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『空海の夢』ノート 7

●15--対応と決断

 空海の「構想」を松岡さん自身がオリジナル編集したところで、話は空海と最澄そしてその弟子「泰範」のエピソードに移る。

 それは、空海の持ち帰った密教(の『請来目録』を見て、自分が天台山の帰途、越州の「順尭」から受けた密教が正統なものではなかったことがわかって、それ)に異常なまでへりくだっていた最澄に対して最初好意的だった空海が、『理趣釈経』の借覧をめぐって関係が悪化しついに決別に至る。そして、その間の使いをしながら平安仏教の二人の巨人をまぢかに見ていた最澄の上位の弟子「泰範」が途中で師最澄を捨てて空海に走る、というあまりにも有名な話。
 このエピソードは、やがて最澄が空海の弟子の礼をとって高雄山寺で正統の潅頂を受けたこととともに、天台宗では宗派のメンツもあって語らない。

 章では、「泰範」の人となり(自滅的な魅力)や比叡山における地位など、また最澄の出自から活動暦に至るアウトラインが述べられ、空海の密教に自らへりくだり(空海への手紙に「下僧最澄」「小弟子最澄」「受法弟子最澄」「永世弟子最澄」とある)空海が長安から持ち帰った密教の経典や儀軌や梵書の借覧・書写の許可を願い出たり、乙訓寺に直接空海をたずね正統密教の潅頂受法を願い出て空海が応じるところなど、人物歴史寓話が展開する。

 空海は、密教の経典・儀軌を読むことで理解しようとする最澄を最初から「まちがっている」と思っていたにちがいない。密教は「からだ」全体のはたらきをフルに鋭敏にして感得するものなのに、ただ文献を読み考えるだけで何がわかるかという受けとめ方だ。

 同じように「山」を重視した二人だが、早くから雑密や虚空蔵求聞持法やタオイストや修験といったチャネリング系に身を置いた空海と、深山幽谷の静寂の中でからだのはたらきを極力抑制する止観修禅と『法華経』や大乗の空観思想のきまじめな解釈学に専念していた最澄のちがいなのだろう。似て非なる二人の齟齬は初めからその関係に内在していた。

 顕はすなはち因果六度をもって宗となし、密はすなはち本有三密をもって教ちなす・・・

 「顕」とは、最澄を含む従来の仏教(思想)、「密」とは、空海が構想した「アルス・マグナ」の密教である。この「顕」「密」の峻別こそ空海密教の基本コンセプトとなるものだった。この空海によって新しく「編集」された密教を松岡さんは「空海密教」といい、後世真言宗という「宗」ができてからは「真言密教」とわれわれはいうことにしている。

 章の後半に、空海密教の特異な思想である「果分可説」のことに触れる。

 因分とは現実世界や修行の段階をいう。果分は絶対世界や開悟の段階である。顕教ではふつう現象段階の因分については説くことが可能であっても(因分可説)、絶対の段階の果分については言語などではあらわせないと考えてきた。これを果分不可説という。これに対して空海は、いや密教では果分こそ表示しうるものであって、顕教のようにそれぞれの相手の資質に応じて現象段階を説くようでは話にならないとした。「果分可説なり」と言いきったのである。

 仏教では「解脱」「サトリ」「涅槃」を最終目的とする。しかしその「解脱」「サトリ」「涅槃」の境涯は人間のことばや概念では言い表せない「言亡慮絶」だとしてきた。
 ところが空海は、その境涯を「法身」がすでに永遠の昔から「説法」し続けていて、私たちにはそれが聞こえず気づかないだけだと。そしてそれは「三密」の加持(手に印を結び、口に真言を唱え、心にほとけ(大日如来など)を観じる「はたらきかけ」の行)によってそれは可能だとした。
 この際のキーコンセプトは「真言」である。この「真言」はサンスクリットの短いフレーズで、ほとんどが「○○(ほとけの名)よ、◇◇したまえ、スヴァーハー」という「祈りのことば」である。私はこれを曼陀羅の如来や菩薩や天部のほとけたちがお互いに交信する「如来語」「宇宙語」と表現し、人間の言語次元を越えた言語だと言ってきた。最近は「交信語」「交感語」とも言っている。

