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アジアの「寛容」へ

アメリカの「正義」対アラブの「大義」から
アジアの「寛容」へ

 私たちは、このサイトのさまざまなページで、第二次世界大戦後のアメリカの「世界戦略」(世界支配・帝国主義といってもいい)について、「疑念」や「批判」を述べてきた。 

はたして、アメリカはつねに「善」か? アメリカのやることはいつも「正義」か? アメリカはどこでも誰にも「ジェントルマン」か? アメリカの「自由」や「民主主義」は、世界共有の「価値」たるものだろうか? それは、アメリカがひとり勝ち(世界支配)するための「特殊部隊」ではないだろうか? 

私たちは、戦勝国が敗戦国の戦争責任を裁くという、当時の国際法(法曹界)が認知していなかった前代未聞の「臨時国際司法裁判」(「東京裁判」)を策謀することにはじまり、マッカーサーの占領軍統治(憲法・政教分離・信教の自由・民主教育等)によるアメリカの日本支配の戦略が、トルーマン大統領とその日本担当スタッフの意図した通り、みごとに戦後の「日本」と「日本人」を「骨抜き」にし(日本のローカルアイデンティティーを破壊し)、日本がアメリカの言いなりの国(従属国)にならざるをえないようにしてきたことに対し、率直に言って「嫌米感情」をいだいている。これを「自虐史観」というなら、歴史を知らない妄言である。 

ニューヨークの世界貿易センタービルがテロリストに攻撃されて崩壊し、ペンタゴンが炎上する様を見ながら、日本人は「オー、ノー」「シートゥ」「オーマイゴッドゥ」と叫んだだろうか。「とうとうやられたか」「たまにはアメリカも痛い目に遭ってもいい」と思った人は多いのではないか。広島・長崎で罪なき人たちを何十万人も原爆で殺された私たちは、心のどこかで「オサマ・ビン・ラディン」や「タリバン」の気持ちを「わかる」何かがあるのだ。同胞を惨殺された「恨み」「憎しみ」や政治的経済的軍事的な「従属」はトラウマとなってそう簡単に消えないからだ。 


 私たちはこの1ヶ月、今回の「アメリカにおける同時多発テロ事件」についてメディアの情報に耳を傾け、インターネット情報に目を通し、学者・ジャーナリストの著作を読み、イスラム教やイスラム世界のことを学び、対立抗争の中東問題を理解するようつとめ、主として「アジア」や「仏教(密教)」の視点で考えようと努力してきた。 

その結果、約80カ国・6000人(発見されただけで)にもおよぶ犠牲者の多さとその家族の悲嘆やアメリカ政府と国民の怒りの元をただせば、テロリストの極悪非道を口を極めて非難するより先に、むしろ、アメリカの「世界戦略」「グローバリズム」への「疑念」「危惧」を言わなくてはならないと思うに至った。無論、無差別テロに賛成する考えなどさらさらない。 


 第二次世界大戦後、一戦勝国から「覇権国家」をめざしたアメリカは、強大な軍事力をバックに政治的「国益」と経済的「利権」が計算できる他国に意図的にちょっかいを出し(CIA)、やがて「軍事力」で介入しては駐留したり、政治力で介入して「親米政権」を強要したり、「援助」の名のもとにその国や地域の経済を支配したり、やがて「友好」「同盟」関係をむすんで「利権」と「発言権」を手にすることを世界中で繰り返してきた。 

日本をはじめこの手で実質支配された国は数え切れない。その上、「友好」「同盟」関係にある被支配国が、経済的政治的あるいは軍事的に「自立」しようとすると、露骨に干渉してくる。アメリカのどこが「自由」や「民主主義」なのか。 


「ロッキード事件」があった。アメリカ議会の「多国籍企業調査小委員会」という名もない委員会(チャーチ委員長)を動員して、狡猾に、友好国・日本の、アメリカにとって好ましくない総理大臣の失脚をやってのけた。総理に就任早々、日中国交回復をやり、続いてシベリアの天然ガスをパイプラインで日本海沿岸にもたらし、雪国の冬の道路や鉄道を積雪や凍結から開放して輸送往来の利便性を高め、雪国の経済を太平洋側なみにしようとして旧ソ連に近づいた「田中角栄首相」を、アメリカは危険(敵である共産主義国との経済交流)とみなし「総理の収賄罪」で後ろから刺した。他国のリーダーを失脚させるのはアメリカのお得意ワザだ。 

