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004「玉依姫」伝説と空海誕生地異説

 多度津町市街地からタクシーを走らせること15分、県道にかかる広田川の橋にさしかかるあたりで山が瀬戸の海辺に迫っている。広田川が海に注ぐ西側の海岸一帯は公園になっていて、そのあたりを今「屏風ヶ浦」といっている。この公園の松林のなかに四国霊場番外札所の海岸寺の本坊が見える。かつて四国遍路の折この寺のご住職から「弘法大師は善通寺で生れたのではなく、ここで生れたのだ」と聞かされ驚いたことがある。




 宝亀5年(774)6月15日、空海の母阿古屋はこの海岸寺に産屋を設けてお産をしたという。大同2年(807)、長安留学から帰国してまもない空海が母がお産をしたこの地に来て、その産屋跡に自ら刻んだ聖観音菩薩像を安置したのがこの寺のはじまりだそうである。善通寺の草創と同じく、大同2年という年は空海がまだ太宰府に留まっていた時期で、この海岸寺開創縁起もにわかには信じがたい。


海岸寺奥之院 産井跡

大師堂内、産湯盥

 この海岸寺の東約200mの浜辺に熊手八幡神社というお宮がある。空海の母が子宝授与を祈って「神の御子」の空海を身ごもったという仏母院近くの八幡神社の本社である。
 この仏母院―熊手八幡神社―海岸寺にまつわる空海誕生の伝承から、私は空海の母の「母神」性ということに思いが至った。前にも述べたように、空海の母阿古屋の「玉依(姫)」という尊称は、水の神・豊穣の神あるいは聖母神としてよく知られる「玉依(姫)」と同じである。

 「玉依(姫)」は玉依毘売命・玉依日売命(タマヨリヒメノミコト)・活玉依毘売命(イキタマヨリヒメノミコト)であり、海神(ワタツミノカミ)の娘、豊玉姫命(トヨタマノヒメノミコト)の妹である。吉野水分(みくまり)神社や京都下鴨神社は祭神としてこの「玉依(姫)」を祀っている。
 また「タマヨリ」は「霊依(タマヨリ)」であり、「憑依」「魂憑」、すなわち神霊神威が依り憑くこと。「ヒメ」はその依り憑く巫女あるいは乙女の意味である。さらに「玉依(姫)」には子供を産む女性特有の能力が強く反映されている。神話の「海幸彦・山幸彦」に出てくる綿津見大神(海神、ワタツミ)の娘の例はこの代表的な事例である。
 「タマヨリ」の女性は神との婚姻による処女懐胎によって神の子を身ごもったり、選ばれて神の妻となったりする。そのような巫女的霊能のある女性を「玉依(姫)」と呼ぶことがある。
 さらに、古来女性の生殖の力は子孫長久や海の幸・山の幸の豊穣など、多産多幸の象徴とも考えられた。人間の生命誕生あるいは食料の再生産のための不思議なエネルギーが母神の姿としてイメージされたのが「玉依(姫)」であった。

空海の母は、多度津全域を神域とする熊手八幡の神に祈って空海を身ごもり、「神の御子」を産んだ。神婚のイメージさえ浮かぶ。仏母院の不動堂には母公と空海の尊像が立ち並んでいる。母子神としての「玉依(姫)」の信仰もそこには見える。

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