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『空海の夢』ノート 10

●24--憂国公子と玄関法師

 この章は、松岡さんが言う「王法と仏法」、あるいは空海と国家論といってもいいかと思う。題材は、『十住心論』の略本といわれる『秘蔵宝鑰』の第四「唯蘊無我心」の途中で挿入される「憂国公子と玄関法師の十四問答」。

 そこに至るまでの前半部分に語られている、松岡さんがかつて公表した『国家論インデックス』と、二十代前半の三つのテーゼのうちの落着しなかったカール・マルクス事件が引き金の役となっている。

 「憂国公子と玄関法師の十四問答」に、松岡さんはマルクスを通り過ぎるほどの何を見たのか。そのことを説明するために松岡さんはかなり丹念に憂国公子と玄関法師の論争を追っていく。

 問答の仔細はここに紹介しないが、話の要は、憂国公子が国家を救うはずの仏者の堕落ぶりを例示して厳しく批判し、それに対して玄関法師が直接反論することばを避けながらも、巧みに儒者を批判するのに『法華経』に似た比喩を多用して憂国公子の批判をそらしていく。
 問題は、この国家を救うべき仏者の堕落の批判とそれへの反論の問答が「無我を説く章」の途中になぜ挿入されたのかという点にある。

 国家は「無我のステージ(第四唯蘊無我心)」という暗示。「執着をもってはいけない心のステージ」で語られた。この辺が、司馬遼太郎が「瑣々たる国家の枠を越えて人類の次元に達した」「天才」といったことにつながっていく。

 この国家観はランケやブルンチェリ以降の近代国家学を先取りしているようなところがある。
 みごとに国家観念のレベルを個我観念のレベルの集積としてとらえられているからである。

 王法をそのまま説くことなく、むしろ個我からの脱出をこそ説いて、はるかに密法を上においた。国家--個我という一直線の紐帯を、無我--国家という順にきりかえてしまったのである。
 マルクスはそうは考えなかった。個我--国家という軸線そのままにひっくりかえそうとした。私の予想があたらなかったのというはそこである。

 もうひとつ注目していいこと。
 わが中世に流行する出家隠遁の先駆をなしていたということだ。
 無常の自覚。

 聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」に発する日本の無常観。これを思想の潮流にまでもちこんだのは空海が最初ではないか、と松岡さんは結ぶ。

 生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し

 げに、仏法への第一歩は無我・声聞乗・唯蘊無我心、無常の自覚のステージだった。



●25--ビルシャナの秘密

 松岡さんは、空海が最も充実して活躍した五十代を「大日の日々」と言う。五十代の空海が考えていたものは何か、論考は「大日(如来)」すなわち「マハービルシャナ(タターガター)」の成立史にも迫る。

 空海四十六才。嵯峨天皇の勅により中務省に入る。天皇の秘書室長。このことは空海の中央での地位を確固たるものにした。空海から袂別された最澄は比叡山に戒壇を設ける(国家仏教の新しい担い手として国が認める)ために署名に走っていた。
 この年の前後、空海は有名な三部作『即身成仏義』・『声字実相義』・『吽字義』を世に問うている。

 四十八才。讃岐の満濃池の修築工事。
 四十九才。平城天皇に授戒潅頂を授ける。東大寺に真言院を建立。最澄入寂。
 五十才。東寺を拝領。真言僧五十人を置く。東寺は空海の社会的活動の本拠地となる。
 五十一才。神泉苑での請雨の祈祷。西寺の守敏と争う。少僧都。
 五十二才。東宮(のちの仁明天皇)の講師。
 五十三才。桓武天皇御忌の願文をしたためる。
 五十四才。淳和天皇が大極殿に百僧を集め雨乞いの祈願を行った際、『大般若経』を転読して請雨の経法を行った。内裏でも請雨法を修した。藤原冬嗣の一周忌に願文を書く。大僧都。この前後から、要人要事の願文を空海に求めることが急に増える。
 五十五才。摂津国大輪田船瀬所別当。綜芸種智院(日本最初の私立学校)を開設。
 五十六才。高雄山寺を和気氏から空海に付嘱される。
 五十七才。『秘密曼荼羅十住心論(十住心論)』とその略本『秘蔵宝鑰』を撰述。

