日本 中国 東アジア
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800
774
佐伯真魚、讃岐国多度郡屏風ヶ浦に生まれる。父佐伯直善通(国造)、母阿古屋(阿刀氏)、三男
空海幼年像
774
勅により、高雄に高山寺創建
775
佐伯今毛人、遣唐大使に任命(776、渡唐に失敗)
776
出羽、陸奥に蝦夷、俘囚の大反乱おこる
776
開成皇子、箕面の善仲・善算に師事し大般若経書写完成(勝尾寺大講堂建立)
778
大和子嶋寺の延鎮、山城音羽滝に行叡を訪ね千手観音を彫る(清水寺へ)
779
渤海使節、唐使節が来朝
780
蝦夷の大反乱おこる
781
光仁天皇の勅により、慶俊僧都、山城愛宕山に将軍地蔵を祀り、五台山に模して五峯五寺(高雄山寺・白雲寺・伝法寺・日輪寺・月輪寺)を配備
781
光仁天皇病んで退位、桓武天皇即位
781
和気清麿、愛宕五寺の高雄山寺を創建する
781
土師古人、菅原姓を賜り、氏寺の土師寺を道明寺とする
782
法相宗の徳一、筑波山に中禅寺を開く(「筑波山縁起」)
782
氷上川継の謀反露見(川継を伊豆、その母不破内親王を淡路に配流)
782
勝道、日光二荒山登頂に成功、山頂に祠を築く
782
桓武天皇を厭魅した咎で、三方王・山上船主・弓削女王を流刑とする
784
勝道、日光中禅寺湖畔に立木千手観音を彫って祀る(中禅寺)
784
藤原種継らを長岡京造営使に任じる
784
長岡京に遷都
785
このころ(延暦年間)、賢憬と修円、竜神の神域に室生寺建造(五重塔現存)
785
最澄、はじめて比叡山に登り、草庵を構える
785
藤原種継、暗殺される(大伴継人ら、逮捕され処断)
785
大伴家の頭領・大伴家持没する
785
藤原種継暗殺への疑いで、皇太子早良親王を淡路に流す
785
山林、寺院に陀羅尼を読み、呪詛することを禁じる
788
坂上田村麿、多賀城から蝦夷征伐に向かう
788
恵運、10歳で出家し、東大寺・薬師寺に華厳・唯識を学ぶ
789
佐伯真魚、阿刀大足に論語・孝経・史伝・文章を学ぶ
790
佐伯今毛人没
790
勝道、下野国の総講師となり、上人号を賜る
791
この年、蝦夷討伐のために諸国に兵士・武器・兵糧の調達命令続発
791
佐伯真魚、奈良の大学寮明経科に入学(味酒浄成・岡田博士に学ぶ)
791
真魚、一沙門から「虚空蔵求聞持法」を受ける(一説に勤操あるいは吉野比蘇寺の僧という)
791
以降の真魚、797年ころまで阿波大滝嶽、土佐室戸岬、石槌山などの山野に修行
792
明経道において、呉音を廃し漢音を習わす
792
皇太子安殿親王(のちの平城天皇)、病臥にふし、早良親王の崇りとされる
793
真魚、和泉国槙尾山寺に、勤操から沙弥戒を受け、大安寺所属の沙弥「教海」となる
793
和気清磨、河内神願寺創建、[薬師如来像]造立(現高雄神護寺)
793
遷都のため、藤原小黒麻呂らに山城葛野を視察させる
794
桓武天皇、葛野に赴き、比叡山に行幸
794
平安京に遷都
平安京(復元模型)
796
東寺・西寺・鞍馬寺建立、都の鎮護となる
797
藤原継縄ら『続日本紀』の1部を撰上
797
教海改め如空こと空海、『聾瞽指帰』を著しさらに『三教指掃』に書き改める
798
如空こと空海、姉(智緑尼)の9歳の子(智泉)の才能を見抜き勤操に預ける
798
呉音を排し漢音を採用(各寺の年分度者に漢音を学ぶ者を採用〉
798
坂上田村麿、東山観音寺の延鎮に帰依し清水寺を建立
799
僧侶が山林に邪法を行うことを禁じ、山林の比丘・優婆塞を奏上させる
800
桓武天皇、早良親王の怨霊に悩み崇道天皇の諡号を贈る
801
越前の漢神祭祀に牛の犠牲を禁じる(神道の仏教化推進)
801
藤原葛野麻呂を第十六次遣唐大使に任命
