生じない。&lt;縁滅の法&gt;</div><div>　これが生じなければそれはない。&lt;悟り&gt;</div><div>　つまり</div><div>　識別があるから情動が生じる。</div><div>　識別がなければ情動は生じない。</div><div>　情動が生じなければ執着はない。</div><div><br /></div><div>　その七百年後に情動をなくするには、識別によるモノ・コトの存在の有無を考察する必要があると思い立ったのがナーガールジュナ (紀元二世紀・大乗仏教の論者)である。その考察『中論』によって、存在の有無は識別できない(有るとはいえないし、無いともいえない。そのようにしか識別できない"空観"の中にヒトは存在し、生きている。つまり、言語によっては、存在を論理的に実証できない)と説いた。</div><div><br /></div><div>　その七百年後に空海(九世紀・インド伝来の密教第八祖)は、上記、両者の説くところを学び、以下のような悟りの哲学に到達した。</div><div>　なんと大空はひろびろとして静かなのだろう</div><div>　万象をその空間に一気に含み</div><div>　大海は深く澄みとおり、一つの水(水の元素)に千品を宿している。</div><div>　このように一は無数の存在の母である。</div><div>　空間は現象を生じるための基(もとい)である。</div><div>　(中略)</div><div>　空間があるから存在があり、存在があるから空間がある。</div><div>　存在の諸相は(ナーガールジュナによって)否定されても、現象と空間はそのままにして存在する。</div><div>　だから、存在は(識別によっては)空相であり、空相であるものが存在する。</div><div>　(その空相であるものが本来の無垢なる世界である)と。</div><div>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（空海著『十住心論』第七住心より）</div><div><br /></div><div>　こうして、空海は言語による識別を超克する "絶対自由の空"を自覚した。(言語による識別によっては論証できない存在世界、つまり、空の世界を、あるがままの実在する世界として認め、空であるからすべてが生起するとした)</div><div>　ブッダが最初に説き、ナーガールジュナが考察した"空観"は、空海哲学によって乗り越えられ、実存する空へと変換したのだ。</div><div>　その自覚をもとに空海は、言語による自由な創造へと向かった。その創造とは、一つは、識別を外したサンスクリット語によるひびきの感知と、そのひびきによる無垢なる存在の場(空間)の創出であり、一つは、存在の場の豊かな風情を描写する、韻(いん：つまり、ひびき)を踏んだ詩文(漢詩)の創作である。言語を識別の羅列から解き放ち、右脳・左脳による立体的な言語へと飛翔させたのである(そこには"場と意味"が同時に現出する)。そうすることによって、言語はその識別による平面的な想念や論理の枠を越え、言語以前の世界に横たわる"世界の本質"をも包括することのできる豊かなメディアとなる。</div><div>　空海の実践した言語の"巧み"である。</div><div>　その巧みは、言語にとどまらず、実在する空間にも展開され、山林開発から寺院建築、灌漑事業としての貯水池の築造、港湾施設にまで及んだ。空海哲学からすれば世界は"絶対自由の空"であり、何処にも障害となるモノ・コトはなく、意思さえあれば、すべては実現可能な事柄であったのだ。(近代の思想と同じである)</div><div>　ここに、存在と言語から出発したブッダのこころの哲学は、"生命世界の本質"を理念としたすべての生きとし生けるものの空間的な共生の哲学として、空海によって帰結した。(その世界観は、千二百年後の今日尚、わたくしたちが目指すものである)&nbsp;</div><div><br /></div><div>あとがき</div><div>　しかし今日、言語は、情報化社会の波に飲まれて、より陳腐な識別のみによって綴られ、ヒトの空間的な存在は失われ、右脳の所在はなく、ヒトの立ち位置である足場は失われてしまった。つまり、実在する世界から離れて、言語による識別よってのみ構築されたさまざまな平面的な世界が一人歩きしているのである。脆弱なままの言語に頼り、ヒトは左脳に軸足を置いて生きようとしている。そのことによって、ヒトの住み場となる世界の無謀な環境破壊が起きている。情報化の中心に "生命世界の本質"が置かれていない結果である。そのことを空海は予見していた。わたくしたちは今、空海哲学に学ばなければならない時代の只中にいる。</div><div><br /></div> ]]>
        
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    <title>貯水池開発事業記－『大和の洲益田の池の碑銘並びに序』空海文</title>
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    <published>2009-09-16T13:50:33Z</published>
    <updated>2009-11-09T06:27:39Z</updated>

    <summary>　そもそも、夜空に輝く五穀(稲・麦・粟・豆・ヒエ等)の実りを司る星座と　広大な銀...</summary>
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        <![CDATA[<div>　そもそも、夜空に輝く五穀(稲・麦・粟・豆・ヒエ等)の実りを司る星座と</div><div>　広大な銀河の流れの功徳によって、雨は地上に降りそそぎ</div><div>　湖水と大海によって、広く万物は潤っている。</div><div>　その潤いのおかげで、すべての植物はよく繁茂し</div><div>　動物は、その植物を食糧として生きられる。</div><div>　季節ごとに八方から吹く風が植物を育て</div><div>　万物を作りあげている諸元素の中で、水の元素こそが最大のはたらきをする。</div><div>　水のもたらす恩恵は何と、遠大なることよ、偉大なることよ。</div><div><br /></div><div> 　さて、イザナギ・イザナミの二神が生んだという日本列島の中の本州に、神武天皇の東征の際に熊野の国から太陽の化身である三本足のカラスによって導かれたという大和の国(奈良県)があり、その国に益田(ますだ)という(人工の)池はある。</div><div><br /></div><div>　池のある場所は(五世紀前後に朝鮮半島から渡来した阿智使主・あちのおみを氏祖とする建築や土木工事、金属生産などの技術をもった帰化系氏族集団、漢氏の末裔の)倭漢直(やまとのあやのあたい)の旧宅のあったところ。旧名を村井という。</div><div><br /></div><div> 　去る八二二年、仲冬の月(旧暦十一月)に、大和の国の前身であった和の国の行政を監察する職にあった藤納言(とうなごん)と紀太守末(きのたいしゅのすえ）らは、この肥沃な土地がまだ開拓されていないのを残念に思い、日照りに対処できるよう、絶好の場所(川をせき止めて水を貯められる場所。今日の高取川が北西に流れる周囲の鳥屋町・白橿町辺り)を選定し、灌漑用の人工池を造ることを朝廷に申し出た。その計画案をただちに許可された嵯峨天皇は、藤公・紀公の両人と(土木技術に通じていた僧侶でわたくし空海とも親交のあった)真円律師らに命じて、事業を開始させた。</div><div><br /></div><div> 　それからほどなく、嵯峨天皇は上皇となられ、嵯峨野の離宮(今日の大覚寺)に移られ、その政変にしたがい、藤公は辞職し、紀公も越前に国替えになった。</div><div>　新しく即位された淳和天皇は、中国古代の聖天子堯が舜に帝位を譲られたように、嵯峨天皇からその帝位を譲られ、国土を統治されることとなり、その輝く徳をもって、天地を照らされ、日本列島の万民を慈しまれた。</div><div>　新天皇は、宰相に大伴国道(おおとものくにみち)を迎え、国の政治をとりしきらせ、同時に、藤原藤広を大和の国守に任じられた。したがって、国道と藤広の両公が益田の貯水池開発事業を引き継がれ、新たに監督されることとなった。</div><div>　新天皇と両公のご尽力により、カモの群れのように水路を行き交う青色の舟が次々と土を運び、数千頭の馬が毎日駆りだされ、その馬のように速い赤色の舟は人を乗せ、百人単位の人夫が夜を徹してくる日もくる日も休みなくはたらいた。</div><div>　荷馬車はゴウゴウとして稲妻のごとくに走り、男女の人夫はドンドンと雷の落ちるように現場にたどりつく。</div><div>　土はコンコンと降る雪のように積み上げられ、堰堤(えんてい：長さ南北約二百メートル、高さは八メートル、堤の幅は約三十メートル)はたちまちにして、雲のように盛り上がった。</div><div>　その築造しているすがたは、まるで霊なる神が(巨大な手で)土をこねているようだし、そのこねた土を大きな炉で焼きあげているかのようだった。</div><div>　そうして、またたく間に日数をかけずに工事は完成したのだ。</div><div>　この人工の池を造ったのは人であるが、それを可能にしたのは天のちからである。</div><div><br /></div><div> 　ところで、池の位置するところは、(貝吹山の方に向かって)龍蓋寺(りゅうがいじ：今日の岡寺。開祖は義淵僧正。わが国、法相宗の祖であり、その門下には東大寺の基を開いた良弁、菩薩と仰がれた行基がいる。因みに、益田の池の造成を指導した真円律師は法相宗である)を左にし、綏靖(すいぜい)天皇陵を右にする。大墓(おほつか：丸山古墳か)が南にそびえ、畝傍山(うねびやま)が北にそばたつ。北東には、久米寺(くめでら：空海はこの寺の塔において真言宗の根本経典の一つである『大日経』を感得したとされる)があり、その方位、鬼門を鎮め、南西には宣化天皇(せんかてんのう：在位中、朝鮮半島の新羅の圧政に苦しむ任那と百済を助ける目的のために、九州筑紫国那津の宮家に各地からの食糧を移送し、非常時に備えたという)の陵があり、その方位を押さえ、敵からの侵略を防ぐ象徴となっている。この地、高市郡(たかいちのこおり：今日の橿原市)には、そのほか、十幾つの天皇陵と古い墳墓がうずくまった虎のように点在しており、周囲は龍が臥せているような長い岡が連なる。</div><div>　(広大な貯水池の背後の)松の緑の茂る峰の上を白い雲はゆるやかにうごき</div><div>　その下を檜隈川(ひのくまがわ：今日の高取川)の水は激しく流れる。</div><div>　(その水を湛えた貯水池の水面には)春になれば紫や黄色の草花が刺繍のように映り</div><div>　ここを訪れた者はそれに見とれて帰ることを忘れ</div><div>　秋になれば紅葉の錦は林に広がり</div><div>　そこに遊ぶ人々はあきることがない。</div><div>　おしどりとカモは水に戯れて鳴きあい</div><div>　黒と白のサギの仲間は渚に遊んで、羽をひろげて舞い競う。</div><div>　亀はのそのそと首をのばし</div><div>　鮒と鯉は尾びれで水面をたたく。</div><div>　かわうそはたくさんの魚を捕らえて並べ</div><div>　成長した鳥のひなは餌を口にくわえて、母鳥に恩返しをする。</div><div>　満々とたたえられた湖面は大空を呑み込み</div><div>　重なる山々はその影を逆さに映し</div><div>　その深さは海のようだし</div><div>　その広さは中国の大河にも負けない。