エンサイクロメディア空海 21世紀を生きる<空海する>知恵と方法のネット誌

空海を歩く

トップページ > 空海を歩く > 四国八十八カ所遍路「空と海と風と」 > 空と海と風と 夫婦で愉しむ道草遍路  第十五回

空と海と風と 夫婦で愉しむ道草遍路  第十五回

◆第5日目(1998年8月14日)--人はいかに老いるべきか・豊な老後は次世代の責任--

「足摺テルメ」は、今年の6月1日にオープンしたばかりの、清潔で近代的な多目的リゾートホテルであった。白を基調としたモダンな造りで、プール、クワハ ウス、大浴場、露天風呂などの保養設備が完備され、とても国民宿舎とは思えない。料理もうまいし、サービスも行き届いている上に宿泊料金も安い。岬の先端 に位置する宿泊棟の各部屋には太平洋を望む独立したテラスがあり、周囲の自然も豊かである。のんびりとした時間を過ごすには最高である。長期滞在型の宿泊 施設として利用してもよい。

 私たちは歓楽的な豪華ホテルには興味がない。ただ風呂にはこだわる。といっても、私よりもむしろ妻の方である。彼女は温泉が大好きであり、それも露天風 呂ときたら目がない。最近では日本各地の温泉の質や、効能や各種設備などかなり詳しくなり、引退後は私と温泉めぐりの旅をすることまで、もう計画してい る。昨夜も2時間たっぷりと入浴していた。
これでも短いほうで、塩サウナ、打たせ、ジャグジー、水風呂、薬湯など揃っていれば、まず3時間は出てこない。彼女の長風呂と付き合っているうちに、カラ スの行水であった私もいつしか温泉を楽しむことを覚えた。妻はリタイアしたら「温泉同好会」なるものを作って、日本各地の温泉に投宿滞在して老後を楽しむ そうである。今のところは、会長はウチのカミさんで、会員は私一人である。

 さて、趣味は何でもよいが、老後夫婦二人でどのように時間を過ごすかという問題が、いずれ社会でもクローズアップされてくるだろう。老後は四半世紀もあ るのだ。仕事一筋で生きてきた夫が定年後家庭に戻ったときに、夫婦二人で長い老後をいかに過ごすかというメンタルな側面のことである。世界に冠たる高福祉 社会スウェーデンは、老人のケアやホームの設備は日本と比較にならないほど充実しているらしい。だが、老人たちの内面には想像を絶する孤独感があるといわ れている。これは、住む家や食事を与えられる福祉思想だけでは、人間は「生きる喜び」をもち得ないということである。そうしてみると、やはり老後の生き甲 斐が問題となってくる。

 日本人の老後の生き方に関する意識調査に見られるものは、大方が「働ける間は働きたい」というものである。理由の一つには経済上の問題がある。もう一つ は精神上の問題である。これは、仕事以外に生き甲斐のない男性に多い。その意識の底流には「生産力のなくなった人間は不要である」というこれまでの国家や 企業社会の価値観があり、特に日本の男性は肩書が消えれば自身がこの世から消えるとでも思うらしい。しかし、遅かれ早かれ、ただのジジイになることは避け られないのだ。とするなら、そうなったときにしょげないように「老後の生き方」を準備しておくべきだろう。それには、他律的な人生観を捨て、自由人になれ る老後を積極的に設定しておくことである。むろん、生涯現役を通す芸術家や伝統職人のような人は別である。彼らは始めから自由人であるからだ。

 私は決して「日本人は働きすぎだ」という諸外国の非難に与するものではない。勤勉を美徳と考えてきた日本人のほうが、労働を神の呪いとした西洋文化より ずっと健全だと思っている。しかし、現代人が「働ける間は働きたい」というのがちょっと理解できない。日本には、隠居制度のような労働から離れた生き方が あったはずである。つまり、現代人は生き方にメリハリがなくなったということである。社会全体が死ぬまで勤勉になったのだ。

 人間の一生には年相応の過ごし方があるはずである。子ども時代はよく学び、よく遊ぶ時である。青春時代は学問に励み、友人と議論をし、書物に親しみ、悩 み、あるいは恋をしたり、知力や体力を蓄える時期であろう。壮年期は実社会で力一杯に働く時代である。年をとれば後進の悩みを聞いてやったり、相談に乗っ てやったり、時には知恵を授けてやったりすることに生き甲斐をシフトさせることであろう。

 私は孤独な老人の話し相手だと言ってボランティアの若者が来たら、自分の人生は負けだと思っている。老人は若い者の愚痴が聞けるぐらいでなければならな い。自己主張(口の世界)はほどほどにし深い耳の世界(受容の世界)に生きたいと願っている。若い者には花をもたせ、そして、財産は一代で使い果たして、 お迎えが近づけば、あとは夫婦でお遍路でもして静かに人生の終末を受け入れたいと思う。それが、日本人の生きる構えだと思っている。お釈迦さんの生老病死 を「苦」にしないためには、その年齢に応じた生き方をすることが大切ではないだろうか。