空海は、東寺の拝領とともに東寺を「教王護国寺」と改称。鎮護国家の密教道場とした。しかし、それをもって空海が朝廷の政治にかかわり、護国密教を目的としたというには早い。嵯峨天皇との親交にしても書や外来の新しい唐の文化(詩文など)を通じての交わりであり。請雨の祈祷や願文の考案と浄書にしても、それは政治的な野心に基づくものではなかった。空海にとって、国家とは司馬遼太郎風に言えば「瑣々たる」ものだった。

 「大日の日々」。「大日の徳」「大日の恵光」「大日の一印」。

 アスラ(神)。
 インド・イラニアン(語族)文化。
 紀元前四〇〇〇〜三〇〇〇年の古代、水と火の祭祀思想を共有。インド系とイラン系に別れる。
 ヤジュナ(インド)とヤスナ(イラン)(水と火に供物をささげる慣習)。アグニとアータル(火の神)。ソーマとハオマ(植物の醗酵酒、幻覚液、酒の神)。アシャとリタ(万物の秩序あるリズム)。

 祭祀に共通の「誓約」。ヴァルナ(誓言)とミスラ(約言)。「誓約」を破った者へは復讐が。ヴァルナを破ると「水」、ミスラを破ると「火」、による神判。ヴァルナはのちにヒンドゥーの神(天を支配)になり、仏教では水天となる。このヴァルナとミスラという「誓約」の二神が合体し、古代イランの最高神「アフラ」となる。
 この「アフラ」を「アスラ」(仏教では「阿修羅」)と別な発音で呼ぶ分派。古代イランを離れ、インダスを越え、「ヴェーダ」を奉じた人たち(民族)。『リグ・ヴェーダ』に次の賛歌があるという。「ヴァルナとミスラの二神は、アスラの超自然力を通して空に雨を降らせる・・・・リタを通して宇宙を支配する」。

 紀元前一五〇〇年前後。富めるデーヴァと貧するアスラの闘い。古代イランの逆関係。イランに残った民族の敵対の反映。インドでは悪鬼・阿修羅のなったアスラ。
 余談だが、オウムの首魁・麻原(アサハラ)の名はアスラをもじったものではないかといったのはたしか宮坂宥洪さんだったと思う。

 この悪神となったアスラを中心とする神々のグループの中に現れた首領格が「ビルシャナ(神)(ヴァイローチャナ)」。このヴァイローチャナに二つの方向。悪神性を引き継ぐものと「時代的ゆらぎをともなう幅が与えられる方向。のちに後者が強くなる。

 そのゆらぎ。ヴィローチャナとヴァイローチャナ。ある時はアスラの子ヴィローチャナがインドラと闘う。ある時はアスラそのものの、またはヴィシュヌと同一のヴァイローチャナ。

 『チャーンドーグヤ・ウパニシャッド』の、デーヴァ系代表のインドラとアスラ系代表のヴィローチャナが「真のアートマン(個我)とは何か」を会得するためにプラジャーパティ(生類の主)をたずねて聞く話。ヴィローチャナは「目に見える身体こそ原人(プルシャ)、それが水の映って見えるのがアートマン」という身体自我説に満足して帰るが、インドラはこれに満足せず三十五年後にまたプラジャーパティをたずね、第二大三の説を聞いてやっと満足した。

 この話からの推測。身体自我説は反バラモン系の見解。非アーリアン系の民族。ということは、アーリアン系の人たちと共にインダスを越えたアスラ系のヴィローチャナ・ヴァイローチャナが、悪神となったインドでは、いつかどこかで非アーリアン系の土俗民族の守るところとなり、やがて仏教史の中で復活する、という観測。

 一方、早くも密教の教令輪身(衆生教化のために大日如来が変身した姿)がヴァイローチャナの本質を有している、との見方。悪神こそが善仏に。

 ヴァイローチャナには二度の蘇生。

 その一、数々の名号をもつ「華厳の教主」としての蘇生。ブッダの普遍的復活。しかしながら、松岡さんもヴァイローチャナがどうして(大乗)仏教の中に復活するのか推論を重ねるが、歴史の真相は遠くて暗い。
 「久遠実成の釈迦牟尼」を創出して「法身」のさきがけとなった『法華経』ではなくて、どうして完成度の高い『華厳経』のしかも「教主」なのか、「仏身観」の変遷や仏像の図像学も大いに関与する問題であろう。

