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空と海と風と 夫婦で愉しむ道草遍路  第四十二回

★慈尊院と女人高野の謎、合理精神と女人禁制

 橋本市の「ゆの里」を発つと、妻のリクエストで九度山町の「慈尊院」に立ち寄った。
 彼女は若い頃、有吉佐和子の『紀ノ川』を読んでいたので、小説の舞台となった慈尊院に行ってみたいと言うのである。

「和歌山に嫁いだ花が身ごもって九度山に里帰りをするのよ。母親は安産祈願のために娘を連れて慈尊院を訪れるの。乳型絵馬を奉納しながら、母親は、ここは弘法大師の御母堂が祭られている女人高野だと娘に語るの。そして母娘は住職のもいでくれた柿の実を食べながら秋の日だまりの中でひとときを過ごすのよ」
 そんな場面があったらしく、どうしても慈尊院に寄りたいと言う。
「ゆの里」で思いもよらぬ時間を過ごしてしまったので、気が急いていた私はさっさと高野山に登りたかったが、妻に譲歩してまた寄り道することにした。

 紀ノ川の渡し場から門前町を通り抜けると一段高いところに表門があった。大師の御母堂(弥勒堂)に折り鶴を奉納した妻は、何やら感慨深そうに辺りを見回している。境内を散策していると、私はまた新しい発見をした。ここ慈尊院の九度山という地名は、空海が高野山から母に会うために月に九度、必ず下山したことに由来していたのだ。

 慈尊院の歴史はこのようである。
 弘仁七年(816)、弘法大師が高野山開創時に、参詣の要所に
当たるこの地を表玄関として一帯の庶務を司る政所を置き、高野山
への宿所ならびに冬避寒業の場所とした。わが子の開いた山を一目
見たさに讃岐より母親がはるばる来たが、山は女人禁制のために登
れず、大師がここまで下山して迎えたとある。女の高野参りは慈尊
院までとなったのは、この故事に由来する。以来、この寺が「女人高野」と呼ばれてきた。

「九度山ってお母さんに会いに来た回数だったのねえ」
「月に九度だってよ。年にじゃないぞ、月にだぞ」
「三日にあげずお母さんに会いに来てたのね」

 境内には雲水姿の弘法大師が山道を下って母に会いに来る様子の描かれた看板がある。足取りも軽やかに下山する空海の姿をながめながら、私は何かとっても微笑ましい気持ちになった。ここにも空海と母性のつながりを示唆する事跡があった。

 空海が高野山の開創を具体化するのは、寺伝にある通り弘仁七年(816)43歳の時である。「朝市の栄華念念これを厭い、巌薮の煙霞日夕これを願う」と『三教指帰』に記した若い頃の思いが高野山開創に連なる。帰国後の空海は早くから真言密教を修行する理想の地を求めていた。それは都を遠く離れた幽邃の深山でなければならない。空海はその条件を満たす場所を高野山に見つけ、ここに真言密教の根本道場を築く。七里(28キロ)四方を女人禁制としたのもそのためだと伝えられている。

 高野山での空海は、どの評伝を読んでも俗世を離れて山林独座する姿として書かれている。結界の中に禅定する厳しく超然とした孤高な空海像ばかりである。そんな空海が三日に一度は下山していたのだ。自らを律することにおいて誰よりも厳しく、弟子にも十二年間、比叡山を一歩も出ずに籠山を奨めた最澄とはえらい違いである。

 このあたりの空海の行動を専門家はどう解釈しているのか。実はどこにも言及されていない。私の知るかぎり、空海研究者は何故か取り上げていない。研究テーマとするほどの意味がないのかもしれない。史実であるにもかかわらず、司馬遼太郎も無視している。私は空海の思想と人間性を考察する上で意外に重要なヒントが隠されているような気がする。行動は言語よりも雄弁にその人を語ることがあるからだ。

 阿波の第十八番・恩山寺にも似たようなエピソードがある。修行中のわが子を案じてはるばる恩山寺までやってきた母のために空海は女人禁制を解くのである。恩山寺はもとは行基が開いた密厳寺という女人禁制の寺であったが、空海は母親のために十七日間にわたって女人解禁の秘法を修して母親を山内に迎えたと伝えられている。恩山寺の境内に大師堂と公母堂が寄り添うように立っているのは、そういう伝承によるものである。

