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第十六章 三筆鼎談[さんぴつていだん]


第十六章・写真1  嵯峨天皇、空海、橘逸勢を平安の三筆といいます。

 空海の青年時代に執筆した「聾瞽指帰[ろうこしいき]」には、すでに王義之[おうぎし]の書風の影響があるといわれています。日本書道史上、空海の功績 は大きく、後世大師流の祖と仰がれ、わが国における書道理論の確立、新しい唐の書法や製法の紹介と実作などに大きな功績を残しました。

 また嵯峨天皇にささげた上表文の中で空海の書道観が述べられています。さらに飛白体[ひはくたい]というこの時代の中国で流行していた書風をわが国に初めて紹介し、その実作が「真言七祖像讃」「飛白如是[ひはくにょぜ]」にみられます。

 現存する空海の書の中で、最澄に宛てた三通の書翰のうち「風信帖[ふうしんじょう]」はその第一といわれています。また空海がみずから 極め、表出しようとした書法は、先の「真言七祖像讃並行状文」「益田池碑銘」「破体心経」「十如是」「鳥形所有相」などで、ここに書かれた雑体書は密教の 意義、精神を表出し、宇宙全体の躍動的生命を描いたものといわれます。

 平安初期の書蹟の中で、空海の書ほど多くのものが伝わっているのは希で、嵯峨天皇のものでは「光定戒牒[こうていかいちょう]」、橘逸勢にいたっては「伊都[いと]内親王願文」「南円堂銅燈台銘」が伝承されているほどのようです。


◎空海は唐で学んだ狸毛筆を作らせ、天皇や皇太子に献上し、唐製の墨も伝えたといわれています。

◎都城での鎮護国家の修法、密教の布教活動の激務に追われながらも、空海は幽玄閑寂な高野山に戻り修禅観法の日も大切に送ります。

第十六章・写真3 第十六章・写真2

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