</div><div>　中国の都、長安の人工池、昆明池をも小さいと笑い</div><div>　インドの高地にあるという雪融け水を湛える広大な湖をもものともしない。</div><div>　虎が強がって湖面をたたけば</div><div>　さわぐ波は夜空の銀河にそそぎ</div><div>　水神である龍が唸って(大雨が降って、たとえ)堤が決壊しても</div><div>　ゆったりと水量は(大きな木製の導水管によって堰堤の外側に排水され)調整される。</div><div>　(中国の哲学者、荘子のいう)水の精の河童ですら、その堤防を溢れさすことはできず</div><div>　旱魃(かんばつ)を起こすという女神も、その水底を涸らすことはできない。</div><div>　大和の国の六つの郡はおかげで潤い</div><div>　貯水池からの水は、それらの郡の小川に引き込まれ、豊かに流れ、田畑にそそぐ。</div><div>　｢天子に善あれば、すなわち万民これに頼る｣という。</div><div>　(そのような統治が為されるならば)民は自らの手足によって舞い、千の荷車に豊作物を</div><div>積み上げ、そのまわりで歌って、腹を打ち鳴らし、手を打ち、足で大地を踏んで喜びを示し、その国と天子を讃えて健やかである。だが、中国の故事にもあるように、大きな池もたびたび桑畑に変わってしまうとある。そのことを心配して、この新しく開発された貯水池が失われることのないようにと、わたくし空海に碑文を書くように要請された。拙僧は不才の身であるが、仁(慎み深き思いやり)に対しては固辞すべからずという。そこで、時を見つけて、努力して文章を作った。以下が碑のため詩文である。</div><div><br /></div><div> 　(世界の始まり)</div><div>　目に見えず、耳に聞こえず、神もいず</div><div>　渾沌の中で、天と地はそのきざしもなかった。</div><div>　太古の世界を治めるという人もなく</div><div>　日本列島を生んだという神も存在しなかった。</div><div>　やがて、宇宙の気が集まり</div><div>　葦の芽のごとくに成長し始めると</div><div>　天空に風は吹きまくり</div><div>　万物の元素が生成し、そのはたらきを示した。</div><div><br /></div><div>　 (そうして)太陽と月が運行し</div><div>　山と河とが大地に配置され</div><div>　万象が森のごとくに連なり生まれ</div><div>　万物が雑然として発生した。</div><div>　(その大地で、人は)</div><div>　山菜や木の実を食いつぶし</div><div>　イネ科の自生穀物を食することを覚えると</div><div>　自然の池であろうが人工の池であろうが</div><div>　その水が穀物を育てる偉大なるちからをもっていることを知った。</div><div><br /></div><div> 　中国古代の天帝、堯(ぎょう)に例えられる嵯峨天皇と、兎(う)に例えられる淳和天皇は</div><div>　ともに思慮あつくして民を慈しまれ</div><div>　智の才を広く発揮し</div><div>　慈悲深いうえに思いやりをもって</div><div>　些細なことにこだわらず</div><div>　民に尽くすことは神のようであった。</div><div>　両天皇による万物への潤いは慈雨のよう</div><div>　その下の民の栄えは春のよう。</div><div><br /></div><div>　貯水池開発事業の号令は雷のとどろきのように発せられ</div><div>　役人たちはすぐさま仕事を開始した。</div><div>　紀太守と藤納言が立案され</div><div>　その事業は豊かに結実へと向かった。</div><div>　(その後)</div><div>　大伴宰相が実施計画にあたられ</div><div>　大和の国守、藤原公が仕事を監督された。</div><div>　すぐれた人の才能には、すばらしい技術が宿り</div><div>　民はみな、その指揮にしたがった。</div><div><br /></div><div>　ここに一つの池が誕生した。</div><div>　その名を益田という。</div><div>　それを掘ったのは人であるが</div><div>　完成したのは天のちからのおかげである。</div><div>　(工事にあたって)</div><div>　荷車や馬はたちまちに集まり</div><div>　男女の人夫は雲のごとくに連なった。</div><div>　みな子どものように従順に仕事をこなし</div><div>　完成するのに一年とかからなかった。</div><div><br /></div><div>　(完成した池は)</div><div>　深く広く</div><div>　鏡のように紺色に澄み</div><div>　洋々として、たおやかに限りなく</div><div>　その眺望は果てしない。</div><div>　多くの谷川の水を一堂に集め</div><div>　多くの川に水を流し(大和の国の田畑を潤す)</div><div>　魚や鳥が泳ぎ</div><div>　あらゆる水の神もここに身を潜める。</div><div><br /></div><div>　田の水路には水が溢れ</div><div>　新たに開墾した田にわたくし(民)が苗を植え</div><div>　苗はすくすくと伸び、稲穂をわたくしが刈り取る。</div><div>　穀物は島のようにも丘のようにも積み上げられ</div><div>　民のはたらきによって、国を守る兵士の食糧も充たされる。</div><div>　中国の孟子の説く、井田(せいでん：正方形の九百畝の田地を井形に九等分し、周囲を民田として八戸に分け与え、一戸あたり百畝、すなわち十反を分け与え、中央のみを公田として八戸の民で協働して耕作させ、その公田の収穫のみを税として納めさせる農地制度)はこの国の民のための制度。</div><div>　民は日の出とともにはたらき</div><div>　日が沈めば、家に戻って憩う</div><div>　井戸を掘ってきれいな水を飲み</div><div>　田畑を耕し、日々の食事を得る。</div><div>　この暮らしがあれば、天帝を煩わせなくてすむ。</div><div>　八二五年九月二十五日、これを池口の上に建てる。</div><div><br /></div><div><span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold; ">あとがき</span></div><div>　"益田の池"は万葉集の歌に由来する歌枕にもなっている。｢恋は増す(益す)｣との意に掛けるからである。また、益田の池に浮いているジュンサイ(ぬなわ)は池の名物となったが、こころの揺れうごく様を表わし、その採集にあたって、茎を｢手繰る｣から｢苦しい｣を導くという。そのような比喩をもって作られた詩が後拾遺和歌集にある。"わが恋は　ますだの池の浮きぬなは　くるしくてのみ年ふるかな"である。通釈すると、わたくしのあなたへの想いはますます募り、益田の池に浮いているジュンサイのように揺れうごいている。その根茎を手繰り寄せるように、この恋は苦しいことばかりで、歳月ばかりが過ぎて行く。というようなことを詠ったものである。当時の人々にとって、どれほどこの益田の池が大和の国の風情として愛されていたかが分かる。空海もまさか、このような恋の池になろうとはと苦笑いされているであろう。しかし、今日、そのすがたは堰堤の一部の遺構を残すのみ、もう水辺の風景はなく、往時を偲ぶばかりである。</div>]]>
        
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    <title>十種の心象表現による教え－『十喩を詠ずる詩』空海文</title>
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    <published>2009-09-15T07:11:44Z</published>
    <updated>2009-10-28T07:42:06Z</updated>

    <summary>一、幻(まぼろし)　目の前に見えるものはみなまぼろし　あらゆるものはみな仮のすが...</summary>
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        <![CDATA[<div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">一、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">幻(まぼろし)</font></b></font></div><div>　目の前に見えるものはみなまぼろし</div><div>　あらゆるものはみな仮のすがたであり</div><div>　その仮のすがたがこころの意識の闇にイメージとなって浮かぶ</div><div>　イメージはもともとこころの中にあるものではなく、だからといって、こころの外にあるものでもなく、わたくしたちを惑わしている。</div><div>　すべての生きているものの住む場と、そこに生きているものと、それらを生みだすいのちの世界(生命圏)は、つくる、つくられる(衣食住の相互扶助)の中で成立している。</div><div>　そのハスの花が浮かぶ広大な水中のような生命圏は</div><div>　目の前には見えず</div><div>　だからといって無いわけでなく、わたくしたちの住む世界として存在する。</div><div>　(その世界の中で)</div><div>　人は春の庭に咲く桃の花を愛でて楽しみ</div><div>　秋には水に映る月を子どもが取ろうとする。</div><div>　夏の朝に湧き上がる雲は夕には雨となって地に降りそそぎ</div><div>　冬の回雪は女性のすがたとなって軽やかに舞う。</div><div>　そのように、目の前にあるものに人は日々こころを奪われ</div><div>　それらに迷わされなければ、いのちの清らかな存在に気づくことができるのに</div><div>　愚かにも人は目の前の見えるものによって迷いつづける。</div><div>　わたくしたちは無垢のいのちの存在そのものの住むところに、いつになったら帰れるのだろう。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">二、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">陽炎(かげろう)</font></b></font></div><div>　のどかな春の日の風景はゆらめき</div><div>　かげろうはゆらゆらと立ち昇って広野にひろがる。</div><div>　しかし、ゆらめいているけれど、かげろうのすがたは見えず</div><div>　そのすがたを見ようとして人はさ迷い</div><div>　遠くから見ればあるのに、近くによって見れば、かげろうのすがたはない。</div><div>　まるで走る馬や流れる川のようにかげろうは見えても、そこにすがたはなく</div><div>　何事につけても、そのように実体のないものであるにもかかわらず、人は自分の見たことだけを主張し、議論を交わす。</div><div>　街に美男、美女がいっぱいいると思い</div><div>　そんな男と女の分別をするために迷い</div><div>　まして、できもしないのに、悟りを開いた者と賢い人を見分けようとする。</div><div>　そのように、見えるものを目でとらえ、イメージし、快・不快の情動によって識別するから、その識別が新たな(美男・美女等の)情動を生みだしている。