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空海の構想

Ⅱ空海の構想

(1)知力の発見
 
 ブッダはヒトの意識の本質を見極めた。そして、世界を識別することを方便として、自在に操り、意識を執着から解き放つ話術を用い、悩める多くのヒトビトの救済にあたった。(その行動力は、知力による慈しみであった)

 荘子は、ヒトの知性が世界を識別することの愚かしさを、てっていして排除した。そして、自然のもつ知力にしたがって、あるがままに生きることを寓話にして、ヒトビトに説いた。

 この先人たちの英知から一千年の後、空海もまた、知力の存在に気づいた。
 彼の哲学書となる『十住心論』において、そのことは、九つの知性と十番目の知性(知力)として、明解に語られる。
  第一の知性・(知性以前)生物の欲求<欲求知>
  第二の知性・徳と善悪<倫理知>
  第三の知性・インドの神々と哲学<神話知>
  第四の知性・瞑想と自我の発見<自我知>
  第五の知性・"ヒトの一生の意識の原理"の思索《ブッダ》<思索知>
  第六の知性・意識(脳)のはたらきとこころの本質<啓蒙知>
  第七の知性・「生じないし、滅しない」《ナーガールジュナ》<現象知>
  第八の知性・物理学的な世界の本質<存在知>
  第九の知性・生物学的な世界の本質<実在知>
  第十の知性・(知力)"すべての生物と共に生きる原理"《空海》<共生知>

 以上、九つの知性と十番目の知性(知力)によって、ヒトは生きよと。
 九つの知性は、人類の思想史の考察である。では、十番目の知力とは何なのか。
 それを、空海はインドの仏典「金剛頂経」に見出した。
 「五智よりなる四種の法身(いのちの五つの知のちからからなる自然界の四つのいのちのすがた)」である。
 その五智と四種の法身について、空海は以下のように説いている。

 「五智」(意識あるものに共通する)五つの知のちから
1、生命力(自然界のいのちの輝き、そのものの知力)〔法界体性智〕
2、生活力(清らかな鏡に万象が映じるように、無心に生活する知力)〔大円鏡智〕
3、創造力(自然と調和することによって、平等となるかたちを生みだす知力)〔平等性智〕
4、学習力(あらゆる存在のちがいを観察し、その知を共有する知力)〔妙観察智〕
5、身体力(生きとし生けるものに敬意をもってはたらきかけ、行動する知力)〔成所作智〕

  「四種の法身」(自然界の)四つのいのちのすがた
1、生命圏(エネルギー循環)のすがた《融通無碍の相》〔自性法身〕
2、さまざまな種のすがた《生物の多様性と種の仲間》〔等流法身〕
3、繁殖(生殖と遺伝)のすがた《一つひとつの個性の誕生》〔変化法身〕
4、個体のすがた《生を遊び楽しむからだ。自分と他人》〔受用法身〕
 
 これらの五つの知のちからによって生きるいのちが、自然界に共生し、その時々の持ち分の四つのすがたを現している。

 「こうしたいのちの知のちからと変化の中に、ヒトもいる訳だから、じたばたしたところで、これ以上の生きている原理など何処にも存在しない。ヒトはその変化を見る目を持ち、そのちからを知るこころを持ち、そのいのちの生活に立ち会っている。ヒトはすでに、何もしなくても、最高の楽しみを得ているのだ。」と空海は悟った。

 これが第十の知性(知力)なのだ。(知性の及ぶところではない)

 空海はそこから生まれる世界観を図と展示と演示によって示し、未来へと放った。「世界のすがた(物質・生命・意識)」〔胎蔵〕と「物質といのちをうごかしている原理」〔金剛界〕で一対となる『マンダラ』である。その世界観の構築にあたってはイメージ〔大マンダラ〕・シンボル〔サンマヤマンダラ〕・単位と言葉〔法マンダラ〕・作用〔カツママンダラ〕の表現手法が用いられた。

