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空海の悟り-生の欲求と昇華-

 あらゆる生物は、生の根幹となる共通の生命活動によって生きている。それは、呼吸することによって生き、夜になると眠り、眠っているときも呼吸する。からだを維持するために水と炭水化物を生産・摂取し、呼吸によって体内に取り入れた酸素で燃焼させ、エネルギーをつくる。からだには寿命があり、生殖によって子孫をつくり、個体を引き継ぐ。自然界を住み分け、種の共同体として群れる。快・不快を感知する能力によって、個体の感情を表わし、生存権を行使し、環境形成の一役を担うといった活動である。(そして、それらのすべての活動が連鎖することによって、生命圏が維持されている)
 これらの生命活動が、あらゆる生物にとって生きるための欲求となるが、すべての生物が同じ欲求を有するため、この欲求はすべての生物にとって同等の権利がある。また欲求を充たすために、同種や異種の個体と個体、個体と群れ、群れと群れによって、生存競争を繰り広げるが、自然界全体からみれば相互に扶助しあう範囲とみることができる。

 この欲求がヒトにとってもすべての意識の起点であり、そして到達点である。空海は、そのことに気づいていた。いろいろな崇高な思考をしてみたところで、実在するのはこの欲求だけなのだ。空海の記した『十住心論』の中においても、第一住心でこの欲求に言及し、第十住心において、欲求の昇華を悟る。その間、第二から第九住心までが、すべて、ヒトの意識の生みだした思想という名の幻影である。したがって、その世界は実在しない。ヒトは意識という闇を埋めるために、思考し、知識を積み重ねているが、そのことによって、生の欲求の根幹が充たされることはない。
 そのことにブッダが気づき、荘子が気づき、ナーガールジュナが気づき、空海が気づいていた。

 実在するのは、生きている個体の放つ、欲求の光の数限りない連鎖である。そして、それらの無数のいのちの住み場所である自然界の存在である。

 以下は、生の欲求の原理にしたがい生きるということと、その欲求の昇華を説き、実践した弘法大師空海の悟りの普遍性を、今日の科学によって知ることのできる事実を踏まえ、考察してみたい。

(1)呼吸<生の原点>
 地球の誕生時、大気中に酸素は存在しなかった。しかし、原始の海に誕生した生命の中に、植物のような光合成(一酸化炭素と水を材料とし、太陽光のちからを借りて炭水化物を生産し、酸素を放出する作用)を行なうもの、シアノバクテリアが出現し、海水中に酸素が放出され、それが飽和状態になると徐々に大気にも蓄積されていった。
 この酸素は本来、強い酸化力をもつ毒性の気体であり、生命は絶滅の危機に見舞われることになる。だが、その危機にあって、一部の生命に酸素を呼吸し、その酸化力によって炭水化物を燃やし、エネルギーを得るものが現れた。ミトコンドリアである。このミトコンドリアを細胞内に取り込んで、生命は地球上に存在できるようになった。
 こうして、生物を介して、大気中の酸素と二酸化炭素の循環が行なわれるようになった。
シアノバクテリアはやがて、植物の細胞に取り入れられ、二酸化炭素を呼吸し、酸素を放出し、動物はその酸素を呼吸し、二酸化炭素を放出している。
 このように、大気中の20.949%の酸素と、0.04%の二酸化炭素のバランスによる生存環境が、生物間の呼吸のやりとりによって維持されるようになった。
 この大気の成分がなければ、ヒトは生きられない。

 古から、賢いヒトビトは自明の呼吸に前記の科学によって知りえたことによらずとも、生の根源をみていた。そこから、呼吸法なるものも生まれている。
 ブッダは「入息・出息を整え、こころを呼吸に集中すれば、いのちのひびきとこの身を一体化できる。そうすれば、すべてのいのちの微細な知のはたらきに気づくだろう。そこに、こころの本性がある。そして、こころは清浄である」と説いている。
 この呼吸法(座禅)、空海も一生を通じて行なっている。そこで空海の見ていたもの、連鎖して光り輝くいのちのすがたと、そのひびきであったはずだ。ヒトもそのリズムと一心同体のいのちとしての存在である。そのことを自覚し、そして、行ないを為せと説いた。

