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最澄宛、空海の返書-理趣の答案-


 813年(弘仁41123日付の手紙で、最澄は「理趣釈経一巻を来月中旬まで借覧したい」と空海に申し送ったが、このとき長文の返書をもって、空海はこれを断った。

 その返書が、空海の漢詩文を集成した『遍照発揮(へんじょうはっき)性霊集(しょうりょうしゅう)』(略称、性霊集)の巻第十に収録されている『叡山(えいざん)の澄法師(ちょうほうし)、理趣釈経(りしゅしゃくきょう)を求むるに答する書』である。

 以下は、その全文である。


 お手紙を受け取り、安堵しております。雪の降る寒い季節となりましたが、天台止観(てんだいしかん)の座主(ざす)であり、法友である最澄和上(わじょう)には、お変わりもなくご健勝のことと、わたくし空海、安心いたしました。

 わたくしと和上とが友情を結んでからもう何年になるのでしょう。

 この結びつきは、膠(にかわ)と漆(うるし)のように堅固で、常緑樹の松と檜のように枯れることなく、乳と水のように密で、互いに感化しあえること、あたかも芝蘭(しらん:霊芝と藤袴)の芳香のごとしと思っております。

 止観(瞑想と観察)の翼(つばさ)を広げ、高く二空(にくう)の教え(個体の自我も個体本体を構成している物質要素も、ともに固定的実体がないから、その存在はともに空であるという教え)の上に飛び、止観という駿馬(しゅんめ)を走らせ、生きとし生けるものによる欲望と物質と精神との迷いの世界の外に遠く到達し、和上とわたくしとが並んで、ブッダの法(仏一乗)を流布しようと誓った、この心とこの約束を誰が忘れることができるでしょうか。

 とは言っても、顕教一乗(天台宗)は和上でなければ伝わらず、秘密仏蔵(真言宗)はわたくしが流布すると誓うものです。

ですから、お互いにそれぞれの法を守り伝えることに忙しく、二人で話し合ういとまもありませんが、交わした堅い約束を思えば、お会いできなくても、心はいつまでも通い合っていると信じています。


 さて、さっそく封を開き、拝読致しましたところ、『理趣釈経』の借覧を求めておられると分かりました。

 ですが、理趣(真理に至るための道筋。道理)には多くの糸口がありますから、和上の求められている理趣とはどのようなものを指しておられるのでしょうか、もっと詳しく知ることができればと思っております。


 そもそも『理趣経』の説く道理と、『理趣釈経』(理趣経の注釈・意義書)が説く文は、広大で、天空をもってしてもすべてを覆(おお)うことができず、大地をもってしてもすべてを載せることができず、無数の国土を墨(すみ)として、その墨を河と海の水のすべてを使用して磨って書いても、その一句一偈の意味を書き尽くすことは誰にもできほどの内容をもつものなのです。

 ですから、如来によって示されるいのちのもつ無垢なる知の無限の大地のようなちから、菩薩によって示されるいのちのもつ無垢なる知の無限の大空のようなはたらき(つまり、さとりによって得られる無垢なる知の広大なるちからとその広大なるはたらき)によらなければ、その説くところの教えを信じ理解し、保持することは不可能なのです。

 (そこで)才知・才能に乏しいわたくし空海ですが、わたくし自身が唐留学(804-806)において、青龍寺の恵果和尚(密教第七祖)から直に教わった、理趣の教えの要旨を以下に示すことにします(ので、些かなりとも手助けになればと思います)。


【心がまえ】

「願うところは空海よ、理趣を学ぶにあたって、おまえ自身のもっている学問・知識を正し、おまえの迷いのもとなっている無義無益の見解から離れ、理趣の語句の意義、密教流伝の奥義に真摯に耳を傾けなさい。」


【基礎論理-九つの理趣-】

「そもそも理趣の道理は、無量無辺にして日常的な思考を超越するものです。ですから、すべてを集約し、末端を削いで、その根本においてとらえなければなりません。

 その根本として、まず三種があります。

 1、可聞(かもん)の理趣(聞くことができる道理)

 2、可見(かけん)の理趣(見ることができる道理)

 3、可念(かねん)の理趣(思うことができる道理)