しかし、物事の真実は人の浅はかな判断においては識別できないものと分かれば情動はなく、情動がなければ(美男・美女等への)執着もない。そうして、すべては空(くう)なるものと知る。</div><div>　すべてを空無と考察すると、知覚と識別による迷いと、生の欲求による渇望と、死と、悪への絶え間ない畏れは、見えているけれども無く、聞こえているけれども無いものとなる。(すべては認知することができない空なるものである)</div><div>　特に、瞑想によって、こころの中から情動と識別が消え、こころと世界が一体となり</div><div>　いのちの光りの輝きを一瞬、見たとしても</div><div>　慢心してはならない、あざむかれてはならない、その光ですらかげろうかもしれない。</div><div>　こころにイメージによるすがたなく、何もないことこそがすべてが生じる母胎である。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">三、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">夢(ゆめ)</font></b></font></div><div>　いっときの眠りのうちに、人は無数の夢を見る。</div><div>　あるときは楽しく、あるときは苦しい、予想もつかない夢を見る。</div><div>　その夢の中での人との出会いや畏れの世界に</div><div>　泣き、歌い、悶える。</div><div>　しかし、眠っているときはほんとうに起きていることだと思っていても、目が覚めればそこには何もなく</div><div>　そうして、それが夢だったと知る。</div><div>　そのように、迷える人も暗いこころの部屋に閉じこもっていて、いつまでも夢を見つづけているようなもの</div><div>　とかく世の中は憂いごとの連続である。</div><div>　道を求める人が悟りの境地に入ったとしても、それはいっときの夢かもしれない、愛着してはならない。</div><div>　世間の人が苦しみの世界にとらわれていたとしても、それはいっときの夢かもしれない、そこにさ迷い留まってはならない。</div><div>　気が集まれば生が始まり</div><div>　いのちがなくなれば、元の物質に戻って死ぬ。</div><div>　帝王も貴族も大臣も</div><div>　春には栄え、秋には落ち、川の流れのごとく逝く。</div><div>　それは夢のようであり、そこに生の根底があり</div><div>　その根底の自覚によってこそ、人も生命圏の完全な輪の中の無垢なる一員となれるのだ。</div><div><font style="font-size: 0.8em;"><br /></font></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">四、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">鏡中の像&lt;映像&gt;</font></b></font></div><div>　昔、インドの長者ヤジュナダッタは、邸宅にあった円形の鏡に顔の一部しか映らなかったことを恐れ</div><div>　中国の秦王の城にあった四角の鏡は人のこころの正邪を映したという。</div><div>　その鏡のように、人のこころに映る像がどこから来て、どこに去るのかは分からない。</div><div>　それらはみな原因と条件によって生じたものというが</div><div>　その映像は、固定的に存在しているものではなく、だからといって存在しないものでもなく、言葉によってその存在を論証できるものでもなく</div><div>　人の思慮分別から遠く離れたところに存在する。</div><div>　すべての存在は、それ自体の原因によって生じるものではなく、他の作用と共に生じているものでもなく、他の原因によって生じるものでもない。</div><div>　そのようなことなのに、世間の人々はこころに映じる像の存在に執着してさ迷う。</div><div>　こころに映る像とそれを見る人は、同じものでも異なるものでもなく</div><div>　それは、声の意味することと声のひびきを発する人の関係のようなもの。</div><div>　静かな僧房で瞑想していれば、こころに映じる像はおさまり</div><div>　お堂で香を焚き、真理の言葉を口ずさむと、そのひびきは澄みわたり</div><div>　自らのからだと言葉と意識の三つのはたらきと、すべてのいのちが本来的に有している三つのはたらき、繁殖・成長し、うごく個体としての&lt;からだ&gt;と、そのからだによって感知されるひびきの差異としての&lt;言葉&gt;と、生命環境の情報をとらえ反応することのできる神経細胞と脳がつくりだす無垢なる&lt;意識&gt;が、静かに共鳴して、無念無想の境地が開かれると</div><div>　すべてのいのちの鼓動と感応する世界に入る。</div><div>　しかし、慌てて動揺することはない、それがほんとうの世界なのだ。</div><div>　こころとはこころの映像などではなく、そこに実在する世界そのものである。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">五、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">蜃気楼(しんきろう)</font></b></font></div><div>　海上に厳として美しい城郭が浮かび</div><div>　その蜃気楼の中に、走る馬や通行人が行き交う雑踏までが見えている。</div><div>　愚かな者はそれを見て、そこに都市があると思い込み</div><div>　知恵のある者はそれを見て、それが架空のものであると知っている。</div><div>　実在する都市もいつかは崩壊し、消えてなくなることを思えば蜃気楼と似たようなもの</div><div>　人々が蜃気楼のような都市を築き、その場所に執着していることをみれば、幼子が無いものをねだり、それに執着していることを笑うことはできないだろう。</div><div>　人のほんとうに住むべきところとは、自然の築き上げた世界の中にしかないのである。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">六、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">響(ひびき)</font></b></font></div><div>　口の中、あるいは峡谷、あるいは家屋の空洞部分に風が吹き込み</div><div>　空気がふれあうことによって音のひびきが生じる。</div><div>　ひびきを聞くのは人であり、その人に賢い者もあれば愚かな者もあり聞き取りかたはさまざまで</div><div>　ある者はそのひびきに怒り、ある者はそのひびきに喜び、互いに同じということはない。</div><div>　しかし、音のひびきが生じる原因と条件を調べてみても、そこにあるのは風の吹きぬけるところにある形状のちがいだけであり</div><div>　聞き手の情感がそこに生じているわけでもなく、滅しているわけでもなく、始めもなければ終わりもない。</div><div>　だから、その情感を起こしているのは聞き手である人であり</div><div>　風のひびきに耳をたぶらかされてはならないのだ。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">七、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">水中の月</font></b></font></div><div>　まどかな月は虚空に輝きわたり</div><div>　地上のすべての河川、すべての器の水にその光りを映している。</div><div>　そのように、いのちの光りも意識の静寂の闇にあって</div><div>　生きとし生けるもののすがたを照らしている。</div><div>　水に映るまるい月は月影であり</div><div>　個体に宿る自我もいのちの光りの影である。</div><div>　その虚空の闇を照らすいのちの光りの平等を人々に説き</div><div>　そして、いのちの知のちからをもって慈しみの衣を身にまとわなければならない。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">八、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">水泡(すいほう)</font></b></font></div><div>　雨は濛々として天上から降り</div><div>　水中にさまざまな水泡が立つ</div><div>　水泡はたちまちに生じ、たちまちに消えるが、それでも水そのものである。</div><div>　この水泡は、自らの作用主体によって生じたものなのか、あるいは他の原因と条件によっ　て生じたものなのか、そうではない、水泡は水の元素そのものの作用である。</div><div>　そのように、こころに生じる変化の不思議も</div><div>　こころの中のいのちの知のちからが作用する変化であって、不思議ではなく</div><div>　すべてのいのちの有している知のちからのはたらきと自らのこころは本来一体であり</div><div>　その原理は万物をその中に宿すことのできる水の原理と同じであると知るべきである。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">九、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">空華(くうげ)&lt;錯視&gt;</font></b></font></div><div>　目の中できらきらと咲く花、空華(くうげ)に何の実体があるだろうか</div><div>　そこには実像としての存在はないのである。</div><div>　そのように、空間そのものは虚空であり</div><div>　雲や霧が曇ったり晴れたりすることを濁っているとか清んでいるとかというが</div><div>　(それらは空華と同じであり)</div><div>　本来のこころは(空華にとらわれず)あるがままのすがたである。</div><div>　迷える者は常に迷いの世界を見つづけ、あるがままのすがたを忘れているが</div><div>　(その迷いを生みだしている)苦・生・死・悪と、貪り・怒り・愚かのこころの空華に</div><div>　とらわれることなく、それらを起こしている目・耳・鼻・舌・身・意識のはたらきをも鎮めよ。</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">十、</font></b><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">火の輪</font></b></font></div><div>　燃えるたいまつの火を手に、それを四角に振れば四角い火の輪になり、円形に振れば円の火の輪を描く</div><div>　つまり、こころの思いのままに種々の変化を起こすことができる。</div><div>　そのように、人がこの世に生を受けその存在を示すために最初に発する言葉「ア」字のひびきと文字を自由に振ることができれば</div><div>　万象の真理を無限に表わすことができるのである。</div><div><br /></div><div>　この十種の心象表現は、道を求める者にとってのガイドであり、悟りを得るための手本となる。