 空海は、サンスクリットの文法からガーター(賛歌や詩)の吟詠をインドの僧般若三蔵や牟尼止利三蔵から徹底的に学んだにちがいない。恐らく「真言」や「陀羅尼」の短かなフレーズに託された「聖なるコトダマ」のことも秘伝されたと思う。果分可説は、サンスクリットができてはじめて思いつくことだった。インド人が唱える「ウパニシャッド」や「バガヴァッド・ギーター」の吟詠を聞けばその実感がわかる。

 なお、この稿で二度ほど、「『理趣経』の借覧・借用」という表現がある。これは『理趣釈(経)』のまちがいではないかと、恐縮ながら記しておく。



●16--カリグラファー空海

 この章で、松岡さんのまた並々ならぬ「書」論を聞くことになる。人間の言語次元を越えた宇宙言語と声・字とがどこかでリンクしている空海の「声字実相」論。空海の「書」はただの書道ではないことがわかる。

 章の冒頭に、もう空海の言語観が漂う。

 密教では文字にふたつの表情を読む。字相と字義を言う。字相は表面的なイメージを、字義はその奥にひそんでいるイメージをさしている。空海はそのどちらにも眼をくばり、どちらもほうっておかなかった。よく「字面にとらわれる」と言うが、空海はその字面にこそ本意がはためいているとみえた。

 松岡さんは次に、空海は「文人」ではなかったが「アヤの人」だった、「文」という文字に「×」を読み取れる人だったと言い、「文」「アヤ」についての東方世界の文字文化の造詣を披露する。

 そして、

 その文字の秘める力をとりだして書いてみせることもできる人だった。そこに書聖空海の面目がはじまっている。いちいち筆をとってみなくとも文字の魂がよみとれたらしいことは、空海自身の「いまだ画墨せずといえどもやや規矩をさとる」の言葉からもうかがえる。

 と、空海に漂う「書」の神秘性、引いては密教的言語観の兆しを強調している。もちろん空海は何よりも以前に能書家だった。
 例えば、『聾瞽指帰』に見られる「鵠頭の書法」、王羲之・李よう・智果・陸柬之らの影響、雑多な用筆、ねじれぶりの複合感覚、「一文字のために肘も肩も、背中までもが動員されている」書法。

 さらに空海は中国で書法にみがきをかける。「書は散なり」(蔡よう)。

 書はただ書写するのではなく、自然のさまざまな境物に遊ぶようにしてそこからいろいろな手法や様式をとりいれて、その本性を発揮させなければならないという。

 再び、カリグラファー空海の事例。「益田池碑銘」(奈良県高市郡)。
一字づつ書体を変える書法。しかも単に書体を変えるのではなく字のうらにある景色や気色に応じて字のフォルムを考える手の込んだものだ。これを邪道だという書家もいる。しかしそれは空海の二次元的言語観をわきまえない議論だということになる。空海の「遊び」にも似た書法は、『般若心経』にも見え、昨今ではこの「雑体書法」の評価をめぐってさまざまな議論もある。

 このほか空海には『風信帖』や『潅頂記』の「書」もあり、長安でおぼえた飛白体もあり、そして何よりも梵字(悉曇)がある。梵字はサンスクリットの表記であり、また「真言」につながる文字である。空海には、インドの文字も中国の文字も日本の文字もただ「声字実相」の一点から見ていたところがある。

 松岡さんは、カリグラファー空海という絶妙のタイトルを考えた。願わくば、現代アートの文字デザインに「空海性」というか「文字の奥に何かがひそみ、それが見る者の心に共鳴する」、そういうアートディレクションに出逢いたい。



●17--イメージの図像学

 続いて話は、密教の中心的なシンボリズムの方法、「曼荼羅」に移る。
 曼荼羅というと松岡さんは京都・東寺(教王護国寺)講堂の「羯磨曼荼羅」。
 二十一体の諸如来諸菩薩諸明王諸天の「仏像」が堂内の壇上いっぱいに配置された「立体マンダラ」である。

 中央に大日如来を中心とした五仏、右に金剛波羅蜜ほか五菩薩、左に不動明王ほか五大明王、壇の四隅に四天王、そして梵天・帝釈天が整然と鎮座している。松岡さんはこの「立体マンダラ」を眺めていると、この尊像たちは一時ここにいるもののまたどこかに移動していく、少しもじっとしていないように見えると言う。

