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第1章  真言を説いたお経

第1節  祈りの言葉 

  人はいろんな場面で祈ります。明日の天気を祈り、旅の無事を祈り、家族の幸せを祈り、病気の平癒を祈り、死者の冥福を祈ります。泣いたり笑ったりするのと同様、祈りは人間に特有の営みであり、人間本来の自然な感情にもとづくものです。
  もちろん、祈るだけですべては何とかなると思っている人はいないでしょう。でも人知人力には限りがある以上、人は祈らずにはいられません。もしいまだかつて一度も祈ったことがないという人がいたら、自分の限界に気づいたことのない余程傲慢な人に違いありません。その意味で、祈ることはむしろ人の謙虚さのあらわれだといえましょう。

  祈りの言葉は常に真実です。たとえば明日は天気になってほしいから「あした天気になーれ」と祈るのでして、心の中ではその反対のことを考えているなどということはありません。これに対して普通の人間同士の言葉にはウソ偽りや虚飾がたくさんあります。私たちは常に真実の言葉を語っているとはいえないでしょう。
  祈りの言葉は人間同士の言葉ではありません。「あした天気になーれ」は、だれに向って語る言葉でもありません。しいて言えば人間以上の何かに向けられた言葉です。それが祈りの言葉であるゆえんです。そしてその言葉は常に真実の言葉なのです。このような祈りの言葉をインドの古い言葉(サンスクリット語)で「マントラ」といいます。翻訳すると、「真言(しんごん)」です。

  さて般若心経は真言を説いたお経です。
  こういうと意外に思う方がきっといらっしゃるでしょう。「あなたは真言宗のお坊さんだから、そんなこじつけをいうのですね」という人もいるかもしれませんが、もちろんこじつけではありません。そもそも般若心経の「心」とは「真言」という意味なのです。それ以外の意味はないということを、これからお話ししようと思います。 


第2節  般若心経の魅力 

  般若心経の説明に入る前に、このお経の生い立ちをふり返ってみますと、このお経は明(みん)代の小説『西遊記』で有名な玄奘(げんじょう)三蔵がインドから原典を持ち帰って漢訳したものです。訳出したのは唐(とう)の貞観23年(649)5月と伝えられていますから、今から1350年も昔のことです。玄奘より250年近く前に姚秦(ようしん)の鳩摩羅什(くまらじゅう350~409頃)が別の題名(『摩訶般若波羅蜜大明呪経』)で訳出し、それよりさらに200年前に大月氏(だいげっし)国の支謙(しけん)が訳し、これは題名(『般若波羅蜜呪経』)だけが伝えられています。こうした点から、般若心経の原型はインドにおいて3世紀頃には成立していたであろうと推測されます。なお、玄奘以降にも漢訳されたものが5本残っていますが、一般に般若心経といえば玄奘訳をさし、それに対しておびただしい数の注釈・研究・解説がなされてきました。

  わが国に伝わった時期は定かではありませんが、入唐して玄奘に師事し、660年に帰国した道昭(どうしょう 629~700)が持ち帰った可能性が高いと思います。天平年間頃から研究や写経が非常に盛んになりました。 

  数あるお経の中でも、般若心経は僧俗を問わず広範囲にわたって最も親しまれてきました。日本仏教の全宗派に共通するお経というのは実は存在しません。それでも、一応すべての僧侶が知っているお経というと、たぶん般若心経しかないでしょう。ともかく、これほどのベストセラーはほかに見当たりません。般若心経のどこにそんな魅力があるのでしょう 
 漢字でわずか260余文字の中に仏教の真髄が説かれている。それほど尊いお経である。だから、ただ唱えるだけでも功徳がある─。このことが般若心経の信仰を支えてきた一番の理由のように思われます。 
 日々のおつとめに、巡礼の口ずさみに、死者や祖先の供養に、あるいは願(がん)をかけた祈りにと、般若心経は読み継がれ、書写し継がれてきました。 
 無心にとなえ、写し、お経のリズムに身をゆだねることがまず大切なのです。内容の理解は二の次、というよりも、そんなだいそれたことは畏れ多いことだと思う気持ちすら、昔の人にはあったかもしれません。 

 江戸時代には 「絵心経」というものが作られました。これは絵で般若心経を読めるように工夫したものです。たとえば釜の絵を逆さに描いて「まか(摩訶)」と読ませ、般若面で「はんにゃ(般若)」、人の腹の絵で「はら(波羅)」と読ませるたぐいです。絵と内容とは全然関係なく、ユーモラスな庶民感覚の一種の判じ物か謎解きのようにも思えますが、これをたよりに一字一字読もうとし、尊い仏様の言葉に触れようとした庶民の心情もまた如何ばかりであったかと思います。それはそれとして、お経の深遠な意味を探究することは意義あることです。 