 その二、密教の教主・マハーヴァイローチャナ=大日如来。松岡さん流に言うと、

 アスラから数えて何度目の脱皮であろうか。
 アスラにはじまった神から仏への、また多から一への、最終的跳躍を賭けた「イコンの転位」という事件だった。
 仏教史上でもっとも巨大なイメージをもつ華厳のヴァイローチャナが密教理念の主人公に選ばれた背景には、こうした全仏教史の成果を包摂したいという意図もひそんでいた。

 密教は、ヴァイローチャナを主役にしたことでインドの宗教、いやインド・イラニアン文化までを取り込んだ(引き込んだ)。一方『法華経』までの仏教は、ブッダとなった釈迦という主役に終始した。そのことは、インドでは反ヒンドゥーの万年野党を意味する。

 私から言えば、仏教はたぶん反ヒンドゥーの故に成立し、反ヒンドゥーの故にインドに根づかなかった。
 密教は、「無我説」「空観」という仏教の命題を担保し、大乗の「諸法実相」と「慈悲の救済」をかかえて、ヒンドゥーと大胆な妥協をしながら仏教としてどうしてもインドに根づこうとした。
 しかし、さすがのヴァイローチャナも『金剛頂経』までで、やがてへールカ(『へーヴァジュラ・タントラ』)にとって代わられる。へールカは「プルシャ(原人)」に遡る。大胆な妥協が結果としてヒンドゥーへの埋没の道となった。



●26--華厳から密教に出る

 この章は、前章のヴァイローチャナ(毘盧遮那・盧遮那仏(東大寺の大仏))がマハー・ヴァイローチャナ(大毘盧遮那・大日)になる過程を、ルーペで拡大して見るようなところで、松岡さんの空海論というかもっと大げさに言えば日本論にもなろうか、相当にこだわりの部分である。

 しかし、華厳は難しい。仏教学界でも華厳を専門とする人は少ない。一口に言って、思想が大きすぎてよくわからないというのが理由だ。
 その華厳にこだわるというのだから、松岡さんも「いい加減」ということとは縁を持たない人だ。私はその「いい加減」の故に、大学二年の時にあの宮本正尊先生から華厳を教わりはぐった。以来「華厳は脳みそがひとの三倍ないとわからない」などと言っては逃げていた。しかし、松岡さんのこだわりを見て、これではいけないと思ったのだが正直のところまともな向き合いをまだしていない。だから、ここはほんとはパスしたいのだが、ここまでノートをしてきてそれもないと心を改め書くことにした。
 ただ、途中、華厳の詳しい論述が何回かあったり、思想図のようなものも出てくるが、それはここに書いても仕方がないと思う。ともあれ、一番難解な章にチャレンジするとしよう。

 五三〇言で書かれている「遊山募仙詩」。五十三は、東海道五十三次と同じく『華厳経』入法界品で、「善財童子」がたづね歩く「善知識」の数のこと。日本の「アワセ」「カサネ」の技法。

 空海が奈良の佐伯院に止宿しながら東大寺や大安寺に出入りし、若い頃から『華厳経』を学んでいたであろうことや、空白の七年間に「華厳」にふれていただろうという可能性や、長安でも恐らく『四十華厳』を訳出したばかりの般若三蔵などから直接学んでいたにちがいないということを、前に書いた。

 松岡さんが「華厳」を語る時、かならず出てくるのが「杜順」「法蔵」「澄観」という中国華厳の大家たちだ。話の中心はこの三人を含む中国華厳宗の祖のことからはじまる。

 「杜順」。(中国)華厳宗第一祖。慶州で華厳斎会を修す。
 「智儼」。(中国)華厳宗第一祖。仏陀跋陀羅が訳出した『六十華厳』を講ずる。
 「法蔵」。(中国)華厳宗第三祖。実叉難陀の『八十華厳』の訳出に力を貸した。中国華厳の教理は主にこの法蔵と澄観が大成した。
 「澄観」。(中国)華厳宗第四祖。空海が長安にいた頃六十六才。般若三蔵が「華厳のことなら澄観が最高」と。般若三蔵が訳出した『大方広仏華厳経』の巻末に「太原府崇徳寺沙門澄観評定」とある。