この手本によって無数の経典の深い意味に達することができ、その説くところの真理を得ることができる。だから筆を執って記すことにした。この文を見れば、わたくしの説く生の根底の教えの意図するところをご理解いただけるだろう。千年の後々の人も、わたくしの意図を忘れないようにして欲しい。</div><div>　右京神護寺空海</div><div>　八二七年三月一日記す</div><div><br /></div><div><font style="font-size: 0.8em;"><b><font class="Apple-style-span" style="font-size: 1.25em;">あとがき</font></b></font></div><div>　『十喩(じふゆ)詩』の喩(ゆ)とは教えさとすこと、たとえることの意味をもつ。たとえることの意味とすれば、比喩(ひゆ)：物事の説明に、これと類似したものを借りて表現することである。比喩には、隠喩(いんゆ)：たとえを用いながら、表面的には何々の「如し」「ようだ」等を出さない手法と、直喩(ちょくゆ)：「たとえば」「あたかも」「さながら」何々にようだ。何々の「如し」、何々に「似たり」などの語を用いて、たとえるものと、たとえられるものとを直接比較して示すものとがある。</div><div>　まさしく、上記の文章表現手法&lt;修辞法&gt;を駆使して書かれたのが空海の『十喩詩』である。(空海はたとえるものと、たとえられるものとのあらゆる言葉の知識をもつ人であった)</div><div>　今日の西洋の書に『イメージ・シンボル事典』アト・ド・フリース(オランダの文学博士)著1974年刊がある。その著者序に「本事典は難解なシンボルあるいはイメージに出会ったときの参照の一助に供すべく編まれたものである。本事典が提供するのは、ある種の単語や記号等が過去の西欧文明において人々の心に喚起し、将来もまた呼び起こすと思われる種々の連想である。思うに現代の心象表現(イメジャリー：シンボル・イメージ・アレゴリー・比喩・記号・類型等の諸概念)が、いかに斬新奇抜に見えようとも、多くは過去において、すでに述べられたり使われたりしたものの中に、その源泉を見出しうるからである」とある。</div><div>　一千年前に東洋の空海の記した『十喩詩』すなわち『十種の心象表現』は、生の根底となる教えを象徴的なイメージのたとえによって説いたものであるから、文明のちがいはあっても、オランダのフリース博士の云う、源泉となるものである。</div><div>　因みに、前記事典の最初の項に｢Ａ｣字があるが、その象徴するところは、季節では春か新年、天体では太陽、神の荘厳さ、幸福であると記されている。何やら、西洋文明においても「ア」字の発するひびきの意味するところは同じなのである。</div><div>　さて、空海の生きていた時代から千年の後々の世俗の一人として、この詩文に出会えたことを喜びとする。訳者</div><div>　尚、訳文中の"いのちの知のちから"の意味については、小生の空海論考「空海の教え－自然哲学からのもう一つの見方」を参照していただければと思う。</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>空海の総合教育の試み－「綜藝種智院の式とその序」</title>
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    <published>2009-09-14T12:36:34Z</published>
    <updated>2009-09-15T04:48:53Z</updated>

    <summary>【学園用地】　さきに中納言の職を辞した藤原三守(ふじわらのただもり)卿は京都左京...</summary>
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        <![CDATA[<font style="font-size: 1.25em;"><b>【学園用地】</b></font><br />　さきに中納言の職を辞した藤原三守(ふじわらのただもり)卿は京都左京の九条に邸宅をもっておられ、その屋敷の広さは二町(約四千坪)あまりで、敷地の中には五つの広間のある家屋が建っている。敷地の東側は施薬慈院(せやくじいん：今日でいう病院)に隣接していて、西側の近くには(わたくし空海が朝廷から賜った)東寺がある。南側は野辺おくりをする墓地にほど近く、北側には国の衣料・食糧を保管している官営倉庫がある。<br />　屋敷に湧き出る泉は鏡のように澄んでいてその水面に周囲の景色を映し出し、庭を左右に流れる小川はあふれんばかりの豊富な水量である。また、松林や竹林があり、風が吹くとその葉のふれあう音は琴を奏でているようだし、紅白の梅や柳の緑が雨にぬれると、錦の彩りのように美しい。春にはうぐいすがさえずり、秋には大きな雁が泉に渡ってきて、そして飛び去ってゆく。暑い夏もここで憩えばその暑さを忘れ、清々しい涼しさを得ることができる。<br />　(地相をみれば)西には白虎(びゃっこ)にあたる大道があり、南には朱雀(すじゃく)にあたる池もある。(「四神相応」の地相：東西南北の四方向のそれぞれに方位を守る神がいるとし、北｢玄武｣になぞらえる山、東｢青龍｣になぞらえる流水、南｢朱雀｣になぞらえる池、西｢白虎｣になぞらえる大道があるところに位置する土地を吉相とする。訳者)<br />　この場所には、修行する者が求めて散策するという閑寂な自然があり、わざわざ深山に出向かなくてもここでこと足りる。しかも、この場所までは日常的に朝から夕まで車や馬が往き来しているという利便さもある。<br /><br /><font style="font-size: 1.25em;"><b>【用地取得のいきさつ】</b></font><br />　わたくし空海はかねてから、学問を目指す者であれば、身分に関係なく誰でもが自由に学べる開かれた教育の場がつくれないかと思っていて、そのときは<br />｢儒教｣(人としての徳性と、家族と社会における人間関係の教え)<br />｢仏教｣(人はなぜ生きるのかと、人々の幸福に奉仕するための諸行為の実践の教え)<br />｢道教｣(自然の道理にしたがって生きると身体と精神の教え)<br />の三教科を兼ねそなえて学べる総合学院にしたいと願っていた。<br />　あるとき、そのことを皆の前でお話しすると、前述の藤原三守卿がわたくしの計画に賛同され、即座に千金にも値する個人の屋敷を学園用地としてお使いくださいと申し出られた。不動産契約などまったくなく、自らの慈悲の行為として、未来ある若者たちを育てるためにその土地と家屋のすべてを寄付されたのである。<br />　昔、インドの長者スダッタがブッダに僧園を寄進するために、その国の王ハシノクのもっていた庭園を買い求めようとして、王の息子のジェータ王子の要求により、その庭園の地面いっぱいに黄金を敷きつめたという説話があるが、わたくしの場合はそのような苦労もなく、その説話にも値するようなすばらしい庭園を藤原卿から寄進していただいたのだ。<br />　わたくしの願いはこのようにして、実現に向かうこととなった。<br />　現実のものとなった学園計画を進めるにあたって、わたくしは校名を考え、｢綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)｣と命名した。(この意味は、この学園でもろもろの学問を総合的に学ぶ機会を得た若者たちが、自らの教養の畑を耕し、そこに知恵の種を蒔き、その種がよく耕やかされた土壌によって、りっぱな芽を出すことを願っての名である)<br />　さて、以下はこの学校での教育理念とその教科、教科を教える教師の人材、それに運営方法等について示したい。<br /><br /><b>１ 総合教育の論拠</b><br />　『九流』(きゅうりゅう：古代中国の学者が説く九つの思想)<br />　　一、陰陽家(いんようか)：万物の生成と変化は陰と陽の二つによって起こされると<br />　　　　する思想。<br />　　二、儒家(じゅか)：孔子によって体系化された人の徳性、仁・義・礼・智・信と人間<br />　　　　関係の倫理によって社会秩序が保たれるとする思想。<br />　　三、墨家(ぼくか)：儒教に対抗する思想。上下の公平を唱え、他国への侵攻を否定し、<br />　　　　賢者の考えにみながしたがうことによって得る平等主義の思想。<br />　　四、法家(ほうか)：社会を治めるのは儒教の仁義礼などでなく、法律であると説く思想。<br />　　五、名家(めいか)：名&lt;言葉>と実&lt;実体>との関係を明らかにしようとする論理学思想。<br />　　六、道家(どうか)：老子によって説かれた自然の道理にしたがって生きようとする思想。<br />　　七、縦横家(じゅうおうか)：巧みな弁舌と策略で、相手を説き伏せる外交術の思想。<br />　　八、雑家(ざっか)：儒家、道家、法家、墨家などの諸思想を照らしあわせて取捨した<br />　　　　思想。<br />　　九、農家(のうか)：農業の技術を伝え、農耕を勧め、衣食住を充足することを本分とし<br />　　　　て生きる思想。<br />　『六芸』(りくげい：古代中国の六つの基本教養)<br />　　一、礼：礼節<br />　　二、楽：音楽<br />　　三、射：弓術<br />　　四、御：馬術 <br />　　五、書：文学 <br />　　六、数：数学<br /> 　以上の中国の思想と学芸は個人が世間を渡るための舟や橋であり<br /><br />　『十蔵』(じゅうぞう：インド仏教哲学の説く十種のこころの段階による社会学)<br />　『五明』(ごみょう：インド仏教者が修得しなければならない五つの学芸)<br />　　一、工巧明(くぎょうみょう)：工芸・工学技術、天文暦学<br />　　二、医方明(いほうみょう)：医学と薬学<br />　　三、声明(しょうみょう)：言語と文法学、文学<br />　　四、因明(いんみょう)：論理学<br />　　五、内明(ないみょう)：仏教学<br />　以上のインドの仏教者が学ぶ社会学と諸学芸とこころの学問(内明)は、社会生活全体の<br />　幸福に資するものである。<br /><br />　だから、過去においても、現在にあっても、未来にわたっても、知恵のある仏教者は世間のあらゆる学芸を学びそれらを修得するとともに、仏教の教えによって慈悲のこころによる他者への施しを自覚し、その屈託のない行動力と学芸による人文・自然の(今日でいう科学)技術を用いて、善導のための各種施設を築き、土木・治水事業を行ない、田畑の恵みのために気象をとらえ、医療と福祉により人々を救い、その言葉と声により人々を癒し、言語力により異国の文化を導入し、論理力によりまちがった考えを論破する。<br />　料理にも、すっぱい・にがい・あまい・からい・しおからいの五つの味があるように、一つの味ではご馳走はできないし、音楽も、五音階(古代中国の音階、ド・レ・ミ・ソ・ラ)の一つの音のみで、妙なる調べを奏でることはできない。<br />　人が身を立てるのも、国を治めるのも、悟りの世界に楽しむのも、世間の多くの学芸に通じていなければ、その目的を広く達成することができないものなのだ。<br />　そのような訳で、そのことを理解し仏教に初めて帰依された欽明天皇以来の歴代の天皇と大臣たちにより、多くの寺院が建立され、仏教の教えが日本国に広まるようになったのである。<br />　しかしながら、寺院の僧侶は経しか唱えず、世間のすぐれたといわれる学者は中国の書物のみを読みふけっている。彼らは儒教・仏教・道教の書物のすべての学問を知ろうとする気概なく、まして、社会づくりに役立つ五明の学問の書には触れることもないという情けない実状である。