 ただし、お経の正確な理解のためには、どうしてもサンスクリット原典にあたる必要があります。幸いにも般若心経には原典が残っています。では始めましょうか。


第3節   般若心経のタイトル 

  まず経題(お経の題名、つまりタイトル)ですが、漢訳では「摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。宗派によっては、最初に「仏説」をつけます。 
  ─仏説摩訶般若波羅蜜多心経─  これがフルタイトルです。原典ではどうなっているでしょう。実は原典にはタイトルがないのです。 

  インドの書物は、しばしば首題をつけずに、最後に「以上で○○終わる」と締めくくる場合があります。これを尾題ともいい、しいていえばこの○○がタイトルです。 
  般若心経の場合も同様で、原典では最後に「以上で『般若波羅蜜多心』終わる」と記されています。これを漢訳者が首題としたのでしょう。ただし、ここで注意すべきは、原典の尾題には「仏説」も「摩訶」もなく、なんと「経」という語すらもありません。 

  ─般若波羅蜜多心─  原典ではこれだけがタイトルなのです。では 「般若波羅蜜多心」とは何でしょう。タイトルの意味を取り違えてしまいますと、般若心経は何をいっているお経なのかさっぱりわからなくなってしまいます。 
  「般若」は「智慧(ちえ)」、「波羅蜜多」は「完成」を意味しますから、「般若波羅蜜多」とは、とりあえず「智慧の完成」と訳せるでしょう。したがって、「般若波羅蜜多心」を「智慧の完成の心」と現代語訳してもまちがいではないのですが、「智慧の完成の心」とはどのようなココロなのかと現代風に考えてしまうと、とんでもない珍解釈が生まれてしまいます。 
  漢訳者があえて意訳せず、音写語を用いた(原語の「プラジュニャー・パーラミター」を「般若波羅蜜多」と当て字で表記した)のは、これがあるものを示す固有名詞だからです。そのあるものとは、この場合、「心」しかありません。すなわち、「般若波羅蜜多心」とは「般若波羅蜜多と称する心」ということです。そこで問題は、この「心」の意味です。 


第4節  般若心経の「心」とは? 

  市販の解説書を拝見いたしますと、これについてはほぼ次の3通りのいずれかの解釈が一般的のようです。 
(1)中心となるもの、(大切な)こころ 
(2)『大般若経』600巻の要約、要点 
(3)(大乗仏教の)真髄、精要 

  残念ながら、どれも誤りです。原語の「フリダヤ」(英語の「ハート」と語源は同じ)を直訳すれば「心臓」ですが、もちろん「心臓」では意味が通じません。 

  多くの解説者の方々には失礼な言い方になるかもしれませんが、タイトルの意味すらわからないようでは、この尊いお経を解説する資格がありません。まずしっかり読んで全体の構成を考えてみて下さい。そうすればわかるはずです。 
  「般若波羅蜜多心」とは、お経の最後の「掲諦  掲諦  波羅掲諦  波羅僧掲諦  菩提  薩婆賀」の真言をさします。「般若波羅蜜多の心」といっても「般若波羅蜜多の真言」といっても同じことなのです。 

  心は「心咒」ともいいます。仏教にはさまざまな種類の心咒がありますが、長さによって大中小の三種があるのがふつうです。般若心経に提示されているのは大心咒です。般若心経の本文中に「大神咒」という呼称が出てきますが、意味は同じです。 
  なお「摩訶」とは「大」という意味です。この心咒は大心咒であることを示すために、漢訳者がつけ加えたのでしょう。 


第5節  般若心経のプロット 

  般若心経はだれが説いたお経でしょうか。 
  お経は原則として、すべて「仏説」(お釈迦さまの教え)です。般若心経も例外ではありません。ただし般若心経では、説き方が少し他のお経と異なっているのです。 
  玄奘訳の般若心経は実は「小本」といって、「略されたお経」なのです。これに対し「大本」といって、「完全な形のお経」としての般若心経が存在します。そこには、このお経の序文というべき前段が記されています。小本はいきなり本文から始まっているわけです。 

 その序文にはこのお経のプロット(場面)が記されています。実はどのお経(大乗経典)もそうなのですが、般若心経もまた一幕のドラマ(劇)だと考えてよいでしょう。 

 舞台は 霊鷲山(りょうじゅせん)という山の頂です。そこはお釈迦さまが好んで説法されたと伝えられる実在の山です。お釈迦さまは真西を背にして坐しておられます。聴衆はお釈迦さまの説法を待っていますが、この日に限って、お釈迦さまはいつまでも静かに瞑想に入ったままです。 