 「法蔵」の思想。
 その一、「華厳別教」の一乗思想を確立。一乗とは、声聞・縁覚(小乗)を大乗に向う仮のステップとして認め、菩薩(大乗)を含めた三乗を、大乗の一乗に包括して導くこと。
 同教の一と別教の一。同教の一乗には三乗が含まれる(「融本末」)。別教の一乗は三乗を超えた別(該摂門)。この該摂門の発想がやがて華厳思想の大教理「法界縁起」につながる。
 その二、「五教判」と「華厳の十心」。「五教判」とは、仏教思想史を小乗教・大乗始教・大乗終教・頓教・円教(華厳別教)の五段階に分けたもの。「華厳の十心」とは、五段階目の円教(華厳別教)に大地等心・大海等心・須弥山王等心・摩尼宝心・金剛心・堅固金剛囲山心・蓮華等心・優曇鉢華等心・浄目等心・虚空等心の十心を用意した。華厳のめざす最終的な境地では大地や大海や須弥山といった宇宙大の法界と自分が一致することが想定されている。
 その三、「十重唯識」(『探玄記』)。「慈恩(大師・窺基)」の五重唯識の発展。

 ここで松岡さんは「十重唯識」の表を出し略説をするが、専門的な華厳教理学なので立ち入らないが、参考のために簡略に述べると、
 私たちの感覚がとらえる認識の対象を意識の中に入れようと、「認識されるものと認識する者」が関係をもっている段階があり、それは実はもともと人間の潜在意識(アーラヤ識)の中にあって、別々のものではなく渾然としていた段階があり、それがまた実はもともと私たちはホトケ(如来)の本性があって、「認識されるものと認識する者」は相対的な関係ではなく「清浄一心」のはたらきであるという段階があり、すべての存在も現象も真理性のもとに何の障害もなく互いに融通無碍にかかわりあっている段階があり、それは宝珠が互いに映し合っている帝網のような段階といった具合。この表現は学術的配慮に欠けてはいるが、イメージアップになればそれでいいと思う。
 この先、松岡さんは「十重唯識」の「(華厳)円教」の段階を展開した『華厳三昧章』の気の遠くなるような一覧表や「十玄縁起無礙法門」に論が及ぶ。これはここでは追わない。

 さて今度は「澄観」。空海の総合主義に近いのはむしろこの「澄観」だと松岡さんは言う。

 四種の法界縁起。
 事法界。事物の対立と差別が残る。事象に個性を認める。
 理法界。理が事物の差を融和する。精神が事物に対して優位に立つ。意識の中では事象の差がなくなっているが、事態の方ではまだ事物の相互性がある。
 無礙法界。その内の理事無礙法界、理と事が融合している。一切の障害がない。これが無礙。もう一つの事事無礙法界、もはや事のみが融通している。精神作用が脱落した状態。

 ここで、いよいよ中心課題の空海の華厳である。それは『十住心論』の第九「極無自性心」にある。
 空海が引用した「華厳」関連の文献。『華厳経』、杜順の『華厳五教止観』、法蔵の『金師子章』、澄観の『新華厳経疏』。ちなみに『秘蔵宝鑰』の第九では法蔵の『探玄記』や『華厳経指帰』が見える。

 空海は、この第九「極無自性心」でもっぱら「帝網」を強調した。

 九世を刹那に摂し、一念を多劫に舒ぶ。一多相入し、理事相通ず。帝網をその重重に譬え、錠光をその隠隠に喩う。(『十住心論』)
 縁起の十玄はたがいに主伴たり
 五教を呑流するは海田の音なり
 重重無碍にして帝網に喩う
 隠隠たる円融は錠光の心なり
 華厳三昧は一切の行なり
 果界の十尊は諸刹に臨めり (『秘蔵宝鑰』)
 たがいに映しあう主体がすでに鏡球(宝珠)である。したがってこの鏡球には十方四周のあらゆる光景が映りこむ。この鏡球が一定の間隔でびっしりと世界をうめつくす。ということは一個の鏡球には原則的にはほかのすべての鏡球が包映されていることになり、その一個の姿はまたほかのどの鏡球の表面にも認められるということになる。