 この『マンダラ』を神仏像として表し、礼拝堂としたものが、高野山の「大塔」と「西塔」
東寺の「五重塔」と「講堂」であり、今も現存する。
 
 
(2)いのちと自然
 
 空海の主要書の一つに『声字実相義』がある。声と字、すなわち「言語」と、言語によっ 
て現れる実相、すなわち「真の世界のすがた」の義、すなわち「道理」である。「言語によって
現れる真の世界の道理」といった意味である。この言語哲学書において、空海はヒトが世界のすがたを理解しているのは、世界を識別した結果であり、その結果は言語によってコミュニケーションされると説いている。しかし、言語によって表現できないところに、物事の真理が隠されていると言う。
 そこで、実在する世界をイメージによってとらえ、可能な限りの表現を試みる。論理ではなく、インスピレーションによる伝達である。それが空海の詩文となる。(荘子も、そうであった)その中に、いのちと自然を記した一文がある。

 「そのとき、あらゆるいのちと自然が調和し共生している世界が現れた。
 
 それと同時に、いのちの住みかである地上はおだやかになりあたかも、手のひらの上にすべてがあるようであった。

 山々は金・銀・琥珀にあふれ
 海は真珠と珊瑚によって満たされ
 谷には甘く・冷たく・軟らかく・軽く・清く・臭くなく・のどごしよく
 ・何一つ悪いものを含まない水が湧き
 その水のほのかなよい香りが山野に広がっている。

 空には美しい鳥がとびかい
 みやびな声でさえずっている。
 野には季節の花が咲き乱れ
 森にはみどりの木々がほどよくこんもりと茂っている。

 自然の奏でる音色は無数の楽器
 山野の響きと呼応している。
 その妙なるリズムを
 いのちある生物の一員であるヒトも聴いている

 はかり知れないいのちたちが
 その進化の道をふり返り
 今ある自然の中での存在と住みかを慈しんでいる。

 そこにいのちの知力の座がある。

 すべてのいのちは
 自らの進化の道を正しく引き継ごうとする
 いのちの知力によって生きている。

 そのいのちの連鎖するすがたは
 世界に大きく広がった蓮の花のようであり
 その中で、それぞれの種がいのちの知力によって住みわけ
 安住し、いのちの輝きを放っている。」

 空海の理想とする"自然界の美しいすがた"である。
 「自然界は生命圏(エネルギー循環)のすがたを成し、その中でさまざまな種が生きている。それぞれの種は、すべて繁殖(生殖と遺伝)によっていのちをつなぎ、進化している。その標しの"いのちの知力"によって、あらゆる生物が安住できる」と空海は言い切った。

 また、次のようにも記している。

 「ときに、すべてのいのちには、生存し、共生するためのちからが備わっている。
 一に、自然と共生するちから。
 二に、衣・食・住を得るちから。
 三に、生物の種としてのちから。
 四に、知覚のちから。
 五に、観察し、学習するちから。
 六に、困難を克服するちから。
 七に、道を求めるちから。
 八に、他に対する慈しみのちから。
 九に、無心に尽くすちから。
 十に、無心に生きるちから。
 これらの十のちからを身に付けているさまざまないのちが自然の中で生活するとき、そこに限りないすがたが、色とかたちとうごきとなって現れ、世界を彩る」と。

 "知力"によって生きるあらゆる生物が、その生涯において遭遇するであろう局面に対して、十の知のちからを発揮していることを述べているのだ。

 ヒトの知性は、この十のちからの内、五番目の「観察し、学習するちから」の展開に過ぎない。"あるがままに生きる"ただ一点にしぼられた"知力"をヒトも発揮できるようにと空海は説いている。
 