 厳格な密教者、神秘的な真言僧空海のイメージからはほど遠い、この楽天的ともとれる空海の振る舞いを、どう解釈したらよいのか。お大師さんの単なる親孝行話で終わらせていいのか。それとも空海の女人禁制には何か私たちが気がついていない別の意味があったのか。空海研究の中には何も語られていない。

「もしかしたら、高野山のお坊さんも戸惑っているんじゃないかしら。お大師さんもちょっと困ったことをしてくれたって」
「なにしろ空海は女人禁制の高野山の親分だものな。しかし、ボクはせっせと母親に会いにくる空海が好きさ。修行も一時中断して会いに行くなんて、さすが空海だあ」
「空海には修行僧はこうあらねばならないという堅苦しい掟に自分が縛られるところがなかったようね」
「形に囚われないんだ。戒律は方便であって、問題は神仏との関係性が正しく保たれているかという点にあったんだろう」
「そうだと思うわ。私はきっと空海は山で修行に専念したかったのだと思う。でも、年老いた母親がわざわざ善通寺から会いに来れば放っておけない。この場合は修行よりも親孝行を優先することが神仏の慈愛にかなうことだと考えたからでしょう」
「それを利他行って言うんだ」
「むずかしい言葉知っているのね。確かに自分のことしか考えられない修行僧なら涙をのんで追い帰したかもね」
「それを自利行って言うんだ」
「空海は自分の欲望では動いていなかったと思うわ。むしろ、はるかに私心を離れた人だったんじゃないのかしら」
「そうだと思う。最澄や空海が生涯独身を通したのは、そういう厳しさがあった証拠だと思うよ」
「煩悩を捨て切れずに妻帯すれば、妻帯をよしとするその教義はどこかで自己の欲望を正当化するために宗教を自利に引き寄せることになる。最澄も空海もきっとそこまで知っていたのね」
「空海なら妻帯したければプロの僧侶になることを断念しろと言うだろうね。最澄もそう言っただろう。一方で僧でありながら煩悩を断ち切れず、女犯の罪に苦しむぐらいなら世俗に生きよと言ったにちがいない」
「僧って本当は神仏と人間の仲立ちをする霊的な存在でなければいけないのじゃないかしら。霊力を身につけるには命がけの修行や人並み以上の禁欲がいる」
「その験力がまた現世利益に応える。平安初期まではまだそういう精神が生きていたんだろうな。だから、真面目な修行僧は破戒に人一倍罪悪感をもつものだ。簡単に女人禁制を解いたり、修行中にスタコラ母親に会いに行ったりはしないだろうね。そういう意味で、空海にとって女人禁制とは何だったか一度考えてみたほうがよさそうだ」
「空海が高野山を女人禁制にしたのには深い意味はなかったと思うわ。ある種の合理的精神じゃなかったのかしら。スポーツ選手が動物的な力を発揮するために禁欲するでしょう。女性のスポーツ選手だって同じことよ。ホンワカ恋愛してたんじゃ勝負に勝てないから男断ちをするじゃない。ある神がかった野性的なパワーを発揮するためには、心身を一つに集中するのは男でも女でも同じでしょう」
「つまり、禁欲自体に宗教的本質はない。それは方法論である。僧侶の霊性を保証するのは神仏との正しい関係性だ。親鸞もそう考えたからきっと妻帯したんだ。しかし、空海はそこに自己の弱さを正当化する密かなエゴを見るかもしれない。だから、空海はやはり独身を通したんだろう。この強烈なストイシズムがあの即身成仏という絶対的な自己肯定にもつながったんだろう。その自信があったから平気で下山して母に会えたんだ」
「つまり仏道に真摯であるからこそ、結界もするしまた解いたりもする......」
「その通り。一貫性がないように見えるけどさ。天皇や貴族に招かれて都会的な生活をするかと思えば、あるときは大自然の中に独座する。これは、梅原さんの言う人格的な矛盾ではなく、人間の世界と仏の世界を往き来する本来の僧として空海が生きていたと考えるべきだろう」
「むしろ、月に九度も母親に会いにくる空海にこそ偉大さを見るべきなのにね」
「でも、慈尊院の歴史ではね。ホラ、ここが高野山一山の庶務所として開かれたとあるよ。政所の事務を全て山上に移したのは天文九年とあるよ。ということは、この寺は相当長く高野山の受付所だったということになる。特に高野山創業当時はどうなるか?」
「いろんな物資や資材や寄付金やらが集まる窓口になるわ。あっ、そうだ。創業者の空海は、こりゃ忙しいわ。しょっちゅう山に登ったり下りたりしなきゃいけないわ」
「だろう?」
「そうだ。やっと思い出したわ!」
「思い出したって?」
「千二百年前のことだから、私、ちょっと忘れてたのよ。あのね、麓での所用は弟子に言いつけてもよかったんだけど、高野聖のオジサンたちも自分たちを使ってくれって言ってくれたんだけどさ。お母さんが来てるじゃない。だから自分でわざわざ行ったの。受付もやったし親孝行もやったし、ああ、あの時の忙しかったこと」
「さすが空海の生まれ変わりだ。言うことにリアリティーがある。だから三日にあげず下山したんだよ。空海は一石二鳥をやったんだ」
「ピンポーン。空海はただカアチャンに会いたくって三日に一度も通いません。アンタじゃあるまいし」
「何だと......? でも、これで空海がまた一つわかったね。空海は神秘主義と合理主義が同居しているんだよ。女人禁制も君が言うようにきっと修行上の合理的精神から出たものなんだろう」


