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空海の詩文を読む(その五)

永久の願い -『高野山万燈会願文』(訳文2019.1改訂)

つつしんで聞く。
心の迷いの闇は、人生における苦のみなもと、
その闇を照らす無垢なる知のちからこそが、苦を取り除く根本である。

心の迷いを考察すれば、それぞれに原因があって結果が生まれ、その結果がまた原因となって生じたものである。
(人間はこの世に生を受け、意識をもち、物事を識別し、識別することによって愛憎を抱き、それを記憶し、言葉にする。しかし、そのことによって人生に迷いという苦しみを背負い込み、それが心の闇となった。でも、よく考えてみれば、識別は自らが生み出したものである。迷いのそれぞれは識別を因として生じた果であって、因と果のすべては自らがつくり出したものに過ぎない。その過ぎないものによって、余計な心の闇が生まれたのだ)
しかし、太陽が昇るとその光は、地上の闇を除き、
月が銀河にかかるとその光は、広大なる宇宙を照らす。

そのように、いのちのもつ無垢なる知のちからの光<大日如来>が心の闇にかかわりなくあまねく世界を照らしているのだが、人びとはそのことに気づかないでいる。
そのことに気づきさえすれば、その無垢なる知が放つ光が、心の迷いや行為の過ちのもととなる因果の連鎖の闇をことごとくに照らし出し、自己と他を救済してくれる光となるのだ。
そうなるのであれば、誰がその知の光を求めないでいられるだろうか。

さて、わたくし空海はいのちのもつ無垢なる知のちからを求め修行する多くの弟子たちと、ここ高野の山の自然道場"金剛峯寺"に、ささやかながら万の灯明と万の美しい花を飾り、法会の場を設けます。

そうして、

  • 知のすがた<胎蔵マンダラ>(『大日経』の教え)
  • 知の原理<金剛界マンダラ>(『金剛頂経』の教え)
の一対から成る無垢なる知の全体像を
  • イメージ(すがたかたち)<大マンダラ>
  • シンボル(象徴となる個別のかたち)<三昧耶(サンマヤ)マンダラ>
  • 文字(文字・言語)<法マンダラ>
  • 作用(作用・活動・動作)<羯磨(カツマ)マンダラ>
の四種の表現媒体によって示し、
その秩序ある世界を、共に生きるものすべてと分かち合いたいのです。

期するところは毎年一度、満天の星の下でこの法会を設けることです。

そうして、

  • 生を授けてくれた父母
  • 国土を守る王
  • 生きとし生けるもの
  • いのちのもつ無垢なる知のちからとその知の教えとその教えを求めて修行し、その知のちからのはたらきをもって社会奉仕をするもの
それらがもたらす恩恵に感謝の気持ちをささげたいのです。

この願い、時空が尽き、生きとし生けるものが尽き、さとりが尽きるまで終わることなく、それらのすべてが尽きれば、わたくしの願いも尽きるでしょう。

この願いがつづく限り、高野の山"金剛峯寺"は天空に高くそびえ、世界の中心にあるというヒマラヤさえも蟻塚みたいに見下ろすことになるでしょうし、その生きとし生けるものの放つ無垢なる知のちからの光は、天地と言葉の創造神である梵天や、自然の運行の支配神である帝釈天の放つ光など、たちまちに飲み込んでしまうでしょう。

そうなれば、梵字の濫(ラン)の一字によって象徴される(個体の形態形成、代謝、成長、行動発現などを調節する)知が発動して、たちまちに(内分泌物質が合成され、その微量の物質が)身体を巡り、あらゆる病を取り除くでしょうし、梵字の質多(チッタ)によって象徴される無垢なる知のちからの統合がもたらす思慮分別の心は、あらゆるいのちあるものに微笑みかけ、花が開くように、それらを目覚めさせることになるでしょう。

心よりお願い申し上げることは、
このいのちのもつ無垢なる知のちからの光のはたらきによって、自己と他を苦から救いたまえ。
迷いにさまよう人びとを、たちまちにその人びとが本来もっている無垢なる知のちからのもとに帰らせたまえ。
迷いによって生じている心の闇を、その自らのもつ無垢なる知の光によって、取り去らせたまえ。
そうして、尽きることのない知のちからによるありのままの生の活動行為<三密:行動性・コミュニケーション性・意思性>を発現させたまえ。
そのいのちのもつ無垢なる知のちからの発現によって、明月が皓々と輝くように、無数の生きとし生けるもののそれぞれのすがたを明るく照らしたまえ。

