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空海の仏教総合学 その10New

第九章 「一即多」「多即一」を問う

一、極無自性住心

大乗のレベルの四番目、「出世間心」の第六段階で、具には『華厳経』(正式には『大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんぎょう)』)に基づく華厳思想、すなわち華厳宗の立場である。

『華厳経』には、いわゆる『六十華厳』(六十巻、仏陀跋陀羅訳)と『八十華厳』(八十巻、実叉難陀訳)と『四十華厳』(四十巻、般若三蔵訳)があり、日本では『六十華厳』が重用された。『四十華厳』は、最終章「入法界品(にゅうほっかいぼん)」を漢訳したもので、その訳者の般若三蔵は長安留学中の空海にサンスクリットを教えた人で、また、当時唐で流行していた澄観(ちょうがん、中国華厳第四祖)の華厳思想も指南してくれたであろう人である。

『華厳経』の教説は、「海印三昧(かいいんざんまい)」に入った世尊のサトリの内容である。すなわち、波もなく鏡のように静かな海面にさまざまなものが映って互いに妨げることがないように、心の鏡に世界のあらゆる存在・事象が映り互いに相入している三昧の境地で観じる、広大無辺な宇宙の真理の世界=「法界」=蓮華蔵(れんげぞう)世界。それを「三界唯心」の立場から説く。

華厳は、「法界」を身体とする真理の仏(「法身」)毘盧舎那仏を立て、その毘盧舎那の真理の智慧は光となって世間衆生を照らし、その「法界」では、あらゆる存在・事象が互いに相入し合って無礙であり(「法界縁起」)、一つの毛穴に一つの仏国土を見、一つの塵に一つの仏国土を見、「一は即多」であり「多は即一」であり、「衆生」がこの「法界」に気づかないのは、本来具えている「仏性」(「如来蔵」)を我執・我欲の汚れが覆っているからで、「仏性」を自覚して「菩提心」を発し、「自利」・「利他」の行を重ねればサトリに至るとする。
 空海はこの融通無礙の「法界縁起」を、『大日経疏』によって「極無自性住心(ごくむじしょうじゅうしん)」と言い、この住心のタイトルにした。

華厳宗は、中国唐の初期、『五教止観(ごきょうしかん)』を書いたとされる杜順(とじゅん)を初祖とし、『華厳経捜玄記(そうげんき)』を書いた智儼(ちごん、第二祖)がそれを継承し、『華厳五教章(ごきょうしょう)』・『華厳経探玄記(たんげんき)』・『金師子章(きんしししょう)』などを著した法蔵(ほうぞう、第三祖)がこれを大成し、『華厳経疏(けごんきょうしょ)』やその私疏『演義抄(えんぎしょう)』を残した澄観がさらに思想的に発展させ、さらには宗密(しゅうみつ、第五祖)が出て、その頃流行していた馬祖(ばそ)禅に対抗し「教(華厳)禅一致」を主張し、あるいは『原人論(げんにんろん)』で儒・仏・道それぞれの欠点を批判しながら、かつ華厳のもとでの三教一致を説き、中国仏教に大きな影響力をもった。

日本には、天平八年(七三六)、新羅出身といわれる入唐僧で、華厳の第三祖法蔵に師事した審祥(しんしょう)がもたらした。審祥は大安寺に住み、興福寺の慈訓(じくん)などに華厳を教え、天平十二年(七四〇)、良弁(ろうべん、東大寺の開祖)の招きにより金鍾寺(こんしゅじ、今の東大寺)で『華厳経』を講じた。良弁は、はじめ元興寺の義淵から法相を修学し、さらに慈訓から華厳を学んだ。

東大寺の大仏は、この良弁の時代、聖武天皇の発願により華厳国家(仏国土)の象徴として造顕された。
 天平十三年(七四一)、聖武天皇は『華厳経』の説く「蓮華蔵世界」を理想の仏国土モデルとし、諸国に国分寺・国分尼寺を置いて釈迦如来を祀らせ、同時に中央政権の地方政庁とした。そして、大和の国分寺である東大寺を総国分寺とし国家仏教の総本山とした。壮大な国家鎮護の施策である。
 さらに、天平十五年(七四三)、聖武は紫香楽宮で大仏造顕の勅を出し、同十七年(七四五)、大仏の制作がはじまり、同十九年(七四七)に鋳造が開始され、天平勝宝元年(七四九)秋、完成、そして同四年(七五二)春、盛大な大仏開眼供養が行われた。
 開眼供養には、退位して太上天皇となった聖武に光明皇太后、さらに孝謙天皇ら一万数千人が列席し、導師をインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな、ボーディセーナ)が、咒願師を唐僧の道璿(どうせん)が、講師を大安寺の隆尊律師が、読師を元興寺の延福法師が、ベトナム伎楽の奉納をベトナム僧の仏哲(ぶってつ)が、それぞれつとめた。

この開眼法要の際、上皇や皇太后らとともに、豊前国宇佐八幡宮の「八幡神(やはたのかみ)」が御輿に乗って大仏殿に入御した。
 「八幡神」はまた「はちまんしん」であるが、新羅国南端の「加羅(から、伽羅)」から渡来し豊前宇佐郡一帯(福岡県と大分県にまたがる地域)に「秦(はた)王国」を形成した秦氏の神「香春(かはら)神」(辛国息長大姫大目命(からくにおきながおおひめおおめのみこと))に、ヤマト王権からこの地に派遣された大神比義(おおみわ(九州では、おおが)のひぎ)が応神天皇の霊を付与して「ヤハタ(八幡)の神」(=香春八幡神)としたものである。

大仏の造顕には七三万七五六〇斤(約四四三t)の塾銅(にぎあかがね、精錬銅)が使われたという。この大量の塾銅を供出したのは、「秦王国」の香春山(かはるやま、採掘・製錬)と、長門国の榧ヶ葉山(かやがばやま、採鉱)や大切谷(おおぎりだに、精錬)(のちの長登(ながのぼり)銅山)の秦氏系技術者集団だった。
 宇佐の「八幡神」がこの晴れの法要に出御できたのは、塾銅供出に協力した秦氏への褒美であり、朝廷は宇佐八幡に封戸(ふこ)八百と位田(いでん)六十町を贈り、のちには東大寺のすぐ東の手向山に「八幡神」を分社して祀り、東大寺の守護神とした。

大仏の制作にあたったのは、「白村江(はくすきのえ)の戦い」に敗れて日本に亡命してきた百済の高官・国骨富(こくこつふ)の孫の国中公麻呂(くになかのきみまろ)を大仏師とし、官人で鋳物師の高市大国(たけちのおおくに)や高市真麻呂(たけちのままろ)とその技術者たち(おそらく大和高市郡にいた秦氏ほかの渡来系)、延べにして四十二万人余と、二百十八万の雑役人夫を動員し、頭部からはじまって大仏本体に三年、螺髪(らほつ、巻上げの頭髪)と組み立てに二年、仕上げと鍍金(金メッキ)に六年、合計十一年をかけた。

然るに、鍍金(金メッキ)には大量の金と水銀を必要とする。その大量の金を提供したのは、陸奥国小田郡の金山(現在の宮城県遠田郡涌谷町の一帯)で、陸奥国の国守だった百済王敬福(くだらのこにきしのきょうふく)は九百両(十三kg)の金を献上し聖武を喜ばせた。日本ではじめての金の産出だった。金の採掘などに詳しかった敬福が、陸奥国の国守に再任されたのはこのためだったという。
 また水銀(丹生、硫化水銀)は、伊勢国の丹生水銀鉱山(三重県勢和村丹生、現在の多気郡多気町)から産出された「伊勢水銀」と、少量ながら大和国の「大和水銀鉱山」(奈良県宇陀郡菟田野町、現在の宇陀市菟田野)からのものだった。
 伝えによると、大仏の鋳造には、七三万七五六〇斤(約四四三t)の塾銅と、一万四三六両(約三九一kg)の金と、五万八六二〇両(約二t)の水銀を必要としたという。そして、仕上げの金の彩色(金メッキ)は、金と水銀を一対五の割合で混合した溶液(アマルガム)を銅の表面に塗り、それを真っ赤にした木炭で加熱し、水銀を気化して金を定着させるのである。その水銀の蒸発の際大量の毒ガスが発生したという。