湾岸戦争後もサウジアラビアに展開するアメリカ軍のことを「イスラムの聖地を汚している」と非難したオサマ・ビン・ラディンを「危険」とみなし、アメリカはサウジアラビアに圧力をかけて国外追放させ、亡命先のスーダンには大統領の首を取り換える荒業で国外追放させ、その結果オサマはアフガニスタンに逃れたのだ。そのアフガニスタンでは、アメリカ・パキスタンの支援を受けて国土の90%を実質支配していた「タリバン」のオマルが、皮肉なことにオサマをかくまった。 


今回、ニューヨークの市民をはじめ、アメリカ人の多くが「まるでパールハーバーだ」と言った。お門違いもいいところだ。世界一の文明国、高度に発達した情報の国アメリカの国民が、真珠湾攻撃が軍事基地奇襲だったこと、一般市民を殺してはいないことすら知らない。敵国だった国の「史実」などまったく無関心なのだ。これは、アメリカ人が他国の「痛み」を理解していない、また理解する発想もない証拠である。だから、「なぜ、アメリカがこんな目に遭うのか」、正面からの自問もなく、議論もなく、答も見つからない。ただ涙にくれて、国歌を歌って「大国」を鼓舞し、追悼コンサートを開いて家族を慰め合うしか術がない。あの国には、天国に届くようなパイプオルガンの音色や、「神の恩寵」や「仏の慈悲」といったモノ・コトを超えた高次元の「いのちの在りよう」の文化がないのだ。これは民族として国として恥ずべきことではないのか。 


モノで栄える国の人は心が野蛮だ。今の「日本人」が何よりの証拠である。モノに恵まれない国の人は心がピュアだ。周りを見れば荒涼たる不毛の砂漠、厳しい気候のなかで、ろくな家もない、食べ物も育たない、ぜいたくな暮しもない、「外」には何もないアラブの人たちは自分の「内」「中」に「豊かさ」を見出すほかない。「アッラー」「聖地」「5回の礼拝」「イスラム法」「ジハード」とともに生きることだ。「モノ」「カネ」「テクノロジー」を、生きるモノサシにしないことだ。そのことを、アメリカは「ユダヤ資本」の論理で無造作に踏みにじる。踏みにじられた方の痛みをアメリカ人はいっこうにわからない。だから、あれだけやられても、呆然として歌うしかない。 


 それにしても、アメリカはどうしてあれまでやられなければならないのだろうか?なぜ、あそこまで恨まれ、憎まれるのであろうか? 

 事件後2日で「報復」を決めたブッシュ大統領をみんなが支持した。「やられたらやり返す」、世界中に西欧近代主義の「理性」と「法」を強いてきたアメリカは、自国が直接攻撃された途端「理性」も「国際法」も自ら主導した「国連」もなく、「報復」を「正義」と言い、大統領は「十字軍(=異教徒を制圧する)」とまで口をすべらせ、あとで「イスラムを敵と言ったのではなく、あくまでテロリストをたたくだけ」と言い訳した。「理性」も「法」も目に入らぬ慌てぶり狼狽ぶりが、大国アメリカの大統領の「人格欠陥性」をみごとに物語っていた。 


この狼狽の大統領を同盟国は支持したが、肝心のアラブ世界の友好国サウジアラビアもエジプトも動かない。サウジは、湾岸戦争後アメリカ軍の駐留を認め、それを怒って王室を批判したオサマ・ビン・ラディンを追放したものの、イスラム教の聖地メッカ・メディナがあり、イスラム原理主義の本拠地である。サウジにはサウジの立場がある。 


アメリカ軍の女性兵士が駐留基地で白い肌を露出して日光浴をするという。イスラム教の聖地に異教徒の軍隊が居座っていることすら許せないのに、白人女性が肌をさらすなんて聖地が汚される、とサウジの国民はみな眉をひそめる。イスラムの人にとって「異教徒」「ふしだら」が、アメリカ人にはわからない。アメリカ人は異文化の地域どこでもその地域の人々の「民俗学」にはまったく目もくれない。オサマはサウジの人たちの怒りを代弁したのだ。この感情は沖縄の人たちにはよくわかるという。このアメリカの「グローバリズム」の「傲慢さ」とイスラムの「ローカル・アイデンティティー」の「怒り」、これがイスラム原理主義のテロの根本にある。 


