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- 717
- 泰澄、加賀に自生山岩屋寺を開く(現那谷寺)
- 717
- 泰澄、白山神の夢告により白山に登拝
- 718
- 養老律令制定
- 718
- 行基の活動への弾圧がはじまる
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行基菩薩像 |
- 718
- 道慈、帰国し『金光明最勝王経』伝来(虚空蔵求聞持法を伝える)
- 718
- 沙門逸海、武蔵岩殿に正法庵を結び修行(現正法寺、岩殿観音)
- 719
- 藤原武智麻呂、栄山寺(梅室院)建立(八角円堂現存)
- 720
- 舎人親王『日本書紀』を奏上
- 720
- 道智上人、城崎の温泉寺を創建すると伝える
- 722
- 泰澄、元明天皇のために正法寺(岩間寺)の千手観音を祈祷
- 723
- 光明皇后、施薬院・悲田院を設ける
- 723
- 沙弥満誓、、筑紫観世音寺を創建
- 724
- 徳道上人、仏師稽首勲・稽文会に十一面観音像を彫らせる(長谷寺となる)
- 724
- 行基、竹生島宝厳寺を開創
- 728
- 伊予国司越智氏、石手寺を創建するという
- 728
- 『金光明最勝王経』(640巻)を諸国に頒ける
- 729
- 長屋王の変おこる
- 729
- 宮中、諸国の大寺に『仁王経』を講じる(仁王会の開始)
- 729
- 異端幻術による厭魅呪詛、山林仏教を禁じる
- 729
- 道慈、平城京に長安西明寺を模して大安寺を遷造(同年9月、大般若会を創始)
- 730
- このころ、行基、獅子窟寺に薬師如来を造像し堂塔を建造するという
- 732
- このころから、優婆塞の修行に『仏頂尊勝陀羅尼』の誦唱
- 733
- 良弁、金鍾寺(東大寺)の住持となり不空羂索観音をまつる
- 734
- 良弁、十一面観音を祀り、観音寺を創設(現海住山寺)
- 736
- 唐僧道璿、インド僧菩提遷那、ヴェトナム僧仏哲ら来日(華厳の典籍をもたらす)
- 737
- 善仲・善算、大般若経600巻書写のため箕面に草庵を結ぶ(勝尾寺へ)
- 738
- 玄昉帰国、経論五千巻、『大日経』を招来(僧正となり内道場に入る)
- 738
- 玄昉、大和の清水寺を創建(報恩上人、弟子となる)
- 739
- 聖武天皇、玄昉の病気平癒に『仏頂尊勝陀羅尼』を書写
- 740
- 聖武天皇、河内の知識寺を訪れ盧舎那仏を拝す
- 740
- 法蔵の弟子・新羅僧審祥、金鍾寺(東大寺)に初めて『華厳経』を講義
- 741
- 玄昉、『千手千眼陀羅尼経』書写
- 742
- 最澄の師、大安寺の行表、近江崇福寺に住し、千手観音を造像
- 743
- 聖武天皇、盧舎那仏造立の詔を発す(信楽宮に寺地を開く)
- 743
- 行基を大僧正とし、盧舎那仏造立に参加させる
- 745
- 盧舎那仏造立地を金光明寺(金鐘寺(東大寺))に移す
- 745
- 玄昉、太宰府の観世音寺に流され変死する
- 749
- 宮中に紫微中台を置く
- 749
- 宇佐の八幡大神、託宣して入京
- 752
- 聖武天皇、東大寺の盧舎那仏(大仏)開眼
- 752
- 良弁の弟子実忠、東大寺二月堂に十一面観音を安置し修二会を創始
- 754
- 鑑真、遣唐副使大伴古麻呂・吉備真備の船で来朝
- 755
- 東大寺戒壇院完成(受戒開始)
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東大寺盧舎那仏 |
- 755
- 勝道、下野国出流山の巌窟に参篭(現満願寺奥院)
- 755
- 良弁、相模国雨降山大山寺を開くという
- 756