 粛然としたその場で、お釈迦さまの瞑想に感応するかのように、聴衆の一人である観自在(かんじざい)という名の菩薩(ぼさつ 在家の求道者)も瞑想に入ります。そこで観自在菩薩は、ある修行を完成するのです。そこに居合わせた舎利子(しゃりし)という名の比丘(びく 出家修行者)が驚嘆し、観自在菩薩のもとに近づいてたずねます。「どうか後学の者のために、その境地と修行法を教示して下さい」 

 ここまでが大本の序文に記されているプロットです。このあと観自在菩薩が語る内容が小本の全体を構成しています。語り終えると、お釈迦さまが「その通りだ」と観自在菩薩をほめたたえ、それを聞いて聴衆が喜ぶ場面が大本の最後に記されています。 

 小本にはお釈迦さまは一度も登場しません。登場人物は観自在菩薩と舎利子だけです。しかし、この両者の対話を作り出しているのは、ほかならぬ瞑想中のお釈迦さまなのです。このような説法の形式は仏典の一つの型(パターン)として珍しいことではありません。 

 要するにお釈迦さまが語るべきことを、お釈迦さまの意を汲んで観自在菩薩が舎利子に向かって説く、というのが般若心経の中心場面となっているわけです。 


第6節 観自在菩薩の登場と全体の構成

  観自在とは文字通りには「観ること自在」という意味ですが、この方は別名を「観世音(かんぜおん)といい、略して「観音(かんのん)」と呼ばれます。観音菩薩は仏教史上、あらゆる地域で最も人気のある菩薩として信仰を集めてきました。ただし、ここではそうした信仰の対象としての観音菩薩ではなく、卓越した在家の求道者の一人として登場します。 
  「観ること自在」という名の通り、この方が得た境地というのは、ある高みにおける見晴らしの良い眺望ともいうべきものでした。 

 観自在菩薩が深遠な般若波羅蜜多の行をしている時、(わが身は)五蘊なり、(しかもその五蘊は)皆空なりと照見した。 

  般若心経の本文はこう始まります。 
   般若波羅蜜多の行(修行)とは何か。それは「掲諦...」の真言を誦(とな)えることです。真言を静かに(あるいは心の中で)何度も繰り返して誦える修行を「念誦(ねんじゅ)法」(インドの言葉では「ジャパ」)といいます。それによって得られた眺望が「五蘊皆空」というものでした。(「五蘊皆空」について、そしてそれをなぜ'眺望'と呼ぶかについては次章で説明します。) 

  このあと観自在菩薩が舎利子の質問にこたえるかたちで、「舎利子よ」と語りかけ、「五蘊皆空」の説明が始まります。有名な「色即是空」に始まり、「無智亦無得」までの段落が、その具体的な内容です。 
  なぜそのような素晴らしい'眺望'が得られるかというと、これが「般若波羅蜜多」と称する真言を念誦する修行の成果にほかなりません。三世の諸仏も同じようにして最高のさとりを得ているのだとして、「故知(ゆえに知るべし!)」と続きます。 
  それゆえにどう知るべきだというのでしょう。「般若波羅蜜多」はいかにすぐれた真言であるか、「これこそ大神咒」であり、「これこそ大明咒」であり、「これこそ無上咒」であり、「これこそ無等等咒」であると「知るべし」と、賛辞が連ねられます。 

  なお、この「咒」の原語はすべて「マントラ」であることを言い添えておきます。玄奘の時代には「マントラ」の訳語がまだ定まっておらず、「咒」とか「心咒」(あるいは「神咒」)とか「明咒」などとさまざまに訳されていたのです。「マントラ」を「真言」と漢訳するようになったのは、玄奘よりもずっと時代が下ってからのことです。(なおまた、「咒」は「のろい」の「呪」ではないことにご注意下さい。) 

  では、その マントラ(咒=真言)はどういうものか、お教えいたしましょう、ということで、最後に「掲諦、掲諦...」の句が示されるのです。 
  その直後(末尾)に原典では尾題が添えられています。漢訳の最終句も「般若心経」となっていますから、いちおう尾題もそのまま訳出されているわけです。ただし、これを「尾題」といいましたが、それはしいてタイトルを探せばこれが相当するというだけのことで、本当はこれは本文の一部なのです。「掲諦...」の句をうけて「これが般若波羅蜜多の心(真言)である」と訳すべき'文'なのでした。この最終句までが、観自在菩薩の台詞(セリフ)と解すべきでしょう。 

  これが般若心経の全体の構成です。般若心経は真言を説いたお経だということが納得していただけたでしょうか。 

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