★仏教とフェミニズム・釈迦が求めていたもの

慈尊院の本尊は、妻の一番好きな弥勒菩薩だった。寺伝によると、弘法大師の御母堂は弥勒菩薩を篤く尊崇せられたとある。御母堂が入滅されたとき、大師は御母公が弥勒菩薩になられた霊夢を見て、廟堂を建立して自作の弥勒仏と御母公の霊を安置されたとある。慈尊とは弥勒菩薩の別名であったことをここに来て知った。

「私、女だけど女人禁制って何故か当然だと思っていたわ。別に女性を差別されたとは思わないもの。女だって男子禁制の空間をもっているじゃない。あれ男性差別したつもりないわよ」
「ところがフェミニズム(女性解放運動)ではそうは考えないんだ。女人禁制こそ日本文化に象徴される女性差別だと主張するんだ。彼女らは日本の男尊女卑思想は儒教に始まるのではなくて仏教にあると言う。確かに釈迦仏教には極端なほど女性を排除する思想があるけどね」
「言われてみると"女三界に宿無し"っていうのも仏教からきた思想よね。それに対して仏教はどう反論しているの?」
「僕の知るかぎり反証していないね。新しい日本人の生き方を浄土教他力に求める五木寛之さんですら、この問いに答えていない。いや、そういう主張があることを知らないんじゃないか。この問題については、仏教徒を自認する梅原さんも答えていないようだ。ただ僕はそういうジェンダー思想もおかしいと思うけどね」
「じゃあまず聞くけど、仏教はどうして女性を嫌うの?」
「考えられることは二つ。一つはあらゆる苦は煩悩より生ずるとしたこと。煩悩の原因は欲望(貪)にあると見たこと。それで欲望を抑え込む苦行をしたこと。究極の欲望は食欲と性欲だろう。だから原始仏教においては大きな修行課題が断食と禁欲となったんだろう。キリスト教でもイスラム教でも修行僧が女性を遠ざけるのは同じだが、欲望を断つことを最終目的にした仏教には極端に女性を遠ざける戒律が生まれたのだと思う。仏教がというよりも、インドの思想風土がもともとある種の差別的な階級的風土にあったんだろう。現在も残るカースト制だ」
「二つ目は?」
「おそらく、お釈迦さんの個性の問題だろう」
「私、趣味的には枯山水のような静かな仏教の世界が好きなんだけど、でもどこか寂しいっていうのか......」
「だろう? 無常感っていうか、ニヒリズムを感じることがあるだろう。僕はお釈迦さんは母親の愛情を知らなかったように思うんだ。お釈迦さんは生後すぐにお母さんを失っているんだ。伝説によると、お母さんのマーヤは臨月を迎えて出産のため実家に戻る途中でお産をしている。王家の遊園(ルンビニー園)で休んでいたとき、アショーカ樹の花が満開で、マーヤがその花房を取ろうとしたとき、その右の脇腹からお釈さんが生まれたと伝えられている。何か母体が危険な状態になって異常出産でもしたんじゃないかっていわれているけど、出産後七日で亡くなっちゃったんだ」
「じゃあお母さんの愛情には恵まれずに育ったのね。だから生れてくることも苦だって感じたのかもね」
「人間にとって一番大事な初期に無償の愛というか、母性愛の原体験がなかったんじゃないかな。サキヤ(釈迦)族の王子として生まれたお釈迦さんは、お父さんが後妻に迎えたマーヤの妹によって大切に育てられるんだが、非常に感じやすいメランコリックな少年に育つんだ」
「お父さんもさぞや心配したことでしょうね」