(2)睡眠<明と暗の妙>
 今日の科学において、睡眠は既日リズム(サーカディアンリズム)によるとされる。既日リズムとは、約24時間の周期で繰り返されるあらゆる生物(動物・植物・菌類・藻類など)の生理現象をさす。このリズムによって、植物の葉も夜眠り、太陽が昇ると起きて活動する。
 では、このリズムは何によってもたらされているのか。そこに登場するのがシアノバクテリアである。今から32億年前にシアノバクテリアは光合成によって生き始めた。このいのちの一日のリズムがその後の地球上に登場したあらゆる生物のリズムとなった。つまり、太陽光エネルギーを利用して生きるこの生命体の活動は、地球の自転にともなう昼と夜のリズムに同調することによってのみ成立したからだ。
 シアノバクテリアは今日、植物の葉の細胞の中に入って葉緑体となったが、その活動リズムが生物界すべてのリズムの源なのだ。

 ヒトもまた、睡眠と摂食と排泄、脳波のリズムとホルモン分泌と体内細胞の再生など、すべてが概日リズムにしたがっている。
 それらは、昼と夜の明と暗のサイクルに影響されるものである。規則正しい睡眠と目覚めのリズムは、光(明)を感知した細胞(目と皮膚)が脳の中にある松果体に伝令を送り、メラトニンと呼ばれるホルモン物質を分泌させることによって制御されている。したがって、暗くなると眠くなる。また、夜、睡眠中に心身は休息し、脳は記憶を再生し、成長ホルモンを分泌し、創傷の治癒、細胞内の新陳代謝が促進されるのは、原始、地球上において昼間に太陽からの有害な紫外線がふりそそいでいた時期、夜のみが微細な生物にとって、活発に活動できる時間帯であったことに所以するといわれている。それらの微細な生物(細胞)があらゆる生物の体内に取り込まれている。
 夜、暗くなると眠り、からだと神経を休ませる。そうして、体内の細胞に再生活動の時間帯を与える。睡眠とは、その24時間リズムの欲求なのだ。

 この暗のリズムを人為的に増幅させる修行、それが座禅である。そうすれば、無心にして、体内を活性化させ、細胞を治癒させる状態をつくりだせる。
 明と暗の妙。
 空海もその妙を「沙門勝道山水を歴て玄珠をみがく(道を極める)の碑」の中に記している。
「宇宙の混沌の中から、大地(地球)は誕生し
 大気が天に昇り、大地をとり巻いた。
(その大地の天空には)月と太陽が運行し
(地上には)あらゆる生物が連鎖し、生のリズムを奏でている。
(大地には)陸と海があり
 明と暗(昼と夜)がある。
 世間のリズムは生まれては消えて行くが
(天体の)不変のリズムはヒトビトを導くものである」と。

(3)飲食<相互扶助の行為>
 植物は無機質から有機質(炭水化物)を生産する唯一の生物であり、その炭水化物を動物が食べ、動物や植物が死ぬとそれを微生物が分解し、土の養分とする。その土からまた、植物が育つ。この食物連鎖が飲食の根幹である。

 また、飲食の飲となる水は、あらゆる生物の生存にとって必要不可欠の物質である。生物体の質量の70~80%は水であり、このことは生命が太古の海で誕生したことによる。その海水をからだに宿して生命は陸に上がった。だから、からだを形成している細胞の一つひとつには多くの水が貯えられていて、太古と同じ生命現象を司る環境を維持している。ヒト科においても、体重の60%を水が占め、その内45%が細胞内に貯えられ、残りの15%が血液やリンパ液の水である。

 このように、水がなければヒトも生物も生きられない。
 その水を飲する欲求、並みの欲求ではない。あらゆる生物が水を求めて生きているのだ。

 空海もヒトビトのために、「甘く・冷たく・軟らかく・軽く・清く・無臭・のどごし・無毒」の八つの要素を満たす水を求め、その足跡は全国に及ぶ。また、田や畑で穀物や野菜を育てる水を確保するため、各地の貯水池の築造計画を極めて工学的に指導し、実際に手掛けている。すべては、ヒトの飲食欲に対応する社会的扶助の実践である。

