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『雨を喜ぶ歌』

空海の社会詩 「雨を喜ぶ歌」 <現代語訳>


 悲しいことよ、末世の民たち
 耳目をふさぎ、聖人の言葉を聞こうともせず
 無知という名の酒に久しく酔いしれて
 自らのもつ、いのちの無垢なる知のちからに気づかず
 流転する三界(生命・物質・意識から成る世界)の夢のなかで長いあいだ眠りこけ
 四つの物質要素(固体・液体・エネルギー・気体)によってつくりだされている肉体の野原に永くしがみつき
 その身が殺生と盗みと姦淫を行ない
 その口が嘘と二枚舌と悪口ときれいごとを云い
 その心がむさぼりと怒りとよこしまな考えをいだく

 (そのようなことであるから)
 節度のない社会と家庭に罪がはびこり
 理性はなく
 災いと幸せの道のちがいも分からず
 だらしなく、心は暗く、肉体の欲求のおもむくままに
 一生を過ごし、笑い、泣く
 あちらでもこちらでも人が非難されるのは、すべてこのせいである
 
 罪は重く
 善の行ないはわずか
 河の水を前にしていても、まだ火が燃えさかっていると思い
 無垢なるいのちにも地獄を見
 七宝(金・銀・水晶・瑠璃・メノウ・珊瑚・真珠など)を前にしても美しいと思わない

 (さて、嵯峨天皇の御世に日本は大干ばつに見舞われた)
 雨の恵みはもたらされず、山火事が四方に起こり
 稲と粟の田畑を焼き崩した
 山河は焦げ尽き、鳥も魚も死に
 国も民も干ばつに泣いた
 
 (そこで)天皇はその深い知性と慈しみをもって
 国土と民を救うためにこの国難に立ち向かうことになった

 (天皇は)家庭と社会における人間関係の秩序を徳性によって保つ教え「儒教」と
天地自然の生成について学び、その道理にしたがう生き方の教え「道教」と
慈悲の心によって自己と万物とを救済する教え「仏教」との
三つの教えと
 古来の九つの学問
 (一)万物の生成と変化は陰と陽の二つによって起こされるとする学問「陰陽家(いんようか)」
 (二)孔子の説いた人の徳性、仁・義・礼・智・信とその倫理的特性によって社会秩序が保たれるとする学問「儒家(じゅか)」
 (三)儒教に対抗する思想。上下の公平を唱え、他国への侵攻を否定し、賢者の下での平等を目指す学問「墨家(ぼくか)」
 (四)社会を治めるのは儒教の仁・義・礼などではなく、法律であることを説く学問「法家(ほうか)」
 (五)名と実との関係を明らかにする論理を説く学問「名家(めいか)」
 (六)老子の説いた自然の道理にしたがう生き方を実践する学問「道家(どうか)」
 (七)巧みな弁舌と策略で相手を説き伏せる外交術を説く学問「縦横家(じゅうおうか)」
 (八)儒家、道家、法家、墨家などの諸学問を照らしあわせて取捨した学問「雑家(ざっか)」
 (九)農業の技術を伝え、農耕をすすめ、衣食住を充足することを生活の本分とする学問「農家(のうか)」
 を学ばれていて
 また、(帝王として)万民を思いやる
 ・民に楽を与え<慈>
 ・民の暮らしの苦を除き<悲>
 ・民の楽を喜び<喜>
 ・民と平等になる<捨>
 四つの心をもたれ
 ・施しをし
 ・戒めを守り
 ・忍耐し
・精進し
・精神の統一と安定を得て
 ・いのちの無垢なる知のちからを発揮する
 六つの行ないを永劫に修める方であった                                     

 (そういう方であったから)民のこうむる苦は帝王の責任であるとし、宮殿を離れ
 飢饉のために自らも食事を減らし、朝な夕なに人びとの暮らしを心配された
 また、寺々の僧を促して雨ごいの修法をさせ
 山々に使者を走らせ、すべての行者たちに祈らせた
 そのように、老いも若きも一緒になって祈りを捧げた結果、それらの祈りが天に届き、うっすらと雲がわき起こり
 祈りに合わして、雨足がはげしくなった

 (降りそそぐ大量の雨によって)
 甘露のような、乳のような、バター油のような雨水が
 もうもうとしぶきをあげ、まんまんとして山谷を流れ
 (京都洛西に位置する弓月の王の子孫の住む里の)桂の山の嶺から落ちる滝の水は(月神神話の月のなかにいる)うさぎをも溺らしてしまうほど
 稲田の水路も牛を水没さすに充分
 草木は青々として、その葉の一枚ずつには雨露が真珠のように輝き
 ひろびろとした池に湛えられた水は青い宝石のよう