一、固体<地>
二、液体<水>
三、エネルギー<火>
四、気体<風>
五、空間<空>
六、意識<識>
の六つの要素<六大>によってすがたを成す生きとし生けるものがあまねく居るところは、

一、生命知(生きとし生けるものすべてに宿る無垢なる知のちからの輝きそのもの)<法界体性智(ほっかいたいしょうち)>
二、生存知(あらゆる生きものが共に生きる環境の中で、それぞれが呼吸と代謝によって体内で物質とエネルギーを作り、個体維持をはかっている知)<大円鏡智(だいえんきょうち)>
三、創造知(あらゆる生きものどうしが自らの創造した衣食住を相互扶助することによって、平等に生きている知)<平等性智(びょうどうしょうち)>
四、学習知(あらゆる生きものがその持ち前の知覚によって、対象を観察・分析・判断する知)<妙観察智(みょうかんざっち)>
五、身体知(あらゆる生きものがその持ち前の身体能力によって、動き、他と接触し、その意思を示す知)<成所作智(じょうそさち)>

の無垢なる五つの知<五智>のちからが溢れているところ。

(その知のちからによって)
鳥は大空に羽ばたき、
虫は地にもぐり、
魚は水に泳ぎ、
けものは林に遊んでいる。

それらのすべてのいのちが、
子を産み、育て、
住む世界を守り、
生きとし生けるものとしての相互扶助のはたらきを為し、
いのちのもつ無垢なる知の原理をそれぞれに実践している。

その恩恵にわたくしは感謝の気持ちをささげます。
さあ、共にこの万物のさとりの世界に入りましょう。
八三二年八月二十二日(空海)

『性霊集』巻第八「高野山万燈会(まんどうえ)の願文」より

あとがき-知性の宗教的実践

 空海五十九歳(832年)の夏、高野の山で生きとし生けるものの幸福を祈る万燈会がおこなわれた。
 この法会を分岐点にして、空海は穀物を断ち、日々、座禅をして過ごすようになる。
 そうして、三年後の正月(835年)からは水分までも断ち、同年三月二十一日、六十二歳で多くの弟子にかこまれながら、その身を隠した。

 空海の求道をふり返ると、大学在学中の二十歳前後に山林に入り苦行をし、無限の知性に目覚める。
 二十四歳の時、人はいかに生きるべきかを自問自答した思想劇『三教指帰(さんごうしいき)』を執筆し、その中で、儒教・道教・仏教の思想・生き方を比較する。結果、仏道を選択し、大学を中途退学することになった理由を"僧"として生き、生きとし生けるものを救済するためと記している。

 その後、自らの道を進むのだが、当時の奈良には、国際仏教大学と呼べる大安寺があり、そこには唐に留学したことのある高僧や渡来僧(インド・ベトナム・唐・朝鮮など)がいたのをはじめ、街には多くの帰化系技術者集団(土木建築・製鉄・織物・各種工芸・文書など)が住んでいたから、空海の性格からすれば、その人たちと交わり、実際の会話や文を通じて外国語を覚え、各所寺院の経蔵に保管されていた原文の経典を読むことのみならず、生活・社会に役立つ渡来技術をも詳しく教わっていたものと思われる。それは、仏教の発祥したインドにおいては、僧として修得すべき学問「五明(ごみょう)」の一つに工巧明(くぎょうみょう:土木建築・冶金・工芸・作画・天文・数学など)があったからだ。
 また、各地を遊行し、自然の道場を見つけてはそこにとどまり、日々の瞑想を重ねるとともに、その土地固有の風土・文化の見聞をも広めた。
 そのようことであったから、五、六年の歳月などあっという間に過ぎ去った。

 その求道の過程で空海は『大日経』の一部を手にした。
 そこには真実の仏法が説かれていると直観したが、分からない個所が多々あり、その意味を聞いても誰も答えられる者はいなかった。
 そこで、その経典を学ぶために、三十一歳時(804年)に期間二十年の正規の留学僧の資格を得、遣唐使の一員となり、海を渡った。

 苦難の末、渡航の年の暮に留学先の長安に入った空海はその堪能な語学力を活かし、カシュミールや中インド出身の高僧の下で、サンスクリット語や最新の各種経典をまず学び、それから、翌年の五月頃(805年)に青龍寺の恵果和尚を訪ね、目的であった『大日経』(いのちのもつ知の世界の全体調和を説く教え)と、(その知の原理を説く)『金剛頂経』の教えを授かる機会を得た。
 両経の教えを胎蔵・金剛界のマンダラとともに二か月で学び取った空海は、八月上旬には密教の法灯をも恵果から受け継ぎ、それにともなう経典、法具、図像などが新しく制作・用意されることになった。
 そうして、同年の暮、師、恵果は「写経や作図の作業を終えたので、早く日本に帰って国家のために密教の教えを広め、万民の幸福を増すように尽くしなさい。そうすれば、国土は安泰であり、すべての人びとが楽しく暮らせるでしょう」と言い残して亡くなられた。
 空海は師の遺言を実践すべく、留学期間を切り上げ、在唐二年で帰国することになる。