 私は、「人生は楽しいものである。特に老後はハッピーである」と実感を込めて若者に伝えることのできる老人になりたいと思っている。そのためには、リタ イアしてこそ、真の自由人となれる素晴らしさに気がつくことである。つまり、心の中に流れる時間の尊さのことである。それを若者に伝えられるのは、経済戦 争をくぐり抜けて、金の力も虚しさも知悉した老人たちであるはずである。

 一体、老後の生活不安を抱えて死ぬまで働きたいという経済大国とは何であろうか。資本主義の発達とともに、日本人の生活が都市型現金主義と消費文明の鎖 に繋がれてきたからであろう。今やわが国はマネーがなければ一日も立ち行かない国になってしまった。離農の歴史は食料自給率を下げてしまい、資源も食料も 全て他国に依存することになってしまった。

 モノが溢れても、モノばかりを追わねばならぬ生活が果たして豊かだといえるのか、そういう疑問を投げかける生活を老人が実践してみせることである。老後 のメンタルな問題とは、個人的であると同時に社会的でもあるのだ。つまり、精神的に豊かな老後を生きてみせることは次世代に対する「責任」である。物価の 高い都会の消費生活は働き盛りの壮年に任せて、老人は知恵を出し合ってあまり金のかからない静かで品のある楽しい老後生活を実現し、実践してみせることで ある。そして、次世代の頭脳となり、教育者となり、人生の指針となるべきであろう。それができなければ、若者を拝金主義から救うことも、日本を消費奴隷社 会から解放することもできないと思うのだ。

 また脱線した。コースを道草遍路に戻して、旅を続けよう。
 さて足摺岬には見所がふんだんにある。亜熱帯樹林の中を妻とそぞろ歩きながら、弘法大師にまつわるミステリアスな伝説が残る道を辿ってみる。大師が南無 阿弥陀仏の六字を爪で彫ったという「爪書き石」や、親不幸者が触れるとグラグラするという「ゆるぎの石」などがあり、足摺七不思議巡りは岬巡りのコースと なっている。
 穴にお金を落とすとチリン、チリンと音を立てていつまでも落ちて行く「地獄の穴」のところで家族連れのお父さんが穴の中をのぞこうとしていたら、「お父 さん、やめなさい。変なものに取り憑かれたらどうするの」とお母さんが止める。「そんなことがあるか、バカ」とお父さん。
「どこも同じね」と妻が吹き出している。

 七不思議には、空海が海の安全を祈願した際に亀に乗ったという話もあるから面白い。海の空海を想像しながら灯台の真下まで来て、今度は東側の断崖を見下 ろしつつ椿のトンネルをひとめぐり。この岬の中ノ浜からアメリカに渡ることになったジョン万次郎の数奇な運命を語る遺品展示場「ジョン万ハウス」を見学し たあと、すぐ真下の海岸に下りれば有名な「白山洞門」がある。花崗岩の海蝕洞門としては日本でも最大級のもので、岩山の凱旋門という感じである。

 浜辺の石があまりにも見事に丸いので二つほど拾って、岬の西側の海岸線沿いの足摺サニーロードを清水港へ向かった。(旅先で小石を拾うのは私の変なクセ)

 途中で「竜宮」と縁額の掲げてある小さな赤い鳥居を見つけたので、車を止めて山道を登って行くと、誰もいない古びたコンクリート囲いの展望台からは、眼下に「明神岬」が開けた。これまた絶景の極みである。

 岬とはいっても、海に向かって突き出した荒磯の岩場である。よく見れば岩場の中ほどに緑がこんもり残っており、そこまで階段まじりの小道が細々と続い て、その先に小さく見える赤い鳥居に繋がっているようだ。私たちはそこまで降りてみることにした。岩場は思いがけず大規模で、岩場というよりも海の砕石場 という感じである。振り仰ぐと幾重にも重なり合った断層は、土色の肌を剥き出しにして、苔むしたような緑が、その老婆の皺のような岩肌の隙間に貼り付い て、ついには海を見下ろす高々な断崖となっている。

 小さな祠には何も説明がない。ただ小振りの赤い鳥居が海を向いているだけである。海は怪しいほど青い。
「竜宮神社とでもいうのだろうか」
 そんなことを私が言うと、妻が
「海の彼方の竜宮は琉球がなまったものなのよ。あら、本当よ」と言って笑っていた。
(海の空海を追いかけているうちについに竜宮にたどり着いたか)

 午後1時、竜串に着く。いよいよ景勝地「竜串見残し」見物である。
 グラスボートに乗って、まずは弘法大師も見残したという伝説からその名が付いた「見残し」へ行く。ここは半島ではあるが、「見残し」海岸への陸路はなく 小船で渡る。船底のガラスからは、テーブル珊瑚礁やシコロ珊瑚礁の間をコバルトスズメダイ、オヤビッチャなどの熱帯魚が遊泳するのが眺められた。私は竜宮 城を連想しながら眺めていた。

