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- 886
- 光孝天皇、国家鎮護の寺院・仁和寺創建
- 886
- 開鏡上人、光孝天皇の勅により須磨寺七堂伽藍を整備
- 887
- 源仁、聖宝・益信に伝法阿闍梨灌頂を授ける
- 887
- 真然、高野山に真言堂・多宝塔(西塔)・[大日如来像](塔内現存)完成
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| 現在の高野山多宝塔 |
- 887
- 光孝天皇没、字多天皇即位
- 889
- 真然、寿長に高野山主職を譲る(金剛峯寺座主職確立)
- 888
- 巨勢金岡に弘仁以降の詩人像を御所の屏風に描かせる
- 890
- 字多天皇、仁和寺を完成(天台宗幽仙を別当とする)
- 890
- 包丁人の祖・山陰中納言政朝、長谷観音の御告げで攝津総持寺創建
- 891
- 益信、東寺長者となる
- 892
- 仏師会理、慈尊院の[弥勒菩薩像]を造像
- 893
- 菅原道真、遣唐使を廃止
- 893
- 宇多天皇と皇后、増命・益信に播磨清澄寺の創建させる
- 895
- 聖宝、東寺権法務として後七日御修法を勤修
- 895
- 聖宝、観賢に伝法灌頂を授ける
- 895
- 聖宝、宇多天皇の勅により吉野から大峯山に入る(当山派修験道おこす)
- 895
- 聖宝、風閣寺を創建(修験宗根本道場)
- 895
- 五位以上の親王が畿内から出ることを禁ずる(王孫の関東・西国下向多い)
- 896
- 聖宝、仏師会理を用い東寺食堂の整備開始
- 897
- 字多天皇が遺誡し退位、醍醐天皇即位
- 899
- [伝真言院曼荼羅](東寺蔵)成る
- 899
- 益信、宇多上皇の帰依を受け、落飾の戒師となる
- 900
- このころ、宇多法皇、日本初の観音霊場とされる中山寺を真言宗とする
- 900
- 菅原道真『菅家文章』できる
- 900
- 観賢、仁和寺別当となり、鳴滝の般若寺を創建
- 900
- 宇多法皇、金峯山・高野山に参詣
- 900
- 承俊律師、山科勧修寺を開く
- 901
- 藤原時平・菅原道真編『日本三代実録』
- 901
- 益信、宇多法皇に東寺で伝法灌頂を授ける
- 901
- このころ、聖宝、真然より譲られた多聞天を祀る草庵を緒ぷ(現大円院)
- 901
- このころ、聖宝、役行者ゆかりの君尾山光明寺再建(真言系修験の寺となる)
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| 理源大師・聖宝 |
- 901
- 醍醐天皇・藤原時平、菅原道真を大宰府に左遷
- 903
- 菅原道真、配所に憤死
- 904
- 醍醐天皇、醍醐寺に臨幸し下醍醐釈迦堂建立(907 上醍醐薬師堂、五大堂建立)
- 904
- 宇多法皇、御室に御所をつくり移転
- 905
- 観賢、東寺長者となる(男山八幡宮の検校を兼ねる)
- 905
- 元宇多天皇の侍童(後の寛空)、白雲寺の神日の許で出家
- 905
- 紀貫之・紀友則編『古今和歌集』
- 907
- 字多法皇、熊野詣をする(熊野詣さかんとなる)
- 907
- 観賢、東寺灌頂院に御影供始修(空海への大師諡号授与の運動おこす)
- 908
- 会理、東寺食堂の[千手観音像][四天王像]を完成
- 908
- 宇多法皇、大覚寺にて寛空に両部灌頂を授ける(この後、寛空、観賢の弟子となる)
- 909
- 聖宝、醍醐寺に醍醐天皇の皇子誕生の護摩供を修す
- 909
- 醍醐天皇、醍醐寺の堂塔を整備させ田園を賜う([薬師三尊]造立)
- 910
- 命蓮、信貴山に毘沙門天を祀る(朝護孫子寺の開創)
- 910
- このころ、最古の五十音図『孔雀経音義』(醍醐寺蔵)
- 913
- 醍醐寺[釈迦三尊像]成る
- 914
- 三善清行「意見封事十二条」
- 915
- 宇多法皇、高野山の[三十帖策子]を東寺にもどす院宣を発する
- 916
- 高野山座主無空、[三十帖策子]を持って山城・伊賀に隠れる
- 917
- 無空一門の下山に高野山荒廃(初度の中絶)
- 918
- 醍醐天皇、[三十帖策子]の散逸を惜しみ、観賢に収集させる