です。

 もし、可聞の理趣を求めるのであれば、おまえ自身が生まれたときからもっている無垢なる知によって語られる言葉に道理はあります。その言葉の中にこそ真実が秘められていますから、他人の口中に求めるべきものではないのです。

 もし、可見の理趣を求めるのであれば、見なければならないものは物質としての存在であり、おまえの身体を構成している四大(固体・液体・エネルギー・気体)などの質料がそれです。他者の身辺に求めるべきものではないのです。

 もし、可念の理趣を求めるのであれば、おまえ自身の思考の中にもともとそなえられている無垢なる知がそれで、他人の心中に求めるべきものではないのです。


 また、次の三種があります。

 1、心の理趣

 2、(いのちのもつ無垢なる知のちからを示す)仏の理趣

 3、衆生(生きとし生けるもの)の理趣

です。

 もし、心の理趣を求めるのであれば、それはおまえ自身の心の中にあり、他人の身中に求めるべきものではないのです。

 もし、いのちのもつ無垢なる知のちからの理趣を求めるのであれば、おまえ自身の心中にあって、あるがままに活動しているものがそれであり、それもしくは、その活動と同質の知のちからをもつものの周辺に求めるべきで、凡愚なるものの周辺に求めてはなりません。

 もし、生きとし生けるものの理趣を求めるのであれば、おまえ自身が無量の生きとし生けるものの一員なのですから、その観点で理趣とは何かを把握すべきです。


 また、三種があります。

 1、文字の理趣

 2、観察の理趣

 3、実相の理趣

です。

 もし、文字の理趣を求めるのであれば、文字すなわち言葉は音声の屈曲(発音)であり、その発音に意味をもたせたものが言葉(文字)になったのだから、それらによって綴られる文脈は心の本体と相応するものでなく、実在性のない因縁によって仮(かり)に存在するものであり、実在性のないものに道理を求めることは不可能です。また、紙と墨とによって生じる文字ごときに道理を求めるのであれば、それは、それらが和合したところ、つまり書かれたところにあり、筆と紙と書き手である学者が一同に揃うところの周辺を探すべきです。

 もし、観察の理趣を求めるのであれば、それは、見る心と見られる対象があるから生じるものであり、双方を別々にすれば、そこには色とか形とかに分類したものは何も存在しないのです。そのようなものを誰が取って、誰に与えることができるでしょう。

 もし、実相の理趣を求めるのであれば、すべての存在は原因と条件によって生じているものであり、固定した実体がないというのが実相なのです。

 実体のないものには本来、名も相もありません。名と相のない実相は虚空と同じことなのです。ですから、実相を求めるならば、それは空(くう)そのものであり、その外に何かがあるわけではないのです。」(と恵果和尚から、わたくし空海は直に教わりました)


 (この教えにもとづけば)『理趣釈経』とは、御身(最澄を指す)がそなえられているあるがままの三つの活動性、行動性・コミュニケーション性・精神性が示すものがそれ(理趣の注釈・意義そのもの)なのであり、わたくし空海のもつ三つの活動性も『理趣釈経』なのです。(つまり、理趣の本体はお互いの身体活動の中にあり、それが言葉となって『理趣経』経典となり、その経典を注釈したものが『理趣釈経』であるから、理趣もその注釈も自らの身体活動こそが根本である)

 しかし、御身の活動性は、原因と条件によって限りなく移り変わって行き、その実体が不可得であるように、わたくし空海の活動性も不可得です。そのように、それぞれがともに不可得であるものを、誰が求めて、誰に与えることができるでしょうか。


 また、二種の理趣があります。

 御身とわたくし空海とのそれぞれの理趣です。

 もし、御身が自らの理趣を求められるのであれば、それは御身の身辺こそあるはずで、わたくし空海の身辺にあるものを求めるべきではありません。

 もし、わたくし空海の理趣を求めると言うことであれば、わたくしには二種類の我(が)があります。

 その一つは五つの認識作用から成る仮(かり)の我であり、その二は無我による大我です。

 もし、五つの認識作用(万象を五感でとらえ、とらえたことをイメージし、そのイメージによって快・不快の判断を下し、その判断が記憶されて意識になる作用)によって成る仮の我(原因と条件とによって生じている存在)に理趣を求められるのであれば、仮の我は原因と条件によって生じる存在ですから、実体をもちません。実体のないものをどうして求めようとされるのでしょうか。

