エンサイクロメディア空海 21世紀を生きる<空海する>知恵と方法のネット誌

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フォーラム議論の要約

写真 松岡氏 松岡  ●今日は7世紀から始動していた密教という世界と最新の電子アーカイブをつなげてみて、基本は「密教と情報」ということを解読していこうと考えている。
このプロジェクトは、時代が進み、IT上で情報を動かすツールとして、コンピュータやネットワークやCGとかボタンやクリックやリンクが現れたことと連動している。それらで密教の世界をとらえ直えすとどうなるのだろう。そう考えて、長澤さんと共に開発を開始した。

●空海密教という世界と現代の情報社会をつなげて考えてみると、「密教」と「情報」というのはまったく遠い世界のようだが、意外に非常にみぢかなものでなはいか。
   密教は学習方法が長けている。(アーカイブの)連想検索というものはきわめて密教の本質、さらにアナロジー(類比)・見たて・メタファー(比喩)・ シンボル(象徴)・システムといったいわば情報工学と密教の相性がいい。いままで遠かったためにこれがつながってこなかった。

●密教の歴史も、仏教の歴史も、キリスト教も、イコン(彫像・記号文字など、アイコン)を作ったり、占星術を発明したりした。なのにみんな宗教の根本を持 ち込もうとしてうまくゆかなかった。密教的なツール、アイコン・ボタン・梵字をシンプリファしたり、礼拝様式も、メディアツール(情報伝達装置)という考 え方に切り替えるべきではないか。
   空海はもちろん宗教的な思想家であり、大いなる生命感があるのは大前提だが、マルチメディアライクなものを作れた人として見直してみてはどうか。

●人間がだんだん進んで行った時にメディアスーツを着ちゃうのかということですが、歴史的なものが連続してメディア化しながら今あるわけで、そのトータルなものをどういうふうにしていくかちゃんとやっておかないとダメなのではないか。
   (密教も)スプーン(オカルト)になったり、映画になったり、文字になったり、本になったり、パソコン(情報)になったり、ケータイ(情報)になっ たが、空海はどうも最初からその全部が必要だと感じていたのではないかと思う。私はマルチメディアスーツを着た空海がいてもいいと思う。

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写真 頼富氏 頼富  ●密教と情報というのはちょっと見たかぎりでは正反対だ。密教の密というのは隠すものであるから情報化しない、アクセスしにくいと思われている。
密教は隠すのが本義ではなくて、むしろ聖なるものや次元を超えたものと私をつなぐ装置やノウハウを、視覚的な見える世界のなかで用意している。
その装置を通じてはたらきかける、見えるものを通して見えないものと接触を求める、ほとけと私がどこかで接触できる。

●アナロジー、つまりある種の類推の装置や方法を使う。四国遍路とか護摩を焚くとか。護摩の「火」のように、見える世界で文化的なもの(文化情報)を使ってほとけと一体化する。
空海はそれを求めて中国に行った。密教には目に見えるいろいろな方法をもっている。インドのヨーガは、「結びつける」という意味から、聖と俗をつなぐ方法。仏教でも瞑想法として発達したが、空海は早い時期にそれを知っていたのではないか。

●空海と最澄のちがいは、密教情報の把握のちがいからくる。密教は体験性というか、単に頭で理解するのではなく、全身体験にまでくる情報でなければ密教の深い情報にならなかった。
   インド的な(聖と俗をつなぐ)垂直情報の深さを中国で空海は学んできた。最澄は中国へ行ったが、本を読む学習でやろうとした。これでは密教はわからない(空海はそこを問題にしたが最澄にはわからなかった)。

●空海は、「ことば」に聖なるものを感じるインド的な文化情報をもちこんだ。「しぐさ」にも思想的なよびこみがあった。山野を歩きながら、聖なるものと一 体化する方法に気づいていた。そしてそれを編集したり組み立てたりできた。だから求聞持法や真言を唱えることに関心をもった。時間を超越したかたちですば やく体験するのである。
   空海はまた、山林修行で声を発していたにちがいない。自然や宇宙に「よびかける」(すると声が返ってくる)。ダラニというのは「保つ」「持する」と意味、エネルギーをためて発散し、聖なるものにはたらきかける。

●音や声には、「伝達の手段」というとらえ方と「(自然や宇宙の)真実をそのまま伝えるもの」「聖なるものをそのままつたえるもの」というとらえ方があ る。真言(マントラ)の原語は、サンスクリット。サンスクリットは表音文字で「母音・子音」「長音・短音」の使い方や発音がハッキリしている。