「そうなんだ。なにしろ王位継承者だからね。それで16歳で結婚もさせ、別荘を三つも与えたり、連日のように宴を催したり、美しい女性をたくさん侍らしたりするんだが、やっぱりほっておいたら一人鬱々と考え込む暗い性格だったらしい。いずれにせよ、生とか死とか宿命的な苦しみについて考え込む人だったらしい。結局ゴータマ・シッダールタは城も妻子も捨てて一沙門として生きる道を選ぶ。有名な四門出遊のエピソードはお釈迦さんが出家を決意するいきさつを集約したものだが、お釈迦さんが何を悩んでいたのかは、本当のところはわからないよね。僕はお釈迦さんはもしかすると、何か絶対的な愛のようなものを求めて飛び出したんじゃないかと思うことがあるんだよ」
「お母さんの無償の愛ね。人間の幸福って、贅沢じゃ埋めきれないのね」
「お釈迦さんは純粋で感性が鋭すぎたんだろうな。最古の教典といわれるスッタ・ニパータには人間の捨て去るべきものが列挙されている。怒り、貪り、愛欲、驕慢、憎悪、愛着、嫉妬、おしゃべり、口論など、冒頭からずらり出てくる。これ、どこか女の醜さを並べたように思わないか。ある伝説には宴のあとで官能的だった踊り子や侍女たちが、涎を垂らし、あられもない格好でいぎたなく眠りこけている姿をお釈迦さんが見たとある。ヘドを吐きたくなったんだってさ。なにしろ毎夜酒池肉林に囲まれていたらしいからね。こんなところからお釈迦さんの女嫌いと厭世感は増幅されたのかもしれない」
「そうか。それでお釈迦さんは女嫌いになったのね。そこに仏教の性否定の思想が生まれる原因があったのか」
「とオレは思うんだ。本当かどうかしらないけど。でも、フェミニストが言うほど女性排除の思想はなかったと思うよ。だって釈迦仏教が何より画期的だったのは、人間の平等性を主張したことじゃないか。初期すでに比丘尼(女性の修行僧)を受け入れているしね。初期仏教には涅槃に至るのに性差による違いはないとあるしさ。だけど、沙門の集団内で女性スキャンダルがすぐに発生したんだって」
「じゃあ、やっぱり修行の妨げになったのね」
「でも、お釈迦さんは最後は全てを覚られたと思うよ。ただ、その真実を伝える言葉にはどうしてもその人の経験論が入る。お釈迦さんだって人間だからな」
「そこをフェミニストが突くわけ?」
「うん、お釈迦さんの女嫌いを性恐怖体験だと言うんだ」
「じゃあ、お釈迦さんの女性理解の限界が何によってもたらされ、どうすれば女性差別を哲学的に克服すべきか研究すればいいじゃない?」
「ところが彼女らはそれをやろうとしない。日本のフェミニストは女性の権利を獲得することが目的だからな。日本文化の根底には仏教による女性差別があると突きつめたら、あとはイデオロギーや社会学の話に戻すのさ」
「性差別をしてきたのは仏教だと突きつけられたら、仏教界はキチンと反論すべきよね」
「そう思う。ウルサイ女たちだと言って無視しちゃ何も解決しないよ。あのオウムという新興宗教に世の中が騒然としたときだって、日本の伝統教団は厳格な父となって真っ向から彼らを糺すべきだったと思うよ。今どこにも行き場のないオウムの青年たちを見捨てることが本当の仏教だとは思わないけどね。親鸞聖人だって"善人なおもて往生す。いわんや悪人おや"と教えられたじゃないか」
「人間ってやっぱり自分がかわいいのね。女性排斥って言うけど、日本人は本来女性崇拝でしょう」
「そうだ。女性のシャーマンだ。六世紀仏教が伝来した当初、最初に出家したのは三人の女性だと日本書紀に書いてある。日本人は本来女性の聖性を重んじる民族だったよ。古代宗教は女性が担ってきたのだ。日本には本来性否定はないのだが、フェミニストによると仏教が神道的浄穢思想と結びついて護国思想となり、その結果、日本的な性差別思想を育てたと主張するんだ。比叡山、高野山女人結界は、女性を不浄として入山を拒否する日本的な性差別だと、どこまでいってもジェンダー(社会学的性差)を主張するんだ」