話を戻すと、鎌倉期には、華厳・倶舎・真言・臨済を兼学した栂尾の明恵(みょうえ)が、しばしば華厳思想や独自の「仏光三昧観」を講じた。
 東大寺では、道性(どうしょう)やその弟子宗性(そうしょう、東大寺別当)、さらに宗性に学んだ凝然(ぎょうねん)が出て、法蔵の『探玄記』や澄観の『演義抄』を用いて『法界義鏡(ほっかいぎきょう)』を著し、『八宗綱要』や『三国仏法伝通縁起』を書いて日本の仏教史を総覧した。

空海は、この華厳宗の教義を述べる住心で、中国華厳宗の杜順・法蔵・澄観の解釈を依用している。また、華厳の説く「真如」=「法身」=毘盧舎那は、密教の説く「法身大日」に通じていくことを示唆し、華厳から出て密教へという空海の思想回路を示している。

二、『六十華厳経』

『華厳経』三本のうち、『六十華厳』のあらましを紹介すると、『六十華厳』は「八会(はちえ)」(世尊の説法を聞く八種の法会)によって構成されている。この「八会」はさらに三十四品に分かれ、そのなかには菩薩の「十地」を説いた「十地品」や、如来が出現した意味を説く「宝王如来性起品(ほうおうにょらいしょうきぼん)」と、善財童子(ぜんざいどうじ)の求道の過程を説いた「入法界品」など、華厳思想をになう重要な章がある。

以下、「八会」三十四品である。

①寂滅道場会(じゃくめつどうじょうえ)
世間浄眼品(せけんじょうげんぼん)
盧遮那仏品
②普光法堂会(ふこうほうどうえ)
如来名号品
四諦品
如来光明覚品
菩薩明難品
浄行品
賢首菩薩品(けんじゅぼさつぼん)
③忉利天宮会(とうりてんぐうえ)
仏昇須弥頂品(ぶっしょうしゅみちょうぼん)
菩薩雲集妙勝殿上説偈品(ぼさつうんしゅうみょうしょうてんじょうせつげぼん)
菩薩十住品
梵行品
初発心菩薩功徳品
明法品
④夜摩天宮会(やまてんぐうえ)
仏昇夜摩天宮自在品
夜摩天宮菩薩偈品
功徳華聚菩薩十行品(くどくげじゅぼさつじゅうぎょうぼん)
菩薩十無尽蔵品
⑤兜率天宮会(とそつてんぐうえ)
如来昇兜率天宮一切宝殿品
兜率天宮菩薩雲集讃仏品
金剛幢菩薩回向品
⑥他化自在天宮会(たげじざいてんぐうえ)
十地品
十明品
十忍品
心王菩薩問阿僧祇品(しんのうぼさつもんあそうぎぼん)
寿明品
菩薩住処品
仏不思議法品
如来相海品
仏小相光明功徳品
普賢菩薩行品
宝王如来性起品
⑦普光法堂会(ふこうほうどうえ)
離世間品
⑧逝多林会(せいたりんえ)
入法界品

三、「法身」毘盧舎那仏

『華厳経』が説く毘盧舎那は、「空」・「法性」の真理(「真如」)の世界(「法界」)を身体とする仏、すなわち「法身」である。眉間や口から、まばゆい智慧の光明を放つが、大日如来のように自らの真理(「法」)を説くことはない。

『六十華厳』の「宝王如来性起品」に言う。

 如来の智慧の日光は「自分はまず菩薩を照らし、乃至邪悪の衆生にも及ぼそう」などと思わない。ただ、大智の光を放って遍く一切を照らすばかりである。
 仏子よ、例えば日月この世に現れて、乃至深山幽谷に至るまでも、遍く照らさぬということはない。如来の智慧の日月もまた此の如く、遍く一切を照らして明了ならしめないということはない。

「法身」毘盧舎那は、過去世において無限の時間の修行を重ねてサトリを得、「蓮華蔵世界」の教主になった。右手に「施無異印(せむいいん)」、左手に「与願印(よがんいん)」を結び、衆生利益の意志をシンボライズしている。

然るに、この「法身」は、『六十華厳』の「宝王如来性起品」や『八十華厳』の「如来出現品」に説かれるように、如来が大慈悲をもって衆生救済のために「法身」として顕れたものだという。

また『六十華厳』の「宝王如来性起品」に言う。

大慈は衆生の帰依となり、大悲は衆生を救済し、大慈大悲は衆生を利益する。
大悲大慈は方便智に依り、大方便の智慧は如来に依る。
然して、如来には依るところなく、無礙の慧光遍く十方一切の世界を照らす。

「法身」はいかなる存在・事象にも「空」・「法性」の真理(「真如」)として顕現し、そして、同時に「法身」は「空」・「法性」の「仏智」そのものであるから、「法身」の顕現とはすなわち「仏智」が遍くいかなる存在や事象にも行きわたることを意味する。すなわち「法界」である。

この如来の大慈悲は、その極みにおいて、「衆生」には「将来如来になる因がある」・「如来の種姓(仏種)がある」という「一切衆生悉有仏性」となり、すべての存在や事象は「仏性」として存在しているという「仏性現起(ぶっしょうげんき)」となり、そして「衆生」にはみな、「「法身」が内在している」・「仏智が内在している」という「如来蔵」に至る。

華厳は、人間ばかりでなく山や川にも「仏性」を見、「仏性」として存在しているとしたのである。すなわちそれは、釈尊が提起した「無明」や妄執の苦の克服も、アビダルマが考え出した「七十五法」も、唯識が言った「百法」も、まったく必要がなくなることを意味する。

「宝王如来性起品」にまた言う。

 また、次に仏子よ、この菩薩大士は、自らその身のうちに、ことごとく一切諸物の菩提の存することを知る。彼ら菩薩の心は、あらゆる如来の菩提を離れないから、彼らは自身の心中におけるように一切衆生の心中もまた同様であると知る。
 げに、如来の菩提は無量無辺であって、処として存せぬことなく、破壊することができず、思議することができない。
 また、次に仏子よ、如来の智慧は処として至らぬと言うことはない。何故ならば、衆生一人として如来の智慧を具足していないものはないから。ただ、衆生は顛倒の故に如来の智慧を自覚せざるのみ。もし顛倒を離れるならば、即ち一切智・無師の智・無礙の智を起すであろう。

四、一毛孔・一塵に宿る「法身」・「仏国土」

『華厳経』は、この「法身」が「法界」において一切に遍在する様をさまざまな表現で説く。それを教義化して「一即一切」・「一切即一」という。この「一即一切」・「一切即一」が日本の禅や西田幾多郎の哲学に影響を与えた。

一つ一つの微塵のなかに仏国の海は安住し、仏の雲は遍く(仏国を)護念し遍くおさまって一切を覆っている。一つの微塵のなかにおいて仏は自在力を発揮し、一切の微塵のなかに神変することも同じである。諸々の仏と神力は盧舎那が示現したものである。

一微塵のなかに、それぞれ数限りない仏がいて、その仏たちがそこで説法している。
一微塵のなかに、無量の仏刹・須弥山・金剛囲山・世間がせばめられることなく現れている。
一微塵のなかに、三悪道・阿修羅・人・天の世界があり、それぞれ報いを受けている。

