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言葉の空間力-"真言"についての一考察

■からだと空間
 動物は
手があればモノをつかみ(羽になった手で空を飛び)
足で歩き、走り(魚はヒレで泳ぎ、ヘビはからだをくねらして進む)
目でモノと空間を見
耳で音を聴き
鼻で呼吸し、匂いを嗅ぎ(魚はエラで呼吸し)
口で食べ物を味わい、声を発し
皮膚で感触を知る。
そして、意識(中枢神経、脳と脊椎)で行動をコントロールする。

 植物は
土に根をのばし、茎を支え、土の中の水分と養分を摂取し
茎は葉を出し、枝をのばし、葉が太陽の光を受けられるよう、自分のからだを支える。
葉は太陽の光を受けて、光合成を行ない、炭水化物をつくり、酸素を放出する。
そして、からだの組成分の炭素によって、電気パルスを発し、周囲に反応し、すばやく判断し、スローに行動する(このことによって、植物も動物とはちがうシステムではあるが知覚と意識をもつといえる)。

 このように、知覚と意識により、からだを空間の中でうごかす行為は、あらゆる生物の有している機能の根幹である。

 この機能をヒトも有している。
 近代建築の巨匠、ル・コルビュジエは設計手法として、次のようなことを述べている。
○ヒトの身長のうごき(行住坐臥)によって、空間に高さが生じる。
○ヒトの歩幅のうごきによって、空間に広さが生じる。
○ヒトの目のうごきによって、空間に視界が生じる。
○ヒトの手は目の姉妹である。(目で見て、手で触り、手でモノをつかみ、手でモノを作る。つまり、一心同体であるということ)
○ヒトの心理作用。
という内容だが、明快である。ヒトが各種用途に供する快適な環境を得るために、立地に合わせ、そこに床と壁と屋根を築き、内と外に道具と設備を配置したものが建築空間となるが、その空間は、からだの寸法と振る舞い、視覚と触覚、そして、そこを使用するヒトビトの心理作用によって設計されるというのだ。

 今から一千年以前に空海は数多くの建築を手がけている。その分野は環境開発と港湾から貯水ダムに至るが、特に祈りの空間においては京都東寺の「五重塔」「講堂」、高野山の「大塔」「西塔」など、空海自らが図帳(設計図)を作成し、使用木材の部材表とその木材調達に係わる人手などを手配する計画書が今も残っている。
 ル・コルビュジエも晩年に宗教関係の建築を手がけているが、特にロンシャンの「礼拝堂」はコンクリートのもつ可塑性により、有機的で量感のある造形美を有し、内部空間はリズミカルな奥行きのある窓から取り込んだ光が節度よく溢れている。
 一方、空海の「大塔」は方形の二層の天蓋を、ふくらみのある円筒形が貫くフォルムをもち、内部空間のそれらを支える複数の円柱の中央には、いのちの光を放つ大日如来が据えられている。
 双方の空間、外観は生命の躍動感をもち、内部空間は母胎のような温もりと、溢れる光のイメージによって、ヒトビトを敬虔なる気持ちへと誘う。
 その場に行けば、ヒトビトは無心して、礼拝し、手を合わせて祈り、五感によって空間と光のひびきを感知し、こころを清浄なるやすらぎと高揚へと導くことができる。そんな行ないをするための宇宙を創造できるのは、ヒトにからだがあり、その手足と目と耳と言葉と意識が、空間と一体化し、そのフォルムを調和させようとするバランスのとれたはたらきをするからだ。

 「ヒトは、からだと言葉(祈りのひびきと方便)と意識によって、自利利他の行ないを為せ」とは、空海の説く行動哲学であった。

■言葉と空間

 今日の脳科学によれば、言語野(左脳)と対になる右脳部分は、からだと空間との位置関係を知覚しているという。したがって、左脳の言葉で祈り、右脳でからだの置かれた空間のスケールと形状、それに、空間を形成している素材(物質・気体・エネルギー)の発しているひびきを感知すれば、そこに実在する自分を確認できることになる。否、実在するからだがそこにあり、周囲を五感によって知覚し、その要素を識別し、それを声のひびきにして言葉が生まれたという。その言葉によって、ヒトは祈っているのだから、すでに、祈りの中に空間が存在している。

 空海はその著『声字実相義』の中で、
「自然の要素(五大)にみな、ひびきがあり
 そのひびきを、すべての生物、草木虫魚・禽獣・ヒトがもっている。
 そのひびきによって、生物はことごとくを知覚し
 それらのひびきによって、あるがままに存在するすがたにこそ、実相がある」
と記している。
「五大とは、自然を形成している固体・液体・エネルギー・気体・空間の五要素のことである。生物といえどもこれらの要素によって、かたちを成しているのだ。そこにひびきがある。そのひびきが言葉となった。したがって、言葉も文字も、実在する空間とかたちによって成る、生物をも含めた自然の景観が先にあって、それらの発しているひびきである」と空海は考えていた。

 空海の説く言語とは、その空間側(右脳)の感知している実存のひびきのことである。日本・中国・インドの各国語に長けた空海は、空間感知の稀なる能力をもつヒトでもあったのだ。

 "生きる行ない"とそのことによって、"景観(空間)をつくりだす行ない"、生物は無心にそれらを為し、ヒトだけがからだと言葉と意識によって、それらを為している。その諸々の行ないによって、自然界が築かれている。その生物の諸行の功徳に気づくことができるなら、思わず声をだして称賛したくなるだろう。そこに空海の祈りと行ないの根本がある。

 標高八百メートル、高野山に立ち並ぶ大伽藍の中を早朝に散策しながら、澄みきった空気を伝わり、何処からともなくひびいてくるたおやかな読経に包まれると、森の中にヒトも住んでいて、その声音と所作によって、"生命圏"の一員となろうと勤めるヒトたちの凛としてやさしくもある意志を感じる。そこには、空海によって築かれた、仏(いのち)と法(いのちの原理)と僧(いのちの原理にしたがって生きるヒトビト)による空間が、一千年以上に亘って引き継がれているのだ。
 言葉(祈り)の空間力とは、その今日只今の清らかなる時空の一瞬に、わたくしが存在していることである。

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