<br />　そこで、わたくし空海は、この綜芸種智院を設立し、広く三教の書物を蔵書し、それらを教えることのできる才能ある多くの先生を招きたいと思う。どうか、三教の広い学問の光が、この混迷の闇の世界を照らしますように、そして、教わる者のこころの段階(個人の能力レベル)にあわせて、それぞれの教育馬車が用意され、それらに学生と教師が乗り、くつわを並べて広大な知の庭を駆けて行けますように。<br /><br /><b>２ 学園設立問答</b><br />　ある人がわたくしの計画に対して問う、｢あなたの考えは結構なことである。しかし、今までも私学校を試みた人がいるが、うまくいったという話を聞いたことがない。例をあげれば、吉備真備(きびのまきび)の儒教と仏教を教える二教院、石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)の芸亭院(うんていいん)など、開校はしたがつづかなかった。あとはうやむやになっていて見るかげもないではないか｣<br />　答えよう、「ものごとがうまくいくか、駄目になるかは、必ず人による。すぐれた人物が出るかどうかは、その道を究めて行くかどうかにある。大海は多くの川の水が流れ込んでこそ深くなり、ヒマラヤの山も小さな積み重ねがあって高くなる。大きな建物も多くの木材に支えられて建つのであり、一国の元首も多くの臣下によって支え保たれる。そのように、多くの同志がいれば事業は支えられ、同志が少なければ事業が傾くのは自然の理である。この理にしたがい、いま、わたくし空海が願うところは、天皇の許可の下、諸大臣の協力を得て、貴族や僧侶等、各界の人々がみな、わたくしの計画に賛同し、助力してくださるようになることです。そうなれば、この事業はきっと成功し、いつまでもつづけて行くことができるでしょう」<br />　問いかけた人が言う、「そのとおりですね」<br />　また、ある人が問う、｢国家が広く、諸学芸の教育事業を展開している。現在すでに権威ある地方の国学や中央の大学があるというのに、蚊の鳴くような存在の私立の小さな学校を開設することに何の意義があるのですか｣<br />　答えよう、「わたくしの留学していた中国の都、長安では街区ごとに勉学塾があり、広く子供たちが学んでおり、また、長安以外の各県にも学校があり、青色の衿の制服を着た生徒たちが毎日通っている。だから、才能ある知識人が都にはあふれており、地方の何処に行っても、学芸に秀でた多くの教養人に出会うことができる。ところが、わが国には平安京にたった一つの大学があるだけで、街には長安のような勉学塾はありません。このため、庶民の子は勉強しようにもその場はなく、地方の若者が学問を志しても遠く大学は離れているため、教育の環境を得ることは不可能です。そのようなことですから、いま、わたくしは学校を創設し広く若者に門戸を開こうとしているのです。善いことだと思いませんか」<br />　問いかけた人が言う、「そのようなことが実現すればすばらしいことだ。まるで、太陽や月の光のように輝かしいことだ。この世に天地があるように永くつづく事業となることと信じます。これこそ、国の将来のためになる計画であり、人々にとって、美しい宝石のような価値をもつものですね」<br /><br />　さて、わたくし空海はごく至らない者ですが、いま一息のちからを尽くし、モッコの土を運び上げ、その土で周りを廻らす丘を築くごとく、わたくしをとりまくすべての恩に報いることができるように、ひたすらこの事業に邁進したいと思う。<br /><br /><b>３ 教育成立の条件</b><br />　『論語』にいう、「人はおもいやりの美風のあるところに住むべきであり、わざわざそうでないところを選んで住むことは、賢い人のすることではない」と。また同じ書に、「人はおもいやりのあるところに住み、よき人間関係を築き、さらにすぐれた人格を形成し、学問に励まなければならない」と。<br />　『大日経』では、「仏教者として人々を導く師になるには、まず、あらゆる学問と芸術を学び、その知識を高めるべきである」と。<br />　『十地論』では、「知恵のはたらきを実践する者は、まず、五明のあらゆる学芸を学び、それらの真理に通じていなければならない」と説いている。<br />　だから、善財童子(ぜんざいどうじ)は、真理を求め、南インドの百十の都市を巡り歩き、教師となる五十三人の人々を訪ねて教えを乞い、常諦菩薩(じょうたいぼさつ)は、一つの都市の中で人々のおもいやりに助けられ、その慈悲の施しに常に涙しながら真理の道を求めつづけたという。<br />　したがって、教育の条件が整えられるには<br />　一に、真理を求める者がおもいやりのある環境に居ることができて&lt;処><br />　二に、そこに、五明(工学・医学・語学・論理学・仏教学等)の学問あり&lt;法><br />　三に、そこに、五明の学問を教える有能で人徳のある多くの先生がいて&lt;師><br />　四に、学ぶ者と教える者が教育に専念できるようにすべての者の衣食が保障される<br />　　&lt;資>が必要である。これらの四つが備わって教育は成立する。<br />　ですから、この、処・法・師・資の四つの条件を充たした学校を創設し、その門戸を開き、民衆の中の多くの好学の若者の芽を育て、その豊かな人材によって社会を導きたいのである。<br /><br /><b>４ 教科と教師の人材</b><br />　ところで、おもいやりのある環境があり、学問の豊富な文献が蔵書されていても、教師が欠けていれば、学問の理解を得ることはできない。だからまず、すべての教科にわたって有能で人徳のある教師を募らなくてはならない。<br />　募集する教師には大きく二種あり、一つは仏教者(仏法を究める者)としての教師、二つには世間一般の学者としての教師である。前者は(仏教部で)仏教の経典などを教え、後者は(学芸部で)仏教以外の学問の書を教える。<br />　中国の長安に留学していたときのわたくしの師、恵果がいつも言われていた「仏教の教えはこころの教えであり、そのこころをもって世間の学芸を学び、その双方のちからで人々の幸福のために尽くすのがほんとうの仏教者である。それがブッダの教えの真実であるから、仏教と学芸、両方に仏教者は必ず通じていなければならない」と。<br /><br /><b>□仏教部教師心得</b><br />　仏教者たるものは、仏教の二種の教え、顕教(こころの教え)と密教(いのちの知のちからの教え)の双方に通じていなければなりません。(でなければ、教育に偏りがでることになり、学生たちに片方だけの教えを与えることになります)<br />　また、仏教以外の学問の書に通じたければ、世間の学者から学びなさい。<br />　もし世間の者で仏典を学びたい者がいれば、僧侶を教師とし、教師となる僧侶は、慈しみを与え、苦を除き、楽を喜び、共に平等であるとの限りなく広いこころと、施しと、やさしさをもった言葉と、奉仕と、共にいそしむ行為によって労苦をいとわず、相手の身分によって差別なくしっかりと教えを伝えてください。<br /><br /><b>□学芸部教師心得</b><br />　まず、以下に挙げる書物のいずれかに精通していること。<br />　『九経』(きゅうけい：九つの儒教経典)<br />　　一、｢易経｣(えききょう)：自然現象を万物の事象の象徴としてとらえ、生成変化を予測<br />　　　　する教え。<br />　　二、｢書経｣(しょきょう)：中国最古の歴史書。紀元前の堯・舜から夏・殷・周の帝王の<br />　　　　言行録を整理したもの。君主の臣下に対する言葉/臣下の君主に対する言葉/君主が<br />　　　　民衆に下す宣誓の言葉/君主の意志や命令の言葉/重要な歴史的事件のあらましが<br />　　　　書かれたものに整理されている。<br />　　三、｢詩経｣(しきょう)：中国最古の詩全集。各地の民謡を集めた&lt;風(ふう)>/貴族や朝廷<br />　　　　の公事・宴席などで奏でる音楽の歌詞&lt;雅(が)>/朝廷の祭祀に用いた&lt;頌(しょう)>の<br />　　　　三つに大別される。<br />　　四、｢礼記｣(らいき)：古来の"礼"に関する諸文献を集めたもの。日常の礼儀作法や冠婚<br />　　　　葬祭の儀礼、官爵・身分制度、学問・修養などが解説されている。<br />　　五、｢左伝｣(さでん)：春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)の略。紀元前中国春秋時代の<br />　　　　王や諸侯の死亡記事、戦争や盟約などの外交記事、日食・地震・洪水・虫害などの<br />　　　　自然災害に関する記事等が年表として記録されているものを解釈したもの。<br />　　六、｢孝経｣(こうきょう)：孔子が門弟の曽子に"孝"について述べたことを、曽子の門人が<br />　　　　記したもの。<br />　　　　・個人は、親に仕えることから始まり、社会に仕え、やがて他から仕えられる。<br />　　　　・国のリーダーは、自らの親を愛するように民衆を愛するならば、民衆もまた、<br />　　　　　リーダーを慕う。<br />　　　　・社会人は、自らの父母を愛するようにリーダーや目上の人に仕えることが<br />　　　　　孝となる。<br />　　七、｢論語｣(ろんご)：儒教の始祖、孔子の言行録。おもいやりのこころ&lt;仁>/おもいやり<br />　　　　の行ない&lt;義>/おもいやりの礼儀&lt;礼>/正しい学問&lt;智>/正しい行ない&lt;信>を説く。<br />　　八、｢孟子｣(もうじ)：孔子の孫弟子、孟子の思想書。他者を思うこころ/不正を憎む<br />　　　　こころ/譲るこころ/是非を判断するこころの四つのこころを人々は元々もっている。<br />　　　　それらによって君主も政治を行ない、人民のこころを得ることによって天下を治め<br />　　　　るようになれば、役人はみな王に仕えたがり、農民はみな王の田畑を耕したがり、<br />　　　　商人はみな王の市場で商売をしたがり、旅人はみな王の領内を通行したがり、<br />　　　　他国の王の下で苦しむ人民もみな王に相談しに来るだろうと説く。<br />　　九、｢周礼｣(しゅらい)：周王朝の理想的な制度について書き記したもの。官職を六官に<br />　　　　分け、計三百六十の官職について記す。天官&lt;治>(国政を所管)/地官&lt;教>(教育を<br />　　　　所管)/春官&lt;礼>(礼法・祭典を所管)/夏官&lt;兵>(軍政を所管)/秋官&lt;刑>(訴訟・刑罰を<br />　　　　所管)/冬官&lt;事>(土木工作を所管)。<br />　『九流』(きゅうりゅう：中国の思想を九つの流派に分類したもの。詳しくは記述済み)<br />　『三玄』(さんげん：中国の三つの自然思想)<br />　　一、｢老子｣(ろうし)：紀元前五世紀頃、春秋時代の老子の思想書。自然を観察すると生命<br />　　　　は連鎖し、循環している。何かが欠けると何かがそれを補い、全体としてバランス<br />　　　　をとっている。ところが人間社会の君主は摂取するのみである。自然の道理を知る<br />　　　　君主がいれば、その人こそ名君であると説く。<br />　　二、｢荘子｣(そうじ)：紀元前三、四世紀頃、荘子(そうし)の思想書。"無為自然"つまり、<br />　　　　あるがままをテーマとし、その洞察眼によって自然の本質を説く。老子が自然の<br />　　　　道理とその道理の人間社会での活用を説いたのに対し、荘子はあくまでも自然の<br />　　　　道理を友としてその中に遊んだ。<br />　　三、｢周易｣(しゅうえき)：太古からの占いの知恵を体系化した書。易とは変化を意味し、<br />　　　　万物の事象が過去・現在・未来へと生成変化していることを説く。易の字は日と<br />　　　　月を合わせているから、太陽や月、それに星の運行から万物の運命を読みとること<br />　　　　を意味し、周はあまねくの意味である。