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『空海の夢』ノート 3

●4--意識の進化

 その生命と意識の問題を、松岡さんは空海の『十住心論』にも見た。私たち(真言宗)の常識によれば、この空海最後の大著は真言宗がどの仏教宗派よりすぐれていることを論証した「教相判釈」の書、ということになっている。
 しかし、松岡さんは言う。

この大著の特徴は一口にいうと、意識というものがどのように発展し、最高位の極意に達するかという、意識のエントロピーの流れをあつかっていることにある、と。

 スタイルは仏教思想史の体裁をとりながらも、その内実は意識の発展階梯だという松岡さんのような指摘は、近年に至るまで伝統教学の人にはできなかった。
 松岡さんがそこで言うように、ヘーゲルの『精神現象学』とまでは言わないが、この『十住心論』を広い視野で論ずることもなく、一種の知財封鎖ではないが、大師教学とか宗学の中に閉じ込めたまま万機公論の場に供しなかった伝統教学の「知」の狭さは問われなければならない。

『十住心論』とは、正確には『秘密曼荼羅十住心論』、その要約の略本が『秘蔵宝鑰』である。

「十住心」とは、
「異生羝羊心」、食欲と性欲の動物的本能的生の段階。
「愚童持斎心」、儒教的道徳倫理が芽生える段階。
「嬰童無畏心」、宗教的心情が芽生える段階。
「唯蘊無我心」、存在や現象は五つの要素の集まりにすぎないという「無我」説の段階(声聞)。
「抜業因種心」、「十二因縁」を観じて「苦」の原因である「無明」の種を除く段階(縁覚)。
「他縁大乗心」、他者を救済するために慈悲の行いを実践する大乗の「菩薩」の段階(法相宗)。
「覚心不生心」、「空」の論理によって一切の実在を否定する「空観」の段階(三論宗)。
「一道無為心」、「空・仮・中」の唯一絶対の真理、「空性無境」の「法華一乗」の段階(天台宗)。
「極無自性心」、対立を超え一切万有が連関し合う、重々無尽の「法界縁起」の段階(華厳宗)。
「秘密荘厳心」、宇宙法界の人間的な真実相を示す荘厳の「マンダラ」の段階(真言宗)。

 松岡さんの生命と意識への視点は、人間の直立二足歩行や、言語の獲得や、記憶の発生や、距離観念の発生や、定住意識と遊行意識の芽生えや、まだ見ぬ「彼方」の想像や、アトランティスや浄土やシャンバラの幻想や、此岸と彼岸の観念の発生へ、と広がっていく。そして、声の文節化から大脳への記憶(言語化)へ、やがて直立二足歩行の逆進化としての「坐る」すなわち「意識と言語の中断」という東洋のおそるべき発見に論が進む。

 つまりヨーガのことである。しかし「意識と言語の中断」の方法が発見されたにもかかわらず、意識と言語は消えることがなかったのはなぜなのか、言語記憶の問題が提起され大脳生理学的メカ二ズムに話が及ぶ。

 言語記憶が場所の記憶とつながっているということは、すでにアウグスティヌスやトマス・アクィナスものべていた。われわれもあるひとつながりの発語記憶をひきだそうとおもうなら、その発語記憶に関連する場所をおもいだしてみなければならない。

 つまり言語記憶とその再生にはつねに「場面」が必要だったのである。

 ブッダの言葉がのちのち大乗と小乗をはじめとする解釈分派闘争にまきこまれたのは、実はこの「場面」の設定の差にもとづいていた。

 『法華経』と『華厳経』の差はそういうことである。『般若経』と『維摩経』の差もまたそういうことである。

 言語はそれが生まれ育った現場から完全に切り離してしまうわけにはいかないはずだったのである。


●5--言語の一族

 松岡さんの「知」のトレースが、生命から意識へ、意識から言語へと移っていく。
 この章では、生まれながらにして言語の発達が異常に早かったといわれ、のちに奈良の大学寮での中国古典の暗記や、雑密の記憶術「虚空蔵求聞持法」に異能ぶりを発揮する空海のルーツについて、松岡さんの古代日本考がたっぷりと語られる。

 まず空海が生まれた讃岐の佐伯氏の家系のこと。
 『御遺告』からの、中央豪族の大伴氏の系流の佐伯氏ではないだろうという説。逆に多くの大師伝からの、その大伴系から出自しているという説。そこにまた『沙門空海』(渡辺照宏・宮坂宥勝)の、空海の生家は大和朝廷の捕虜になった蝦夷(アイヌ)が集団的に配流された地方(播磨・讃岐・阿波・安芸など)の国造の「佐伯直」という説。

 ここで重要なのは、空海の一族がなにやら奇妙な係類のうちにありそうだということ、しかも「古代言語の魔術」というものにかかわっていそうだという、その消息だ。

 ひょっとしたら空海の背景には、のちに「十界に言語を具す」と断じた空海自身を動かしたやもしれぬ古代言語の呪力に充ちた歴史がひそんでいるのではないかということである。

 次いで「サヘキ」と「トモ」考そして「古代言語観念の異常なシステムを想定しながらの往時の事情」に移る。

 まず、サヘキは奇妙な言葉をつかう服属一族だったということである。

 古代言語観念の世界においては、「おまえは誰か」と問われて自身の名を言ってしまうことがそのまま服属を意味していたという絶対的事情もあった。

 空海が高野山に入ったおり、山中で猟師や山人に出逢う話が『今昔物語』にのっている。 ここで最初に空海が出逢った猟師からは先に名を尋ねられ、ついで出逢う山人には空海から名を問うているという「順」が示されている。先の猟師は高野明神、後の山人は丹生明神である。空海は高野明神の名を丹生明神の口から聞き出してしまう。空海の言語力がかれらを上回ったという暗合である。武力ではない。いわゆる神異力によるものでもない。

