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秘蔵宝鑰

 上・中・下の三巻よりなる。略称、『宝鑰』。淳和天皇の勅命により、天長七年(830)に各宗の教義書を差出したとき、空海は『秘密曼荼羅十住心論』十巻とともにこの『秘蔵宝鑰』三巻を献上した。前者は広本、後者は略本という。
 この二部作は空海の晩年に著わしたもので、双璧の主著である。天長七年に出来上がったとものとすれば、『宝鑰』は空海五十七歳のときに当る。
(略)『宝鑰』はいわゆる浅略釈をもって第一住心より第九住心までがのべられて、これらが広義の顕教であるむねを明らかにし、第十住心のみ深秘釈を与えて密教の世界を鮮明ならしめている。そして、第十住心の密教の世界は説段ごとに龍樹の『菩提心論』三摩地段を引用しているのも注目される。すなわち、空海は三摩地法門なる密教特有の瞑想実践の部門の理論的根拠を『菩提心論』にもとめ、『十住心論』の九顕十密に対して、本書が九顕一密といわれるとおりの立場を明確に打ち出しているのである。


第一住心=異生羝羊心-倫理以前の世界
 無知な者は迷って、わが迷いをさとってない。雄羊のように、ただ性と食とのことを思つづけているだけである
第二住心=愚童持斎心-倫理的世界
 他の縁によってたちまちに節食を思う。他の者に与える心が芽ばえるのは、穀物が播かれて発芽するようなものである。
第三住心=嬰童無畏心-宗教心の目ざめ
 天上の世界に生まれてしばらく復活することができる。それは幼な児や子牛が母にしたがうようなもので、一時の安らぎにすぎない。
第四住心=唯蘊無我心-無我を知る
 ただ物のみが実在することを知って固体存在の実在を否定する。教えを聞いてさとる者の説はすべてこのようなものである。
第五住心=抜業因種心-おのれの無知を除く
 一切は因縁よりなることを体得して無知をとりのぞく。このようにして迷いの世界を除いて、ただひとり、さとりの世界を得る。
第六住心=他縁大乗心-人びとの苦悩を救う
 一切衆生に対して計らいなき愛の心を起すことによって、大いなる慈愛がはじめて生ずる。すべての物を幻影と観じて、ただ心のはたらきのみが実存であるとする。
第七住心=覚心不生心-一切は空である
 あらゆる現象の実在を否定することによって、実在に対する迷妄を断ち切り、ひたすら空を観ずれば、心は静まって何らの相なく安楽である。
第八住心=一道無為心-すべてが真実である
 現象はわけへだてなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して、仏(大日如来)というのである。
第九住心=極無自性心-対立を超える
 水にはそれ自体の定まった性はない。風にあって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。
第十住心=秘密荘厳心-無限の展開
 密教以外の一般仏教は塵を払うだけで、真言密教は庫の扉を開く。そこで庫の中の宝はたちまちに現われて、あらゆる価値が実現されるのである。
(『弘法大師空海全集』第2巻(筑摩書房、1983年)解説抜粋、宮坂宥勝)