<br />『三史』(さんし：中国の古代王朝の歴史書。中国の王朝の歴史を二十四史とするが、その<br />　第一史から第三史までの歴史書)<br />　　□第一史、『史記』(しき)：前漢の武帝の時代に司馬遷(しばせん)によって編纂された<br />　　　古代王朝の歴史書。<br />　　(１)｢本紀｣(ほんき)：五帝から漢の武帝までの記録。<br />　　　一、五帝(ごてい)：人類誕生を呼称して、天皇、地皇、人皇から始まり、つぎに、<br />　　　　　人類に文明をもたらした黄帝、堯、舜等の伝説上の五帝を記述する。<br />　　　二、夏(か)：紀元前二〇七〇年頃から紀元前一六〇〇年頃まで。夏王朝の始祖は舜帝<br />　　　　　に命じられて黄河の治水などの功績をあげた。<br />　　　三、殷(いん)：紀元前一六〇〇年頃から紀元前一〇四六年まで。夏王朝を滅ぼした<br />　　　　　新王朝（実在したことが考古学的に確認されている最古の王朝）。商ともいう。<br />　　　　　社会形態は氏族ごとの集落&lt;邑(ゆう)>の連合体で、数千の邑を数百の族長が<br />　　　　　支配し、その連合体の上に殷王がいた。(青銅器文化をもち、その芸術性は高い)<br />　　　四、周(しゅう)：紀元前一〇四六年から紀元前二五五年まで。殷を倒した王朝。<br />　　　　　(この時代に王が不在になった期間、大臣の合議制によって政治を行なわれこと<br />　　　　　から、そのことを指して、歴史に登場する共和制の始まりとする)春秋時代には<br />　　　　　その支配は縮小し、戦国時代には各諸侯が自分が王であると称していたが秦<br />　　　　　(しん)国によって統一される。<br />　　　五、秦(しん)：周代から紀元前二〇六年まで。周代、春秋時代、戦国時代にわたって<br />　　　　　存在し、紀元前二二一年に中国を統一。王は中国の伝説上の聖王、三皇五帝に<br />　　　　　ならい自らを皇帝と名のる。始皇帝(しこうてい：紀元前二五九年から紀元前<br />　　　　　二一〇年)は度量衡(長さ/容積/重さの単位)を作り、文字を統一し、郡県制(行政<br />　　　　　区画)を実施した。また、北方騎馬民族への備えとして万里の長城を築く。その<br />　　　　　領土は南方(今日のベトナム北部)にまで及んだ。始皇帝亡きあと、秦王朝は内乱<br />　　　　　と造反により紀元前二〇六年に滅亡する。<br />　　　　　&lt;項羽>(こうう：紀元前二三二年から紀元前二〇二年。秦末期の楚の武将。秦に<br />　　　　　対する造反軍の中核となって、劉邦とともに秦を滅ぼした)<br />　　　六、劉邦(りゅうほう)：前漢の初代皇帝。反秦連合軍に参加し、秦の都を陥落させる<br />　　　　　が項羽によって、西方の漢中へ左遷され漢王となり、のちに東進して項羽を<br />　　　　　討ち、中国全土を統一した。<br />　　　　　&lt;呂雉>(りょち：劉邦の正妻。夫の死後、皇太后として実家の呂氏一族によって<br />　　　　　政権を維持したが、その内情はどろどろしたものであった。しかし、この時代<br />　　　　　は対外遠征などの大事業もなく、国民の生活は安定していた)<br />　　　七、文帝(ぶんてい)：紀元前二〇二年から紀元前一五七年。前漢五代皇帝。呂雉崩御<br />　　　　　の後、即位した。その政策は戦乱によって疲弊した民の休養と農村の活性化に<br />　　　　　あった。贅沢を嫌い、孝行を尽くした。そのことにより、食糧は倉庫にあふれ、<br />　　　　　財政は豊かであった。<br />　　　八、景帝(けいてい)：紀元前一八八年から紀元前一四一年。前漢六代皇帝。文帝の<br />　　　　　第五子。紀元前一五七年に即位。文帝の政策を受け継ぎ外征を控え、倹約に<br />　　　　　努めた。また、農業政策は減税に取り組み、国民のほとんどが農業に従事し、<br />　　　　　経済は安定していた。<br />　　　九、武帝(ぶてい)：紀元前一五六年から紀元前八七年。前漢七代皇帝。景帝の代十子。<br />　　　　　紀元前一四一年に即位。呉や楚等、諸国の反乱により有力な諸侯が倒れ、中央<br />　　　　　集権化が進む。諸侯の領土を分割させる策や、有能な人材を地方ごとに推挙さ<br />　　　　　せ登用する制度や、国民に儒教の教えを徹底させるなどによってその体制を強化<br />　　　　　した。しかし、外征による財政難と増税により、民衆は流民化し社会は荒れた。<br />　　　　　犯罪取り締まりのため強化された厳罰主義は密告の風潮を生み、多くの冤罪者<br />　　　　　が出た。<br />　　(２)｢表｣：太古の王朝の系譜、諸侯の年表、役人の在職年表等の記録。<br />　　(３)｢書｣：古代の音楽・天文・治水・経済等の文化や制度史。<br />　　(４)｢世家｣：王族や諸侯の家系的歴史や思想家等の系譜的歴史記録。<br />　　(５)｢列伝｣：六十九の項目に分類された人々の生き方の記録。武将/参謀/政治家/役人/<br />　　　　学者/医者/異民族/遊侠/男色/芸人/占い/商売等々。<br />　　□第二史、『漢書』(かんじょ)：後漢の章帝時代に班固によって編纂された歴史書。<br />　　　前漢紀元前二〇二年から紀元後八年まで。史記と並んで中国古代二十四史の中の<br />　　　双璧をなす書。史記とのちがいは｢書｣を｢志｣に改め、｢世家｣を｢列伝｣に組み込み、<br />　　　新しく｢百官公卿表｣を入れ、官制の沿革を記録している。<br />　　□第三史、『後漢書』(ごかんじょ)：南北朝時代に范皣によって編纂された歴史書。<br />　　　後漢二五年から二二〇年まで。(この中の｢列伝巻七十五・東夷伝｣に日本についての<br />　　　記述があり、一〇七年に倭の国の王、師升が奴隷百六十人を漢の皇帝に献上したと<br />　　　ある)<br />『七略』(しちりゃく：古代の図書目録)<br />　　一、六芸(りくげい)：教養書<br />　　二、諸子(しょし)：思想書<br />　　三、詩賦(しふ)：詩と韻文の書<br />　　四、兵書(へいじょ)：兵術書<br />　　五、術数(じゅっすう)：占い書<br />　　六、方技(ほうぎ)：医薬書<br />　　七、総記<br />『七代』(しちだい：中国古代二十四史の第五史から第九史までと、それに第十二史、第十三史を加えた計七代の歴史書。二八〇年の晋の時代の始まりから隋の時代の終わり六一八年まで)<br />　　□第五史、『晋書』(しんじょ)：唐時代に国家事業として編纂された晋王朝の歴史書。<br />　　　二八〇年前から三一七年まで。晋の統一前を記した陳寿の『三国志』(二二〇年から<br />　　　二八〇年までの魏・呉・蜀三国の史書｢第四史｣)の伝が含まれる。<br />　　□第六史、『宋書』(そうじょ)：南朝の宋の歴史書。四二〇年から四七九年まで。<br />　　　宋・斉・梁に仕えた沈約が編纂した。(この中の｢夷蛮伝｣に倭の五王が朝貢したとある)<br />　   □第七史、『南斉書』(なんせいしょ)：南朝の斉の歴史書。四七九年から五二〇年まで。<br />　   □第八史、『梁書』(りょうじょ)：梁の歴史書。五〇二年から五五七年まで。<br />　   □第九史、『陳書』(ちんしょ)：南朝の陳の歴史書。四三九年から五八九年まで。<br />　　　唐の史学家、姚思廉(ようしれん)が編纂した。<br />　   □第十二史、『周書』(しゅうしょ)：北周の歴史書。<br />　   □第十三史、『隋書』(ずいしょ)：隋代五八九年から六一八年までの歴史書。<br />　　　(この中の「律歴志」に宋斉代の祖沖之が円周率を三.一四一五九二七の位まで計算<br />　　　したとある)<br />　以上の書物や、詩歌・韻文の文法に精通している人たちは、それぞれの書物を教科書として、その才覚でもって、学生たちを啓発しようではないか。そのためにこの学園に来て共に寝起きし、共に教えようではないか。<br />　もし仏教者で、これらの書物を学びたい人がいれば、学芸部の教師は後漢時代の官吏推薦要項にあるように、理知の才と孝志と清廉なこころで教えるようにしてください。<br />　もし若い学童で文字の読み書きから学びたいという者があれば、先生として慈悲のこころをもち、わが子と思い、身分や貧富にこだわらずきちんと教え、そのこころおこたることのないように教えてやってください。この世界の生きとし生けるものはみなわが子とは、ブッダの言葉であり、世界に住むものはみな兄弟であるとは、孔子の言葉です。教える者と教わる者が、親子・兄弟のように縁あって結ばれていることを忘れてはなりません。<br /><br /><b>５ 給費制度のこと</b><br />　人は食べなければ生きていけないとブッダも孔子も言われています。したがって、教育を広めるためには、必ず人々の生活が保障されていなければなりません。仏教者にしても世間の学者にしても、教師であっても学生であっても、教育の場にいる者にはどの人にもみな等しく給費を与えることができなければなりません。<br />　しかし、わたくし空海は僧侶の身でありますから、それらを充分に手当てすることができず、学園開設にあたっての場の準備をすることぐらいしかできません。国の将来の人材を育てようとのお気持ちがあり、慈善のこころをおもちの方々、わたくしと同じように、わずかな物資、わずかな費用でもかまいませんので、わたくしの願いに協賛してお助けしていただきたく思います。そうして、末ながく、一致協力してブッダの教えであるよりよい社会づくりを展開しましょう。<br />八二八年十二月十五日<br />空海記す<br /><br /><b>あとがき</b><br />　千二百年前、国際的にみれば東洋の果ての新興国であった日本が、すでに文明国であったインドや中国のすぐれた文化とその学問から学ぶことは当然のことであったであろう。それらの学問の総合化を空海が目指し、上手くカリキュラム化しているのには感嘆せざるをえない。当時の大方の人々にとっては、ばらばらのものであったであろう空海の挙げる学問の一つひとつを当訳文にすべて記すことによって、綜藝種智院での総合教育の全容を見ることができる。そこに、知の巨人であった空海の目的がある。しかし、その総合教育の場は空海入定後、程なく閉校に至ったという。実践されたことが夢のようであり、さりながら、人間形成を主軸とし、そこから生まれる知のちからによって社会を築いて行こうとするその普遍的な総合教育のあり方は、今日の人々にとっても永遠の目標である。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>臓器移植問題――③菩薩行の盲点</title>
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    <published>2009-09-02T07:09:06Z</published>
    <updated>2009-10-09T06:29:37Z</updated>