 飲食による生命維持行為において、あらゆる生物が相互に扶助しあっているすがたをイメージできるなら、その役割分担は、連鎖において平等であり、ヒトはその連鎖を学び、その中で賢く生きることができる。空海はそのことをよく知るヒトであった。
 空海はその築造に助力した「大和の州(くに)益田の池の碑銘」に、水のもたらす恵みを称え、次のような一文を記している。
「そもそも、夜空に輝く、五穀の実りを司るという星座と
 広大な銀河の流れの功徳によって、雨は地上に降りそそぎ
 湖水と海水によって、広く万物は潤っている。
 その潤いのおかげで、すべての植物はよく繁茂し
 動物は、その繁茂する植物を食糧として長く生きられる。
 季節ごとに八方から吹く風が、植物を育て
 万物を作りあげている諸元素の中で、水の元素こそが、最大のはたらきをする。
 水のもたらす恩恵は、何と、遠大なることよ、大いなることよー」と。

(食物連鎖=エネルギー循環システムの進化によって、あらゆる生物は進化してきた。その源が飲食欲なのだ。ただの欲ではない。いのちは、水と食べ物を得るために活動し、その連鎖によって生き、生を楽しみ、広大な宇宙空間に浮かぶ水の惑星上に、その水のもつ、あらゆるものの基質となるちからを借りて、自然という名の美しい景観を築き上げたのだ)

(4)生殖<個体の昇華>
 生物学的にいうと、繁殖行為である。生物が子孫を残すための一連の行動を指す。
 単一の親から子へ、同じ遺伝形質を伝達する生殖を無性生殖という。この場合、子孫の多様性は発生しない。
 オスとメスの親の違う遺伝形質の結びつきによって、それらが子へと遺伝されるのを有性生殖という。この場合、子孫に多様性(メンデルの法則)が発生する。メスの卵子とオスの精子の性細胞が合体して、新しい個性をもった個体が生まれるからだ。

 動物は、繁殖を実行・成就するために
○求愛行動と
○性交行動と
○保育行動を
本能的に有している。
 この行動を、動物一般では繁殖期にいっせいに起こすが、ヒトは一年中、起こすことができる。このことによって、"愛欲"といった欲求をヒトだけがもつ。
 この欲求をヒトは無視することができない。金剛界マンダラの九つのマスの中の右上に「理趣会」が配置されているが、その図の示すところがヒトの生殖欲への答えとなる。
 示すところは、ヒトは男女が"欲(愛欲)"によって戯れ、そこから"触(性交)"に至る。性交によって"愛(愛情)"が生まれ、愛情によって"慢(快感)"に達するといった明解なものである。
 空海もこの図を理解していた。そして、ヒト科の生殖欲の昇華を祈った。つまり、昇華された性によってヒトは"愛欲"を"愛情"に変換できる、その愛情は生まれた子にそそがれ、子は愛情を受け継ぐ。

(5)群居<社会への慈愛>
 あらゆる生物は、基本的に群れる習性をもつ。群れることによって助け合い、種のテリトリーを確保する。それが社会的単位となる。その単位は、地縁や血縁、それに本能的集団として構成され、環境と適合し、棲み分けが成立し、衣食住を得ることができる限り、維持可能となる。
 ヒト科社会も、住み場所に適応し、固有の生活様式と文化を築き、善きリーダーの下、住民がそれぞれの役割を得て、共同体を維持できる。
 その暮らしには
○衣食住の生産と技術、それらの分配と取得
○自治/教育/コミュニケーション/環境整備/奉仕など、社会の仕組み
○出産と子育て/病と老い/死へのホスピタリティ
が必要だ。

 若き日の空海は修行僧として全国を巡っている。山と里と海、日本列島の西から東まで、多くの山漁村での民衆の暮らしを目にしていたであろう。網の干された浜の集落や初夏には田植えに草取り、秋には稲刈りに天日干し、それにもみ取り作業を繰り広げる田の集落や木々の伐採の音のこだまする山の集落には、その土地に生まれ住む、長老とその息子夫婦、その夫婦の息子と嫁、それに多くの子どもたちと青年がいて、家族を構成し、そこに、他の集落から来た働き手もいて、共に作業をし、四季の折々に共に祈り、祝う生活をしていたであろう。
 その光景の中に、ヒトビトの暮らしの平穏を願い、大漁と豊かな実りを祈り、野菜や穀物の作付け方法、食物の保存法、薬草の調合、大工や各種工芸、鉱物の精錬、水源の在り処、貯水池の築造、造船や港湾づくりを見つめ学ぶ若き修行僧のすがたがあった。

