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臓器移植問題――②知識階層の傲慢

 「脳死」を人の死と定義するのは、一体どこから出てきた発想なのか。なぜ「脳」だけが人の生死を決定するのか。「脳」は人間の肉体を構成する数ある器官の一つである。「脳死」をもって人の死とすることは、人間の人間たる所以を「脳」だけに限定する思想に他ならない。脳死摘出は脳以外の臓器は「生きている」ことを前提とする。「知的活動の停止をもって死とする」という発想は、きっとIQの高い知識層から出たものにちがいない。

 彼らの論理でいけば、植物状態の人、脳障害者、認知症、アルツハイマーなど、いわゆる脳の健常な機能を失った人は、人間たる所以を欠いていることになるではないか。インテリたちは、このような人たちをどこかで差別視しているに違いない。私は逆にこのような人々の内にこそ仏性を見ることがある。(これについてはいずれ稿を改めたい)

 このままだと精神活動の低下した人間は「死んだも同然」として切り捨てられる方向にいくだろう。将来、臓器移植市場が伸び、臓器不足に直面したときには、このような人々は真っ先に(臓器提供者として)死を期待されるかもしれない。事実、無脳症の赤子から「生きたまま」臓器が摘出され移植された例もある。これがどれほど命の差別と弱者疎外の思想につながるかは言うまでもなかろう。「脳」だけを人間の証とする知識層の傲慢が見え隠れする。

 松長有慶師は臓器移植批判の立場から、「エリートのみを選別し、優先させ、病者や身障者を疎外する思想に、仏教が与してはならぬはずである」(『生命の探求-密教のライフサイエンス-』P・214)と書かれているが、おそらくはこのような考えがあってのことだと思われる。

 密教21フォーラム・長澤弘隆事務局長の「抗議文」の中に次の一文がある。「『脳死臨調』の委員だった作家の曽野綾子氏が、最近の新聞(産経新聞、「小さな親切、大きなお世話」)で、相変わらず『臓器くれたがり』の立場から無邪気な『愛の行為』論を述べていた。この人には、臓器を他人にあげることがカトリック的『愛の行為」』だと思い込む悪癖がある。」
 私もキリスト教精神からくる積極的な「愛の行為」は、知識階層の傲慢とまではいわぬにしても、仏教の「同体同悲」とはどこか違うものを感じることがある。

 この違いは、遍路と関わってきた四国の歴史の中にも見られる。明治の終わりごろから大正、昭和と、四国はハンセン氏病の患者で溢れたことがあった。患者の多くは、寺社の軒下や村はずれで移動しつつ暮らしていたが、みな乞食遍路であった。無論四国人はこのハンセン氏病患者を決して歓迎したわけではない。手のつけられようもなく増えたハンセン氏病遍路の排斥感情と受容感情の葛藤の中で長く苦しんだ。地元の人は彼らに近づこうとはしなかったが、しかし鈴の音とともに家の軒下に立てば、どの家も何某かの食料を与えた。四国では昔から遍路に対して「お接待」という布施の行為がある。それは遍路を弘法大師との同行二人と見る大師信仰がったからである。その結果、ハンセン氏病遍路も生き延びることができた。(遍路に対する「お接待」の風習は現在も四国では受け継がれている。)

 つまりハンセン氏病患者が四国に特別多かったのは、当時業病と恐れられ、村を追われ、行き場を失った患者が全国からが集まっていたからである。理由は、四国に行けば弘法大師のお陰で「食えた」からである。この弘法大師を仲介とする仏教的な意識が、その後、四国人とハンセン氏病遍路との関係を大きく変えたのである。

 文明開化当時の明治政府は、諸外国からハンセン氏病患者を放置していると、その無策を糾弾されていた。今日的にいえば、臓器移植医療の先進国から日本が後進国だといわれているようなものである。そういう中からライ患者の救済に立ち上がったのは、国内のキリスト者たちであった。そして西洋と同じように隔離政策を行っていくことが社会正義となるのである。大正期の「救癩運動」は、仏教徒からではなく、社会主義者からでもなく、キリスト者から全国的に起こったのである。国家政策による隔離収容政策はそのような背景をもつ。

 かくして患者たちは一般人の視野から切り離され隔離収容されていったが、反面そのことが新たな差別と虐待を生む結果にもなった。子供ができたら感染するという理由で、収容所では断種までさせられた。口にするのもおぞましい虐待の歴史は数々ある。戦後に入っても、「竜田寮児童通学拒否事件」(昭和29年)に見るような、偏見と差別に満ちた事件が起こったのも、極度に感染を恐れる風潮とハンセン氏病への無理解にあった。

 私は、当時の隔離政策をいちがいに非難しているわけではない。当時はそうするしかなかったという社会的事情があったことは承知している。しかし、ハンセン氏病は恐ろしい病であるという体制側の一方的な思い込みと宣伝に、世相が流されていなかったかと問いたいのである。人間は一歩踏みとどまって考えることも必要ではないか。私は今、脳死移植問題を語っている。

 果たして、時が過ぎてみれば、ハンセン氏病は容易に感染せず、隔離を主体としてきたこれまでの国家政策が誤りであったことが明らかとなった。小泉内閣のとき国家はハンセン氏病患者に対してようやく謝罪をしたが、失われた歳月をとり戻すことはできない。これは戦後、国を挙げて高度経済成長のアクセルを踏むあまりに、水俣病やイタイイタイ病など、庶民が公害の犠牲になった歴史と本質は同じである。闇に葬られた犠牲者はどうなるのか?

 死を大切にしない社会は、生も大切にしない。人間は生と死をもって人間とする。死をひたすら嘆き悲しみ、忌み嫌い、生のみを主張するのは医療の世界に任せればいい。工業発展と生活の向上は経済にまかせればよい。宗教まで与していいはずがない。仏教には仏教の役目があろう。

 当時は不治の病として全国的に恐れられていた患者たちを、四国は結果的に受け入れてきた。行き倒れた遍路を葬ってきたのは地元のお寺や村人であった。現在も四国霊場や「へんろ道」に見かける無縁墓はみなそうである。地獄の収容所に入れたのは仏教徒ではない。四国人は決して病遍路を歓迎したわけではないが、隔離追放しようとはしなかった。彼らの存在は日常的に住民の視界の中にあった。

 おそらくこれがキリスト教的精神(愛の行為)と、仏教的精神(同体同悲)との違いではなかろうか。長澤弘隆師は無論そのような遍路の暗い歴史と四国の大師信仰をご存知である。その上で、曽野綾子氏の無邪気な「愛の行為」論を眺めておられたのであろう。

 脳死をもって人の死とする臓器移植医療の根底に、本当に差別意識は潜んでいないのか。1967年、世界で初めて心臓移植が行われた南アフリカでは、はじめの九例のドナー(臓器提供者)はすべて黒人で、レシピェント(臓器を受ける患者)はすべて白人であったというのも、何か暗示的である。(続く)

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