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写真 金子氏 金子  ●きょうのテーマには私がいちばん遠いと思う。そちらの専門家でもないが、このアーカイブから何か精神世界のことを学べるのはいいことだと思う。
密というと、密室とか秘密とかになるが、このアーカイブには現代的な方法論の種があって、隠すのではなくオープンにする、インターフェースというか、情報 はつなぐ、オープンにする、あらわにする、そうなるといろいろな人が参加する、悪さをしたり危険も増えるのだが、こういう学習ツールはやはりあっていいも のではないか。

●小学校のインターネット学習でも、非常に限られた情報しかない教科書、それでだめならじゃぁインターネット情報で、となっても情報はあるようでない。 あってもお粗末な情報ばかり。そういうなかでアーカイブのようなとりあえず(情報の)グルーピング(分類)とかインタラクティブ(情報の双方向交換)のス トラクチャー(構造)が必要だと思う。

●空海のエディトリアリティー(編集術)は、意識の世界と言語の世界をつなげる方法論であり、教育にとってはアーカイブのような体系が学習の方法論や(生 徒や学生の)考えを広げていく方法論として必要。まさにアーカイブはすぐれた学習・教育ソフトだが、空海はそれに合う原型になりうるのではないか。

●(情報に)入ってみるとか引いてみるとか、かくすとかあらわすとか、タテとかヨコとか、どこに注目するかとか、ある種日常の平凡のなかにいろいろなもの があって、見方を変えることで大きな発見がある(今の教育で求められているのは、そういう情報(知識)のキャッチの自由な広さだ)。そしてグルーピングや インタラクティブでまた何が起るか(アーカイブソフトを使った小学校理科の学習実験校の現場からそういう問題提起ができる)。

●(学校では)いろいろな意味や見方を発見していくことを教えてやりたい。いろいろなものを自分でグルーピングしていくこと、編集作業の最初をまずやり、インタラクティブになった時にどう変わるか。それをどう教えていくかいろいろな段階がある。子供たちは喜ぶ。

●高校に「情報」の時間を設けることは無意味だと思う。トレーニングや(情報の)視点がない人たち(高校の数学や理科の先生)にやってくれというのは難しい話だ。
   きょうのような構造を使いながら、教育が再編成されていく時代になっている。参考になるような何かをいくつも用意しておくこと、グルーピングのストラクチャーの導入が、教育での教材づくりにあるべきだ。

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写真 竹村氏 竹村  ●今どういう時代かというと、「ありふれた日常におどろく自由を語りつつある時代」。「当り前の現実の破格でない破格さ」と言いたい。
宇宙的なスケールで見ると、50億年の生命史のすべてを私たちは遺伝子のなかに受けついでいる。そういう世界観のなかで、密教の即身成仏とか現世肯定といった概念的なところを忘れてはいけないと思っている。

●(空海アーカイブのような)メディアとしての密教が安易な学習ツールにはなってもらいたくない。

●(私はいろいろなツールを作るが)ツールを作る側としては、作りたいものと表現したいものとの組み合せのギャップがたいへん問題で、このツール (「The KUKAI」)の先にあるものを考えると、目に見えるものの連想がつなげる事物の奥にある、連想の体系に終らない大きな世界を表現したいものだ。

●大学で学生と一緒にダイアローグ・イン・ザ・ダークという、真っ暗な空間で何十分もなかにいていろいろな経験をすることをやっていると、視覚依存のいろ いろな経験を一度解体して、いろいろな違う次元を知ることはできるが、そこからデザイン・ツールとしてそれを客観化していく方法論がない。そのあたりのヒ ントが密教に臭う。お茶(茶道)では、「にじる」とか「飛び石」とか「脱衣」とか、何でそこでにじらせるのか、何でそこに飛び石があるのか、何でそこで脱 衣させるのか、単なる作法ではないものがある。どうしてわざわざそうするのか。
私はそれをワークウェアと言っている。行為様式の段取りとシナリオ化のことだが、コンピュートロジー(電脳学)にはそれが希薄だ。開けて何かする、身体的感覚の時系列的な編集技法というか、例えば仏壇(礼拝)にはそれがあるがコンピュータにはない。

●音はいくらアイコン化しても情報化してもし切れないもの。むしろ、垂直軸で身体を外の世界に開放してゆくもの。
私は、サンスクリットのお経をさがしていて、般若心経のものはもっているが、マントラ(真言)は聴覚性のインターフェースだと思う。空海はそこに惹かれた。その意味で、音楽というのは、空海の再生はそこにあると思う。

●人間がマルチメディア化していくことが望ましい。この空海アーカイブをパソコンのなかだけに入れておかないで、寺院空間のなかで全身体験的なアーカイブにできないか、いまケータイでやっていることがあって、実はそんなことでお手伝いできるかもしれない。

