インド国籍をもつ日本人仏教僧で、インドの不可触賎民(アウトカースト・アチュート・アンタッチャブル)といわれる最下層の人々の解放改宗運動や、長らくヒンドゥー教徒の管理下にあった仏教聖地ブッダガヤの大菩提寺を仏教徒の手に取り戻す運動などを通じ、インドにおける仏教復興運動指導者として知られる佐々井秀嶺師が、この春44年ぶりに来日し各地で講演を行った。
師の苦難に満ちた仏道の道のりとインドの仏教復興における辛苦の多少を知る一人として、師の崇高な菩薩行とそれを支える堅固な菩提心に対し、あらためて敬意と尊敬の念を表すのに何の躊躇もない。
なのに、ここにわざわざ稿を起し、マスコミに報じられた師の今の日本に対する思いについていささか疑問を呈するのは、まことに不遜の極みながら、少し感ずるところがあり敢えてそれを問うことにした。以下に触れることは、あるいは師の本意とするところではないかもしれないが、今やインドの仏教最高指導者とまで評されるお立場、発言の軽重を問われる故恐れながら申し上げる次第である。
外国生活が長い日本人、あるいは外国で何かの仕事で成功をした日本人が、よく日本のことをつまみ食い的に批判する。安直に自分の住む外国と比較してである。あるいはまた、出かけた先の外国で「日本」を批判する人もいる。自分の思想志向が「日本」というものに無知なことを棚に上げてである。一番いただけないのは、外国に移住して長い人が久しぶりに日本に帰り、今の日本の表層を見て憂慮発言や批判をする時の日本終末論である。そのほとんどが、単なる思いつきだったり、見方の次元が違う話だったり、木を見て森を見ざるが如しの議論だったりする。
10月3日付の読売新聞(夕刊)によれば、佐々井師は「彼の地の土になる」そうだが、東京の渋谷では「人間がいないではないかと思わず叫んで・・・・」、「日本の将来が気にかかる」、「助け合って生きるとか友達をだましてはいけないとか、そんな教育が足りないと思う」、「このままでは日本は行き詰ってしまう」と言われたそうである。
師が44年ぶりの日本で、何を聞いて違和感を感じ何を見て危惧されたのか、知る由もないし、どのような感想や感慨をマスコミに洩らしても自由なのだが、しかし私は、日本を離れて長い人が口にするこのたぐいの日本批判を聞くたびに、異邦人的気楽さや旅先の徒然なる言い捨てをしばしば感じてしまうのである。帰るところがあり、発言をした地を去ることができる人はいい。言ったことに責任をもたずに済む人はいい。
さらに言えば、日本が高度経済成長に入る頃渡印された師に、爾後日本の著しい変容や日本人の変質がおわかりになっているのか、経済大国の座から滑り落ちていくなかで目標を失ったかのように漂う今の日本人の魂の枯渇をおわかりになっているのか、豊かさ神話のウソを教えられず命を削って生きている青少年の哀れさをおわかりになっているのか、その目で見てこなかった日本を、聞いただけ見ただけで危惧し論評するのは早合点なのではないか、失礼ながらそう疑ってしまう。
とくに「信仰の国インドでは、僧侶の周りに人が集ってくる。日本で本当に仏法を広めようとしている者がどれだけいるのか」に至っては、たとえマスコミ向けの発言であっても、黙っていられなくなる。
師は、インドと日本の宗教的精神風土のちがいを度外視しておられるようだ。インドの仏教と日本の仏教とではまったく形態がちがうことも頭にないらしい。インドでは宗教や信仰が社会や生活や人々の心を規制し、日本では社会や生活が宗教や信仰や人々の心まで規制している。インドの仏教は究極釈尊への回帰であり、今では大乗も小乗もない。日本の仏教には最初から釈尊への回帰などなかった。
日本仏教は大乗経典の伝来にはじまるからである。飛鳥・奈良・平安時代は朝廷中心の国家鎮護仏教、鎌倉・室町・江戸時代は武家中心の厭世仏教、そして明治以降は廃仏毀釈の弾圧からの生き残り策の死者儀礼・祖先供養・現世利益へ。いつも時代の主権者の要請や強制に振られながらソフトウェアを替えてきたのである。だから、日本の仏教を釈尊の仏教の視座から論評するのはそもそも見当違いである。
