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空海の生涯

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001「貴物(とふともの)」真魚のルーツ

 空海は、宝亀5年(774)6月15日、讃岐国多度郡屏風ヶ浦すなわち今の善通寺のあるあたりで生まれた。空海の誕生地に異説があるのは周知の通り

002「讃岐国多度郡屏風浦」の水と豊穣

   空海の生誕の地は、いまの善通寺の境内である。    善通寺には五岳山という山号がある。そのまわりに五つの山が茸のようにそれぞれ峰  を

003「神の御子」を受胎した母神伝説

 一人の天才・秀才のかげには、古来賢母やすぐれた恩師がいるものである。  幼少時代の空海、つまり讃岐の国造佐伯家に生まれた「貴物」の「真魚(

004「玉依姫」伝説と空海誕生地異説

 多度津町市街地からタクシーを走らせること15分、県道にかかる広田川の橋にさしかかるあたりで山が瀬戸の海辺に迫っている。広田川が海に注ぐ西側

005 神童の霊威的気質

 言葉の異能のほかに真魚は、「神の御子」らしく幼少の頃から神威・霊威といったものを自らかもし出して周囲を納得させ、また神威・霊威にさとく、深

006 漢籍の素読暗諳スキルワーク

 延暦5年(786)、13才になった真魚は、この地の郡司の子弟として当然のように、讃岐の国学に進んだ。  かつての讃岐の国府は8丁四方の広

007 平城京の寄宿先「佐伯院」

 延暦7年(788)、真魚は平城京に上った。叔父の阿刀大足に伴われ、佐伯家か阿刀家かの誰かが付添い見届けにきていたであろう。才気にあふれてい

008 大学寮への受験勉強(漢籍訓詁学)

 延暦3年(784)11月、桓武天皇は突如平城京を廃し都を長岡京に遷した。それに伴い、阿刀大足も朝廷高官として、また桓武の(第三)皇子伊予親

009 大学寮の基幹学科「明経科」

 延暦10年(791)、真魚は叔父大足を家庭教師にした受験勉強が実り奈良の大学寮「明経科」に入った。  大学寮は、正式には「平城京式部省大学

010 仏法の衝撃と中国的価値世界への決別

 JRの「奈良」駅前の通りを大和郡山方面に南に行くこと約2㎞、今は住宅街になっている大安寺町の一角にかつて飛鳥寺・川原寺とともに三官大寺の一

011 木食草衣の修行者

 奈良から西南約30㎞圏内に、役行者(役小角)が拓き古くから霊威の宿る山とされてきた修験の山々、大和の金剛・葛城山系がある。大学寮から姿をく

012 命がけの雑密修験

 虚空蔵求聞持法は大安寺の道慈律師など長安に留学した僧によって7世紀の中頃に伝えられ、奈良時代に盛んになった古代からの山岳修行にとり入れられ

013 辺路(へぢ、へち)と海上他界と神仏習合と

 空海は、同時代の先輩で日光を開山した勝道上人のために、弘仁5年(814)、「沙門勝道、山水ヲ歴テ玄珠ヲ瑩クノ碑并ビニ序」を書いて賞賛し、日

014 虚空蔵求聞持法の練行と捨身

 真魚は紀伊から四国へと行場を移した。山岳修行や辺路行の進化や充実感を引っさげて四国に渡った。すでに真魚の五体は鍛えられまるで獣のように山林

015「辺路(へんろ)」真魚の不殺生伝説

 太龍岳で命がけの虚空蔵求聞持法を終え、真魚はなお室戸崎をめざして浜辺の街道に出た。身体を休めるためと食糧を乞うためであったろう。四国でも海

016 明星口ニ入リ 虚空蔵光明照シ来リ

 室戸崎の海食洞窟の行場で、虚空蔵求聞持法の修行中明星が飛来し空海の口に飛び込んだという神秘体験は、信用に足る事実だと思っていい。 空海自ら

017 四国随一の霊山での修験苦行

 故郷の奇しき霊山である石鎚山の名とその霊威を真魚は当然知っていた。海浜の行場である室戸崎ですでに成就している虚空蔵求聞持法を、西国一高い2

018「沙弥」教海の仏教教理への昂ぶり

 四国の行場から久しぶりに奈良に帰った真魚には、深山幽谷や海浜洞窟での修行や虚空蔵求聞持法の修法中に浮んでくる妄想や雑念や言葉などの深層意識

019 律僧鑑真の決死の「四分律」とアジアを知る

 大学寮で人倫の道(倫理・道徳)、無為自然の道(処世の方法学)、政の道(国家・君主のあり方)、律令の道(法制の知識)、唐語(長安の地域の方言

020 雑密修験から大乗瑜伽行思想へ

 インドには古くから瞑想の伝統があった。インダス文明の遺品のなかに、瞑想する修行者とみられるイコンがあることが知られている(エリアーデ)。

021 朝廷貴族の雄藤原氏一門との親和

 南都の法相宗にはもう一つ興福寺という法城があった。興福寺は、藤原氏を頂点とする朝廷貴族のトップクラスや国家仏教の高僧や善知識が出入りするサ

022 華厳を修め『三教指帰』を著す

 「華厳国家」の象徴である「盧舎那仏」を擁し、国家仏教の最高機関として朝廷貴族の帰依を集め、律令国家の中核たる国分寺システムのトップの総国分

023 密教仏と『大日経』と梵字・悉曇との出合い

 佐伯院から北西に歩いて1時間ほどのところに西大寺があった。西大寺は、他の官大寺が法相・三論・律・倶舎などを修学するのと異なり、空海請来以前

024『大日経』の夢告

 『大日経』とは言うまでもなく、唐の開元13年(725)にインド僧善無畏三蔵が中国にもたらし、中国人の弟子一行の協力をえて漢訳をした『大毘盧

025 具足戒を受け「官僧」空海へ

 東大寺で空海が「具足戒」を受けた時期に諸説ある。  近年における東大寺きっての学僧であり別当をつとめられた平岡定海先生は、『金剛寺文書』や

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