 山中に入るにあたっては、古来からのコトダマによる言語交通の極意をもって一山を折伏してしまうべきであることを熟知していたのであろう。

 コトダマに入った話は、ここでまた宮中の「語部」として「サヘキ」と「トモ」に変わる。その一族に歴史の波が押し寄せる。長岡京造営中に起きた藤原種継暗殺事件。その首謀者が事件の二十日前に死んだはずの大伴家持で、下手人が大伴継人だという話。大伴家持は「サヘキ」と「トモ」両族の代表として首謀者にまつりあげられたのだ。空海のルーツの讃岐の佐伯氏の周辺にも、中央の朝廷に関連する歴史の波が時には大きく時には小さく押し寄せてきていた。

 この事件ののち、早良親王が乙訓寺に幽閉されついに憤死にいたったため、この怨霊に桓武天皇が何度も苦しまされた話は有名である。

 その乙訓寺に後年空海が赴く。そこでライバルの最澄から「潅頂」受法の申し入れに出会う。

 言語の一族と題したこの章は、私にとってロマンに満ちた古代史だったが松岡さんの古代日本考についていくほどの知識のないことが悔やまれてならない。
 いずれにしても、奇妙な言葉を使うほどの異言語の交じる環境で育った空海は、幼少の早い頃から言語に異能ぶりを発揮する。その言語力がのちの空海にとって大きな結果をもたらす原動力になることを予感しておきたい。



●6--遊山募仙

 話は、コトダマから霊力がこもる「ヤマ(山)」へと進む。

 ヤマはまた山中他界の場所でもあった。そこからはヨミの国が通じているはずだった。

 松岡さんは、空海の時代にはすでにヤマに畏怖すべき観念が集中するようになっていたことを紹介し、こうしたヤマ観念など日本の山岳崇拝の背後にあるものを語りはじめる。

 話は「須弥山」という仏教が構想した宇宙法界の「世界山」にはじまる。「須弥山」とは実際にはヒマラヤだったりパミール高原だったりという説もあるが、日本ではお寺の本堂の「須弥壇」となり、厳島神社のある宮島の山頂のある山を「弥山」と言ったりする。
 この「須弥山」はもちろんバーチャルなヤマ、仏教の瞑想により意識の中に画かれたサトリの象徴である。

 次いで中国の聖嶽信仰となり、泰山・華山・霍山・恒山・嵩山の五嶽。中国のヤマは天下を修める意識と結びついていると言う。これら名山には方士や道士といった神仙タオイズムの修行者たちが不老長寿の神仙になるために入っていったのだ。
 このほか、中国のヤマ信仰に崑崙山信仰と蓬莱山信仰があると言う。いづれも不老長寿の信仰の山で、蓬莱山は海中の天として日本の浦島伝説のつながり、蓬莱飾り(のちの鏡餅)になったり、枯山水の庭園にも多用される。

 そこに、空海とタオイズムの関係が登場する。

 愚者をよそおい智を淪し、おのれの光を和らげてあえて狂を示す。(三教指帰)

 「心にまかせて偃臥し、思にしたがって昇降すること。淡泊かつ無欲、寂漠として声なき道の真理を一体化して、天地の寿命と日月の生をともに抱けば、なんと優なるかな、なんと曠なるかな、東王父、西王母の存在もけっして信じられないことではなくなろう」。(三教指帰より)
 という、空海が大学を出奔してヤマに入り「沙門」(シャーマン)というよりも「タオ(イスト)」なってヤマを渉猟したイメージが紹介される。
 しかし、空海は神仙タオイズムを極めようとはしなかったこと、そして同じヤマの修行者「山伏」(修験者)とのかかわりや虚空蔵求聞持法や古代開発技術へとヤマの霊力の話が展開していく。

 まず、日本九峰。大峯山、彦山、立山、白山、富士山、二荒山、伯耆大山、石鎚山。
 古代山伏たち。日本列島の背骨と肋骨にあたる山脈山系に跳梁する山林修行の一団。

 ヤマを開く。ヤマは彼らの特殊技術の開発拠点だった。
 葛城山や大峰山の「役小角」、彦山の北魏の「善正」と豊後日田の狩人「忍辱」、出羽三山の「能除太子」、白山の「泰澄」、日光の「勝道」。みな開発技術プロジェクトリーダーだった、と。

 そして、虚空蔵求聞持法。修験者の間で行じられる一種の記憶術。虚空蔵菩薩の大咒「ノウボウ アキャシャギャラバリ オン アリキャマリボリ ソワカ」を何万遍も唱える念誦行。

 吉野修験。元興寺の法相の僧・神叡が吉野の比蘇寺(現光寺)で修したものが山岳ルートで全国に伝わった。
 「勝道」は求聞持法を行じていたらしい。空海はのちに「勝道」上人の顕彰の碑文を書いている。「勝道」の求聞持法のことはヤマの特殊情報網によって空海にもたらされたのかも知れない。

 かれらは土地を熟知し、その山相水脈を読む古代観相学者であって、また鉱物や薬草の分析に長じてた古代化学者でもあった。

 南都仏教の衰微を眼のあたりにしていた青年空海が、こうしたいまだ全貌の見えざる陰秘のネットワークに強烈に吸引されたとしてもけっして不思議ではなかった。

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