 農民たちよ、もう心配することはない
 早く見に行こうよ、早稲(わせ)も晩稲(おくて)も苗は無事であった
 南の田んぼでは、苗が成長し、緑豊かに茂っている
 東の畑では、(豊作を祝い)どんどんと鳴る太鼓にあわせて農民が集い、歌っている

 千の荷車と万の食糧庫に
 島のように、丘のように穀物が山と積まれるのが目に見える
 言葉にならないほどのすばらしさよ、祈りのちからは
 はかり知れないほどの幸いよ、天子の威光は
 一滴のつばによって国中の火を消し
 一朝にして万民の悲しみを取り除いた

 戦争や天変地異と飢えと畜生と罪とヒューマニティーと神のあいだをさ迷う無知の人びとよ
 (自らが本来もつ)いのちの無垢なる知のちからによって、心の迷いを取り除こう
  (そのためには)一切の言葉を発生させる母体となる「ア」の一字によって、男も女も(言葉
による分別以前の)万物の本源に戻り
 (その本源によって)日々、自らの心の本質を見つめなければならない
 (そうすれば)自らの心が、いのちの無垢なる知のちからによって生かされているすがたをもつものと、その知のちからによって様々なはたらきを為すものと、そのはたらきによって自他を救おうとする個性をもつものとの住みかであると分かるだろう
 その、いのちの無垢なる知のちからとは
 (一)生活知<大円鏡智(だいえんきょうち)>
あらゆる生きものどうしが、共に呼吸・睡眠を無心に為して生きている知のちから。
 (二)創造知<平等性智(びょうどうしょうち)>
あらゆる生きものどうしが、共に衣食住を生産、相互扶助している知のちから。
 (三)学習知<妙観察智(みょうかんざっち)>
あらゆる生きものどうしが、共に持ち前の知覚によって対象を観察し、コミュニケーションを取りあい、住む世界の秩序を保っている知のちから。
 (四)身体知<成所作智(じょうそさち)>
あらゆる生きものどうしが、共にからだを空間に遊ばせ、生を無心に楽しむことができる知のちから。
 (五)生命知<法界体性智(ほっかいたいしょうち)>
太陽光と水と大気の恵みによって誕生した生命が、さまざまな環境に適応して、多様な種を生みだし、共に生きることによって豊かな自然を形成している知のちから。
 の五つであり、その根源の知の厳かなるきらめきによって、自然界は自ずと豊饒である
   
 その豊饒なる世界を体得したければ、まず自然界を構成する諸要素の一つである水(あらゆる草木も動物類も、生きとし生けるものすべてが水によって生命を保ち生長することができている)によって灌頂を受け、自らが生命の一員であることに目覚めなさい
 そうして、いのちの無垢なる知のちからが展開する世界のいずれかにポジションを得て、そのはたらきに帰依しつづけるならば、いのちのもつ普遍の原理と一体になれるのだ

 (そうなれば)衣食は天から下され、自然に雨も降り
 民は日の出とともにはたらき
 日が沈めば、家に戻って憩い
 井戸を掘って水を飲み
 田畑を耕して食うことができる 
 (そこでは)国の干渉は必要なく、天子のおかげにも気がつかないだろう
 それが、"無為"の政治というものである
『性霊集』巻第一より


あとがき
 嵯峨天皇の在位中(八〇九~八二三)とその前後を含め、日本は幾度も大干ばつに見舞われた。その度に日照りによって山火事がおこり、稲田と粟畑を焼きつくし、山と河も焦げ、鳥も魚も死んだ。
 天皇は、民を救済するため、その知恵をもってあらゆる努力をされた。そうして、自らも質素な生活に入られ、人々とともに雨が降るように祈られた。
 天皇と人びととの祈りによって、やがて、雨が降り始める。そのことを喜び、空海が作った詩である。
 八二四年の二月に、勅により空海は神泉苑で祈雨の修法を行なっている。また、八一八年の四月には、藤原冬嗣の要請により最澄が、叡山の僧すべてを率い祈雨の修法を行なっている。両者ともその修法によって雨を得ているが、この時期、大干ばつが頻繁におきていたということである。
 その祈雨を詩のテーマとしながらも、空海は人心と学問、為政者の心がまえ、農民と食糧生産、生きる行為の核心、それに道家が理想とする政治の"無為"を説く。
 そこには、日本列島という国土に住む民衆の生活の幸福を願う、空海の大きな祈りがある。

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