 松岡さんは、この「帝網」のイメージがみごとに結実した『即身成仏義』の有名な「八句」の前半部分の解釈をここでも披露している。ここには転写しないがまことに核心をついた説得力のある解釈である。私は、僭越ながら∧即身成仏義体験∨にある文よりこちら(『空海の夢』三二〇ページ)の方が精緻でいいと思っている。

 帝網にたとえられた身体性の成就はおそらく速力に富んでいる。まさに一気呵成というべきなのである。こういう速力に充ちた身体哲学は・・・どこかに宗教的体験がなければ不可能なことである。

 「帝網」とは、もともと「インドラ・ジャーラ(網)」。宮沢賢治に『インドラの網』という作品がある。
 『リグ・ヴェーダ』の時から、ヒンドゥー(アーリア系)神話の中で最もしかも圧倒的な人気をもつ天界の武勇戦闘の神「インドラ」が、二頭の馬が曳く黄金の戦車に乗って迅速に天空を駆けめぐり、雷と「ヴァジュラ(金剛杵)」を武器にヴリトラ(アスラ系)などの悪神と闘う。天空に雷鳴が轟き、黒い空に雷光が走れば、「インドラ」が敵を倒すために天空を疾駆しているとヒンドゥの人々は信じた。「インドラ」の疾駆の縦横無尽の速さと雷光の広がる速さ、「帝網」は一瞬のうちに光が伝わる広さと速さのネット状空間を象徴した。
 「帝網」の「帝」は、「インドラ」の仏教名「帝釈天」の「帝」、「帝釈天網」の意味である。「インドラ・ジャーラ」といい、「ヴァジュラ」といい、すでに『リグ・ヴェーダ』の賛歌に登場していた神話の神「インドラ」の武器が仏教密教の中に転意してよみがえる、この融通無碍な神話の共有はどこかわが日本の「本地垂迹」を想起させる。

 津田真一先生の『金剛頂経』(和訳)を読んでいてひらめいた。
 この世界で誰か一人が「サトった」ら、その瞬間世界中の、いや、宇宙全部の「事」も「理」も一瞬にして「法仏」モードに変換される。誰か一人が「サトった」というのは、誰かがマンダラの一尊と瑜伽したということ。華厳はまだその「一瞬にして」は想定せず、途方もない時間をかけて利他行を行わなければ成仏できなかった。
 空海は同じ「帝網」のイメージを使いながら、華厳の気の遠くなるような成仏のプロセスを一気に圧縮し電光石火の「一瞬」にした。松岡さんが言う「華厳から密教に出る」を、私はそうとらえておもしろがっている。

 以上のことに、華厳の研究者や専門学者が何か「学説」を言うかも知れない。
しかしである。仏教学はたしかに『華厳経』の正確な解釈のためにサンスクリット本や漢訳テキストの「訳語」とそのコンセプトの検証に時間を費やす。逐語訳と文献考証をだいじにする。そのためにまた相当量の補助文献(法蔵・澄観のものから先学の研究書や論文まで)に目を凝らす。そして、それらの比較考証にもけっこうなエネルギーを使う。それはみな、自分が表明しようとしている論拠や仮説の客観性のためだ。
 仏教研究者の「知」はみなこの文献情報や調査情報の考証レベルで止まる。論拠や仮説の客観性のためには思想や主観は禁物である。文献を離れた「思想化」「主観化」、あるいは他の科学や文化との相互リンクという営みは学界では要らないのだ。
 仏教を「学」とすることには、仏教を「思想」しないでいいという致命的な「知」の限界がある。「救済論」を研究の対象とはしても、「救済思想」を創出することはしない。もっと言えば、仏教学あるいは仏教研究者には「救済」ができない。「仏教を生きない」でいいのだ。
 「自らの(仏教)思想を語る」ことを学術と言わない仏教「学」が辿った道は結局「死学」の道だった。華厳は研究できても、「華厳を生きる」ことができない人のことばに「コトダマ」を聞くことはできない。私は「空海する」つまり「空海を生きる」ことにしている。
 余談ながら、骨董の目利きだった青山二郎は「オレは日本の美を生きている」と自ら言ったという。破天荒な一人の骨董目利きが残した「美」意識の影響は無限に大きかった。

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