 またもし、無我による大我(無我によって小さな自我を超越したところにある大我)に求められるのであれば、それはいのちのもつ無垢なる知のちからを象徴する大日如来の活動性と同じものであり、その活動性は生きとし生けるものすべてに入り込んでいて、御身がそなえられている活動性そのものなのですから、他人の身辺にこれを求めるべきではないのです。


 また、わたくしには、まだ判らないのですが、御身は自らが得られたさとりによって生きとし生けるものを済度されようとしておられるお方なのか、それともまた、凡夫として自らをさらに高められようとしておられるお方なのでしょうか。

もし、さとりによって、いのちのもつ無垢なる知のちからにすでに目覚めておられるなら、その知は完全で欠けるところがないのですから、どこか欠けているとして、どうしてさらに真理を探し求められるのでしょうか。

 もし、生きとし生けるものを済度するための真理はさまざまであるとして、さらなる真理を求めておられるというのであれば、ブッダがさとられる以前の修行中のシッダに戻ってバラモンに仕えるようなものであり、すでにさとりを得ていたという文殊菩薩がブッダに仕えられたように、師が弟子に教えを受けるようなものです。

 もし、自らをただの凡夫として理趣を求められるのであれば、当然、ブッダ(目覚めた人)の教えにしたがうべきです。

 ブッダの教えにしたがうのであれば、ブッダの説かれた戒めにしたがった修行を必ず為すべきです。修行を為さないで教えを授受すれば、それは伝えるもの、受法するものにとって、何の利益ももたらさないでしょう。

 思うに、密教の興廃は御身とわたくし空海との二人にかかっています。御身がもし正しい法式によらずに法を受け、わたくしがもし正しい法式によらずに法を伝えるならば、将来、法を求める人は何によって求道の真意を知ればよいのでしょうか。正しい法式によらない伝受は盗法です。これこそブッダをあざむくことです。

 また、密教はその奥義を文章にすることを重んじておりません。ただ、心を以って心に伝えること(以心伝心)を大切にしています。

 (真理を伝えるために使われた)文章は(その目的を果たしてしまえば)糟粕(かす)や瓦礫(がれき)に過ぎません。もし、そのような糟粕瓦礫になった文章を得て、それのみに執心するならば、そこには物事の実質はないのです。

 ほんものを捨てて偽物を拾うことは愚かな人の為すことです。ですから、愚かな人の為すやり方に御身はしたがってはなりません。そのようなやり方を求めてもなりません。


 また、古(いにしえ)の人は道のために道を求め、今の人は名誉や利益のために道を求めたがります。名利のために道を求めるのは真の求道の志(こころざし)ではありません。

 真の求道とは、おのれの身を忘れて求めるのが正しい道であって、ブッダがさとりを得られる以前に、何もかもを捨てて、仙人に仕えられたようにするものなのです。


 また、道の教えを聞いた者が、自らは実行しないで、他人に道を説くようなことを孔子が許さなかったように、わたくしの師の恵果和尚は、弟子の能力・素質が未熟であると判断されると、その時機ではないとして、教えを説くことをなされませんでした。

 その理由は何かといえば、密教の真髄であるいのちのもつ無垢なる知のちからの教えは、日常の思考をはるかに超えたものですから、一途な信心をもたなければ、その教えを会得することは叶いません。弟子が口でいくら「一生懸命に信じ修行します」と唱えても、心にそれを嫌がる気持ちがあれば、頭があって尾がないことになります。口で言うだけで実行しないのであれば機は熟しておらず、信じ修行するように見えているだけで、真の信修(しんじゅ)ではないのです。(そんな弟子に教えを説くことを恵果和尚は避けられたのです)

 真摯に信心することから始め、苦しい修行をして道を得てこそ、道を継承し、道を説く君子になれるのです。(そのように相手の能力・素質を見抜き、時機を見て、ブッダも孔子も恵果も教えを説かれたのです)