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        <![CDATA[<div>　臓器移植・脳死問題に関する日本人の意識には、肯定派・否定派・中間派など、さまざまな考え方があることは承知である。私は今、医学、政治、法律、経済など、俗世の価値や論理ではなく、「仏の真理」を求めようとしている。ところが、宗教家の間でも賛否両論のみならず、さまざまな意見が存在する。これは仏教者も同様である。</div><div><br /></div><div>　例えば自ら仏教徒をもって任じる梅原猛氏は、脳死は死ではないという立場を示す一方で、臓器移植は「菩薩行」として肯定すべきであるとの見解を夙に表明している。（「脳死・ソクラテスの徒は反対する」（『文藝春秋』12月号、1990年）。</div><div><br /></div><div>　このような考え方は「脳死問題」にも敷衍され、「脳死」を死と認めることに否定的な見解を示した脳死臨調の少数意見にもみられた。臓器提供はキリスト教の「愛の行為」にあたり、仏教の「菩薩行」とも矛盾しないであろうとの論述が見られるほどであった。</div><div><br /></div><div>　ここでいう菩薩行とは、大乗仏教の「布施行」（布施波羅蜜）を指す。賛成派の仏教者はおおむねこの「菩薩行」に論拠を置いているといってもさしつかえなかろう。しかし菩薩行にこだわるあまりに、何か大切な点を見落としてはいないか、というのが今回のテーマである。</div><div><br /></div><div>　まず、仏教学者の間で賛成派に見られる見解に「執着心」が挙げられている。臓器提供に反対するのは、死後も自己の肉体に「執着」しているからで、仏の教えの基本は執着を離れることである、というわけだ。菩薩は執着心を離れている、したがって仏教者は積極的に臓器を差し出すことが菩薩行にかなうとする。だが、執着を離れることを仏の教えというのなら、他人の臓器を移植してでも生き延びたいという患者の執着心はどうなるのか、仏教では執着心をこそ苦の因とする。それで本当に患者は救われるか。慎重派は当然そのように考える。</div><div><br /></div><div>　あるいは、阿頼耶識の点から脳死を認める仏教学者もいるが、（阿頼耶識がもはや消失しているという脳死肯定論）この唯識論の立場は、人間を、「脳」を中心とした人格統合体と見る脳死臨調多数派の考えを、仏教理論が補強することになる。もし唯識理論を本気でそのように援用するのであれば、そういう学者は究極の差別主義者であることは、②の「知識階層の傲慢」で述べたとおりである。</div><div><br /></div><div>　脳だけに生命の証である阿頼耶識を見るのであるなら、脳死後、心臓は脈々と血液を体内に送り、細胞は活動し、お産もし、髪の毛も身長も伸びていく生命の姿は、一体どのように説明するのか。これらは生命の証ではないのか。脳の意識活動は停止しても、一つ一つの細胞は懸命に「生きようとしている」。これこそが「命の阿頼耶識」ではないか。</div><div><br /></div><div>　空海はインドの五大説（または四大説）に対して六大説をもって答える。六大とは世界を構成する地・水・火・風・空の物質的な五大原理に、生命的・精神的原理である「識大」を加えたものである。空海は『即身成仏義』において、顕教（仏教）では五大を「識」をもたぬ存在（非情）と見るが、密教では六大すべてを宇宙的な生命（法界体性）とみなすと説いている。くだいていえば、世界を構成する五大要素にも生命的象徴があるということだ。（空海が先見したこの宇宙の原理は、現代では量子力学の世界で最大のテーマになっている。）</div><div><br /></div><div>　自然界の物質においてさえそうである。まして目下の話は人間の肉体の生死についてである。脳死をもって、まだ温かい人間全体を死と決定することは実に乱暴きわまりない。弘法大師を祖師と仰ぐ真言宗徒としては、「識大」の見地からも到底受け入れられるものではなかろう。</div><div><br /></div><div>　余談に走ったが、ともかく菩薩行（布施行）をもって賛否を論じることは、菩薩行に自らが足をとられた観念論のように思えてならない。仏教学者の神学的論争に加わるつもりはないが、一応菩薩行を掲げる学者の論拠とする経典を検討してみる。</div><div><br /></div><div>　まず『法華経』の捨身説話である。薬王菩薩は薬をもって人々の心身両面を治癒する菩薩であるが、『法華経』薬王菩薩本事品第二十三では、一切衆生憙見菩薩の生まれ変わりとされ、法華経の教えを受けた後に、わが身を燃やして仏の供養をする姿が描かれている。つまり身を投げ出して供養することが最上の布施行為だとして、本経受持の功徳を説いている。</div><div><br /></div><div>　つぎに『金光明経』捨身品第十七では、飢えて死を間近にした虎を目の前にして、裸になってわが身を横たえ、噛み付く力のない虎の為に尖った竹で自らの身を傷つけ、崖から身を投げて、虎に自分の身体を施す様子が描かれている。法隆寺の玉虫厨子にも描かれている捨身飼虎の図である。これは菩薩時代の釈尊の「前世物語」として後世考えられたものである。</div><div><br /></div><div>　これらをそのまま「布施行」の思想に援用するのは、どこか経典に呪縛された窮屈な理屈のように思える。思うに、このような説話は「布施行」というものの究極的な姿を象徴的に説くものであって、問題はそこから何を学ぶかであって、仏道に帰依する者に同じ行動を要請するものではなかろう。第一捨身飼虎は歴史上の釈迦の行為ではない。お釈迦さまは八十歳の天寿を全うされた。捨身の菩薩行を仏道の究極とするなら、衆生が兜率天に生まれ変わりたければ、六波羅密や三劫成仏を説かずとも、人間はみな飢えた狼を哀れみ、この身を餌食にすればさっさと成仏することになる。</div><div><br /></div><div>　中世の立川真言流が『理趣経』をして男女交合を説く経典だと誤解したのはこの類である。オウム真理教の松本智津夫という俗物が「積極的に死をもたらし、より高位の世界へ意識を移し替え転生させる」という「ポア」なる教義の下に殺戮を正当化したのも、この経典の読み間違いであった。</div><div><br /></div><div>　経典には仏の世界の物語が多く描かれている。それは喩え話であったり、詩であったり、いずれも人間の次元を超えて説くものが多い。極端な場合にはまったく矛盾する内容になることもある。これらは釈尊が相手の理解力や性格に合わせて最も相応しい説き方をされたということと（対機説法）、弟子たちの解釈の仕方によって微妙に異なって伝承されたということがある。それらを見極めぬままに、経典の言葉をそっくり人間社会の実践倫理に移すと大きな間違いにつながるのではないか。。</div><div><br /></div><div>　しかしながらオウムの麻原彰晃を笑ってばかりもいられない。良識ある仏教学者も、ときに「真面目に考え、真面目に間違える」ときがあるからだ。脳死や臓器移植を菩薩行とする「神学論」（仏教論争）がまさにそれである。</div><div><br /></div><div>　大乗仏教には、菩薩が実践修行しなければならない六種の行（六波羅蜜）があるが、捨身は他者を救うためにわが身を施す最高の布施波羅蜜と説かれている。しかしそれはものの順序が逆であろう。捨身は仏の供養が目的であって、仏に帰依するにはそのくらいの覚悟が必要だと言っているにすぎないのはないか。これが捨身行の本質であって、やたらに不惜身命を奨め、臓器を与えよと言っている訳ではない。</div><div><br /></div><div>　実は空海も七歳のときに捨身の行を試みたという伝承が残っている。場所は空海の実家(讃岐の善通寺)から遠くない我拝師山の「捨身ヶ嶽」である。（精しくは本サイト「空海を歩く」＜四国八十八ヶ所遍路「空と海と風と」＞第三十一回・出釈迦寺）さて、問題はこのとき七歳の真魚（空海）は、「我、仏道に入りて一切の衆生を救わんと欲す。我が願いかなうものならば、釈迦よ現われて我に霊験を、さもなくば賭したこの身を諸仏に捧げん」と唱えて断崖から飛び降りたという内容である。注目すべきは「わが身を衆生に捧げる」とは言わず、「諸仏に捧げる」と言っている点である。つまりわずか七歳の子どもでも捨身行の意味（仏の供養）をちゃんとわきまえていたということである。</div><div><br /></div><div>　菩薩行の引き合いに出される『大智度論』の「布施論」も、あくまで「菩薩の布施」が主論であると私は読んだ。菩薩は智慧に目覚めた方で、言い替えれば「無明」を「明」に転換された仏である。無明の衆生の布施とは根本的に異なることを、本論では次のように述べている</div><div><br /></div><div>　「檀波羅蜜（布施波羅蜜）の如きは、般若波羅蜜（完成された智慧）を得なければ世界（世間）の有尽（有限）の法（今場合は事物）に埋没してしまう。」（原文＝如檀波羅密　不得般若波羅蜜　没在世界有盡法中・『大智度論』巻八上）とある。</div><div><br /></div><div>　つまり智慧なき凡人の布施は、世間の事物（打算・政治・思想）にからめとられてしまうことが多いと考えればよい。故に真の布施とは「般若の空」にもとづく無我の境地であると説くのはその為である。</div><div><br /></div><div>　ここから布施の条件としての「三輪清浄」という考え方が示される。「三輪清浄」というのは「三輪體空」、「三事皆空」ともいわれ、布施をする人、布施を受ける人、布施される物、この三者がいずれも煩悩を離れ清浄（空）でなくてはならないという意味である。これを臓器移植に当てはめるならば、ドナーとレシピエントと臓器の三者が清浄でなければならないということである。でなければ臓器移植を菩薩行とはいえない。だがそのようなことは現実的にありえない。</div><div><br /></div><div>　ある経済学者は、腎臓移植を推進するために、臓器供者という行為を賞賛するような社会的コンセプト作りが先決であるという。その論拠を『大日経』の菩提心（三句の法門）に見出している。具体的にはドナーの「評判欲」と「奉仕欲」を引き出し、それによって臓器提供の国民的モチベーションを高めるべきであるという、まるで日本移植学会の論文かと見まがうものを最近読んだ。</div><div><br /></div><div>　すると、ドナーは「評判欲」に駆られて臓器を差し出し、レシピエントの方は密かに他人の死を待ち焦がれ臓器を待ちわびる。布施物としての臓器には必ず市場原理が働く。移植手術の恩恵に浴せるかどうかは、金の有る無し（経済格差）で決まる。はたしてこれが「三輪清浄」か？一点の曇りもない「三事皆空」という菩薩行か？『大智度論』にも評判欲や名誉欲の布施は不浄な布施であると否定されている。であれば、先の学者の依拠する菩提心（三句の法門の方便究竟）も恣意的な付会と疑わざるを得ない。何やら政治的目的のために密教学が利用された感がある。しかし仏教学的立場からこういう神学論争を大真面目に繰り返す学者は結構いるようだ。</div><div><br /></div><div>　先の経済学者は密教学修士でもあり、その上で、臓器提供の運動の先頭に立つべきは、全国の真言僧侶６６，１００人の指導のもとで、信者数１，２７０万人が死体腎提供の運動を展開すべしと結論付けている。（註：献腎行為は死体腎移植であろうと脳死腎移植であろうと臓器移植にはかわらない。）だが菩薩行そのものは決して易行ではない。であれば、在家にまで理論化するのは、私には菩薩行の逸脱に思える。</div><div><br /></div><div>　私は僧侶でも学者でもなく一在家の感覚でしか言えないが、そもそも菩薩行とは「菩薩の行」であって、一般人は出家者でも菩薩でもない。凡人は菩薩の前で煩悩と罪多きわが身を懺悔恥することしかできないのではないか。そのつつましい心から発した無心の献身的な行為が、ときとして菩薩を思わせるような崇高な行為を成すときがある。もともと臓器移植にしても、臓器を提供する人の善意や、受ける側の感謝が息づいていたはずである。そのような人間的な行為が、法的根拠と大義名分を与えることによって、やがて無感情な科学的データ処理と、需要と供給の経済的システムにすり換えられる可能性がないかと問うているのである。評判欲や、愛の贈り物という美名のもとに（ドナー・カードの普及）菩薩行を引き寄せて論議することはおおいに問題があり、場合によっては危険ですらある。