- 919
- 観賢、醍醐寺座主・高野山検校を兼任
- 919
- 観賢、[三十帖策子]を集め奏覧し東寺に戻す(宝相華迦陵頻伽蒔絵壗冊箱に納める)
- 920
- このころ三跡(小野道風・藤原佐理・藤原行成)活躍
- 921
- 観賢の運動により、空海に弘法大師の諡号が下される
- 921
- 観賢、弟子の観空・淳祐とともに高野山の廟窟を開き更衣(入定留身信仰広まる)
- 923
- 菅原道真の罪を取り消し本官に複す
- 925
- 般若寺にて、淳祐、観賢から伝法灌頂を受ける(淳祐、石山寺に隠棲)
- 926
- 寛朝、宇多法皇の門に入り、出家する
- 926
- 醍醐天皇、救世の博織・梵唄を愛し、空海の真蹟と五鈷杵を授ける
- 927
- 興福寺の寛建、五台山巡礼に出航(菅原道真・紀長谷男の詩集、小野道風の書を持参)
- 927
- 東大寺講堂復旧(仏師会哩、[千手観音][虚空蔵菩薩][地蔵菩薩]を造像)
- 930
- 藤原兼平、妻の信仰する十一面観音を祀る尾張笠覆寺を造営
- 930
- 醍醐天皇譲位、朱雀天皇即位
- 930
- 宮中に落雷(藤原清貫・平希世ら没する)
- 930
- 信貴山の命蓮、召されて宮中に天皇を加持する
- 930
- 醍醐上皇没する(菅原道真の怨霊説流れる)
- 931
- 源順『倭名類聚抄』
- 935
- 紀貫之『土佐日記』(かな文化発生)
- 935
- 平将門の乱はじまる(~940)
- 937
- 岩船寺の[丈六阿弥陀如来坐像]連立
- 937
- このころ空也上人、京洛を念仏して行脚し信徒を集める
 |
| 空也上人立像(六波羅蜜寺) |
- 939
- 平将門、上野国府に新皇を称する
- 939
- 藤原純友の海軍、備前介藤原子高を虜にする
- 940
- 寛静、平将門鎮定のため、羅生門に兜跋毘沙門天を安置し密法を修す
- 940
- 寛朝、成田山新勝寺を開く(空海敬刻の不動明王を奉持し上総尾垂ヶ浜に上陸)
- 941
- 藤原純友、殺され西海の海賊平定
- 941
- 道賢、金峯山に鎮護国家を祈念(蔵王権現から年月王護の札を授かるという)
- 944
- 寛空・救世、神護寺に伝法灌頂を受ける
- 945
- 菅原道真の怨霊を祀る北野天満宮を創建
- 947
- このころ、多田満仲、中山寺を源氏の祈祷所として造営
- 947
- 明達律師、鑑真・空海ゆかりの屋島寺に四天王像連立(山岳仏教の霊場となる)
- 948
- 仁和寺に寛朝、寛空から両部灌頂を受ける
- 949
- 元杲、石山寺の淳祐から伝法灌頂を受け醍醐寺延命院に住す
- 949
- 朱雀上皇、醍醐寺に法華三昧堂を建てる
- 950
- このころ、『竹取物語』『伊勢物語』成立
- 950
- 寛空、金剛峯寺座主、東寺長者となる
- 951
- 仁海、7歳にして高野山に登り雅真検校の許で受戒
- 951
- 村上天皇、醍醐天皇を追福して醍醐寺五重塔を建造
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醍醐寺五重塔
(創建当時のまま現存) |
- 952
- 慶滋保胤、二十五三昧会を組織
- 956
- 日延、唐土より帰国、呉越王の宝塔を招来
- 960
- 寛空、京都の北山に蓮台寺創建し、五智如来を安置
- 963
- 空也上人、十一面観音を本尊に西光寺創建(弟子の中信、六波羅蜜寺とする)
- 963
- 仁海『金剛峯寺修行緑起』(空海の入滅を「入定」と記す)
- 963
- 天台僧増賀、多武峰に登り、道場を築く
- 964
- 大旱魃に元杲、神泉苑で祈雨法を行い験力を現す
- 965
- 元杲、寛空から具支灌頂を受け、聖宝・寛朝両流の法匠となる
- 968
- このころ、『宇津保物語』『落窪物語』できる
- 970
- 初めて、祇園御霊会を行う
- 971
- 救世、高野山座主に補任(南山声明を興す、舞に優れ救世舞という)
- 976
- 京都を大地震が襲い、京都の大寺の多くが倒壊
- 977
- このころ、寛朝、東密声明中興(修学段階を設け、『理趣経』『大阿闍梨声明』などに点譜)
- 978
- 良源、延暦寺根本中堂を完成
- 978
- 藤原兼家、東三条殿を建造(寝殿造)