「仏教が何かわかっているのかしら」
「でもフェミストはそう見るんだ。ところが、空海は恩山寺にお母さんが来たら女人禁制はちょいと中止して神聖な山に迎えるんだぜ。面白い人だろう」
「そんな人がいたのに、どうして日本仏教に女性蔑視がこもったの」
「戒律を絶対化しすぎたからだろう。おおよそ組織的な教団宗教はみなそうなるんだ。だが、そういう硬直化した思考環境が一方では強力な教団や信者を育ててきたのだろう。特に大衆化した鎌倉仏教あたりからは甚だしい女性差別思想が出てくるんだ。女には五つの障りがあって成仏できないという宿命的罪業観だ。女人五障というんだけどね。女性は前世の報いによって穢れた存在である。源心の地獄の思想では罪業の深さをリアルに描く。つまり、罪深い女は救われ難く、放っておけば地獄に落ちると一度徹底的に脅しておいて、だからこそ阿弥陀仏を信じなさいという論法だ。もちろん男性にも適用されたが、特に女成仏思想にはある脅迫観念のもとで救いの手を伸べるしくみになっている。これを最も強く説いたのは、実は浄土教なんだよ。それに対してフェミニスト学者は、卑しめられた女が唯一救われる場所が死後の浄土だというのはケシカラン。男性支配文化だと言うんだ。五木さんは仏教は民草のものだと言うが、フェミニストにとってみたら、浄土教の根底には露骨な女性差別があるじゃないかということになる。むろん浄土真宗は、現代は男女平等を唱っているが、彼女らは今の教団の教義ではなく、歴史性を問題にしているんだ。四国を回りながら、日
本の再生を浄土他力で切り開こうという五木さんの主張をずっと考えているうちに、そんなことに気がついたんだ。浄土他力じゃ無理だよ。そのうち彼も気がつくときがあるだろうけど」
「空海は、人間はこの身のままでこの世でみんな成仏できるって言うわね」
「そうさ。空海は宗教家のくせにどこか宗教に呪縛されないところがある。おそらく釈迦仏教を冷静に検証できたのは、わが国において空海以外にあるまい。『弁顕密二教論』に著された彼の主論はそこにある。インテリは馬鹿にするけど、空海は現世利益を重んじる。女性だけはあの世で成仏しろなんてことは言っていない。それだけでも近代的だろう。そもそも浄土欣求とは現世に見限り後世の仏国土をこそ期そうという教えじゃないか」
「それは為政者にとって思うツボじゃない。ローマ帝国が民衆支配のためにキリスト教を利用したのも、天国に目を向けさせてこの世の不満をそらそうとしたからでしょう」
「ところが、空海密教は性と怒りを肯定することだ。この二つは人間の生命エネルギーなんだ。だから現世利益なんだよ。密教はラディカル・フェミニズムの論拠にもなりうるし、男女平等を主張するフェミニズムが入っていけるのも空海の世界なんだぜ。マルキシズム・フェミニストの上野千鶴子の反骨も、消費社会のあぶくのような女性学ではなく、もう少し高尚なものになる。怒りは個人的な怒りじゃなく、仏のような大きな怒りで不浄と戦えとするのが密教だということにも気がつく。仏国土は現世に築かなければならないんだ。上野の好きな下ネタ論文も淫靡な抹消神経の戯れのようにコセコセしたものではなく、人類の結婚はもっと壮大な宇宙的セックスであるということがわかるはずだ。マルクスなんかにイカれてないで理趣教でも勉強したほうがよい」
「きっとお釈迦さんは最後にそういうことをすべて悟ったのね。お母さんの愛情には恵まれなかったけど、最後に空という宇宙愛を実感したのね」