一切の仏国土の微塵の数に等しいほどの仏たちが、一つの毛孔に坐り、その仏たちにみな無量の菩薩たちがつき随い、それぞれ衆生のために普賢の行を説いている。また、無量の国土が一毛のなかに存在している。

上はほんの一例であるが、『華厳経』は、さまざまな表現で、一つ一つの毛孔、一つ一つの塵のなかに仏国土があり、そこに毘盧舎那仏がいて「衆生」を教化していることを、普賢菩薩にくり返し説かせている。すなわち、人の毛孔一つに、空中に浮かぶ塵一つに、「空」・「法性」の「真如」がはたらいている、つまり「真如」そのものである毘盧舎那仏が毛孔や塵一つごとに「衆生」を教化しているという。
 法蔵は、この「一即一切」・「一切即一」を「須弥山」頂上にある帝釈天の宮殿の「因陀羅網(いんだらもう、帝釈天の網)」に喩えた。
 「因陀羅網」の結び目にはそれぞれ宝珠がついていて、その宝珠ごとに別な宝珠が映し出される。宝珠は互いに映し合い(「相即」)、互いにそのなかに入り込んでいる(「相入」)。一つの宝珠にすべての宝珠が入り込み、すべての宝珠に一つ一つの宝珠が入り込んで、重なり合っている、これを「重々無尽(じゅうじゅうむじん)」と言った。

五、菩薩の修行の十段階

唯識が説いた菩薩の修行の段階としての「十地」を、『華厳経』でも「十地品」において金剛蔵菩薩が説く。なお、この「十地品」は単独の『十地経』にもなっている。

「十地」とは、菩薩の「五位」のうち「修習位」の最高の段階で、①「歓喜地」・②「離垢地」・③「発光地」・④「焔慧地」・⑤「難勝地」・⑥「現前地」・⑦「遠行地」・⑧「不動地」・⑨「善慧地」・⑩「法雲地」。

○「歓喜地」は、永い修行に耐えて聖者になり、敬礼諸仏・称讃如来・広修供養・懺悔業障・随喜功徳・請転法輪・請仏住世・常随仏学・恒順衆生・普皆回向の「十大願」を起し、「衆生」済度を願い、「布施波羅蜜」を行じて、身心に歓喜を覚える境地。
○「離垢地」は、「十善戒」の「戒波羅蜜」を行じ、不善の行いの障礙を断じ、煩悩から離れ、「空」のサトリ(「真如」)を得る境地。
○「発光地」は、「聞法」に徹する「忍辱波羅蜜」を行じ、暗闇のような障礙を断じて、勝れたサトリを得る境地。
○「焔慧地」は、「三十七菩提分法」の修行に安住し、煩悩の薪を焼く炎を増すため、「精進波羅蜜」を行じ、微細な煩悩が生じるのを断ずる境地。
○「難勝地」は、「禅定波羅蜜」を行じ、「四諦」などの真理を達観し、「衆生」救済のためにあらゆる知識や方法を学ぶ境地。
○「現前地」は、「般若波羅蜜」を行じ、無分別の智慧を現実のものとし、「三界虚妄、但是一心作」(『華厳経』)の(「三界唯心」の)理を体得する境地。
○「遠行地」は、「十妙行」の「方便波羅蜜」を行じ、「世間」から離れ「諸法」に差別のないサトリを得る境地。
○「不動地」は、「願波羅蜜」を行じ、無分別の智慧が思うように続き、無相のなかで「加行」を行う障礙を断じ、無相観によってそれを起させない境地。
○「善慧地」は、「力波羅蜜」を行じ、「四無礙解(しむげかい)」(「十行」の第九「善法行」に前述)を成就して遍く十方に説法し、智慧自在の拠りどころのサトリを得る境地。
○「法雲地」は、「智慧波羅蜜」を行じ未だ自在を得ない理法の障礙を断ずる。しかしまだ障礙が残っているため窮極の境地と言わない。業自在の拠りどころのサトリを得る境地。
六、「善財童子」求法の旅五十三次

『華厳経』は無限の時間の修行を説く(「三劫成仏(さんごうじょうぶつ)」)。
 そのプロセスを説いたのが「善財童子寓話」の「入法界品」である。「入法界品」は『華厳経』の最後を飾る長編小説でもある。

インドの長者の子に生れた「善財」が、ある時仏法に心が動き見習い僧の「童子」となり、文殊菩薩の導きに従って五十三人の善知識をたずね歩き、菩薩行を重ね最後に普賢菩薩のところでサトリを開くという話であるが、この善財童子の修行の旅は無限の時間を要する長いものであった。
 修行の内実は、大乗の「菩薩」の「十住」・「十行」・「十廻向」・「十地」(以上、「資糧位」~「修習位」)であり、最後の普賢菩薩のもとでサトリを開くのは「究竟位」である。善知識のなかには比丘・比丘尼などのほか遊女も登場する。

 善男子(善財童子)よ、私はすでに、離欲実際(りよくじっさい)という清浄の法門を成就している。もし天が私を見れば、私は天女になるだろう。もし人が私を見れば、私は人間の女となるだろう。そのようにして、非人(ひにん)が私を見たならば、非人女(ひにんにょ)となるだろう。姿・形は美しく、光明が照らす顔だちも殊勝であり、比類なきものである。
 もし、欲にまとわりつかれた衆生がいて、来て私のところに詣うでたら、その人のために法を説き、みなことごとく欲を離れ、無著(むじゃく)の境界(きょうがい)〉という三昧(さんまい)を得させてあげよう。もし、私を見ることがあれば、歓喜という三昧を得るだろう。
 といった具合である。

念のため、五十三の善知識を挙げておく。
 (一)文殊菩薩
 (二)功徳雲比丘
 (三)海雲比丘
 (四)善住比丘
 (五)良医弥伽(りょういみが)
 (六)解脱長者
 (七)海幢(かいどう)比丘
 (八)休捨(くしゃ)優婆夷(うばい)
 (九)毘目多羅(びもくたら)仙人
 (十)方便命(ほうべんみょう)婆羅門
 (十一)弥多羅尼(やたらに)童女
 (十二)善現比丘
 (十三)釈天主(しゃくてんしゅ)童子
 (十四)自在優婆夷
 (十五)甘露頂(かんろちょう)長者
 (十六)法宝周羅(ほうぼうしゅうら)長者
 (十七)普眼妙香(ふげんみょうこう)長者
 (十八)満足王
 (十九)大光王
 (二十)不動優婆夷
 (二十一)随順一切衆生外道
 (二十二)青蓮華香(せいれんげこう)長者
 (二十三)自在海師
 (二十四)無上勝長者
 (二十五)獅子奮迅(ししふんじん)比丘尼
 (二十六)婆須蜜多女(ばしゅみつたじょ)
 (二十七)安住長者
 (二十八)観世音菩薩
 (二十九)正趣(しょうしゅ)菩薩
 (三十)大王天
 (三十一)安住道場地神
 (三十二)婆娑婆陀(ばしゃばだ)夜神
 (三十三)甚深妙徳離垢光明(じんじんみょうとくりくこうみょう)夜神
 (三十四)喜目観察衆生(きもくかんざつしゅじょう)夜神
 (三十五)妙徳救護衆生(みょうとくきゅうごしゅじょう)夜神
 (三十六)寂静音夜神
 (三十七)妙徳守護諸城(みょうとくしゅごしょじょう)夜神
 (三十八)開敷樹華(かいふじゅげ)夜神
 (三十九)願勇光明守護衆生(がんゆうこうみょうしゅごしゅじょう)夜神
 (四十)妙徳円満神
 (四十一)瞿夷(くい)
 (四十二)摩耶夫人(釈尊の母)
 (四十三)天主光童女
 (四十四)遍友童子師(へんゆうどうじし)
 (四十五)善知衆芸(ぜんちしゅげい)童子
 (四十六)賢勝優婆夷
 (四十七)堅固解脱長者
 (四十八)妙月長者
 (四十九)無勝軍(むしょうぐん)長者
 (五十)尸毘最勝(しびさいしょう)婆羅門
 (五十一)徳生童子
 (五十二)有徳童女
 (五十三)弥勒菩薩(以上の五十三人を歴訪する)
 (五十四)文殊菩薩(また、文殊菩薩のもとに戻る)
 (五十五)普賢菩薩(文殊菩薩に導かれ普賢菩薩のもとに行く)

