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空海「総合学」の視点

 今から一千年以前に、満天の星の下、高野の山の自然道場"金剛峯寺"において、空海が多くの弟子たちと共に願った「自然という生命圏の原理の永遠性」、そこに空海の生涯に亘る修行によって得た意思がすべて込められた。その意思は今日に生きるヒトビトにとっても共感を呼ぶものであった。

 ヒトは如何に自然(生命圏)と共に生きるべきか、そのパラダイム(世界観)を見つけ、実践し、そのことを実証することが空海の一生であったが、そのパラダイムこそが、今日のエコロジカルな世界を希求するヒトビトの目指すものでもあったのだ。

 そのパラダイムは、次のような空海の説く人間性の規範のすべてに及んでいる。


Ⅰ「行為」の部:ヒトは生きて行動する。

(1)生存欲求
  イ、呼吸:生の原点。呼吸法
  ロ、睡眠:明と暗の妙。瞑想
  ハ、飲食:相互扶助。水/薬草/精進料理
  ニ、生殖:昇華の行為。理趣会
  ホ、群居:社会性。僧団
  へ、情動:快・不快。慈悲
(2)行動性
  イ、動き:行住坐臥。行脚・座禅・所作
  ロ、生産:空間・モノ・コト。イメージ・シンボル・単位・作用の四種の表現で
    作られ、本質をもつことのできる世界(マンダラ)の創造
  ハ、言葉:空間と物質のひびきによる作用。真言/言語と文字と文法/詩文
(3)祈り
  イ、対象:世界の創造神・自然の神・実利の神・ちからの神
  ロ、願望:神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通
(4)倫理
  イ、徳
    一に、思いやり。二に、恩への報い。三に、礼節。四に、知性。五に、信望。
  ロ、善
    一に、自己を含め、むやみに他のいのちを傷つけない
    二に、他のものを盗まない。
    三に、姦淫しない。
    四に、うそをつかない。
    五に、無意味な言葉を発しない。
    六に、悪口や暴言を吐かない。
    七に、矛盾したことは言わない。
    八に、欲深いことはしない。
    九に、決して怒らない。
    十に、邪まな考えをもたない。
(5)生の楽しみ
  イ、「運動」の楽しみー速さと強さ
  ロ、「五感」の楽しみー対比と調和(美の悦楽)
    ・視覚:色/かたち/うごき
    ・聴覚:自然音/声音/音楽
    ・嗅覚と味覚:あまい/からい/にがい/すっぱい/しょっぱい
    ・触覚:かたいーやわらかい/つるつるーざらざら/冷たいー熱い/重いー軽い
  ハ、「所作」の楽しみー無心の舞い
    ・作法
    ・演技
    ・技(わざ)


Ⅱ「知」の部:ヒトは生きて行動し、「知」を学ぶ。

(6)自然の誕生と仕組み
(7)寿命と時間の概念  
(8)生命の本質について
(9)生物の分類と営み
(10)自然と共生する社会づくり
   イ、生活知―住みかと景観
   ロ、創造知―モノ・コトづくりと美
   ハ、学習知―意思と知の共有
   ニ、身体知―からだ(自然)と精神


 ヒトは生きて行動する。その「行為」は、まず、生存のための呼吸・睡眠・飲食・生殖・群居・情動の"欲求"によって起こり、それらを原動力として、五感をはたらかせ、四肢を使い、生活して行くために"修行"と"生産"を行なう。その生活するための住み場所には、畏敬すべき自然のちからや、ヒトの情動による願望が渦巻いている。それらを分かりやすくするために人格化し、コントロールしようとする。そうして、生まれたのが"神"である。その神に祈り、こころを鎮め、欲望を癒す。また、ヒトとヒトが付き合うにあたって、余計な摩擦を避けるために"倫理"を生み出し、ヒトの振る舞いにおいて、してはいけないことと、していいことを規定した。そして、余計なことから解放されるゆとりを確保し、己の個性を発揮する"生を楽しむ"ようになった。これらがヒトの「行為」の規範となる。

 ヒトは生きて行動し、「知」を学ぶ。その知とは、自然界(世界)はなぜ"存在"するのか、その仕組みはどうなっているのかの疑問と答え。生き物はなぜ生まれ、死へと向かうのか、"寿命"に対する疑問と答え。また、"生命"とは何か、如何に生きるのかの疑問と答え。すべての生きとし生けるもの"生物"に対する疑問と答え。そして、それらの答えによって得た当面の「知」による"美しい世界"のあり方への答え。これらがヒトの求める「知」の規範となる。

 学び身につけた「知」から、「行為」がまた、生じる。その行為はからだによって行ない、からだは自然界に属し、自然は生態系によって維持されている。だから、ヒトの知が己の存在理由への自問であるなら、すべての知の理念は、究極的に生態系に帰することになる。

 (ヒトが生きるにあたって、自然のちからを借りなければならないことは誰も否定できない。であれば、その自然を理解することが、生きることの根幹の教えでもある。理解にあたっては二通りの方法があり、自然を細分化し、要素に還元する方法と、全体の仕組みを包括的にとらえ、その意味を問う方法である。空海の理解は後者にあり、そこに生態学的な発想がある。そこから、全体のシステムの中に部分が存在し、部分によってまた、全体像ができあがっているという世界観が生じる。例えるなら、森と木々の関係となるが、個々の木を見るヒトは森を見ず、森を見るヒトは木を見ないのではなく、森の生態として、それらの総体を動的に見る視点である。そこに物事の本質がある。つまり、マンダラの世界観である。このとらえ方、今日の科学者が二十世紀後半になって唱えだした理論と同じなのだ。この視点ならば、実在し、相互に結ばれている世界を包括的に説明できるとー)

 一千年以前に、そのことに空海は気づいていた。それをパラダイムとした。その図形そのものがすでに世界観となっているのだ。その中に、エコロジカルな「知」にもとづく、自然と共生する「行為」の主体者である如来(いのちの知のちから)と菩薩(知のはたらき)と明王(生体エネルギーのはたらき)と天(祈りによって生み出された神々)が適正に配置されている。(そして、それらは融通無碍である)

 このパラダイムが、空海「総合学」となる人間性の規範のすべてに及んでいる。
空海の視点と今日とがマンダラの中で結実している。


2009/05/06

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