- 菩提遷那・行基、大和の霊山寺を開く
- 757
- 橘奈良麻呂の乱
- 758
- このころ、大伴家持『万葉集』を編集
- 758
- 大宰府に命じ乱賊の侵入に備える(翌年、新羅征討の議)
- 759
- 大宰府に新羅征討軍の編成(諸国に船500艘の建造を命令)
- 759
- 鑑真、唐招堤寺を建立
- 760
- 玄昉の弟子・報恩、大和子島寺(南清水寺)を開創
- 760
- このころ、善珠書写『薬師本願経』
- 761
- 勝道、日光二荒大谷川を渡り、四本龍寺を創建
- 761
- 淳仁天皇、近江保良宮に御幸(新羅遠征の兵船・兵士を検定し兵部をつくる)
- 762
- 藤原豊成の娘・中将姫、当麻寺に参詣(法明尼となり、[当麻曼荼羅】を織る)
- 762
- 石山寺の諸堂完成(良弁が如意輪観音を奉じて開基)
- 764
- 恵美押勝の乱、道鏡が大臣禅師となる
- 764
- 淳仁天皇を淡路に流し、孝謙上皇復位(称徳天皇)
- 765
- このころ、法均尼(和気清麿の姉)、流亡した児童を養育(仏教保育の祖)
- 766
- 吉傭由利書写『大毘盧遮那成仏神変加持経』(『大日経』)
- 766
- 和気道隆、桑樹の薬師如来を本尊に道隆寺を創建するという
- 767
- 称徳天皇勅願の『華厳経』などの大蔵経成る
- 769
- 法主道鏡に百官拝賀(和気清麿、日嗣は皇緒という宇佐八幡託宣を伝え配流)
- 770
- 十大寺に百万塔陀羅尼を納入(現存する世界最古の印刷物)
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百万塔 |
- 770
- 道鏡を下野薬師寺に移し、和気清麿を召還
- 770
- 大伴孔子古、千手観音菩薩を造立(粉河寺となる)
- 770
- 光仁天皇即位、僧侶の山林修行を許す
- 772
- 皇后井上内親王・皇太子他戸王、巫蠱の罪で廃位(775.4.7、獄死)
- 773
- 山部皇子(後の桓武天皇)、皇太子となる
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- 716
- 善無畏、ナーランダー寺院より長安に来たり、大日経系密教を伝える(玄宗皇帝、国師に迎える)
- 717
- 善無畏、西明寺に『虚空蔵求聞持法』を訳出
- 717
- 阿倍仲麿、吉備真備、玄昉入唐
- 719
- 慧日、浄土の教えをえて長安に帰還(念仏禅の基礎を築く)
- 720
- 李邕書「李思訓碑」(西安)
- 720
- 金剛智・不空、洛陽広福寺に入り、金剛頂系密教伝える
- 720
- 善無畏・一行、『大毘盧遮那成仏神変加持経』(大日経)『蘇悉地経』を翻訳
- 720
- 一行、金剛智に師事
- 721
- 一行『大衍暦』(52巻)
- 723
- 金剛智『金剛瑜伽中略出念誦経』『七倶胝陀羅尼経』翻訳
- 727
- 恵超、インドより安西大都護府に帰還、『往天竺国伝』を著す
- 728
- 一行、暦天黄道儀を製作
- 733
- 恵超、金剛智より秘密の三摩地法教を授かる
- 734
- 玄宗皇帝『注金剛経』つくる(翌年、全国に配布)
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玄宗皇帝 |
- 738
- 七絶の王昌齢、孟浩然と交遊(空海、『王昌齢詩格』を請来)
- 740
- このころ、画家呉道元活躍
- 742
- 慧日の弟子・承遠、衡山に精舎阿弥陀台を建立し念仏三昧を修す
- 743
- 李白、長安に賀智章らと飲中八仙の楽をなす
- 743
- 不空、弟子の含光・恵弁らとスリランカに向う
- 744
- 東突厥滅び、ウイグルおこる
- 745
- 玄宗書 [石台孝経](隷書)
