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今なぜ空海なのか 内海 清美

内海氏近影  現在、私たちを取りまく社会現象を見わたしてみますと、ことの多くがある一つの方向、一つの価値観に向き過ぎ、その結果、思いもよらぬ翳りがさしているように思われます。

 今世紀後半、西欧の物質文明がもたらした先進国の大いなる経済繁栄と限りなく進歩した科学技術文明の行く末に翳りがさし、この西欧の価値観や世界観が問い直されているようです。

 明日に続く二十一世紀はこの物質文明偏重の反省から精神文化、心の時代への移行が叫ばれています。

 ところで、西欧思想の歴史の中にあって、物質と精神を対立させ、いづれか一方を選ぶ考え方は、今から三〇〇年ほど前からのことで、古代オリエント、ギリ シャ、インド、中国などでは森羅万象、あらゆる存在は、いのちを持ち、互いに関連しあっているという世界観が根底にあったといわれています。

 中でもインドに生まれた仏教には人間だけでなく、山川草木すべては人間と同様、いのちを持った存在で、空海が大成した密教でも人間は もとより、宇宙を構成するすべてのものは物質的要素(地・水・火・風・空)と精神的要素(識)で成り立ち、互いに関係し、エネルギーをもった生命体である と説いています。

 さて、今世紀後半以降、思想の西欧化が進み、人間を中心とした価値観が確立し人間以外のものを外在化させ、人間の欲望と繁栄のために 自然を破壊し、動植物を痛めつけ、環境を人工化してきました。その結果、早魃、洪水、寒波、熱波、異常気象、オゾン層の破壊、熱帯林の減少、酸性雨、砂漠 化、野生動植物の減少、資源の乱掘、生態系の破壊、温暖化が地球規模で進行し、文明は危険な方向に向かってきています。

 この方向をくい止めるには、人間を中心とした繁栄と人工化の方向を反省し、あらたな思想を導き出し、現在地球上に残された自然とどのように対面するかを考えなくてはならないでしょう。

 わが国には古くから固有の自然観があり、それと合一した密教にも、先に述べたように自然は単なる物質ではなく宇宙意識とエネルギーを具 えた生命体であるという考え方がありますから、今こそ、この思想に耳を傾け、私たち人間は現在残された自然と共存し、共生して行かなくてはならないという 意識をもう一度、確認しなくてはならないでしょう。

 しかも、人間は自然を破壊しなくては生きていけない宿命的困難な問題がありますから、これもまた考え合わせなくてはなりません。

 また、今日の物質文明の大いなる発展の基底には、ユダヤ、イスラム、キリスト教の一元的価値観で人間社会を律してゆく思想があります。

 ところが、今日この思想にさまざまな矛盾が生じ、先進文明だけが唯一絶対の価値を持つわけではないということが明らかになってきました。

 物質時代から精神時代へ、これも物質と精神をそれぞれ独立させ一元的に考えるのではなく、物質も精神も十分容認した上で、精神文化を進行していかなくてはなりません。

 あれも認め、これも認め、存在するものにはすべて本質的に絶対の価値があるんだという世界観は、密教の多元的価値を認める考え方なので す。スケールの大きい宇宙的視野に立ちつつ、個々をそれぞれに尊重し、長所、個性を生かし、全体として調和し、和合して生きる、この宇宙観こそマンダラの 考え方で、これからは特に重要な意味と意義を持ってくるものと思われます。

「生きとし生けるものの共生と共死」
「多元的価値の容認と調和」
「宇宙的視野の考え方」

 この世界観や宇宙観からなるマンダラの思想は、地球上の対立、自然破壊、精神的混迷を深めつつ進行する今日の世界にあって、かけがえのない思想であると思われます。

 今こそ、地球鎮護の空海が出現することを、否、それ以前に私たち一人ひとりが空海であることを、そして、かく言うぼく自身もまた。

 三年前に制作を始めてから今日まで、この考え方はぼくの裡で、ますます強化されているようです。

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