- 981
- 寛朝、宮中に五壇法を修し不動明王があらわれるという
- 983
- 真興僧都、壷坂寺に事相を教導し壺坂流の本山となる
- 985
- 源信『往生要集』
- 985
- 円融太上皇、寛朝を戒師に出家し、覚如と号す
- 987
- 奝然、帰国(大蔵経5000巻、伝国の釈迦像を持ち帰る)
- 989
- 寛朝、花園天皇の勅により広沢池畔に遍照寺建立(広沢流)
- 990
- 仁海、元杲より伝法灌頂を受け醍醐寺座主となる
- 990
- 藤原定子、中宮となる(女御文化興隆)
- 990
- このころ、安倍清明活躍(陰陽道〉
- 990
- 花山法皇の勅願により、益子寺創建(後の西明寺)
- 990
- このころから、高野聖の活動さかんになる
- 991
- 円仁と円珍の門弟が争そう
- 991
- 仁海、小野に随心院(曼荼羅寺)を創建(小野流)
- 993
- このころ、清小納言、中宮のもとに出仕
- 994
- 金剛峯寺の大塔・講堂、雷火で焼失
- 995
- 藤原道長、内覧となり、内覧左大臣として20年間最高権力の座に
- 995
- 高野山奥院の御廟が完成する
|
- 888
- 新羅の国政を侫臣・辟幸事が握る(以降、新羅に反乱続出)
- 890
- このころ、羅漢画の貫休(禅月大師)・山水画の荊浩活躍
 |
| 羅漢図 貫休画 |
- 891
- 王権、南詔を蜀から撃退(五代十国の前蜀国へ)
- 892
- ヘーヴァジュラ・タントラ経典『大悲空智金剛大教王儀軌経』漢訳
- 895
- 唐王朝、分裂(董昌、帝を称し自立、李克用、晋王となる)
- 895
- 新羅の王建、鉄圓太守となる(高麗建国へ)
- 897
- 敦煌に仏画[熾盛光仏五星図](大英博物館蔵)
- 898
- 新羅に弓裔、松岳に都をおき自立(904、摩震国となる)
- 900
- 甄萱、後百済を建国(後三国の乱激化)
- 907
- 李克用、唐朝を亡ぼし後梁建国(五代十国の争乱時代に入る)
- 915
- 耶律阿保機、契丹を建国
- 918
- 王建(太祖)、高麗を建国
- 923
- 後梁滅び、後唐建国
- 925
- このころ、禅宗の雲門文堰・法眼文益活躍
- 930
- 契丹、満州・モンゴル高原を統一
 |
| 契丹の遊牧民を描いた「卓歇図」 |
- 930
- 呉越国の磁器産業おこる(平安貴族、秘色青磁と尊ぶ)
- 935
- 高麗の太祖(王建)、朝鮮半島を統一
- 936
- 契丹、石敬塘の後晋建国を助け、燕雲十二州を獲得
- 940
- このころ、蜀に彩色画家、王筌・徐熙活躍(宋代院体画に発展)
- 946
- 契丹、後晋の都開封を陥し国号を遼とする
- 950
- このころ、華南に董昌・巨然活躍(水墨画さかんになる)
- 955
- 後周の武宗、勅願のない寺院を破却(武宗の仏教弾圧)
- 955
- 呉越王銭弘俶、八万四千宝塔を鋳造
- 960
- 趙匡胤、宋朝を建てる
- 980
- 呉越王銭弘俶、高麗に仏教典籍を求める(天台教学復興)
- 970
- このころ、禅の法眼宗さかん、天台宗・南山律宗復興
- 979
- 宋の太祖、中国を統一
- 980
- 西域僧天息災・施護、宋の太祖に謁見
- 983
- 『宋版大蔵経』完成
- 983
- 東大寺の奝然入宋(宋太宗より法済国師号、紫衣を賜る)
- 986
- 施護・天息災、以降36年、訳経院に仏教経典翻訳(不空駅『金剛頂経』を補う『仏説切如来真実摂大乗現証三昧大教王経』など訳出)
- 993
- 『太平御覧』成る
- 993
- 契丹、高麗を攻撃(高麗、契丹に服属)
|
- 897
- このころ、カンボジア王ヤショーヴァルマン、アンコール・トムに遷都
- 897
- このころ、ジャワのロロ・クランジョ寺院建立
- 910
- このころ、ジャワのマラタム王朝、ジャワ密教を国教化
- 975
- チャンパ(南ヴェトナム)に大乗仏教のプラコー寺院建立
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| アンコール・トム南大門 |
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