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写真 佐藤氏 佐藤  ●このアーカイブは松岡さんのところで一度見せていただいたが、まずビジュアル的にかっこいい。タテ文字を使うのは、こういうシステムではまだ難しいのではないかと思うが、タテとヨコの文字で構成された画面は斬新でなかなかない。
それから「マップ」があって「シーン」に行ったりまた「オブジェクト」に行ったり、意味の関連性の編集という意味では(空海とか密教とか、専門的なこと じゃなくても)自分の興味や関心のあることがポッと出てきて、もの・道具・絵、これ何だろ、自分が引っかかるものから入っていけるのがいい。そして空海っ てどんな人、梵字からデザインへ。

●単に空海を知るツールにとどまらず、「発想」の仕方を自分に置き換えることができるのではないか。例えば、自分史というのがありますが、その作り方が広がりそうに思う。そして自分に引っかけながら空海や密教の世界に入っていけるものだ。

●アーカイブで知ったところで安心してしまうのではなく、そのさきをどうするかだ(バーチャルで満足でも困る)。それよりも、四国をあるっている人の方が偉かったりする。

●来年四月、高校で教科書の「情報」A・B・Cが導入される。ソフトやハードの動かし方を勉強するのも大切だが、教科書そのものを勉強することにとどまってしまいそうだ。操作方法にとらわれてしまって、あとはどうも進まないと思う。
   「情報」というものを教えられる先生がとても少ないのだ。数学や理科の先生が借り出されて授業に当る。こういう時こそ国語や社会や歴史の先生がどういうふうに教えたらいいか学ぶべきだ。

(以上は、録画ビデオを見ながら事務局で要約したものです。要約・文責/長澤)


次世代の真言僧に渡すツール

   「カオス」(混沌)という言葉が松岡さんと竹村さんのやり取りで出てきた。20世紀末からいまの時代をそう言うし、ITといわれる情報世界もそう だ。あるいは無秩序と言ってもいい。ハード・ソフトの開発と情報接続のインフラ整備も順序バラバラであり、まして高速・大容量の情報を社会や個人がどう享 受し、それをどう生かしどうすぐれた時代文化を創造していくか、まったく整理がついていない。だから、空海アーカイブのようなたしかな「装置」や「構造」 や「編集知」をもった情報ツール(方法・道具)が必要なのだ。

   「カオス」(混沌)は他人事ではない。私たち真言寺院の世界もまったく「カオス」(混沌)ではないか。最近「真言僧の空海知らず」ということを危惧 している。真言僧の原点や中心軸さえどこかに消えている。そして核家族・少子化・寺ばなれ・不景気といった寺院経営の悪条件のなかで、いつまで葬式・法 事・墓地管理とご祈祷・お札販売の稼業がもつのか。廃仏毀釈以後の法難のなかで、先徳たちがやむなくはじめた「おがむことの商品化」も早晩有効期限がく る。真言寺院の現状は、あまり売れない商品をいつまでも並べておく閉店前の店に似ている。

   真言宗には才気をもつ有為の青年僧がいっぱいいる。将来が楽しみだ。ところが40になる頃には「宗」という閉鎖社会の独特のモラリティーに埋没し、才能を発揮せずに終ってしまう。

   いま松岡さんからインターネットのウェブ上で行う「空海塾」という提案をいただいている。デジタルアーカイブ「The KUKAI」はその塾の教科書となる学習ソフトである。空海アーカイブは制作・販売だけでは終りそうもない。その先は青年僧に託そうと思う。

   青年僧10名を募って、師範代1期生の研修をし、「The KUKAI」を通して空海密教とその「知」と「方法」を徹底的に学ぶ。講師は多彩なゲストを招いて「楽習」する。

   この10名が師範代となってそれぞれが10名くらいの塾生を募る。もちろん月謝をいただく。師範代はカリキュラムに従って空海密教やその「知」と 「方法」に関する宿題を出し、塾生はパソコン上で自分の好きな時間に考え回答して師範代の指南を受ける。答えに○×はない。1年間で塾を終了する。全問回 答した塾生のなかから次期の師範代を養成する。1期の師範代だった真言僧は師範に昇格し師範代を指導する。それを何度も繰り返していく。

   これはひとつの試みに過ぎないが、21世紀の真言寺院は空海密教の「知恵」を売ってはどうか、ということの示唆である。

   この方法はあちこちの町で「市民会議室」といったかたちでもう行われていて真新しいことではない。これから大きな規模に展開していくだろう。

   これは過疎の町寺でも檀家のない山寺でもできる。松岡さんの構想は、真言寺院全部がこれをできたらすばらしいということだった。

   坊さんがおがんでなんぼの「おがみ屋」稼業に甘んじている以上、これから世間の目はさらにきびしくなる。「おがむ」という宗教行為は、本来お金に換 算できないものだからだ。では、おがんでなんぼをやめた場合、収入源としてお寺ではどんな事業が有望か、青年僧は考えたことがあるだろうか。地域の青年会 議所に入ったりして、そういう経営発想も学んで欲しい。
(長澤)


