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幸田露伴

文学史にあらわれたる弘法大師
文学上における弘法大師

(略)三教指帰は蓋し大師の若い頃の著述で有りましょう。二十四歳の時の作であるとか無いとか、然様いう考証は姑らく擱きましても、何にせよ若い時の著述たることは疑うを要せないのであります。仮設の人をかりて言わんと欲するところを言い尽くしてある、彼の自在で而して流麗絢爛の有様は何様で有りましょう!

(略)大師の時代に於ては一体にああいう文章が行われていたのでありますから、大師の文章を直ぐに今の所謂漢文家の眼から視て、駢儷体の拘わられて居るから宜しくないなどと一口に申しましては、ちと無理であります。

(略)我が邦の民族の文学的能力はまだなかなか高かるべき時に到達して居らぬ時に生れあわせて居らるるのでして、我が邦は政治上の国家としては神代より儼として存して居りましたけれども、文学上に国家としては迚ても隣国の支那などには比すべき方も無い、貧弱な状態をなして居るに過ぎぬ時なので有りました。

(略)で、大師の書かれた文章の方は同じ漢文でも今日の人の悦ぶのとは系統が違って居りまして、六朝から唐と次第次第に因襲的に連続しておりました方の文系を、大師は承け継いで居られますので有ります。これは話の序で三教指帰に係けて御話し致しましたが、決して三教指帰のみにかかる事ではございません。大師の文章全体に於て今申したような次第で有ります。

(略)扨、そうして大師の詩文を考えてみますと、二十幾歳の作としては三教指帰などは、実に嘆美すべき大才力を表現して居るところのもので有ると思わずには居られません。其の一篇の主旨も思想の屈折して行く工合も亦実に老成で、仮令文章に少しの瑕疵が有るにしても、其の内容の光輝は外囲の瑕疵を掩うに足りるので有りますのに、況んや又別に咎むべき瑕疵が有る訳でも無いので有りまするから、其の前に申したような時代の日本の人の、加之二十幾歳というが如き人の作ったところのものとしては、実に驚嘆するより外は有りません。
 彼の真済師の集められたところの遍照発揮性霊集は、大師の真の文学上の技術を窺う可きもので有りまして、其の高度の技巧は人をして嘆服せしむること、恰も他の技術の方面に於て大師が立派に功を収めて人をして嘆服せしめて居らるるのと同様で有ります。
 秘密曼荼羅十住心論は、日本撰述として大蔵の中に容れられて居りますが、此は文学上の産物として論ずるのは聊か当を失して居るようでありまして、寧ろ大師著述の本意の上からしても其物の性質上からしても、全く宗教上若くは哲学上のものとして語る可きものであることは無論で有ります。併し何という立派な文章でありましょう。十住心論の如きは蓋し単に文学としても、即ち著述の本意に於ては無価値のものとしたところで立派に世に存するに足るもので、文学史上には之を逸することの出来無いもので有ります。

(略)十住心論のみでは御座いません。十住心論に類して小なる秘蔵宝鑰であるとか、それから同じく十巻章に収められて居る即身成仏義であるとか、心経秘鍵であるとか、顕密二教論であるとか云うようなものは、時に義路の談、理門の話に渡って自然と乾燥して居るものが有りますから、文学上より見ますれば甲乙の生ずるを免れませぬけれど、いずれも尊敬して見るべきものとは思わぬ訳には参りませぬ。文鏡秘府論文筆眼心抄の如きものが大師御作として伝わって居るのも決して偶然では無く、文章の上に深い注意を払って居られた事は、たまたま以て大師が何事をも等閑せられずして周密精透なる心織意耕を、一切に対して敢てせられた事を証すると共に、大師の文章の佳絶なる所以が決して偶然では無く、矢張り千錬万鍛の中より其の佳なるを致して居るのだという事を語って居るものと考えまする。
 文鏡秘府論は、修辞法にも作詩論にも審美論にも渡って居るもので、我が日本では彼の浜成式を後世の偽物とすれば、詩歌に関しての論議の最初の書とすべきもので有りまするから、文学に関するものからは興味を以て迎えるところの書で有りまする。併し結構未だ整わず剪裁未だ足らぬ観が有りまして、愚考には未完成の撰著では有るまいかと思われまするが、兎に角此も亦有益な書で、唐及び唐以前に行われた詩論と交渉のある面白いものと考えまする。我が邦の歌論の初期のものは、唐若くは唐以前の詩の品評や詩の病を説いたことやなんぞと密接した関係を有って居るのでありますようですが、文鏡秘府論は其等の歌論の世に出づるに先だって居りまして、そして彼の土の詩論と緊しく接触して居りますと思うと、おのずから一種の之をなつかしむような感じが起らずには看過されませぬ。

(略)併しここに是非共数言を費やして兎角を申さねば済まぬ事が御座ります。それは即ち大師が伊呂波の讃及び伊呂波仮字を作られたと申す云い伝えに就てで御座ります。此の事は二重の意味に於て、日本の文学史上に大きな影響を為して居るのでござります。一つは伊呂波仮字が大師の製作にかかるという事が実際であるならば、大師は日本文学全体に於ての大恩人であるということになるのでありまする。仮字の製作に就ては古来大分に人々が喧しく論じて居りまするが、先ず伴信友などがかなり詳しく論じ得て居るのであります。(略)若し伝説の如く大師が其の全部若くは大部分を為し出されたものだとすれば、仮字の世に出て後に初めて日本の文章――日本の言語及び話法によって成り立ったところの文章と申すものは、世に盛行するに至ったのでありまするから、大師に対しては非常なる頌徳の辞を捧げて、歓喜讃歎の出来得る限りをなさねばならぬことは勿論であります。

(略)けれども伊呂波歌若くは伊呂波の和讃と申しましょうか、何にせよ「いろはにほへと」の歌は、明らかに七五の続きを有して居るもので有りまして、そして七五の続きを有して居るものの中で古いものでありまして、且又大いに行われて所謂今様体も若くは和様体の祖先的地位に居る事は、明確な事実であります。

(略)伊呂波の讃は梵讃の歌い方が支那に移って漢讃となり、漢讃が日本に移されたか、若くは梵讃が直に日本に移されて、そして彼様いうものの発生させるに至ったのか何様か知りませぬが、即ち音楽的の理由がああいう七五の続きの歌を発生せしむるに至ったのか何様か知りませぬが、何しろ或事情の為めに発生して来たものであって、そして機一転、日本の歌の世界は大きなる廻転を遂げたのだと思わずには居られませぬ。大師にとっては此の如き事はほんとの緒余のことでありまして、深く言うには足らぬ事であるでもありましょうが、日本の歌界にとっては中々重大なことで有りまする。
(講演「文学史にあらわれたる弘法大師」抜粋、幸田露伴、1909)


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