七、華厳思想の要諦
(一)「教相判釈(きょうそうはんじゃく)」としての「五教」

中国華厳宗の第三祖法蔵は、以下の「五教」によって法蔵までの仏教史をくくり、華厳思想を最高の段階とした。
 具には、

○小乗教:釈尊の事蹟や教えを説いた『阿含経』、「諸法」の分析を行った『阿毘達磨俱舎論』をここに挙げる。「無執著」の理が「五蘊無我」(「人無我」「法我」)に留まり、まだ不徹底の段階。
○大乗始教:初期大乗の経論で唯識思想を説いた『解深密経』・『瑜伽論』・『成唯識論』を挙げる。「人無我」「法無我」を説くが、「識」が「仮有」か否かについて疑義が残っている段階。
○大乗終教:「真如」を説く『勝鬘経(しょうまんぎょう)』・『楞伽経(りょうがきょう)』・『大乗起信論』を挙げる。「無我」・「空」が「法性」・「真如」となった段階。
○大乗頓教:『維摩経』を挙げる。のちの澄観は禅宗を挙げる。コトバや概念を超えた「空観」の段階。
○大乗円教:『華厳経』の世界。法蔵はここで、すべての存在や事象が互いに「相即相入」して「円融無礙(えんゆうむげ)」の関係にあることを「十玄縁起」で説く。「十玄縁起」は智儼が『一乗十玄門』に、法蔵自身がすでに『華厳五教章』で説いたものであるが、法蔵はさらに『華厳経探玄記』で再度改めている。

 具には、
▽「同時具足相応門」:「十玄門」の総門。同時に一切の「相即相入」の理(「十義」)を具足していること。
▽「広狭自在無礙門」:広とは多に際限がないこと(無分)、狭は一に分限(分)があること。「無分即分」・「分即無分」で自在にして無礙であること。
▽「一多相容不同門」:一は多に入り、多は一に入り、一と多が互いに相容れ合っていること。
▽「諸法相即自在門」:「諸法」が「一即一切」・「一切即一」の関係で「相即」して自在であること。
▽「隠密顕了俱成門」:密なるものと顕なるものとが同時に自在に「相即」してあること。
▽「微細相容安立門」:小さなものと大きなものが「相即」であり、一と多が「相入」していること。
▽「因陀羅網法界門」:「因陀羅網」の一つの宝珠に他の一切の宝珠が映ずるように、一つの塵にも全宇宙が宿り「一即多」の「重々無尽」であること。
▽「託事顕法生解門」:毛孔とか塵とか、比喩に用いられる事物そのものが、瞑想で感得した「法界」の真相を示しているということ。
▽「十世隔法異成門」:「十世」とは、過去・現在・未来それぞれに過去・現在・未来があり(過去過去・過去現在・過去未来+現在過去・現在現在・現在未来+未来過去・未来現在・未来未来=九世)、それが一念に収まる(「三世即一念」)ので「九世」+一念=「十世」。「法界」では、過去・現在・未来の時間までが「相即相入」の縁起を成している、ということ。
▽「主伴円明具徳門」:ある一つのものが主となれば、他の一切は伴となり、あらゆるものは主と伴の関係で融合し合い、主・伴ともに具足していること。

(二)「六相」の円融

「六相」とは、「諸法」の一つ一つにみな六つの在り様があり、それがまた融合し合っていることをいう。法蔵が智儼の「六相円融」説を受けて「六相円融義」で教学的にまとめたもので、「総相」・「別相」・「同相」・「異相」・「成相」・「壊相」である。

 具には、

○「総相」:「多」が集まって「一」を成り立たせている在り様。「一」に「多」が内在をしている在り様。例えば、柱・梁・壁・屋根などから成る一戸の家屋のように。「一は即ち多を具す、総の相と名づく」。
○「別相」:しかし、「多」の一つ一つは別々であるという在り様。例えば、柱・梁・壁・屋根などはそれぞれ別個のものであるように。「多は即ち一に非ず、是れ別の相」。
○「同相」:「多」は別々ながら「一」を構成する部分として同じである在り様。柱・梁・壁・屋根などが同じ役割をしている在り様。「多類(諸縁)は自ら同じく(相違なく)、総を成ず」。
○「異相」:しかし、一つ一つの役割は別々である在り様。柱はタテ、梁はヨコ、壁は面、屋根は上部を支える在り様。「(多の)各々の体(本性)は別異にして、しかも同相を現す」。
○「成相」:「多」が互いに「相即相入」し支え合って「一」を成り立たせている在り様。柱・梁・壁・屋根が組み合わさって家屋ができている在り様。「一と多の「相即相入」の縁起の理は、絶妙に成り立つ」。
○「壊相」:しかし、「多」の一つ一つは自らの本性を失わず、その本分を尽くしている在り様。柱・梁・壁・屋根のそれぞれが本分を保っている在り様。「(「多」は)バラバラ(壊)に自らの法(本性)に住し、常に「一」を作さず」。

(三)「四法界」の「重々無尽縁起」

法蔵のあとを受けた華厳宗第四祖の澄観は、杜順が説いた「法界玄鏡」をもとに「法界」に四つの在り様がある(「四法界」)とし、華厳思想を大成した。「事法界」・「理法界」・「理事無礙法界」・「事事無礙法界」である。

○「事法界」:「法界」の「諸法」が物理的に事物・事象として現象している在り様。「凡夫」である私たちの日常の差別認識の世界。
○「理法界」:「法界」の「諸法」が「無自性」・「空」の理法に従ってある真理としての在り様。サトリの平等世界。
○「理事無礙法界」:「法界」の「諸法」が「事」としても「理」としても矛盾なく同時に成り立って無礙である在り様。
○「事事無礙法界」:「理事無礙」の「法界」からことごとく「空」の理法が脱落し、事物事象のみが「相即相入」し「重々無尽」のホロニックシステムを成している在り様。

中国仏教は、このように中国人独特の概念規定やカテゴリーを使い、経典の解釈論や教理の創案を行い、他宗との差異を強調する。しかし、その独自の教理は、時としてもともとの原典から離れて似て非なるものとなり、原典には書かれていない教理が独り歩きするきらいがある。法蔵や澄観の華厳思想はたしかに華厳宗を発展させる上で大きな成果であるが、かならずしも『華厳経』が説いたものではない。
 時折、「華厳では」とか「華厳思想で言う」という前置きで法蔵や澄観の「法界」説が本やネット上で紹介されるが、『華厳経』そのものの教説ではないことに留意しておかなければならない。

八、華厳の肯定の思想を自己否定の哲学にした曲学

哲学者西田幾多郎と禅者鈴木大拙は、ともに臨済禅を修め、西田は「公案」禅の境地を西洋哲学趣向にして独自の哲学を明らかにし、鈴木はアメリカやヨーロッパで「公案」禅を「東洋の叡智」として紹介し広めた。
 このお二人、ともに華厳思想をよく学んでいたと言われている。お二人がおそらく熟読したであろう『臨済録(りんざいろく)』(中国臨済宗の開祖・臨済義玄の語録)は華厳思想を多く採り入れたものである。とくに西田の哲学は、「一即多」などの華厳思想の影響を相当に受けている。
 しかし空海の密教の目からみると、西田や鈴木の「東洋の叡智」とは明治以降の西洋文明の影響を受けて「公案」禅を西洋的に言い換えたもので、それは畢竟臨済禅という枠内のことであって、あるいは東洋思想を代表したり、あるいは世界の思想の何かと共鳴する普遍的な叡智ではない。しかも、「法性」・「真如」そして「事事無礙法界」を説いて「空」の否定的な側面を払しょくし全面「肯定」の哲学にした華厳思想を、自己「否定」の哲学にした。華厳は「空」を「肯定」の哲理としたのにである。