801
坂上田村麻呂を征夷大将軍とする(蝦夷戦争開始)
802
蝦夷の指導者アテルイ、モレら坂上田村麻呂に降伏(7月、入京し斬首される)
802
富士山大爆発(足柄路閉ざされ、箱根路を開く)
802
和気広世の乞いにより、高雄山寺に最澄「天台講演」
803
第十六次遣唐使船出航するも、暴風雨に引き返す
804
このころ、空海、久米寺の東塔に『大日経』を感得するという
804
実慧(讃岐佐伯氏)、大安寺の泰基に唯識を学び具足戒を受ける
804
蝦夷に動乱、坂上田村麻呂、再び征夷大将軍となる
804
如空改め無空、東大寺戒壇院に具足戒を受け官僧「空海」となる
804
空海、1年おくれの第十六次遣唐使船(遣唐大使藤原葛野麻呂の乗る第1船)に乗船
遣唐使の航路
804
渤海使のために、能登に常院を設営
804
空海、最澄、霊仙、円基、金剛三昧ら、入唐の途につく(肥前田浦より出航、台風に襲われ、遣唐使船は四散)
804
秋田城を廃して秋田郡とする(蝦夷平定)
805
最澄、帰国(翌月、『台州越州将来録』をつくる)
805
最澄、桓武天皇の勅により高雄山に灌頂を行う
805
藤原緒嗣の提言で蝦夷征討・平安京造営を中止
806
天台宗公認(年2人の得度認められる)
806
桓武天皇没、平城天皇即位
774
不空三蔵入寂、大興善寺に不空の塔建立
775
恵果、青龍寺東塔院に毘盧遮那灌頂道場を授かる
776
澄観、五台山に『華厳経疏』を著し華厳の根本道場設立(華厳・密教・天台・禅の僧侶・信徒の巡礼多い)
777
恵暁、五台山金閣寺の尊像の顔色印契を検校
777
懐素書[自叙帖]
779
代宗没、徳宗即位
780
顔真卿書『顔氏家廟碑』『自書告身』
781
徐浩書[不空和尚碑](空海、『徐侍郎宝林詩』を請来)
781
般若三蔵、広州に来る
781
新羅僧・恵日、入唐(恵果より金胎両部・蘇悉地などを受学、新羅密教を興す)
781
大秦寺に「大秦景教流行碑」(ネストリウス派キリスト教)
783
節度使の反乱多く、徳宗、奉天に逃れる
784
楚帝を自称する李希烈、顔真卿を殺す
786
不空の弟子・慧朗、天下の僧尼に仏頂尊勝陀羅尼を読誦させる
788
澄観、大華厳寺に『華厳経疏』を講義
788
般若三蔵『大乗理趣六波羅密多経』翻訳
789
般若三蔵、『六波羅蜜経』の『真言契印法門』を新訳
789
長安醴泉寺に六波羅密経院を建立
789
智通ら『大乗理趣六波羅密経疏』を上進
790
インドを巡礼した新羅僧悟空、長安に帰還(後に空海、悟空伝を伝える)
790
般若三蔵訳『般若心経』『諸仏境界摂真実経』『大乗本生心地観経』
790
柳公権、12才にして辞賦、書の頭角をあらわす
791
澄観、長安崇福寺に『華厳経疏』を講義
793
懐素書 [東陵聖母帖]
795
ウイグル、中央アジアを領し最盛期(ウイグル文字創始)
796
徳宗皇帝、沙門・進士を麟徳殿に集め、儒仏道三教を議論
797
宦官を長安の宮市使とする(宦官の横暴拡大)
798
般若三蔵訳『華厳経普賢行願本』(40巻)
799
新羅僧梵修、澄観『華厳経疏』の後半を故国に伝える
800
牟尼室利三蔵、長安の大興善寺に来る
801
杜祐『通典』
802
牟尼室利三蔵訳『守護国界主陀羅尼経』
802
新羅の伽耶山海印寺創建
804
陸羽『茶経』
804
空海の乗船、福州赤岸鎮に漂着、大使に代って福州観察使に公文書起草
赤岸鎮の海岸
804
最澄の乗る第2船、明州に漂着(最澄、台州の道邃に学ぶ)
804
空海、長安に着き宣陽坊の使院に入る
805
徳宗没、順宗即位(王叔文を首班に政治改革をめざす)
805
空海、西明寺に移り、在唐30年、空海と入れ替りに帰国する大安寺の永忠に迎えられる
805
空海、遣唐大使藤原葛野麻呂に代わり、渤海王子への手紙を書く