 とかく世間の人というものは、見目麗しく聡明で貞節な女性を嫌い、それよりも色っぽくてみだらで尻軽な女性を愛し、望みをすべてかなえるという珠玉(しゅぎょく)をばかにして笑い、玉に似たまがいものの石を珍重する。また、絵や置物の偽の龍を好んで、ほんものの龍を見失い、修行するための断食を重んじて、栄養のある牛乳粥(かゆ)を嫌悪し、金に似ているということで黄銅を宝物にする。

 このように、余計なものをくっ付けたり、大事なものを余分ものとして切り取ったりすることは、人が自然なありかたにそむいて余計なことを考え、余計な価値観を物事に付け加えるからです。

 濁った河と澄んだ河とが黄河に流れ込んで合流するが、その二水を区別できないならば(すなわち、余計な考えを排除して、自然のありかたをありのままに見る目をもたなければ)、誰が牛乳から醍醐(だいご:バター)へと至るその美味を知ることができるでしょうか。


 自分の顔の美しさや醜さを知ろうと思うなら、心の鏡をまず磨くことです。研磨剤の有無を論じてみてもしようがないでしょう。

 さとりの境地に到達しようと思えば、まず心の海の船を漕ぐことです。船や筏(いかだ)の虚実を論じてみてもしようがないでしょう。

 毒矢が射られたのに、まずそれを抜きとらずに、誰がどこから射たのかなどと問うことは空しく、道を聞いても行動を起こさなければ、どうして千里の先を見届けることができるでしょうか。


 わずか二粒の丸薬で病魔を退散させることができ、たった一匙(さじ)の秘薬で桃源郷に遊ぶことができるという。

 しかし、たとえ千年の間、『本草(ほんぞう)経』や『大素(たいそ)経』の漢方薬学の書を読み唱えても、人体を構成する固体・液体・エネルギー・気体の四大要素の不調和によって生じる病気を治すことはできないのです。

 そのように、たとえ百年の間、あらゆる経典の中身を論議してみても、貪・瞋・癡より生じる煩悩(欲望がひき起こす余計な考え)を退治することはできないのです。


 海の水のすべてをくみほすほどの不退転の信念をもち、鎚(つち)の鉄のかたまりをけずり磨いて細い針をつくるほどの努力の人でなければ、誰が、誰もが平等にいのちのもつ無垢なる知に目覚めてブッダになれるというすぐれた修行法を信じて、日常の思考を超越した深い瞑想の世界に入る修行をすることができるでしょうか。


止(や)めましょう、止めましょう、

そんな途方もないことを思うのは。

わたくしはまだそのような人に会ったことがありません。


 しかし、そのような人はほんとうに遠い彼方の人なのだろうか。(そうではないのです)ひたすらに信心し、修行を実行しさえすれば、その人がそうなのです。

 その人こそが男女を問わず、無尽の信心と努力を重ねることができる人なのです。

 そのようにひたすらに信心、修行をすれば、貴い人、賤しい人の区別なく、ことごとくが宗教的な能力・素質をもち、無限の法を受け入れる器(うつわ)をもつ人となれるのです。

 その器によって、鐘を叩けば鳴り、声を出せば谷に響くように、たちまちにして理趣に感応できるのです。


 たとえ、薬箱に妙薬がいっぱいにあっても、服用しなければ効き目はありません。

 また、衣装箱に大事な衣服をいっぱいに持っていても、着なければ寒さは防げません。

 ブッダの弟子のアーナンダは、ブッダの傍にいて一番多くの説法を聞きましたが、それだけではさとりを得ることはできないのです。ブッダがさとりを開かれたのは日々の精進勤行の結果なのですから、そのブッダが修行された通りに精進することこそがさとりを得るお手本なのです。そのようにして、代々の祖師もみな修行によってさとりを開かれて来ました。


 しかし、悲しいことですが、

 1、時代的な環境が腐敗し、人間関係が荒んで他者を受けとめる心のゆとりがなくなり、それぞれが生存本能のままに生きなければならないことによる時代の濁り。(劫濁:こうじょく)

 2、独善的なイデオロギーによって、他者の考えを聞く心が失われてしまうことによる思想の濁り。(見濁:けんじょく)