然るに、お二人の華厳の素養がどのようであったか。華厳の専門家である空海から見ると気になる疑義がしばしばある。以下は、「夢譚」の綴りによる空海の目からの問題提起である。


時々、おかしな夢を見るのである。

――西田幾多郎と鈴木大拙が「公案」と華厳の話をしているところに空海が現れて、次のように言った。
▼お二人とも華厳思想に大変お詳しいと聞いていますが、私の「十住心」の第九住心(華厳)や第十住心(密教)にはご関心がないとみえます。お二人の華厳研究は、禅者として哲学者としてアカデミストとして相当なレベルとお見受けしますが、同じ華厳の先学である私の学蹟を何故参照されないのか不可解です。お二人には私の華厳と密教の回路は見えませんか。
 お二人はまた「東洋の叡智」とか「仏教の立場」とよく言われます。アメリカやヨーロッパの「西洋」に向っての立場に立たれているからでしょうが、それならなおのこと、華厳と密教の回路にも目を向けないと「木を見て、森を見ざるが如し」になりかねません。
 密教はアジアを西から東へ北と南で横切ったまさに「東洋の叡智」で、しかも仏教思想史の最終段階です。私はその密教伝持の第八祖で、グローバルな「東洋の叡智」を背負っています。失礼ながら、お二人の禅は仏教思想史の本流にない上、「東洋」でもローカルなものですね。

――二人はけげんそうにお互いの顔を見ていたが黙って答えなかった。空海がつづけた。
▼中国華厳宗第四祖の澄観さんは、お二人ともよくご存じの「事事無礙法界」を考えた人ですが、禅もおやりになってお二人の大先輩です。また、『大日経』とか『金剛頂経』の密教瞑想法(観法)にも通じていました。中国の仏教者はみなよく他宗を兼学して、その上で自説を考案しますね。
 最澄さんや私はその兼学派ですが、鎌倉仏教の人は独善的で自宗以外の教理教学は無視です。「自宗こそ仏教」という思い込みが強く、明恵さんのような方は少ないですね。お二人はそういう鎌倉仏教の禅門におられますが、やはり他宗兼学はしないのでしょうか。やろうと思えば、アビダルマも中観も唯識も私の密教も勉強できない時代ではありません。
▼西田さんは若い頃から『探玄記』(法蔵)に親しまれたそうですね。法蔵さんは『小止観』で禅をやっていたと聞きます。私も、二十代に東大寺で『六十華厳』・『八十華厳』を読み、『華厳五教止観』(杜順)、『華厳経旨帰』・『探玄記』・『金師子章』(法蔵)を勉強しました。私が長安に行った時華厳宗は澄観さんの時代でしてね、澄観さんは般若先生が漢訳された『四十華厳』(「入法界品」)を詳定(しょうてい、校閲)されたり、『八十華厳』の註釈(『大方広仏華厳経疏』)を著したり、禅にも熱心でした。
 澄観さんには直接お目にかかる機会はありませんでしたが、般若先生に澄観さんの華厳教学をみっちり教えられました。下宿先の西明寺で親しかった円照さんも『四十華厳』漢訳の時に筆受をしたくらい華厳に詳しく、いろいろと教えてもらいました。智顗さんの『摩訶止観』や『小止観』もひととおり学びました。

――二人は空海の華厳と「止観」の話に何かを察知したのか、黙って聞くばかりだった。
▼鈴木さんも華厳思想の研究をだいぶやられたようですが、お二人は私が長安から持ち帰った『華厳経疏』(澄観)に目は通されましたか。華厳をやるなら、あれは読んでおかなければなりません。
 「事事無礙法界」までいけば華厳教学も極まれりですが、澄観さんは「止観」でその境地を実際証悟したのでしょうか。『経疏』では華厳の「四十二字門」(「字観」)を密教観法の「字輪(観)」(大日経系)から見ようとしています。それから、『経疏』の自註である『演義鈔』でも華厳をたびたび密教的に解釈しています。澄観さんは密教にも詳しい人で、『大日経』の註釈の『大日経疏』にも『金剛頂経』系の儀軌にも通じていました。華厳と密教には互換性があり、澄観さんの華厳教学を禅とのかかわりだけで見るのはいかがなものかと思います。
 私は、そういう本場中国の華厳の事情を踏まえた上で華厳(中国)から密教(東洋)への道をとり、独自の「十住心」体系を考えたんです。ですからこんな話をしているんです。
▼お二人の「〈即非〉の論理」や「絶対矛盾的自己同一」ですが、あれは「公案」とその背景にある華厳の「事事無礙法界」の西洋哲学趣向ですね。しかし、「東洋」や「仏教」は「事事無礙法界」では終りません。私は「事事無礙法界」をもっとシンプルに具体的に「六大」で超え、「六大無礙」なんです。わかりますか。
 見ると、全仏教思想史の、西田さんがよく言われる「逆対応」です。華厳は私の密教では第九のレベルで、あなたの得意な「否定即肯定」として生きているんですまた「九顕十密」で見るとですね、人間の心品(意識)の、これも西田さんの「絶対矛盾的自己同一」です「一即多」「多即一」でもあります。お二人は、私が先に提起していた「〈即非〉の肯定の論理」をご存じなかったのですか。私はいわば、お二人の哲学の先輩です。目に留めておいていただきたいものです。
▼ところで、さっきもふれましたが、澄観さんは、禅や密教の観法で『華厳経』の「海印三昧」を実際体現したんでしょうね。華厳教学を「事事無礙法界」にまで高められました。澄観さんによって禅が華厳に先を越されたんです。『臨済録』も奥にあるのは「事事無礙法界」でしょ。
 青原惟信老師は「老僧三十年前未だ参禅せざる時、山を見るに是れ山、水を見るに是れ水。及び後来に至り知識に親見して、箇に入る処有りて、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。而して今箇の休歇なる処を得て、依前と山を見るに祇だ是れ山、水を見るに祇だ是れ水」とうまいことを言いましたね。

※《夢註》
 天長七年(八三〇)、すでに晩年の空海は、各宗の宗義要諦を提出するようにとの淳和天皇の命に応え『秘密曼荼羅十住心論』十巻とその略本『秘蔵宝鑰』三巻を著した。
●空海は「十住心」の体系において、人間が本能そのものの意識から「法仏」のレベルに至る心品転昇の階梯を示し、そのプロセスに「無我」から「無自性」・「空」・「慈悲」・「利他」そして「真如」・「法界」へ、さらに「曼荼羅」・「法爾」に至る仏教思想史を組み込み、最終次元の第十住心「秘密荘厳心」(密教)の前に大乗の「空」が肯定の哲学に昇華された華厳を置いた。空海密教のステイタスはこの華厳を超えた地平に明かされる独自の密教パラダイムにある。
●空海は、「真如」・「法界」をその身体とし、存在するのみで自ら(「真如」)を説かない「果分不可説」の「法身」毘盧舎那に代り、密教の「法身」大日如来に自らが自ら(「自内証」としての「真如」)を説くペルソナを付与し、「法仏の談話」(「法身説法」)を可能にして(「果分可説」)華厳を超えた。
●空海はまた、永遠に近い時間をかけて菩薩行(利他行)を積まなければ「真如」「法界」には入れない華厳の「三劫成仏」を、「(身・口・意の)三密瑜伽(さんみつゆが)」により即時即身に「法身」と一体になる「即身成仏」によって超えた。
 深山や海浜で大自然や虚空蔵菩薩との交感相入を経験した空海にとり、仏教の生命線である解脱や開悟や成就や成仏は、永遠に長い時間をかける菩薩行のはての非現実ではなく、この身に、この瞬間、実際に、顕現する現実でなければならなかった。
 空海は、「有教無観」(教理ばかりで観法がない)と揶揄される華厳宗がその瞑想法を天台の「止観」や禅からも借りていることや、華厳が密教の「速疾成仏」の観法に傾く事情も知っていた。空海には、漸悟にせよ、頓悟にせよ、ただただ坐り、迷妄を断じ、長い時間をかけて、「転迷開悟」・「見性悟道」・「身心脱落」・「不立文字」の境地に到り、そこに身命をあずけようという禅は、老荘の「無為自然」と変りなく、「無為」に堕する不成就法だった。

