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仏教寺院と僧侶のリストラ「廃仏毀釈」

 「葬式仏教」という言葉は近代日本の仏教のあり方をいいあてた言葉ですが、このごろは仏教寺院や僧侶を批判するあるいは侮蔑する言葉になっています。社会の問題ともかかわらず、社会の矛盾にも発言せず(できず)、知識階級でもなく求道者でもなく救済者でもなく、はたまた世の中の人々から尊敬もされず、ただお経をおがんでは高いお布施をもらい、まるで特権階級のように振舞う僧侶(もちろん例外もありますが)への不信感の表明でもありましょう。 

 しかし読者のみなさん、私たちは好き好んでこうなったのではないことを今回は少し聞いてください。 

 明治政府は、文明開化・富国強兵・殖産産業の政策を推し進め、外国列強に侵略されない近代国家建設を急ぎました。天皇親政の強力な中央集権の国家体制を組むとともに、神道を国教化して「国家神道」とし国民の精神統合を計る一方、仏教寺院の資産(土地)を召し上げ僧侶を還俗させ仏像の首をはね経文を焼いて仏教を徹底的に弾圧しました。 

 明治以前、江戸時代までお寺は「役所(住民登録)」であり「学校(寺子屋)」であり「医療施設(薬草園・診療園)」であり「福祉施設(かけこみ寺)」であり、僧侶は仏の教えの奥義を極める行学二道の「求道者」であり、社会の尊敬を集める「知識人」であり、困窮した人達を救済する「救済者」でありました。幕府の行う国家プロジェクトの一翼をにない、生きた仏教が行われていました。葬式の仕事はそのほんの一部でした。 

 ところが明治政府の行った「廃仏毀釈」は、仏教寺院と僧侶を国家プロジェクトからリストラし、社会の表舞台からから放逐してしまったのです。庇護者を失い、土地や田畑の多くを失ったお寺は、やむなく封建制の遺物である「檀家制度」や「信者組織」に道を見出し、一般庶民の生活レベルに目線を合わせ、「死者儀礼・祖先供養」と「現世利益・ご祈祷」を商品化して「おがんでなんぼ」の生き残り作戦に出たのです。 

 さらに私たちを襲ったのは、敗戦後占領軍が行った「農地解放」「政教分離」「信教の自由」です。なんとか生活には困らない程度の田畑の収穫量をもち、宗教活動に専念できた仏教寺院でしたが、「農地解放」で日本の仏教寺院の大半は「経済的自立」の手段を失いました。その上「政教分離」で行政のかかわる公的な場所での布教が禁じられ、僧侶の宗教活動の範囲が限定されてしまいました。公的な場所から締め出された僧侶に世間の関心や信頼が集まるわけがありません。 

 結局近代国家建設とともに始まった仏教弾圧の百年の歴史は、仏教寺院や僧侶を「生かさず殺さず」、無臭無害、毒にも薬にもならない程度に、適当に「おがみ屋」家業にいそしんで、社会の人々の邪魔をしないように、としてきたのです。 

 アメリカの占領政策のねらい通り、いまほとんどの仏教寺院は宗教活動に専念できる状態ではありません。日本人から宗教意識がなくなっていくのは当然です。伝道者であるべき僧侶がしょっちゅう金の心配ばかりしているのですから。寺の収入では食べて行けず他に職を求めなければやっていけないお寺の数は枚挙にいとまがありません。維持していくのに窮々としています。「戒名料問題」「葬式仏教批判」わかりますが、しかし私たちがこの歴史的な重い現実を背負っていることをまずご理解ください。この続きはまた。 

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