フォーラム当日の<配布資料>

   本 日、皆さまにご覧いただきますデジタルアーカイブ「The KUKAI」デモ版は、私ども「密教21フォーラム」が編集工学研究所(松岡正剛所長)に制作依頼をしておりますデジタルアーカイブ「The KUKAI」完成版の予告に併せ、専門家や有識者からご助言・ご叱正をいただくための試作品であります。

★私たちは、オートパイロット式のデジタルアーカイブ「The KUKAI」完成版(3分巻予定)を、ビデオ・CD-ROM・DVDで、来年(2003年)秋以降、順次制作・頒布する予定です。
  • オートパイロット式/ビデオ(パソコンをご利用になっていない方のために)
    音声案内によって自動的に切り替えられる連続画像で、空海の密教世界が多重的・多層的に鑑賞できます。ビデオデッキにビデオを挿入し、テレビ画面に映る映像を、簡単な操作で見ることができます。
  • オートパイロット式/CD-ROM・DVD(初級のパソコンユーザのために)
    音声案内によって自動的に切り替えられる連続画像で、空海の密教世界が多重的・多層的に鑑賞できます。パソコンにCD-ROMまたはDVDを挿入し、簡単な操作で見ることができます。
★また私たちは、マニュアルパイロット式(ソフトウェアタイプ)のバージョンを、(当面)CD-ROMで2005年春以降リリースする計画です。
  • マニュアルパイロット式(ソフトウェアタイプ)/CD-ROM(中級以上の個人ユーザから学校などのために)
    空海の密教世界が、多種多様の画像の連想リンクによって多重的・多層的にプログラミングされ、動画・音声も効果的に入ったソフトウェアタイプです。ユーザ 自身の操作で連想リンクを追いながら空海の密教世界に入ったり、知りたいことを学習することができます。また、自分でコンテンツを追加更新したり変更拡張 したりすることも可能です。個人から教育現場のレベルまで、さまざまなレベルで対応します。
★「The KUKAI」は、空海その人と空海密教の世界をできるだけ正しく紹介することを第一義としております。
  • その意味では、どなたに見ていただいても解りやすくしかも奥の深い「空海・エンサイクロメディア(電子百科事典)」になっております。
  • 私たちの期待としましては、まず真言宗僧侶の皆さん、またお寺の職員・家族の皆さんの自習用教材として1ヵ寺1セット是非お求めいただきご活用願いたく期待しております。
  • また、高学歴の団塊の世代に世代交代しつつある檀信徒世帯向け布教用視聴覚教材として、お寺を通じて頒布していただくことを期待しております。
  • 同時に、お遍路・巡礼の会やご詠歌講や写経・写仏会や法話会や音楽の集いや仏教文化講座ほか、年中行事の布教などの機会に新しくわかりやすく有効な伝道方法としてご活用いただくことを期待しております。
  • さらに、世の中の「空海」に興味や関心また信仰をもつ多くの人々に、空海とその密教世界の理解を深めたり、空海密教から仕事のヒントを得たり、お大師さまの信仰を深めたりしていただくツールとして、ご活用いただけるものと期待しております。
  • そのほか、空海関連のデータベースとして、例えば四国4県をはじめ全国各自治体の図書館や資料館や学校の図書室、あるいは宗教や仏教関連学会に所属する大学や研究機関に、また真言系学園の大学や高校の授業資料や学生の自習用教材としても貢献できるものと期待しております。
★また「The KUKAI」には、空海がすぐれて「編集」的であったように、例えば幼児期や学童期の知的な発達をうながすものから、大人の知的活動にも役立つ「知の編集術」が組み込まれております。
  • その意味で私たちは、マニュアルパイロット式(ソフトウェアタイプ)/CD-ROMの制作にあたっては、幼稚園・保育園(とくに真言 系寺院経営)で、さらに卒園後の小学校低学年用の、遊びながら学ぶ「知的教材バージョン」を用意しようと考えております。中学・高校・大学生は、マニュア ルパイロット式を自在に使いこなすことでしょう。
  • また「The KUKAI」は、社会のさまざまな仕事場で、仕事の発想や着想や動機づけに役立つことでしょう。例えば、空海の「書」を見ながら文字デザインの仕事の着想 に飛ぶ、「The KUKAI」は、単に空海や密教の正しい理解にとどまらず、さまざまな仕事の「分母」的な知財としてお役に立つものと期待しております。このことこそ、私 たちのスローガンの‐現代によみがえる「母なる空海」‐にかなうものであります。

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