「きっとそうだと思うよ。すると一番大切なものは何か?」
「母性だということになるわ。女性の聖性だということにね」
「ところが、フェミニズムの最大の狙いは母性をぶち壊すことだ。つまり、女性の尊厳を主張している彼女たちが最も女性を落としめているのさ。お釈迦さんが解脱されたときの話知っているだろう?」
「うん。菩堤樹の下で冥想されていたときでしょう」
「そう、七年間も苦行をしたが、結局このやり方では悟れないことがわかってやめるんだ。苦行林から出られたときは、痩せさばらえていたそうだ。お釈迦さんは、やっぱり禅定こそが最善の道だと思って樹の下で座禅された。苦行林から出てしまったお釈迦さんを見た修行仲間は、ゴータマは精進の心を忘れたと失望して苦行林に戻って行ったそうだ。ここからは僕だけの解釈だが、お釈迦さんの解脱を助けたのはやはり母性と水じゃなかったかと思んだ」
「えっ? どうして」
「苦行林を出られたお釈迦さんにまず腹ごしらえをさせたのが村の牛飼いの娘スジャータだった。ガリガリに痩せたお釈迦さんにスジャータは牛乳と蜂蜜のたっぷり入った乳粥(ちちがゆ)を捧げる。体力を回復したお釈迦さんは、心身をリフレッシュするためにネーランジャラー河に入って、清らかな水を飲み、汚れた体をきれいに洗い、菩提樹の下で禅定に入られたんだ。そしてついに不動の知慧を得て仏陀(目覚めた人)となられたんだ。ホラ、ここに象徴されているものは母性と水だろう。この話に登場するものは娘と乳と水なんだ。現代人は忘れているけど、水は日本人にとって神女の象徴だったんだよ」
「本当にそうね。人が最初に出会う水は羊水だもの」
「つまり、お釈迦さんはネーランジャラーの羊水で生まれ変わったんだよ。ただ大自然の愛は実感したが、それが人間の母性愛につながるということろまで実感されたかどうか・・・」
「それが仏教に残ってしまった課題だったのね。空海にはそれがわかった」
「そうだ。だから空海は密教をやった。そして空海は、母親や水の伝説とセットになって現われてくるんだ。仏教と密教の違いは、貪の捉え方だろうと思う。それを欲望と見ればその根源である性を否定するしかない。だが、食欲と性欲は欲求でもある。空海は命の欲求だと見たんだ。そうすると、万物には生きたいという欲求がみなぎっていることがわかったんだ」
「なるほどねえ。アンタのホラ話もここまでくれば何だか実感あるわ」
「同じ仏の真理でも、自己否定からアプローチするか、自己肯定からアプローチするかの違いだな。それは乳幼児期の原体験の及ぼす力が大きいと思うよ。父親の愛は条件つきの愛だが、母親の愛は無条件の愛だ。お前は父の目にかなうから愛すのではなく、あなたは私の子どもであるから愛すという無償の愛だ。そこに命の絶対肯定がある。母乳を力一杯飲んで、力一杯抱きしめられて育った男の子には女性否定の感性は生まれない。むしろ、女性を崇拝するようになるものだ。胎蔵界、金剛界を両部不二とし、命の絶対肯定を主張する空海の感性に性の否定はない」
「そのバランス感覚は、やはり先に母性を実感した者でなければ生まれないわ。これは理屈じゃないもの」
「空海は学者系の母方と父方の武門の血を引く文武両道の人だったと思うよ」(空海の父方佐伯直の先祖はヤマトタケルの東征に従って武功を立てて讃岐の土地を与えられた。古くは大伴氏につながる家柄だと伝えられている)

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