 3、貪(むさぼり)や瞋(いかり)などの、人間不信の浅ましい心が惹き起こす精神の濁り。(煩悩濁:ぼんのうじょく)

 4、他者の傷み、悲しみを感じられなくなることによって、ともに生きるいたわりの心を失う濁り。(衆生濁:しゅじょうじょく)

 5、自他の生命が粗末に扱われることによって生存が短くなる濁り。(命濁:みょうじょく)

 などの五獨(ごじょく)がはびこる世になり、人の心がそのせいですっかり自己中心的で驕(おご)り荒んでしまい、ブッダの信者までもがブッダが説かれた方便を聞いただけですでに妙果(さとり)を得たとして、ブッダが妙果の真実の法(妙法)を説こうとされても、聞く耳を持たなくなってしまったのです。

 その後、人間ブッダは濁世(じょくせ)の衆生を棄てて、永遠の瞑想の世界に入られてしまわれました。

 (そのような訳ですから、ブッダの妙法は、残った一部の弟子たちによって師資相承されることになり、大勢の信者を前にしてブッダが妙法を説法する機会は永遠に失われてしまったのです)


 五獨に染まり、驕り荒んだ心をもつ者が、その鳴る音を耳にすると皆死んでしまうという毒薬をぬった太鼓のように、ブッダの妙法は聞く者すべてを済度するほどに功徳が広大無辺であったため、その劇薬(使う分量をまちがえると、はげしく中毒するくすり)に近い効き目によって、楚の刀工干将(かんしょう)と妻の莫耶(ばくや)の夫婦が打ち、やきを入れて鍛えた名剣が、「真の用法を知らないと自らを傷つけることがあるから、小人に与えてはならない」との戒めをもつのと同じように、みだりに人に伝えてはならないこと(つまり、未入壇の者には真言の教えを授けないということ)が先師からの教えとなっています。

 ですから、この先師の訓戒は慎んで聞かなければならないのです。(恵果和尚より正統密教を師資相承されたわたくし空海も、この戒めを絶対に守らなければならない立場にあります。どうぞご理解下さい)


 (そのようなことで)御身がもし、(妙法を得たいのであれば、密教独自の戒律である)三昧耶戒(さんまやかい:ブッダとの約束にもとづく戒め)を守り、それに背くことなく、自らの身命を守るようその戒めを守り、その戒めの根幹をなしている四つの禁目、

 1、正法(ブッダが定められた通りの生活、修行を行ない、禁じられたことは行なわないという法)を捨ててはならない。

 2、さとりを求める心を捨ててはならない。

 3、正法を伝えることを惜しんではならない。

 4、生きとし生けるもの為にならない事があってはならない。

を自分の眼を大切にするように保ち守り、教えどおりに修行を積み、教えを乞うにあたっての盟(ちかい)を立て、法を伝えるのにふさわしい功績をあげられるならば、いのちのもつ無垢なる五つの知(五智:ごち)、

1、法界体性智(ほっかいたいしょうち):澄んだ水があらゆるところに行きわたるように、万物の世界に行きわたっている知。「知の自性平等」<大日如来>

2、大円鏡智(だいえんきょうち):澄んだ水の表面に万象が映ずるように、一切万有はありのままであるとする知。「万物の平等性」<阿閦(あしゅく)如来>

3、平等性智(びょうどうしょうち):澄んだ水の水面が同じ高さになるように、あらゆる存在は平等であるとする知。したがって、すべての利益は等しいと知る。「利益の平等性」<宝生(ほうしょう)如来>

4、妙観察智(みょうかんざっち):澄んだ水の水面がすべてを正確に映し出すように、あらゆる存在の差別相を正しく観察する知。その観察の結果、生きとし生けるものの自性は泥田に咲く蓮の花のように清浄であるとさとり、その清浄である存在によって、すべてが教化できるから、真理は平等であると知る。「真理の平等性」<阿弥陀如来>

5、成所作智(じょうそさち):清らかな水がすべてのものに浸透し、その成長を育むように、生あるものどうしが互いにはたらきかけ、あるがままに成すべきことを為し、ともに生きる知。したがって、すべての生あるものの活動は、すべての分別動作そのままに平等であると知る。「活動の平等性」<不空成就(ふくうじょうじゅ)如来>