 アメリカという国は、20世紀の間、地球上のあちこちへ出て行ってはいったい何人の人を殺してきたか、そのことにアメリカの市民は無頓着だ。もしわかっていたら、ブッシュの決定に国民の半数はブーイングしてもいいはずだ。広島・長崎で数十万の非戦闘員を原爆で殺し、ベトナムでは何百万の罪なき人たちをナパーム弾で殺しダイオキシンをまき散らした。二言目には「自由」「正義」と言うが、それが「アメリカの身勝手な国益エゴ」だということをもう世界が知っている。 

 アメリカの世界戦略のキーワードは「石油・天然ガス利権」だ。この「利権軸」を中心に、「利」あれば誰とでも手を組み、「邪魔」になる者は誰でも消しにかかる。イラク・シリア・北朝鮮などをテロ支援国家に指定し「ならず者国家」と言った。世界一の「ならず者国家」とはアメリカ自身ではないのか。 

 アメリカは「テロリストを捕らえ壊滅させるため」とオサマ・ビン・ラディンを目の敵にし、アフガニスタン空爆の大義名分にしたが、国際政治はまことにいい加減だ。広島・長崎で罪もない人たちを殺した原爆の投下を命じたトルーマン大統領はテロリストではないのか。ベトナムであれだけの大量虐殺をしておいてジョンソン大統領はテロリストではないのか。「戦争だったから」とは言わせない。オサマとアメリカはもうとっくに戦争中だったのだ。アメリカが握手したスターリンも毛沢東もアラファトもマンデラも、元はと言えばテロリストではなかったのか。 


イラン・イラク戦争の時、イランと敵対していたためイラクのフセインに武器を送り支援したのは誰か。アフガンに侵攻したソ連軍にアフガンを支配させたくないため、アフガンゲリラ・ムジャヘディンに武器と軍事支援をしたのは誰か。ムジャヘディンが分裂して内戦になると、パキスタンをそそのかし背後から「タリバン」を軍事と資金で支援したのは誰か。アメリカは、よく「飼い犬に噛まれる」国だ。こんなに「きのうの友は、きょうの敵」の国はない。「利権」「国益」の動向でどうにでも敵味方を代えるのだ。アフガニスタンに介入するのも、元はと言えば、中央アジアからアフガニスタン・パキスタンを経てインド洋に出る「石油」と「天然ガス」のパイプラインの問題ではないか。 


 私たちはもともと「神の国」である。そこに「仏教」が伝来し「仏の国」にもなった。「神の国」は寛容だった。明治以後の「国家神道」時代以外は、「神道」は寛容な日本人の「精神基層」だった。伝来した「仏教」はまた輪をかけて寛容だった。とくに「空海」が中国からもたらした「密教」は、異教・異教徒を「ほとけ」として受け入れるほどのふところの深い宗教だった。 


異文化が他国の伝統文化のなかに入る時、かならず「摩擦」と「融合」が起きてきた。それを繰り返しながら異文化は次第に「受容」され「着床」する。とくにインドから東の国々で有史以来繰り返された文化交流の歴史は、その地域に住む人たちの精神の「寛容さ」に支えられてきた。「仏教東漸」はそれで可能になった。 


仏教は、インドに発し、南はセイロン(スリランカ)にビルマ(ミャンマー)にタイにカンボジアに、北は楼蘭などの中央アジア・シルクロードの地域に、東漸して中国に、朝鮮半島に、日本に、それぞれの「受容」のされ方で流布した。そして何よりも特筆すべきことは、仏教は、権力者や異教徒によって幾度となく「迫害」「弾圧」「破壊」はされたけれども、自ら「迫害者」「弾圧者」「破壊者」になって人々に災難を及ぼしたり、社会に不安や混乱を招いたり、国を滅ぼしたりしたことはなかった。 


この「寛容」な仏教の「知恵」は、異教の神々や悪鬼魍魎の類まで「ほとけ」として迎え入れた。諸仏・諸菩薩・諸大明王・諸天善神・部衆・眷属のパンテオン(曼荼羅、マンダラ)に象徴されている。「寛容」とは「対立軸を超えた高みの世界」であり、「相対の価値を超えた絶対の境」から生れる「許し合い」や「認め合い」や「おもいやり」の世界(慈悲)である。 