佐々井師がかねて、日本の仏教(宗派仏教)を「嫌いだ」と批判し、僧侶が結婚したり子供をもうけて寺院のなかに家族を置くことに批判的なことは知られている。師にとって仏法とは、もはや日本で学んだ真言密教でもなく法華経でもなく、独身(つまりは戒律)を貫き、釈尊への帰依とインド社会の最下層で貧困や差別や暴力に苦しむ人々の解放運動(菩薩行)を通じてヒンドゥーの民を仏教徒に改宗させることなのだろう。しかし、その反権力闘争の動機や実践体験やモチベーションを日本の仏教(者)に重ねても無理というものであり、「本当に仏法を広めようとしている者がどれだけいるのか」といぶかられても詮無いことである。日本の仏法ははじめから、師が選び行じてこられた仏法と全然形態が違うのである。次元の違う批判というものは、ただの言いがかりか嫌味になりかねない。
師は、インド仏教史において、釈尊の仏教すなわち「無執着」の否定思弁が大乗の「空」観哲学によって凌駕され、その「空」観が「法性」「真如」「諸法実相」「如来蔵」「(必有)仏性」といった肯定形の思想にまで止揚したこと、日本の仏教はこの大乗の「空」観哲学の伝来からはじまっていること、日本の宗派仏教は中国仏教の流れを継承していること、そしてそれぞれに相当の理由で所依の経論に基づいていること、現在の日本の宗派仏教は戦後新憲法下における宗教政策のもとで行政組織に変質していること、その組織上の争いごとが嫌いであればそれに異を唱え行政組織のなかで改革運動をなすべきこと、についてどうお考えだろうか。
仏教というものを釈尊原理運動や釈尊回帰運動に限定することは、小乗仏教国のタイやミャンマーやスリランカそしてインドでは通るかもしれないが、大乗仏教伝来国の日本ではいかがか。また、日本の僧侶の肉食妻帯と寺院に家族を置くことを、僧侶は僧院で修行生活に専念し食糧を托鉢によって布施される形態の小乗仏教国との比較において批判することもどうか。明治の廃仏毀釈以来、日本の仏教は実質在家仏教であり、今の日本の僧侶を小乗仏教国の出家僧といっしょにして評するのはいただけない。敢えて言えば、仏教僧は菩提心の有無に尽きる。姿形ではない。小乗仏教国の出家僧に堕落はないか、あの戒律の多さは何を意味するのか。日本の肉食妻帯の破戒僧のなかに真の仏法を得た人はいなかったか、事実は小説より奇なりでもある。
思えば、名のある知識人のなかに、日本の仏教を葬式仏教つまり死の宗教だとか寺院が一般大衆と遊離していて生きた宗教になっていないと批判する人がいる。いや、そういうことを言ってメシの種にしている宗教評論家もいる。日本の仏教を、生命観に満ち生きた宗教だった密教から死臭ただよう厭世宗教に変質させた鎌倉仏教の特質を黙視してである。今の仏教を葬式仏教つまりは死の宗教だと批判する人は、まず法然・親鸞や栄西・道元の現世否定の法門や、その法門が発明した法名や戒名ほかの死者儀礼のコンテンツや、その死者儀礼や祖先供養を行う仏教をなぜ日本人は受容してきたのかをよく調べてからにしていただきたい。
今の仏教寺院が一般大衆と遊離していて生きた宗教になっていないと批判するのなら、寺院経営という商業活動や葬式坊主という役務から僧侶をまず解放し、代って寺院の護持や法務を批判する人たちにやっていただきたいと思う。私たち僧侶は、日々の金策行から解放されれば教学の研鑽や修行の練磨や本来の宗教活動に専念できるのである。
日本の寺院が明治期に廃仏毀釈の弾圧により人材と資産を失い、戦後農地解放によってさらに経済基盤を奪われ、新憲法下で自営の法人になりさがり、寺院維持のために住職がマネージメントを余儀なくされて以来、本来の宗教活動とはかけ離れた現状に追い込まれたことを措いて今の仏教を批判されてはたまらない。良識ある住職はみな、寺院経営(俗)と学行や本来の宗教活動(聖)との二律背反の狭間でもがき悩んでいるのである。本当は学行(自利行)と菩薩行(利他行)に専念したいのだ。