805
このころ空海、解書先生に書の骨法を習い、規矩を悟るという
805
遣唐大使藤原葛野麻呂、長安を去る
805
以後空海、醴泉寺に般若三蔵・牟尼室利三蔵から梵語・華厳・密教などを学ぶ
805
空海、西明寺の志明・談勝らと共に青龍寺東塔院に恵果を訪ねる
805
空海、青龍寺の恵果より三昧耶戒・受明灌頂(胎蔵界灌頂)を受ける
805
同じく受明灌頂(金剛界灌頂)を受ける
805
このころ、王羲之の壁書を修復し、五筆和尚と呼ばれるという
805
順宗、宮廷クーデターによって退位、憲宗即位
805
空海、恵果より阿闍梨位を得る伝法灌頂を受け、灌頂名「遍照金剛」を授かる
空海像・恵果像(青龍寺)
805
仏画師丹青・李真らに大曼荼羅を描かせ、写経生を集め諸経典書写
805
伝李真画 [真言五祖像] 制作(ニ祖は後に追加、東寺蔵)
805
王叔文の党に連座し柳宗元・韓愈は左遷、白居易は校書郎解任
805
このころ、宮廷内道場の密教僧、粛清される
805
このころまでに、『大日経』の解釈ノート『大日経疏要文記』
805
空海の師・恵果、青龍寺東塔院に入寂
806
般若三蔵、空海に『大乗理趣六波羅蜜経』を託す
806
白居易、『長恨歌』をつくる
806
空海、諸弟子を代表し恵果和尚追悼文「大唐神都青龍寺故三朝国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑」を撰す
806
遣唐判官高階遠成に「本国の使に与えて共に帰らんと請う啓」を提出し、20年の留学義務を破って帰国を願い出る
806
前試衛尉寺丞・朱千乗、空海に送別の詩を贈る
806
唐国内に仏寺の新造を禁じる
806
空海越州に入り、『與越州節度使請内外経書啓』を書く
806
越州で内外の経書を求める
806
高階達成の船(東シナ海で遭難したはずの第十六次遣唐使船の第四船)で橘逸勢とともに明州を出航
774
このころ、ジャワ、スマトラの大乗仏教さかん
774
般若三蔵、南インドに法称から密教を学ぶ
775
チベット、ラサのサムエ寺院の基礎がつくられる
775
般若三蔵、広州に向かい、スリランカに漂着
775
このころ、ジャワに仏教徒のシャレインドラ朝おこる
779
チベットのサムエ寺にナーランダ寺院から僧を招く
780
このころ、無上瑜伽部の母タントラ経典『ヘーヴァジュラタントラ』(大悲空智金剛大教王儀軌経)形成
785
このころ、ジェニャーニャパーダ、無上瑜伽密教を体系化
787
サムエ寺完成、ベセルナン管長となる
サムエ寺(本堂)
787
チベット、西域・敦煌制圧(西域・雲南などをめぐり唐と戦争続く)
790
般若三蔵、カシミールに使いし、紫衣を賜る
792
チベットに中国系禅宗とインド系密教が争い禅宗禁止(チベット僧は瑜伽・中観を学んだ後、密教を修めると定める)
793
牟尼室利三蔵、ナーランダ寺院を出て唐に向かう
795
サムエ寺にカマラシーラ、摩訶衍(チベットで活躍した中国の禅僧)を論破(チベットでインド仏教が正統となる)
798
吐蕃王ムネツェンポ暗殺、チグシンツェン執政下に仏教弾圧
800
このころ、パーラ朝2代ダルマパーラ王、ヴィクラマシーラ寺院建立(金剛乗の拠点として栄える)
800
このころ、倶生乗(サンジャハ・ヤーナ)おこる
800
このころ、チベットのジュニャーニャミトラ『聖般若波羅蜜多理趣百五十偈注釈』(『理趣経』の注釈)
800
このころ、「ヴィシュヌ・プラーナ」成立(ヒンドゥー教、密教理論導入)
802
吐蕃王チソン・デツェン、実権を掌握し仏教支持者復権
802
カンボジアにジャヤヴァルマン2世即位、アンコール王朝おこる
TOP606~715716~773774~806806~816816~835835~885886~995