この「寛容」は、「渇愛(生への執着)」からの開放を求めた釈尊(釈迦、おしゃかさま)の実存の苦悩にはじまる。 

釈尊は、「乾季には歩き」「雨季には坐る」熱帯雨林の「遊行」の生命論的マナーに従い、「瞑想」(ヨーガyoga)という「生体」の機能を動員する(即身)精神集中の行法(三昧samaadhi)によって、深層心理学的にこの苦悩を克服した(四諦・八聖道・十二因縁)。生きながらに、つまりは肉身のままに、「生への執着」を「超克」することに成功したのである。 

釈尊の用いた「方法」は、「坐法」「静慮」であり「思索」「哲学」であり「俯瞰」であった。深い森林で雨にさまよえば「死」が待っている「雨林気候」の環境が、この穏健な「方法」を動機づけている。そして、大悟して精神の高みにのぼった釈尊は「サトリ」を自分だけのものとし、「梵天(ヒンドゥのブラフマン)の勧請まで公開(説法)をはばかった。釈尊は「予言」などのセンセーショナリズムを嫌がった。あくまで「独りで」「静かに」「思索的で」「穏健な方法」であった。 


以来、仏教は原始仏教・部派仏教・大乗仏教・密教のいずれの時代も「生への執着」を「超える」ことをテーマとし、「超える」ことが誰にも可能であり、超えたところに「救い」が待っている「宗教性」をも黙示した。インド仏教思想史におけるそれぞれの時代のキーワードとなった「無我」「縁起」「無自性」「空」「相依相待」「依他起性」「涅槃」「菩提心」「慈悲」「如来蔵」「普賢法界」「如実知自心」「マンダラ」は、そのトレースでもある。 


一方、見渡すかぎり熱砂ばかりで、水も緑も実りも、「外」に「糧」のない砂漠の遊牧の民は「独りで」「静かに」「思索的で」「穏健な方法」とはいかなかった。砂漠でとどまること、独りになることは「死」を意味する。熱砂の上で一所にとどまり、断食して「瞑想」「思索」することなど誰も考えない。ひたすら移動し、「自分の中に」水や緑や実りに代る「糧」をもたなければ生きていけない。 

「ムハマッド」の「予言」と「コーラン」の「規整」は、その砂漠の民に「内」なる「糧」をもたらした。移動に妨げにならない少量の小麦と、ともに移動する食料の家畜さえあれば、あとは「アッラー」と「コーラン」で充分であり、「アッラー」と「コーラン」の「規整」に従うことが厳しい環境の中で「生きられる」術なのだった。彼らは「生きること」そのものが厳しいのであり、「生きるか」「死ぬか」二者択一しかない。「生への執着」に苦悩するヒマなどないのだ。 


 生きることさえ厳しいが故に、「アッラー」や「コーラン」や、その象徴であるメッカやメディナ(「聖地」)が生きる支えであるが故に、異教徒が踏み込んだりすれば烈火のごとく怒りを表す。場合によってはいのちを捨てて「聖戦」を挑む。「外」には何もない環境で生きる者の大事にしている「ローカルアイデンティティー」を踏みにじられるからだ。砂漠の民は、その「聖なるもの」のために、「内」なる「糧」のために、いつでも「対立」や「抗争」や「報復」を運命づけられている。「信仰即生死」なのだ。インドの仏教のように「超える」苦悩も方法ももたない。「やられたらやり返す」だけである。 


 私たちは、20世紀に「貧困と差別と殺戮の悲劇」を嫌だというほど見てきた。そして20世紀を「いのちを粗末にした時代」「人間が傲慢になった時代」「殺し合いの時代」と言ったが、それを引きずり、今回また新たな「対立」「殺し合い」が繰り返されている。 

この悲劇を終らせる唯一の道は、世界が、とくにアメリカ(+イスラエル)とイスラム原理主義の過激派が、「20世紀」の「対立軸」の「方法」を「超克」し、「対立軸」を超えた「寛容」の「知恵」による「自制」の「ノーモアブラッド・アクションプログラム」を「共有」することである。日本は、仏教や神道の「寛容」の「知恵」をしぼり、世界共有の「平和のメッセージ」を表明して「世界和平」のイニシアティブをとる時である。 

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