 
(3)森林の中の"知力センター"計画
 
 ヒトが"知力"を取り戻し生活する場、そのことを空海は計画した。

 「計画主旨」
 一、立地
 豊かな自然のあるところ。なぜなら、そこがいのち故郷なのだし、自然環境の多様性によって、いのちはかたちを形成できる。そこを住みかとする草木虫魚禽獣と共に生活することによって、あらゆる生物の有する知力を感受できる。また、エネルギー循環(生命圏)の一員としてのヒト科を自覚できる。そのようなところで、寝起きする社会モデルを実践する。
 二、衣食住
 自給自足を原則とする。畑を耕し、食材を採集し、加工し、料理する。燃料と良き水を得る。衣服を作る。木材を切りだし、寝るところと作業所とお堂を築く。植物や鉱物を材料として各種道具や薬を作る。そして、それらの恵みをもたらしてくれる自然を保全する。
 三、知力の学習
 声と響きと文字、図と展示と演示、それらの媒体による物事の識別ではなく、五感とからだによるインスピレーション的把握と、あらゆる実在の場に生じている内外の自然のリズムの感知。そのリズムの伝達と共有。
 四、修行
 知力によって生きる個体としてのからだとこころのコントロール。作法と運動、そして祈り。
 五、以上の一日(昼と夜)と四季と年間の行為と、他の住み場への行脚による知力によるボランティア活動。
 (一は生活知力、二は創造知力、三は学習知力、四は身体知力、五は生命知力に対応する)
 
 そのようなことを実現させる場ととして、空海は少年の日に登山したことのある高野山を選んだ。816年の6月、空海は嵯峨天皇にその地を賜りたいと申し出、翌7月に手に入れている。そして、817年に弟子の実慧と泰範に山の実地調査をさせ、高野山麓の丹生氏の援助を得て、山上に草庵をこしらえさせた。818年、空海45歳の冬、勅許後はじめて高野山に登り、そのまま滞在し、翌年の春に山上の施設造営に着手した。

 こうして、空海はヒトの住み場の理想郷(ヒトが知力によって生きるモデルとなる場)を求め、そして、その場を開いた。
 さて、この高野山に築かれた"知力センター"は今日の生態学(エコロジー)的にみると、どのような意味を有するのか、少し考察してみよう。

 梅棹忠夫/吉良竜夫編『生態学入門』によれば、
 「住み場所は、空間であり場所である。それは、生物自身が、そして世界の構成要素自身が、すべては空間的にしか存在していないという構造によっている」とある。(この空間の概念が、空海の説く五大要素、地・水・火・風・空の内の空、すなわち空間そのものである)
 また、「各種生物の生存するこの空間は、物質によって形成される地形とその場所の気候と、土壌と、水質と、空気によって、物理的特性(これらも、空海の説く、地・水・風、すなわち固体・液体・気体と火によって表すエネルギー、気候もエネルギーである)をもち、そこに棲息する生物によって、景観といった、意識された環境を生じる。(この意識が空海の説く意、すなわち意識である。この要素を加えて地・水・火・風・空・意の六大を世界の構成要素としたのは空海の先見であった)」とある。

 この今日の生態学の説く景観の一部として、ヒト科の生活社会も鋭く、あるいはやわらかく自然の成す空間の中に入り込み、それぞれの場所で、その意識によってさまざまな生活様式(文化)を築いている。

 空海の築いた高野山のヒト科の住み場所もこの生態学的な概念にしたがうものである。しかし、そこは世界の本質の場としてマンダラの生活を実践し、「五智」と「四種の法身」に目覚めるヒトビトの住む空間としての意味をもつ。
 この山岳都市は今日まで一千年以上、持続されてきた。そこでは、仏(いのち)と、法(いのちの原理)と、僧(知力によって生きるヒトビト)の三宝に帰依するヒト科の生活が実践されている。

 生態学理論「すみわけ」を提唱された今西錦司さんによれば、「生きているということは、その生物が世界の一部と、主体<環境系>をつくっているということである。環境とは生活の場であり、生活の場は住み場所である。種社会という具体的な存在が、一つの全体として実現するということは、それがこの世界の中に固有の生活の場を確保しているということである。種と称せられる一群の個体のあつまりが、自らに生活の場と緊密にむすびついて、そこに独特の系を形成し、維持しているということである」となる。

 見事ではないか、空海によって築かれた高野の地では、今西さんの提唱する"生活系のすみわけ原理"によって、ヒト科の"知力"による生活が森林系の自然と共生する一つの生態学的モデルを実現してきたのだ。それも一千年以上にわたって。それもこれも、すべて空海の構想に端を発し、今日の科学に結びついたのだ。
 もう一つの人間の大地がここにある。                                                                                 

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