 船着場から見残し海岸の岩場に沿って歩いて行くと、波の芸術家たちが競って創作した奇怪な造形美の世界が展開してきた。砂岩や頁岩などの層が、風や波の 侵食を受けてできたまさに蜂の巣のような岩肌。波の紋様が見事に残っている化石漣痕。波がそそり立つような姿の「風岩」や渦巻く形の「渦岩」。続々と繰り 広げられる千変万化の岩の芸術作品に、ただただ驚嘆するばかりである。岩壁に波の穿った穴は、人間が這って十分に通れそうなものもある。と思ったら妻が 這って穴をくぐっている。あとから来た子どもは行儀よく遊歩道を歩いている。奇岩奇勝の不思議の国へタイムスリップしたような気分になって、二人とも時を 忘れてはしゃぎ回る。

「竜串海岸」もこれまたこの世のものとは思えない。陸から海に向かって何本もの巨大な竹が伸びているような岩「大竹小竹」。砂浜から隆起した恐竜の背中と 見まごうような奇岩「竜の骨」。ダイナミックな景観に付けられたネーミングも面白い。真昼の太陽は中天から照り注ぐが、噴き出る汗もなんのその、空と海と 潮風に包まれて、遍路のことなどどこかに置き忘れて時を過ごした。

 竜串から大月町へと向かう。
 国道321号の途中に叶崎灯台が立っている。50メートルの高さの断崖絶壁の上に立つ叶崎は、西の足摺岬ともいわれている絶好の景勝地だ。二人で灯台まで歩いた。妻も私もどういうわけか昔から灯台が好きである。

 5時、大月町に入る。ここで足摺サニーロードをそれて、大月半島へと突き出る大堂パノラマロード(と言ってもただの山の中の県道であるが)を「大堂海 岸」へとひたすら走る。そこに妻がどうしても見たいというものがある。「観音岩」である。車を降りて人気のないウバメガシの小道を抜けると、突然大海原が 開けた。絶壁から見下ろすと、その名の通り観音菩薩そっくりの形の「観音岩」が海からそそり立っている。高さ約30メートル、紺碧の静かな海原に向かって 佇むその形は、何か神の力が働いているような不思議な感動を与える。絶壁の上にしゃがんで妻は黙って海の観音像に合掌していた。

 国道に戻って大月町を過ぎた頃、一人のお遍路さんとすれちがった。私たちとは逆方向(足摺岬の方向)に向かって歩いていた。
「あら、逆打ちだわ」と妻。

 遍路のやり方には一番から順番に回る「順打ち」と、八十八番から一番に戻る「逆打ち」とがある。つまり、四国を右に回ると順打ちとなり、左回りは逆打ち となる(私たちは順打ちをしている)。そのほか「へんろ道」の細かい歩き方もいろいろとある。例えば、麓の札所に荷物を置いて山岳の札所を打ってまた元の 札所に戻る「打ち戻り」。そのまま進む「打ち抜け」。さらに山から麓に下りずに尾根伝いに次の山に行くのを「打ち越え」という。回り方もいろいろあり、別 に一気呵成に四国四ヶ国を回らなくともよい。例えば、阿波一国だけを回る「一国巡り」というやり方もある。一国巡りを四回やれば八十八ヶ所霊場すべて回る ことになる。さらにバラバラに回る人もいる。私たちは一応順打ちではあるが、「寄り道」が多いために遍路コースは縦横無尽。要するに無茶苦茶。

 すれちがったお遍路さんは汗と埃ですっかり色あせた笈摺を着ていた。背中に書かれた南無大師遍照金剛の墨文字の周りには、これまでに打ち終えた札所の宝印がビッシリと捺されている。
「あの人も死ぬときはあの白衣を着るのかしら」
「お遍路さんは、あの世に旅立つときには八十八ヶ所を回ったあの白衣を着て行くそうだ。死ぬときはみんな一人だもの、お大師さんと同行二人なら淋しくないよ」
「私はあなたが生きているうちに死ぬの。あなたは先に死んじゃ駄目よ。私が先に死ぬんだから」
「だって僕のほうが年上だもの、オレが先に死ぬに決まっているさ」
「それでもダメ。これまでヨメさんに苦労をかけたんだから、死ぬときぐらいはヨメさん孝行しなさいよ。いいこと、私が絶対に先よ。私を看取ってから来るのよ。後始末をしたらいつ来てもいいから」
「.........」
「心配しないでも、三途の川まで迎えに行ってあげるわよ。ちゃんと渡って来るのよ。河原でまた石なんか拾って遊んでないで」
「でも、団塊の世代は多いから三途の川も八重洲口みたいに混んでたりして......、探すのに骨が折れそうだ」
「そうだ。目立つようにこの笈摺着て三途の川で待っていてあげるわ。私が死ぬときには着せてね」
「それなら目印になるな。いや、そりゃ駄目だぜ。お遍路さんは死ぬときはみんな遍路衣装を着るんじゃないか。三途の川が団体遍路のバアサンたちの白衣で埋まっていたりして、こりゃアカンワ」
「それもそうね。......じゃ、一番きれいな女性(ひと)を見つけなさいネ。それがアンタの奥さんよ」
「ん?」
 高知県最南端の町宿毛に着いた頃には、長い夏の一日もようやく暮れようとしていた。

Copyright © 2009-2024 MIKKYO 21 FORUM all rights reserved.