- 745
- 荷沢神会『顕宗記』(南宗禅の正統性を主張)
- 746
- 不空、長安に帰還(多数のな梵本経典を持ち帰る)
- 746
- 不空、長安浄影寺に戒壇を築く
- 749
- 不空、再び入竺をめざすが果たさず、韶州に訳経を続ける
- 751
- 高仙芝、タラス河にサラセン軍と戦い敗北
- 751
- 新羅の金大城、仏国寺創建(釈迦塔に『無垢浄光大陀羅尼経』を納入)
- 752
- 顔真卿「千福寺多宝塔碑」
- 753
- 不空『金剛頂経』(3巻)訳出
- 754
- 安史の乱おこる(~763)
- 755
- 恵果、九才で不空の弟子となる
- 756
- 平原太守・顔真卿、檄文を発して義軍を挙げる
- 756
- 安禄山、大燕皇帝を称し洛陽に都す
- 756
- 不空、諸国行脚して長安大興善寺に住す(唐朝復興につくす)
- 756
- 唐帝室、蜀に逃れる(玄宗退位し粛宗即位)
- 757
- 安禄山軍崩壊、玄宗・粛宗、長安に帰還
- 757
- 不空の弟子玄皎、粛宗とともに入京(開元寺に薬師道場を置く)
- 757
- 不空、上表して長安・洛陽の回復を祝す
- 758
- 顔真卿「祭姪文稿」
- 758
- 不空の弟子恵暁、西明寺に入り密教を広める
- 759
- 杜甫、官を棄て成都の浣花渓寺に寓居
- 759
- 不空『宿曜経』を訳す
- 759
- 不空、帝室内道場に護摩・灌頂法修す(玄宗、灌頂を受ける)
- 759
- 史思明、幽州に大燕皇帝を称す
- 762
- 安史の乱平定(翌年、玄宗・粛宗没し、代宗即位)
- 764
- 顔真卿書「争坐位帖」
- 765
- 不空『仁王経』を訳出
- 768
- 不空、大興善寺に灌頂道場を建立
- 768
- 恵果、善無畏の弟子・玄超より大日経系密教を受ける
- 769
- 馬祖道一、洪州開元寺に禅風を振るう
- 769
- 不空、『大虚空蔵菩薩所聞経』を訳出
- 770
- 永忠、入唐し西明寺に入る
- 771
- 不空、開元以来の訳経77部101巻の目録作成
- 772
- 李陽冰書[般若台題記]
- 773
- 恵超、不空より重ねて受法
- 773
- 新羅僧悟空、クチャの蓮華寺に『十力経』訳出
- 773
- 顔真卿、湖州刺史となり、陸羽・釈皎然らと交遊
- 773
- 不空、文殊院に『文殊師利功徳荘厳経』の宣布を請う
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- 717
- 金剛智、スリランカからジャワに至る
- 719
- 新羅僧・恵超、金剛智に師事しインドに向う
- 729
- クラシュミンカラー、金剛乗を変革しサハジャ乗を確立
- 745
- 不空、セイロンで龍智より金剛頂経系の密法を受ける
- 750
- マガダ地方にパーラ朝成立(仏教再興)
- 750
- このころ、ビルマに大乗仏教伝来
- 750
- このころ、ジャワにボロブドゥール建設開始(~850)
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ボロブドゥール遺跡 |
- 758
- 般若三蔵、ナーランダー寺院に大乗経論を学ぶ
- 760
- 吐蕃王チソンデツェン、大乗仏教導入を決意
- 760
- このころ、パーラ朝初代ゴーパーラ王、オータンブリー寺創建(タントラ密教の根本道場となる)
- 764
- 新羅僧悟空、仏跡を巡礼してナーランダー寺院に入る
- 771
- インド僧シャーンタラクシタ、チベットにボン教を論破
- 773
- インド僧パドマサンバヴァ、チベットに密教を伝える
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