 マンダラの源流を辿ることはなかなか容易ではない。松岡さんは、マンダラの「イコン」イメージの歴史について語りはじめる。「図像学」という視点がここに見える。
 その一端、インダス文明に出現していた数々の祖型。「凍石に陰刻された印章」・「両手にのるほどの石像」・「テラコッタなどには各種の神像」・「ヨーガ・ポーズ」・「ピッパルの木(菩提樹)」・「動物」・「スヴァスティカ(卍)」・「リンガやヨーニ」・「ヤクシャ・ヤクシャス神」など。

 マンダラには心理学のユンクが強い関心をもった。「マンダラとは原心理の代名詞ではなかったかとおもわせるほどだ」とユンクは言う。イタリアのジョゼッペ・トゥッチ、高野山の栂尾祥雲師がインド学密教学の視点でマンダラを探求した。最近では、グラフィックデザインの杉浦康平さんが図像学的見地からすぐれた研究成績を収めている。この杉浦さんのような視点と動きこそ仏教学界に育たなかったことなのだ。

 きっと古代インド人は想念のうちに出入りする組みあわせては消え、また新しく組みあわせては消えるようなイコンによるいくつものアソシエート・イメージをくりかえし試みていたのであろう。

 古代インドの諸神や諸仏はおおかた聖衆集合の機をめざしていたのだとも言えるだろう。

 そこにはつねにインド独特の高次な「情報結合」が試みられ作用してきたとも考えられる。

 マンダラのイメージははじめから図示されることを目的としていたのではなく、むしろ「場面の想定」こそがマンダラであったのではないかとおもわれる。

 ユンクの患者の描くマンダラにはたいてい自分の記憶の奥にある部屋や机の上や砂場などがよびさまされている。このような場が実は誰しもの心理の基底にあるはずだという考えこそユンクの思想の特徴である。

 古代インドにおいては、ヒマラヤを母体とした須弥山こそがそのヤマだった。そこでは、光速に近い諸神諸仏の怒涛の参集が高速度撮影のように見えたことだろう。

 マンダラはインダス文明のイコン・イメージからヒンドゥの「場面の想定」による「諸神諸仏」の高速参集へ、そして密教化して「曼荼羅」へと進化する。松岡さんの曼荼羅探求は、一向に手を緩めることなく、一気に両部曼荼羅に飛ばず曼荼羅の定着の以前にも丹念に目を向け、そして金胎両部の曼荼羅へ。

 胎蔵曼荼羅。約四百の諸神諸仏が「想定の場面になだれこむ」。それを何種類かのグルーピングをして構造的に図示することになる。最外院・虚空蔵院・遍知院・釈迦院・持明院・観音院・蘇悉地院・金剛手院・文殊院・中台八葉院(その中央に胎蔵界の大日如来)という「院」の構造がそれだ。例えば、ヒンドゥの神々は最外院に集っている。

 金剛界曼荼羅。別名「九会曼荼羅」。九つの区画に整理されている。九つとは九つの「場面の想定」である。

 空海が金胎両部のマンダラ諸尊のいちいちに関心を示すよりも、あえて四種マンダラの本意にのみ留意しようとしたのは、めくるめく「量」に対するに「質」の強調であったのだ。

 松岡さんはまだ一向に手を緩めず、マンダラの回転能と「対称性の獲得」の話に進む。そこに、インドの祖型幾何学としての「ヤントラ」の対称性(聖三角形のアソシエーション)、中国的加工力(中国的対称性の感覚、方形幻想、匣型観念、金胎一対)の介在を見る。

 しかし、マンダラは巨視的には対称性を満足させながらもその部分においてはかなり対称性を破っている(「一番わかりやすい対称性の破れは諸神諸仏の肢態と表情」)と言う。そこにまた松岡さんの遊学が発揮され、ロジェ・カイヨワの『反対称』の一節が挿入される。こういうところが私たちがこの本を読み進める上で難儀するところなのだが、松岡さんにとっては「得意」のところなのだろう。私はここを飛ばし読みしなければならないのが何ともつらい。

 マンダラが全体においては大同の対称性を求め、かつ部分においては小異の反対称を演じているという知られざる秘密をこめていることは、「ゆらぎの科学」が発達するにつれ、今後はさらに興味深いテーマになってくるにちがいない。

 松岡さんはまた空海にもどる。「六大能生」(生みだすもの)と「六大所生」(生みだされるもの)。「六大所生」の「四種法身」、「マンダラ」、「三種世間」、という空海密教の「六大縁起」。それ以下はその「四種法身」、「マンダラ」、「三種世間」の説明。

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