――空海はつづいて、鈴木の「〈即非〉の論理」と西田の「絶対矛盾的自己同一」への疑義を、そのヒントとなったという『金剛般若経』をもとに言うのだが、二人は黙ったままである。
▼ところで、鈴木さんの「〈即非〉の論理」は『金剛般若経』の「仏説般若波羅蜜多、即非般若波羅蜜多、是名般若波羅蜜多」にヒントをえたと聞いていますが、失礼ながら、あれは『金剛般若経』のミスリードです。あれを「〈即非〉の論理」にするのは無理です。
 例えば、西田さんが例示する「言フ所ノ一切法ハ、即チ一切法ニ非ラズ。是ノ故ニ一切法ト名ヅク」を『金剛般若経』流に言えば、「(如来の説く)言うところの一切法は、即ち(私たち世間の凡夫が我見で言う)一切法ではない。だから(私たち世間の凡夫にもわかるように、仮に)一切法と(世間の名称で)名づけたのである」という意味ですね。
 これを「AはAにあらず、故にAである」と単純化し同語反復の公式にするのは無理です。経文の言葉ジリは似ていますが意味がちがいます。『金剛般若経』的に言うと「(如来の説くところの)Aは(私たち世間の凡夫が言う)Aではない。であるから(私たち世間の凡夫にもわかるように)Aと名づけたのである」となるべきところ「AはAではないからAなのだ」という奇妙なパラドックスになってしまいます。
 言葉がひっくり返るから、いかにもA自体が否定されて即肯定されるように思いがちですが、実際にひっくり返るのはAではなくAを見る人の「心位」です。Aを見る人の「心位」が「凡夫」の「心位」から如来の「心位」に変位するだけです。Aは客体であり変位しません。
▼そもそも『金剛般若経』自体、そんな高度な自己否定の思想をもっているわけではありません。私は『金剛般若経疏』を唐から持ち帰り『金剛般若経解題』を書いたくらいですが、『金剛般若経』には般若経典なのに「空」という術語がありません。西田さんの自己否定の論理は、大乗の「空」ならわかります。禅門の倣いなのかもしれませんが、『金剛般若経』のミスリードです。仏教の基礎である「無我」・「空」にうかつですね。
 「唯識無境」でも、「境」(客体)が自ら自己否定するわけではなく、認識する側(主体)が「空」に変位(自己否定)するからそうなるのです。それを「境は境にあらず、故に境である」とは言わないです。

――空海の話は、さらに「空」の核心へとつづく。
▼お二人は「自己否定」とか「無」とか「絶対」という言葉をよく使われます。哲学用語と禅要語が共通するのでしょう。ただそれが仏教のいう「空」とか「真如」の言い換えだとしたら感心しません。
▼「空」の原語の「シューニヤ」は数学の「ゼロ」のことですが、「虚」でも「渾沌」(「カオス」)でも、「未分化」でも「無分節」でも「不可分」でも、「無」でも「絶対」でも、「自己否定」でもありません。「何もない」・「空っぽ」・「空虚」・「虚無」でもない。「一切皆空」、すなわち存在・事象のすべてが「自らある」・「自ら生ずる」のではなく、「因によってあり、縁によって生じるもの」、造物主のような「コア」(アートマン・自我・自性)があるわけではなく「無我」・「無自性」である、という意味です。
▼鈴木さんは『大乗起信論』の英訳もされ西田さんといっしょに「如来蔵」思想(仏性論)を大いに研究されたはずですが、言うなれば「如来蔵」や「真如」こそが「空」の哲学の真髄です。「如来蔵」・「真如」はおわかりと思いますが、「無」や「絶対」や「自己否定」ではありませんね。自己否定では「仏性」は出てきません。「実相」の肯定でなければ。
▼私も『弁顕密二教論』や『十住心論』・『秘蔵宝鑰』を書く時に『大乗起信論』の註釈である『釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)』を多用しましたが、「空」には「真如」・「法性」・「仏性」といった「肯定」の側面がありますね。それは西洋哲学でいう「無」や「絶対」で言い換えはできません。禅もこの「真如」・「法性」・「仏性」を見てますよね。
▼なのに、鎌倉仏教の人は、「仏性」を認め「本覚」を一方で言いながら「虚無」や「狂気」といった現実否定に行きたがります。法滅尽や末法の無常観や絶望が現実逃避の脅迫観念になっているんでしょう。お二人の「無」は禅の要語でもありますが「空」が否定のベクトルに偏しています。「空」は本来「非有非無」の「中」です。
▼お二人とも『中論』をやられましたかな。有名な「空・仮・中」とか「真俗二諦」説、それから「不生不滅」の「八不中道」ですね。仏教思想の基礎中の基礎です。「空」はいきなり鎌倉仏教の「諸行無常」ではなく、龍樹の中観や世親の唯識をやっておかないとまちがえます。「空」の「ゼロ」はすべてを許容するおおらかなものです。中観と唯識は、その「空」の「否定」の側面と「肯定」の側面とで議論を闘わせました。

――空海は、今度は西田への疑念を明かす。
▼話を少し戻しますが、西田さんにおいては『金剛般若経』の経説とは似て非なる「〈即非〉の論理」が独り歩きをし、客体であるA自体が「即非」すなわち自己否定して即自己肯定をする自己否定の論理になっています。これは主客顛倒です。
 青原老師は、「山を見るに是れ山、水を見るに是れ水」、「山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず」、「山を見るに祇だ是れ山、水を見るに祇だ是れ水」と言いましたが、これを、あなたなら「山は山にあらず故に山である、水は水にあらず故に水である」と言うでしょう。
 主客が顛倒するあなたの「否定即肯定」の論理では「山」や「水」自体が「即非」して自己肯定することになる。しかし「山は山」・「水は水」で変らない。変るのは見る人の「心位」であって、「美しい山」・「大きな山」・「清らかな水」・「おいしい水」から「美しい」・「大きな」・「清らかな」・「おいしい」が脱落するだけです。
 あなたは禅の内観によって「私」(主体)が「私」(客体)を見る、そして「私」(主体)が脱落して「私」(客体)だけの境になったかもしれません。でも、それも「私は私にあらず、故に私である」にはならない。「私」(客体)が変位したわけではありませんから。
 あなたのおっしゃる「〈即非〉の論理」は、「私」(客体)に自己否定と自己肯定とが撞着する「矛盾的自己同一」じゃないとだめなわけです。だからあなたの「矛盾的自己同一」は、「私」(主体)が実存として「自己否定即自己肯定」する生の論理としては成立しません。
 「山は山にあらず、故に山である」の「山」と同様に「私は私にあらず、故に私である」の「私」は「ただ」の「私」です。その「ただ」の「私」が見える「私」は、「私は私にあらず」の「私」ではなく、それを「見性」している「私」です。