 三十三歳時(806年)の三月、長安を出発し、四月、越州に到る。八月、明州を出航し、帰国の途につくが、この間、多くの知識人と交わり、大陸の文化・技術を見聞し、文物を収集する。

 十月初めに新しい仏法と多くの請来品を携えて帰国するが、留学期間規定違反の罪により大宰府に足止めされる。
 だが、周囲の懸命なはたらきにより、その著しい留学成果が認められ、課役免除となり、三十六歳時(809年)に都に入ることを許される。

 都に入った空海は、新しい仏法を広めるために天台宗の最澄と組んで精力的に布教活動をおこなうと同時に、師、恵果との約束である万民の幸福を実現するための社会事業にも取り組むことになる。
 それが貯水池造成による土地改良事業や海上交通の利便性を司る港湾事業、それに庶民学校の開設となり、人びとの祈りと修行の場として、高野の山の自然道場や都の教王護国寺(東寺)の建設となる。
 そうして、永久の幸福を祈る「共に生きる願い」の法会へと至った。
 空海は恵果の遺言を未来へと繋いだのだ。

 さて、この「万燈会の願文」、今日から見ればその願いは現代科学の生態学(エコロジー)や共生の思想に結びつく。

 空海はこの願文とは別のところで「雨と湖水・大海の水の万物を潤す恵みは広い。それゆえ、水によって草はよく茂り、動物はその草に頼って長く生命を保つ」(『性霊集』巻第二「大和の州益田池の碑銘」の序)と記している。

 また、『吽(ウン)字義』の「ウ」字義「存在の本質においては損なうことも減ることもないことを表わす」の項に「草木また成(じょう)ず、いかにいわんや有情(うじょう)をや」(草木ですらいのちのもつ知のちからによって芽を出し、無心に茂り、受粉し、種を作り、そのいのちを継承しているのだから、人間がその無垢なる知のちからを有していないことがあるだろうか)とも記している。

 今日に生きるわたくしたちはあらゆる生きものの生活の場<環境>に潜んでいる共通原理「植物が葉に取り込んだ光エネルギーで水を酸素と水素に分解し、その水素と空気中の二酸化炭素(無機物)を合成して炭水化物(有機物)を作り出し、動物がその炭水化物を摂取し、呼吸によって得た空気中の酸素で分解し、エネルギーを取り出して生きていること」を生物学で学ぶ。また、「エネルギーは循環し、損減がないこと」を物理学で学ぶから、空海の言わんとするところを科学的に理解している。だが、それらが自分自身に及ぶ事象であるとは感じていない。

 そこで、静かな環境に座し、「呼吸」を整え、目をつぶり、光(エネルギー)・粒子(元素)・大気・水・緑(葉緑素)を個別にイメージし、それらの要素を動かして、植物の「光合成」や物理の「エネルギー不滅の法則」をシミュレーションしてみよう。
物質と物質を認識している自己の五感とは一体であると思えるかもしれない。
 そうなれば、自己に宿る知が物質現象を采配している不思議を感じ、いのちへの畏敬の念が生じるだろう。

 また、空をひらき(鳥類)、地に沈み(昆虫類)、水に流れ(魚類)、林に遊ぶ(哺乳類)もの、つまりさまざまな生物を、野に出て観察してみよう。
 古生物学によると、それらのすべては原初、地球に誕生したいのちが40億年にわたって受け継がれ、進化してきたものである。そのイメージが脳裏に浮かべば、けなげに生きている目の前の生物と、それを見つめる自分とは同じいのちであると感じるかもしれない。
 そうなれば、すべてのいのちへの慈しみの情が湧くだろう。

 そうして、生きとし生けるものと、それらのいのちをこの世に存在さすことになった親と、その住み場を守るものと、そのいのちのもつ無垢なる知のちからと知の法とその法を求めて修行しているものたちの存在に心を寄せれば、その恩恵を感じないわけにはいかないだろう。

 そう、いのちへの畏敬の念と、すべての生きるものへの慈しみの情と、それに生きとし生けるものの恩恵によって、わたくしたちは共に生きている。

 だから、共に生きよう。
 空海の知性の到達点がそこにある。

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