佐々井師が久しぶりに日本の地を踏んでインドと日本の違いにとまどったであろうことは想像に難くない。
渋谷の街を行き交う人が、師には人間に見えなかったらしい。しかし、そこにいたのは紛れもない人間である。師がナーグプルで毎日見ているインド人と、渋谷の街を行き交う日本人と、変りはない。同じく、生きることに四苦八苦する人間である。
師には、師の周りにいるインド人や師が訓育した青少年がまっとうな人間に見え、渋谷の街を行き交う人は物質文明に疲れ、情報社会で神経をすり減らし、孤独で明日の希望もなく漂う、魂の抜けた「ものの怪」に見えたのであろう。思わず「人間がいない」と叫ばずにはいられなかったにちがいない。
日本の教育の現状が、青少年の現状が、また子供をもつ親の現状が、嘆かわしい状況にあることは、師に言われなくとも日本人誰でもわかっていることだ。しかし、学校現場も、教育委員会も、地域も、父兄も、良識ある人はみながんばっているのに、物質的な豊かさ神話に呪縛された社会では、これほどに人間というものが劣化し悪質化する見本のような道をたどるばかり。これを仮に、インド人の人間らしさや仏教教育の目線で問うとしたら単純すぎる。教育論や人間論あるいは宗教的方法論で事が解決する話ではないのだ。
佐々井師は、日本の物質的な豊かさに人間の劣化が隠れていることに気づかれたのかもしれない。うたかたの繁栄という宴の後の日本人の人間性喪失や魂の枯渇をその膚で感じとられたのかもしれない。
日本には、たしかに階級としてのアンタッチャブルはないが、がんばっても報われない貧困がある一方で、まっとうな自己責任に乏しい貧困や人間失格とも言える精神の貧困もある。豊かそうに見えて生きる力に欠ける日本人が、師の周りにいる貧しくても生きる力に満ちているインド人に比べ、師の目には人間として見えなかったのかもしれない。
私たちは、実はその問題と対峙できていない。死者儀礼・祖先供養・現世利益ではない、日本人の人間性喪失や魂の枯渇に対応するソフトプログラムを、今の仏教は用意できていない。癒しとかヒーリングといった孤独療法ではなく、仏教ルネッサンスだとか寺院再生だとかの仲間遊びなどではなく、仏との一体感によって生きる喜びを実感できるような、仏教のストライクゾーンを突くニューソフトがないのである。師が「日本で本当に仏法を広めようとしている者がどれだけいるのか」と批判をされた意味が、もしそこのところを突いていたとすれば私たちは全面降伏である。
空海は唐に学んで唐に骨をうずめることもできた。唐に残れば、おそらく皇帝に重んじられ阿倍仲麻呂以上の存在になったであろう。しかし、正統密教第八祖の地位を得ながら日本に帰ってきた。そして、独自の日本的密教を創案し、それを律令国家の要所に用いてみせた。国家事業であった潅漑用水や港湾の改修プロジェクトにも力を注いだ。日本初の庶民の子弟のための私立学校も創設した。それが空海にとっての済世利人すなわち菩薩行であった。空海は、インド・中国の仏教に通じていたが、それをもって当時の南都仏教や天台を批判したりしなかった。それどころか、「十住心」のなかに仏教諸宗をすべて包摂したのである。
佐々井師は、甲州の大善寺(真言宗)で助けられ、高尾山薬王院(真言宗)の山本秀順大僧正のもとで得度しているはず。日本の将来を危惧されるのなら、弘法大師にならって日本に帰り、日本の教育を改革し、日本の社会病理を治し、日本人に人間性を取り戻させ、同時に日本の仏教の改革する運動をされてはいかがか。
今やインド仏教の最高指導者といわれ、支持者から「バンテジー」(お坊さん・師匠)と親しまれ、ラジブ・ガンジー首相からは「アーリヤ・ナーガールジュナ」(聖なる龍樹)の尊名を贈られた師が、どんな仏法と実践でなされるか、失礼ながら師の仏法が21世紀のこの日本で通用するかということも、ぜひ見たいのである。