※《夢註》
 西田はその著『場所的論理と宗教的世界観』で次のように言っている。

仏教では、金剛経にかかる背理を即非の論理を以て表現して居る(鈴木大拙)。
所言一切法者即非一切法是故名一切法と云ふ、仏仏にあらず故に仏である、衆生衆生にあらず故に衆生であるのである。
私は此にも大燈国師の億劫相別、而須臾不離、尽日相対、而刹那不対といふ語を思ひ起すのである。
我々の自己(個)は、どこまでも自己の底に自己を超えたもの(超個)において自己をもつ。自己否定において自己自身を肯定するのである。
かかる矛盾的自己同一(即非)の根底に徹することを見性という。
禅宗にて公案というものはこれを会得せしめる手段にほかならぬ。

西田はおそらく「公案禅」の「見性」(「超個」)において「矛盾的自己同一(即非)」を観じたのであろう。そして、それを「〈即非〉の論理」の同語反復の公式に重ねて論理化した。その際、「私は私にあらず、故に私である」の「私」を主客顛倒させた。
 「見性」とは思弁工夫ではあるものの、究極「コトバ」が脱落した自心本覚徹見の「観」であるはずで、「コトバ」の論理による弁証法ではない。心地よい哲学用語を駆使しいかにぎこちなく論理化しても、「公案」の「見性」を世俗世間の言葉で言い換えることこそ禅門の最も警戒するところであるはずだ。真意をとりちがえるからである。

――西田も鈴木も黙して語らず、空海は二人や京都学派(哲学)の空海黙止に話を移す。
▼華厳をやられたアカデミストとして、お二人が私の華厳と密教に目を向けて大いに勉強してくれたら、お二人とももっとグローバルな思索に至ったと思いますしこんな不首尾を犯さずに済んだのにと思います。しかし西田さんのお弟子さんたちまでどうして私を眼中に入れないのでしょうね。

――そこに、西田と同じ時代に、同じ京都大学で東洋史を講じた内藤湖南(ないとうこなん)が博物学の南方熊楠(みなかたくまぐす)とともに現れ、「私は『弘法大師全集』をあれこれと読んでいるが、弘法大師の思想や詩歌文章論は世界的なレベルだと思う」と言い、南方熊楠は「私が高野山の土宜法龍(どきほうりゅう)管長と啓発し合いながら考えた密教的な生命論や言語論や自然観・宇宙観を知りませんかな」と言葉を次いだ。

――そこにまた物理学者の湯川秀樹が現れ、「私でさえ、専門外の空海さんの思想や事蹟に関心をもっている。生物学者のライアル・ワトソンも、物理学者でシステム論研究のフリッチョフ・カプラも、『オカルト』を書いた作家コリン・ウィルソンも、みな空海を読み解いて高野山に上っている。そのほかにも、内外の専門外の人たちが空海の密教世界を研究し解明しさまざまな視点から再評価している」と言った。二人は黙って聞くだけだった。

※《夢註》
 イスラーム研究の井筒俊彦は言う。

思想史、哲学史の専門家たちは、当然過去の思想家の誰彼を取上げて研究する
それが「学問」というものであるからには、誰もそれに文句を言う人はいない
しかしそういう専門家たちとは別に、自ら創造的に思索しようとする思想家があって、この人たちも研究者とは全然違う目的のために、過去の偉大な哲学者たちの著作を読む現在の思想文化が、過去の思想的遺産の地盤の上にのみ成立しているものである以上、これもまた当然のことだ。こうして現代の創造的思想家たちも、己れの哲学的視座の確立のために、あるいは少なくとも、強烈に独創的な思索のきっかけとなるであろうものを求めて、過去を探る
(『意味分節理論と空海』)

彼らは、空海という「過去」を探っただろうか。彼らは思索者であり、禅者であり、そして何より日本を代表するアカデミストである。三木清は、「あなたのご専門は何ですか」と聞かれ「私は専門の分野をもつほど不勉強ではない」と言ったという。

――二人がなぜ空海や密教に無関心なのか、なお空海は質す。
▼お二人は若い時に雪門玄松さんや今北洪川(いまきたこうぜん)さんの(禅)門に入られたので、どうしても鎌倉仏教が頭の芯にあって、そこから仏教というものを見ておられますね。鎌倉仏教の人に、他宗を認めず自宗に独善的な傾向があるのに似て、お二人ともアカデミストでありながら他宗には至って無関心のようです。仏教思想史全般をきちんと学ぶ機会がなかったのでしょうか。
▼最澄さんや私は命がけで唐に渡り、学んできたものを仏教思想史の潮流と日本の事情に合わせて仏教を総合化しました。その努力の意味がわかっていただいていないようです。最澄さんは円・密・戒・禅の「四宗兼学」でしたし、私は小乗・大乗そして密教を包括的に編集しました。仏教は総合学習でなければいけないのです。
▼ところでお二人ならご存じだと思いますが、臨済禅の栄西さんは最初総合学習の人でした。二度目の入宋まではすぐれた密教(台密)僧でしたね。入宋するまでに『胎口決』や『法華経入真言門決』や『菩提心別記』や『菩提心論口決』といった密教研究書を書かれて、それらに「遍照金剛栄西」や「金剛仏子栄西」と署名されています。「遍照金剛」は私の潅頂名なのですがね・・・。
 栄西さんは宋からインドへ渡り仏跡参拝をしようとしましたが許可が出なくて、結局天台山の虚庵懐敞(こあんえじよう)師のもとで五年間修行し、臨済禅の印可をもらって帰ってこられました。栄西さんが開創した建仁寺は最初天台・真言・禅の総合学習でしたし、弟子で鎌倉寿福寺の行勇さんは高野山に上り金剛三昧院の初代になった人です。行勇さん門下で東福寺の円爾さんは東福寺に潅頂道場を置きました。あなた方の法門は実は「密禅双修(みつぜんそうしゅう)」、「兼修禅(けんしゅうぜん)」と言われました。密教を黙視しては、ほんとは「喝」なんです。

※《夢註》
●北陸・加賀という真宗王国出身の西田と鈴木にとって、天皇や朝廷といった国家権力と交わり国家仏教の中枢で呪術密法を行った空海は、門徒の立場からして嫌悪の対象だった、という人がいる。
 あるいは、永く神仏習合の主役の座にあった真言宗は、明治の神仏分離令で国家権力によって否定されたも同然で、その宗祖である空海の思想に言及したり思索を及ぼすことは、時代の空気からしてはばかられた、という人もいる。
 あるいは、西洋の哲学思想史には理性や論理にかなわないものにふれないでおく偏見があり、西洋哲学者は密教を非理性・非論理として哲学の枠外に片づけ、空海を呪術者やシャーマンとして理性や論理の埒外に置いていた、という人もいる。
●その西洋哲学者である西田は、インドに発した仏教は出離的(世俗を離れた、世捨て人的な、非現実的な)だと言い、他力(弥陀の本願)にすがる親鸞の念仏往生の方が現実即絶対的だと言う。

その源泉を印度に発した仏教は、宗教的真理としては、深遠なるものがあるが、出離的たるを免れない。大乗仏教と云へども、真に現実的には至らなかった。
日本仏教においては、親鸞聖人の義なきを義とすとか、自然法爾とか云ふ所に、日本精神的に現実即絶対として、絶対の否定即肯定なるものがあると思ふが、従来はそれが積極的に把握されていない。
(『場所的論理と宗教的世界観』)