</div><div><br /></div><div>　その理由をもう一点だけあげておく。臓器移植の問題は、そこに臓器を渇望して嘆き苦しむ人がいればとにかく救済することだけが先行してはいないかということだ。仏教者はそれが仏の慈悲だと思い込んではいないか。先の経済学者も、大乗仏教の核心は「菩提心」であり、それは「慈悲心」であり、当然「利他」が強調されると述べている。であれば、人間の渇望するものは何であれ、利他することが菩薩行になる。</div><div><br /></div><div>　クスリの切れた薬物患者には抜苦与楽の新たな麻薬を、人を殺してみたいと切望する異常者には殺人のチャンスを、日本にテポドンをブチ込むまでは死んでも死に切れぬと懇願する北の将軍様には、その道を開いてやればよろしい。我に何の打算も無く、無我の境地で、ひたすら利他に徹してキム・ジョンイルの願いに寄り添うのであれば完璧な菩薩の慈悲ではないか。</div><div><br /></div><div>　冗談を言っているのではない。これがブラックユーモアに聞こえる人は、おそらく菩薩というものが解っていない人である。菩薩の功徳をナメてはいけない。菩薩とは本質的に願い事は何でも聞き入れてくれるのである。親鸞の「六角堂」での体験はそれを物語るものである。比叡山を下りて百日参籠に励む若き親鸞の煩悩（性欲）の火を消すために、「われ玉女の身となりて犯せられん」と、親鸞の願いをかなえて、その身を開いてくれたのは観音菩薩であった。菩薩にはそれほどの功徳があることを知るべきである。それは麻薬患者であろうが殺人願望者であろうが将軍様だろうが基本的に同じ原理がはたらくのである。</div><div><br /></div><div>　こういうと、菩薩は悪人の味方をするのか、という反論がきそうだが、場合によっては悪人の味方さえするのが菩薩だと心得ていたほうがいい。この神仏の功徳のメカニズムを知る一部の邪悪な支配者は、古今東西の歴史上、神の名の下に悪魔を呼び出すことを何度も繰り返してきた。個人の欲望の成就を請け負ってきたのは「サタン」であり、その実績は歴然として無数にある。古代の魔法と呼ばれるものは当時の「科学」のことである。本来この世の理法について探求していた神秘学（科学）が、一旦エゴの支配下に陥った瞬間、人々は神（菩薩）の力を悪用して「サタン」を呼び出すのである。そして悲しいことに人々は悪魔を神と崇めてしまうことがある。</div><div><br /></div><div>　「サタン」が人間の心を操るときに最も巧妙に使う手段が「欲望＝利己心」である。例えば評判欲、名誉欲、奉仕欲などもそうである。簡単に言えば、何ごとも「やる気を出させる」ために、潜在的な利己心を利用するのである。巷で流行している成功哲学や能力開発セミナーなども、潜在意識（欲望）を活用して「やる気」を引き出し、目標を実現する。そうであるかぎり、殺人願望者にも将軍様にも、自己実現（邪な欲望実現）の神秘力の「原理」ははたらくのである。</div><div><br /></div><div>　古代の魔法（科学）は中世の「黒い魔術」といわているが、魔法使いの「願いごと」を実現させるためには、他でもない「祈り」がその絶大な力を発揮するのである。この限りにおいては「神」も「サタン」も同じである。ただ、個人の欲望をかなえるのは万能の「神」ではない。「サタン」である。しかし魔法使いが祈っている相手は「サタン」ではなく「神」であることに注意すべきである。</div><div><br /></div><div>　ちょっと魔法使いの祈りの言葉を一部紹介すると「・・・ああ、『最高の神聖』を有する神よ、私の意思ではなくおんみの意思が、おんみ唯ひとりの息子でありわれわれの主人であるイエス・キリストの助けにより遂行されますように。アーメン」（原典は大英博物館に保存されている『魔法科学大全』にある。スティーブン・ハッサンの『マインドコントロールの恐怖』には引用されている）</div><div><br /></div><div>　ここで注意したいことは、魔法使いはイエス・キリストに祈っていることである。しかしその願いをかなえるのは、実はサタンであるということだ。古代より神に祈って悪魔を呼び出すという構図は、少し宗教史を検証すれば誰にでもわかることだ。サタンが現世利益を請け負うのは、人間の個我の欲望を満たしてやることによって、地上の人間を支配できることを誰よりも知っているからである。歴史上の支配者の中には、神の名の下にこのメカニズムを悪用して人類を何度も滅亡の淵においやっている。古代から近現代に至るまで、人類の戦争が全て神の正義の下に行われた事実が何よりの証拠である。</div><div><br /></div><div>　釈迦もイエスも修行中にこのサタンの誘惑を試されたが見事に退けた。しかし凡人の多くはそうはいかない。神と悪魔との区別もつきかねる。神は個人的な欲望を満たしてくれるようなエゴイスチックな存在ではない。個我の欲望を超えた、何ものにも囚われることのない「自由の天地」を示すものである。仏教でいえば、縁起の支配を超えた仏の境地（涅槃）に導くものである。（このあたりの事情は『般若心経の真義』重松昭春著・朱鷺書房に精しい）</div><div><br /></div><div>　菩薩に願を掛ければ、殺人願望者でも将軍様でも、基本的に平等の功徳を発揮するとは以上の意味である。しかし、サタンは現世での欲望はかなえてくれるが、その変わりに人間の魂を奪う。これが悪魔との取引である。（ゲーテの『ファウスト』にはメフィストフェレスという悪魔が登場してファウストとこの問題でやり合う場面がある）多くの人は無意識にサタンと取引をしていることに気がつかない。サタンは決しておどろおどろしい姿をして出てくるものではなく、愛とか幸福とか、真、善、美とか、奉仕と感謝とかいうスローガンを掲げて、実に見目麗しい姿で現われる。そして、人々の目をくらまして、「欲望という心のはたらき」に中にそっと忍び込むのである。そして、人は俗世の願望を満たせば満たすほど老死を恐れる。無限の欲望地獄に陥るのだ。サタンに魂を売った人間に、永遠に「やすらぎ」はこない。</div><div><br /></div><div>　ここで気がついた人もいようが、悪人の願いをかなえるのは、本当は菩薩ではなく、菩薩の姿に身をやつしたサタンだということである。私が言いたいのは、菩薩の功徳を正しく引き出すのも、邪悪なものにするのも、ひとえに人間の意識にかかっているということである。問題は、今、自分は何をしているのかを見つめることである。もしかすると、自分もどこかで悪魔崇拝をしてはいないか、菩薩行の前に「それが正しいかどうか」を熟慮することである。それを見定めるのが「智慧」である。</div><div><br /></div><div>　先の経済学者はあくまでも臓器提供を「慈悲心による利他行」とするために次のようにいう。</div><div><br /></div><div style="text-align: left;"><span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold;">　　大乗仏教の核心は「菩提心」である。端的には菩提心とは</span></div><div style="text-align: left;"><span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold;">　　「智慧に基づいた慈悲」を表し、当然のことながら、「利他」が強調される。</span></div><div><br /></div><div>　そうである。だから「智慧に基づかない慈悲」を「菩提心」とはいわないのである。当然のことながら「利他」ともいわない。</div><div><br /></div><div>　釈尊は、実はそのことを私たちに迫っているのである。外なる神（サタン）に従うな、自己を灯明とし、法を灯明とせよという遺言はそういう教えである。私たちがサタンに魂を吸い取られていなければ、必ず「無明」の自分に恐れおののく瞬間がくる。そのときこそが目覚めのチャンスである。</div><div><br /></div><div>　そもそも釈尊の説かれた基本は菩薩行ではない。釈尊はひたすら「法」（この世の理法）を説かれたのである。一般に「縁起の理法」といわれるものである。釈尊は実存（自己）の正体を見つめ続けられた。そして人間の生存にまつわる「苦」を引き起こすメカニズムが「無明」に始まることを悟り、「苦」からの解脱の道を示されたのである。飽くなき欲望の達成は無間地獄（悪魔の奴隷）に陥ることを誰よりも知悉されていた。</div><div><br /></div><div>　ただ釈尊の言動は、あらゆる命を差別せず、哀れみと慈しみに満ちておられたので、弟子たちは仏陀の説く理法の中に慈悲心（存在の相依性）を見出したのである。そして仏陀を理想像とし、その生き方に学ぼうとする中で菩薩を生み出し、菩薩行を自分に課したのである。故に菩薩行は釈尊の主たる説法ではない。手段と目的がひっくり返ってはいないか。もし釈尊が生きておられれば、脳死や臓器移植と菩薩行をめぐる大騒動を見て、きっと「無明」に始まる「苦の連環」（十二因縁）とは、「まさにここにあり」と説かれるであろう。</div><div><br /></div><div>　人生の不平等は生まれてきた人間の数ほどある。しかし、相対的にどんなに恵まれている人でも、どんなに悲惨な境遇の人でも、生老病死は平等にやってくる。もう一つの平等は仏の慈悲である。しかしこれは「無明」を脱した人間だけが得ることのできる永遠の「安心」である。仏との対話とサタンとの取引との、この微妙な違いはひとえに人の心にある。少なくとも、菩薩の前で自省の心をもつ人の心には、サタンは近寄りがたい。</div><div><br /></div><div>　私は密教のなすべき菩薩行とは、寿命の長短に関わらず、自分の命はすでに仏の手の中で救われているという「安心（あんじん）」に目覚めさせることではないかと思う。如来の偉大な慈悲心（いのちの根源）を表す胎蔵界マンダラ（大悲胎蔵生曼荼羅）は、このことを告げていると思われる。</div><div><br /></div><div>　私たちは時々の文明の価値観にマインド・コントロールされて、それが「正しきこと」だと信じがちである。諸行は無常であるのに、その時々の価値観を絶対的な認識（狂信）とするのは心の病でもある。無明という病のままに突っ走るとサタンの餌食になるだけである。空海はそれを次のように言う。</div><div><br /></div><div style="text-align: left;"><span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold;">　　心病多しといえどもその本は唯一つ、いわゆる無明これなり。</span></div><div style="text-align: left;"><span class="Apple-style-span" style="font-weight: bold;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　『秘密曼荼羅十住心論』</span></div><div><br /></div><div>　釈尊の教え（八正道）にしたがうなら、脳死・臓器移植が本当に正しいことであるかどうか、まずはじっくりと考えることではないだろうか。仏教徒の私たちは、正見し、正思し、正業をなそうとしているのかと、沈思黙考することではないだろうか。それが「智慧」のはじまりではないだろうか。（了）</div> ]]>
        
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