 自然の道理と民衆のこころに入り込み、その本質を掴もうとしていた青年空海には、日本列島各地の群居欲により築かれたあらゆる環境の集落で生活を営んでいる民衆が、幸福になることの伝道と、その暮らしを快適にするために、自然の道理を理解して工学的に制御できるようになる技術を身に付け、環境の改善に貢献することや、大陸の進んだ学問と芸術を学ぶ道を拓き、日々の暮らしを潤いあるものにしようとする、新興の国家とその民衆への慈愛の実践者になることへの大きな夢があった。
(それには、空海より一世紀前を生き、大陸伝来のブッダの教えの伝道と、民衆と共に福祉や土木事業を展開した僧、行基という大きな存在があったにちがいないー)

(6)情動<慈悲と知の源>
 呼吸欲・睡眠欲・飲欲と食欲・性欲・群居欲など本能的欲求によって表わされる感情によって、あらゆる生物が生きている。これを情動という。
 情動の基本は、"快感"と"不快感"である。例えば、食欲や性欲が満たされると快感になり、満たされないと不快感になる。また、不快感によって、事物を破壊したり、対象を攻撃し、その感情を晴らす行動にでる(昆虫や魚でさえも、この快・不快を感じて行動していると、今日の科学は解明している)。
 個体の生存を守ろうとする、極めて直接的な行動の原因が情動なのである。しかし、この行動によって、対象を傷つけ、自己をも傷つける結果ともなる。
 いずれにしても、旺盛な欲求と情動はヒト以外の生物にとっては強さとなるが、ヒトはこれらの情動をコントロールすることによって共同社会を築いている。
 欲求による情動をコントロールする知恵、それは欲求を"因"として、そのことがもたらす情動"果"に対して、その因果を理性と感性によって見、そのように動いてしまうこころと行動を哀れみ、慈しむことに他ならない。


 空海もまた、生の欲求を洞察し、その欲求によって生じる情動を如何にしたらコントロールできるのか、そこからブッダの説く慈悲の教えを学ぶことになったが、最終的にそれらの欲求と情動を当然のものとして認め、その本質を見極めることによって昇華させ、空海独自の共生する生命の尊厳を謳う世界観を築き上げた。
 それは、あらゆる生物が自然界に生きている、共に生きることによって、相互扶助(慈悲)のはたらきを得、生存できている。しかし、その生きるちからの源が情動なのだから、その情動のもつ快・不快の感知力を、"生命圏"全体への感知力として昇華させれば、世界は自ずと調和せざるを得ない。不快な環境を望む生物はいないし、生命は連鎖している。そこに自然界の本質があると観たからだ。

(その昇華された感知力の"知"のちからとはたらき、それに、その"知"によって捉えた物象と事象を、空海はさまざまなかたちの仏像にして示しているが、基軸を成しているのが、「五智如来」の"知"のちからである。
○大日如来:法界体性智(いのちそのものの存在の輝き)
○阿シュク如来:大円鏡智(無心にして生きられること)
○宝生如来:平等性智(相互扶助によって生かされているいのちの平等性)
○阿弥陀如来:妙観察智(知覚力によって感知している世界の本質とその伝達と共有)
○不空成就如来:成所作智(からだによって行なう、無心の行為)
の各、如来の示す、計五つの無心にして生きる"知"ちからである。

 以上の昇華された感知力を、すべての生物が生まれつき有していると空海は観ている。
 そして、それらの感知力によって自然界が成立し、その中であらゆる生物が、
○受用法身(個体としてのすがたとその個体が他にはたらきかけるすがた)
○変化法身(繁殖、遺伝するすがた)
○等流法身(多様な生物の種としてのすがた)
○自性法身(連鎖する生命圏の一員としてのすがた)
の四つの生存するための無垢のすがた「四種法身」の役を担い、それぞれの役わりを無心にして自覚し、その役を屈託なくこなしていると空海は云う。
 この、無心の自覚こそが、情動の昇華であり、それを本来、ヒトの誰もがからだの中に秘めていると空海は説く。その閉ざされている自覚を、開けばいいのだー)

 さて、あらゆる生物がそうであるように、ヒトもまた生の欲求を満たすために生きている。そこに喜怒哀楽がある。しかし、その生の本質を無心の自覚によって感知すると、そこに隠された世界がある。その世界から自己を観れば、そこに生き方がある。空海はそのことをよく知るヒトであった。そして、自利と万象の利他に生きることを屈託なく実践された。そこに空海の悟りをみる。

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