【要文名句】               
●三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず。
●生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し。
●凡夫は善悪に盲いて 因果あることを信ぜず
 ただし眼前の利のみを見る 何ぞ地獄の火を知らん
 羞づることなくして十悪を造り、空しく神我ありと論ず
 執著して三界を愛す 誰か煩悩の鎖を脱れん
●愚童少くして貪瞋の毒を解して
 歘爾に持斎の美を思惟し
 種子内に薫じて善心を発す
 牙疱相続して英軌疱を尚ぶ
 五常十善漸く修習すれば
 粟散輪王その旨を仰ぐ
●外道発心して天の楽を願い 虔誠に戒を持して帰依を覓む
 大覚円満者を知らず あに梵天・竜尊の非を悟らん
 六行修観して無色に生じ 身心五熱していたずらに自ら嘰む
 断・常・空・有に勝住を願う もし世尊に遇わばわが違を覚らん
●建立と無浄と 深しといえども未だ煩を断ぜず
 空しく内外の我を談じて 生死の樊に輪転す
 大聖羊乗を開きたもう 修観すれば涅槃を得
 五停・四念処を 六十・三生に観ず
 二百五十の戒 これを持すれば八難を離る
 人空無漏の火 智を滅して身心を殫す
●縁覚の鹿車は言説なし 部行と麟角と類不同なり
 因縁の十二深く観念し 百劫に修習して神通を具す
 業と煩悩とおよび種子を抜き 灰身滅智して虚空のごとし
 湛然として久しく三昧に酔臥せり 警を蒙って一如の宮に廻心す
●心海湛然として波浪なし 識風鼓動して去来をなす
 凡夫は幻の男女に眩著し 外道は蜃の楼臺を狂執す
 自心の天・獄たることを知らず 豈に唯心の禍灾を除くことを悟らんや
 六度万行三劫に習い 五十二位一心に開く
 煩悩・所知すでに断じて浄ければ 菩提・涅槃これわが財なり
 四・三点の徳今具足す 覚らずして外に求むる甚だ悠なるかな
 言亡慮絶して法界に遍せり 沈萍の一子もっとも哀れむべし
●因縁生の法は本より無性なり 空・仮・中道すべて不生なり
 波浪の滅生はただしこれ水なり 一心は本より湛然として澄めり
 色空不壊にして智よく達す 真俗宛然として理分明なり
 八不の利刀戯論を断つ 五辺面縛し自降して平らかなり
 心通無礙にして仏道に入る この初門より心亭に移る
●前劫の菩薩は戯論となる この心の正覚もまた真にあらず
 無為無相にして一道浄く 非有非無にして不二を陳せり
 心境絶泯して常寂の土なり 語言道断して遮那の賓なり
 身心また滅して大虚に等し 随類影現して変化の仁あり
●風水竜王は一法界なり 真如生滅この岑に帰す
 輪華よく体大等を出だす 器・衆・正覚極めて甚深なり
 縁起の十玄は互いに主伴たり 五教の呑流するは海印の音なり
 重重無礙にして帝網に喩う 隠隠たる円融は錠光の心なり
 華厳三昧は一切の行なり 果界の十尊は諸刹に臨めり
 九種の住心は自性なし 転深転妙にしてみなこれ因なり
 真言密教は法身の説 秘密金剛は最勝の真なり
 五相五智法界体 四曼四印この心に陳ず
 刹塵の渤駄はわが心の仏なり 海滴の金蓮はまたわが身なり
 一一の字門万像を含み 一一の刀金みな神を現ず
 万徳の自性輪円して足れり 一生に荘厳の仁を証することを得べし

  八葉の白蓮一肘の間に 阿字素光の色を炳現す
  禅智倶に金剛縛に入れて 如来の寂静智を召入す

【編集子註】
 両書は、空海が勅命に応じて真言宗の宗義要諦として撰述し朝廷に提出したもので、古来『秘密曼荼羅十住心論』十巻を広本、この『秘蔵宝鑰』三巻を略本といっている。この広・略関係を言う背景には、天長年間に空海が淳和天皇の勅命によって『十住心論』を著し、それを朝廷に提出したところ、あまりに大部で広博な内容だったため、簡略なものを出すようにとの勅を受けて『宝鑰』を撰述し再提出した、などといった説がある。
 しかし、この広本・略本という見方を鵜呑みにして、『宝鑰』を『十住心論』の単なる要約版と見ると、空海が両書に込めた撰述意図を見そこなう危険がある。両書は、たしかに空海が自らの密教思想の集大成として「十住心」を論じ、内容や記述にも共通の箇所が多々見られるのだが、後世の真言教学が言ってきたように、浅略釈と深秘釈とか、九顕一密と九顕十密とか、竪と横とか、あるいは修生と本有とか、勝義心・修行のプロセスと法爾自然・曼荼羅とか、そして『十住心論』では各住心に「○○○○住心」とあるのに対し、『宝鑰』では「○○○○心」と言って「住(する)」の一字がないなど、両書の間には著述の意図や目的のちがいが見える。
 編集子は、『十住心論』を空海が自らの密教を総合的宗教として集大成するために書いた「人間本来の心位論」(九顕十密)、『宝鑰』を天皇・貴族のほか当時の仏教界にも真言宗を最高レベルとしてアピールするために書いた教判の書(九顕一密)と見るのはどうかと考えている。空海は、単に『十住心論』のコンサイス版を『宝鑰』にしたのではなく、出世間本としての『十住心論』と世間本としての『宝鑰』」をわざわざ分けて、丹念に編んだに相違ない。朝廷に出す著述にも「二つで一つ」を見せるのが空海の「方法」である。


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【参考文献】               
★『弘法大師著作全集』第1巻(山喜房佛書林、1968年)
★『弘法大師空海全集』第2巻(筑摩書房、1983年)
★『現代語訳 秘蔵宝鑰』(福田亮成、ノンブル社、1998年)

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