を師資相承することになるでしょう。

 そうなれば、ブッダの真の法『理趣経』の注釈書である『理趣釈経』をいつでもお貸しすることができるのです。

 つとめてご自愛下さい。

 使いの者の帰るに当たって、ここに些か私見を書き記しました。

釈の遍照(空海)

続遍照発揮性霊集補闕鈔 巻第十『答叡山澄法師求理趣釈経書』より



<付記>

理趣の答案-項目-

 ①基礎論理「九つの理趣」

  ・聞く理趣

  ・見る理趣

  ・思う理趣

   -

  ・心の理趣

  ・いのちのもつ無垢なる知のちからの理趣

  ・生きとし生けるものの理趣

   -

  ・文字の理趣

  ・観察の理趣

  ・実相の理趣

 ②理趣の本体=身体活動

 ③自他という二種の理趣

 ④自己の二種の理趣

  ・認識作用より成る仮(かり)の自我

  ・無我より成る大我

 ⑤理趣の授受の規範

  ・師

  ・以心伝心

  ・授受の時機

 ⑥受け手の能力・素質

  ・本物を見分ける目

  ・即断実行

  ・信心と修行の実行

 ⑦師資相承の訓戒

 ⑧戒律・修行・受法の盟(ちかい)

 ⑨五つの無垢なる知の目覚め

 


解説

 こうして最澄宛の空海の返書を読むと、その後、天台宗と真言宗との間で教義上の確執をもたらすことになった事柄の根幹を知ることができる。

 最澄は空海が請来した経典の借覧を度々乞い、その都度、空海は快く貸し出しに応じていたのだが、『理趣釈経』借覧を求める手紙に対しては、長文の返書をしたため、何故、現時点において貸し出すことができないかを極めて丁寧に、そうして論理的に説明したのである。

 同じ仏教者として、空海のこの率直な言葉を、賢明な最澄はどう読んだのであろうか。


 802年(延暦21)、最澄(767-822)は桓武天皇より入唐求法(にっとうぐほう)の短期留学生として選ばれ、804年(延暦23)の7月、空海(774-835)と同じく(空海は遣唐大使藤原賀能の第一船に、最澄は第二船に乗船した)九州を発っている。

 このとき、空海が一介の学問僧であったのに対し、最澄はすでに叡山の座主であり、法華経の第一人者として、宮中に出入りする高僧であった。

 9月明州に到着した最澄は、天台山に登り、八ヶ月間天台教学を学び、さらに大乗菩薩戒を受け、禅と密教を相承した。

 805年(延暦24)5月に帰朝し、806年(大同1)1月には日本の天台宗の開宗となった。

 その教義は留学時の修学事情に合わせて、法華円教・真言密教・達磨禅法・大乗菩薩戒を融合する総合的なものであった。


 当時の日本の仏教(南都仏教)といえば、仏教の教理の研究を中心とした学僧たちが、それぞれの学派にもとづく宗派(唯識論の法相宗/存在の範疇を「認識作用」と「自然界と生物界」と「生・行為・意志」とに分類し、それらの要素を分析研究する倶舎宗/空の論理の三論宗/三論宗に付属し、「個体のもつ自我の空」と「個体本体の構成要素の空」を検証する成実宗/僧侶が守るべき戒律を策定する律宗/「一即多、多即一」の有機的理論によって世界を把握する華厳宗)を成し、厳しい戒律を守って自己のみの解脱(小乗)を目指すというものであった。

 これに対し最澄は、仏教の教えは一乗であるとする天台教学の説く「声聞(教えを聞いて学ぶこと)と縁覚(ひとりでさとりを得て、他に説かないこと)と菩薩(目覚めたもののもつ無垢なる知のちからのはたらきを担うもの)との三乗は、仏教教化の方便(手段)であり、ことごとく仏一乗(目覚めた人、すなわちブッダのもつ無垢なる知のちからという一つの乗り物)に帰す」(法華経)の教えを唱え、そのことによって、一切の衆生が救われるという教え(大乗)を展開するとともに、僧侶による社会的貢献をも規定した。

 また、比叡山で修学修行する者の専攻を「止観業(しかんごう)」と「遮那業(しゃなごう)」の両業と定め、天台宗の教学の二本柱とした。(「止観業」とは、中国隋代の天台大師、智顗が自らの証悟により体系づけた『法華経』を所存とする天台の教理と実践のことをいい、また「遮那業」は、『大日経』を中心とする真言密教のことを指す)

 最澄は、当時この止観業である「法華一乗」の教えと、遮那業である「真言一乗」の教えは、ともにさとりを得るための大乗の究極の教えであるとし、両者に優劣をたてるべきではないという考えを示している。


 最澄と空海の生きた時代は、794年(延暦13)に都が平安京(京都)に移されたことによって、腐敗していた南都(奈良)仏教が、新しく生まれ変われる時機にあった。

 その状況下に、唐に留学していた最澄(805年5月帰朝)と空海(806年10月帰朝)が相次いで日本に帰ってきたのだ。

 帰朝した二人は早速、新しい仏教の樹立という目的に向かって手を組んだ。その様子は本文手紙の始めにも記されている。

 また、「それぞれが唐で学んだ宗派を含め、あらゆる仏教の教えを仏一乗(目覚めた人であるブッダ、あるいはブッダのもつ無垢なる知のちからそのもの)に融和総合させること」「仏教の慈悲によって広範囲の社会事業を実践すること」などを協議し、意見を一致させ、ともに協力して仏法興隆に尽くそうと誓ったのである。

 その融和総合の方は、最澄の天台宗の教学や、空海の『十住心論』の執筆となり、その慈悲の実践の方は、最澄の『山家学生式(さんげがくしょうしき)』(天台宗僧侶の修行規則)に記された人材育成目的「国の宝とは道を修めようとする心をもつ人のことである。道心ある国師国用を訓育修行させて、地方に派遣し、治水産業の指導と、経典を講じ心を修め、国民のために働かせたい」となり、空海においては、満濃池や益田池の治水工事、大輪田泊の港湾整備、東寺の建立、わが国最初の庶民学校・綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)の創設などの多方面の社会事業となって実現された。

 このように国家国民のための新しい仏教を、お互いに協力して弘(ひろ)めて行こうと約束していた二人に、その当初において垣根などはなかった。

 そのことから、同志であり、親しく交わっていた最澄に、空海が率直な言葉をもって理趣(真理に至るための道筋。道理)の論理を説くことになったのだ。

その率直な言葉をもって空海が最澄に諭そうとしたのは「理趣は経典の文の中にあるのではなく、お互いの身体活動の中にあるから、以心伝心によってのみ伝えることができる」ということである。

 返書には一貫してそのことが述べられている。

 そのことを何としても最澄に理解させようとする空海の言葉には手厳しいものがあるが、それが仏教者としての面目である。

 その熱意を同じ仏教者として、最澄が理解できなかったはずがないと思う。


 さてそれよりも、空海のこの手紙には、人間学としての普遍的なテーマが語られている。そのテーマは古代中国の思想家、荘子の次なる説話と重なる。

 「竹を編んで作られた荃(せん)は魚をとらえるための道具である。魚を得る(捕らえる)と荃のことは忘れる。

 足をひっかけるわなである蹄(てい)は兎をとらえるための道具である。兎を得る(つかまえる)と蹄のことは忘れる。

 (そのことと同じように)言葉は物事の意味をとらえるための道具である。意味を得る(理解する)と言葉のことは忘れる。

 わたくし荘子は、そのように言葉を忘れることのできる人(すなわち、世界の真理をさとった人)をどこかで得て(見つけて)、ともに語り合いたいと思う。」

『荘子』雑篇の中の「外物篇第二十六の十三」より


 という内容であるが、この説話に照らすと、荘子の話し相手に空海ならすぐにでもなれるが、最澄は言葉(文章)に執着しつづけている人だから、荘子の話し相手には当分はなれそうにもない。


 空海のつぶやきが聞こえる。

 「真理をさとっていれば、すでに文章は不要である。それなのにどうして最澄和上は次々と経典の借覧をお求めになるのですか」と。


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