 西田は、親鸞が言う「(他力と申すことは)義なきを義とす」(私たちの計らい(自力)を捨てたところに仏の計らい(如来の誓願・他力)がある)とか、「自然法爾」(如来の誓願・他力のまま、そのままにある)が「否定即肯定」という西田の哲学に沿うもので、仏教はたしかに深い宗教的真理であるが出離的で(現実離れしていて)、「大乗」仏教(おそらく華厳のこと)もそうであり、弥陀の本願(救済)に自己のすべてをゆだねる親鸞の「絶対他力」の方が現実的であると言いたいらしい。
●はたして「大乗」仏教は出離的で非現実的か。親鸞はほんとうに現実的か。
 龍樹は、「空」をまた「仮」と言った。「仮」とは、すべての事物・事象が縁起の理によって生滅していて実体がない故、コトバで仮に名づけられた「仮名」・「仮設」のものという意味。「空」の原語である「シューニヤ」の「それ自体でもとから存在しているのではない」・「さまざまな因と縁が集まって起っている」という原意をよく表している。この「仮」を「仮有」という学者もいるが、「仮」とは「空」つまり「ゼロ」であって、プラス(「有」)でもマイナス(「無」)でもなく「非有非無」である。「絶対」ではなく「相依相待」の「相対」。その極まりが「重々帝網」、ホロニックな「相即相入」である。大乗の「空」を「絶対」などと言うのは誤解のもとである。
 「ゼロ」はプラスとマイナスの中間基点であるが、その「ゼロ」のなかにプラス(「有」)に向うベクトル(否定即肯定)とマイナス(「無」)に向うベクトル(否定即否定)が同時に内在していると大乗は観た。
 中観はマイナスに向うベクトルに立ち、唯識はプラスに向うベクトルに立った。華厳もそのあとの『大乗起信論』もプラスに向うベクトルに立ち「真如」・「如来蔵」を説いた。そして、密教は「菩提心」を選んだ。プラスに向うベクトルは、現実世界を「法界」に重ね「諸法」は「実相」にほかならず、「即事而真」・「現実即真実」の論理を可能にした。仏教哲学の基本ではこのことを「諸法実相」を「現実的」という。西田にはそれがわかっていないらしい。
●逆に親鸞の「絶対他力」こそ「大乗」の「空」の肯定的側面を拒否し、現実逃避的で出離的ではないのか。
 西田は自己を全否定して弥陀の「絶対」にすがる「他力」の論理を「否定即肯定」だと言いたいようだが、自己が弥陀の「絶対」のなかにかぎりなく「自己否定」をくり返すのは「空」ではなく「虚無」であり、すなわち「否定即否定」つまり「無」の論理である。
 自己と弥陀は二律であって「一如」ではない。自己を否定し続け「他力」(肯定)にすがっても自己は否定されたままの自己で「肯定」されたわけではない。だから「往生」によって自己は「他力」のなかに救われなければならない。だが「往生」は自己と弥陀との相入ではない。「他力」によって自己が摂受されるだけである。「念仏」とはそのためにひたすら「他力」にすがる「自己放棄」の「コトバ」であり、「真言」のような「生仏一如」の「コトバ」ではない。自力を捨てた自棄のコトバに自己肯定の力などありえない。
 だから親鸞は、「仏性」も「菩提心」も自力のすべてを捨てた「虚無」のはてで、煩悩の闇底に沈む「悪人」に往生権を与えた。その「悪人」を、「本覚」の故に、真実の自己だと「逆対応」させたとしても、それはあなたまかせの現実逃避に過ぎず、むしろ老荘の「無為自然」というべきで出離的である。
●「公案」禅は、否定や脱落の思弁工夫により「本覚」としての「真実の自己」(「本性成仏」)を「逆対応」させ、自己肯定ができるかもしれない。しかし、山本常朝(鍋島藩藩士)をして「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」(『葉隠』)と言わしめ、『葉隠』は三島由紀夫の美学を自決へと引導した。秋月龍珉は「死んで生きるが禅の道」と隠喩する。鎌倉仏教は「虚無」も「狂気」もはらんでいて、実に出離的である。
●もう一つ、西田の「仏教」妄想。
我々の自己と云ふものも歴史的世界に於いての事物である。
・・・而して事物と云ふのも、実は歴史的世界に於いての事物にほかならない。
・・・すべてが歴史的事物の論理に含まれなければならない。
私は仏教論理には、我々の自己を対象とする論理、心の論理といふ如き
萌芽があると思ふのであるが、それは唯体験と云ふ如きもの以上に発展せなかった。
それは事物の論理と云ふまでに発展せなかった。
(『日本文化の問題』)

 西田は、仏教(例えば華厳)論理は心の論理であり我々の体験を超えず、歴史的事物の論理(パラダイム?)にまでなっていない、つまり仏教論理は歴史的現実を創造する主体にはなっていない、西洋は事物の論理であり東洋は心の論理だからだと言う。
 冗談ではない。鎌倉仏教の無常観は、一方では「もののあわれ」「わびさび」「一期一会」「茶の湯」「枯山水」「山水画」などといった虚飾やムダを極限にまでそぎ落とすマイナスベクトルの日本文化を醸成した。一方では「武士道」「切腹」という「自己否定」の倫理を生み、それがやがては東条英機の「生きて虜囚の辱めを受けず」すなわち「即非自決」の論理にもなった。
●西田は晩年の太平洋戦争のさなか、ニヒリズムの「狂気」をいやというほど見聞きしただろう。自らも思索した「自己否定」の論理が自分の目の前で「即非即死」の「狂気」に変質していく歴史の現実をどんな気持ちで見たであろうか。
 空海は、変革期の日本の創造に深くかかわり、生命感にみちた現実肯定の密教論理を歴史的事物として残した。西田は死や絶望や虚無の臭い漂う鎌倉ペシミズム論理にのめり、そこから廃仏毀釈以後の苦難の日本仏教史に何をもたらしただろう。
空海は、多元の「総合」あるいは二律の「包摂」という新パラダイムを、新しい国家体制にもたらした。西田は天皇絶対の中央集権国家建設途上の近代日本で国家神道や軍国主義思想にどう「絶対矛盾的自己同一」し、日本の近代化のためにどんなパラダイムをもたらしただろう。ただ象牙の塔と心の論理のなかに閉じこもっていただけではないのか。
●一方、鈴木の禅は、ルックイースト系のアメリカ人の関心を呼び、全米の各地で禅の道場が開設され、今もけっこうな数の修行者が道場に通うまでになった。
 しかし、その鈴木がアメリカで火を灯した禅も、一時アメリカの若者の厭世気分や現実逃避に一役買った。アメリカで禅が脚光を浴びるようになったのは、あのヒッピーとビートルズの時代。泥沼のベトナム戦争に行き詰まり、多くの若い兵士が次々と無言で母国に帰還していた時、大学のキャンパスでは、ベトナム戦争に反対し、ビートルズメンバーのように髪を長々と伸ばし、「フリー(ダム)」を口々に言い、マリファナやLSDを吸い、恋人たちは白昼堂々とキャンパスや公園の芝生に寝転んで抱き合い、その一部はヨーガ(日本で今行われている健康志向のヨガは似て非なるもの)に救いを求めてインドのリシケーシュに行き、一部は全米各地の禅道場の門を叩いた。マリファナやLSDを吸う代りに、禅によって現実逃避の「フリー」を手にしたかったのである。

――最後に空海がつぶやいた。
▼昔、聖武天皇は諸国に国分寺を置いて釈迦如来を祀らせ、大和の国分寺の東大寺を総国分寺として『華厳経』の教主の毘盧舎那仏を祀りました。総国分寺の毘盧舎那仏は「法身」、諸国の国分寺の釈迦如来は「報身」です。また、「総」である東大寺を「一」とすれば、諸国の国分寺は「多」。東大寺と諸国の国分寺は「一即多」・「多即一」の関係でした。
 そして、諸国に生きる民も、生きる営みも、生きるために必要なモノも、生きることに伴うさまざまなコトも、みな「仏性」をもっていて、「法身」毘盧舎那仏の仏国土に「仏身」として安住している、しかも、みなお互いのなかに容認し合い(「相即相入」)、妨げもなく(無礙)、仲よく平和に暮らしている、そういう理想国家を描いたんです。それが国家鎮護でした。
 華厳が言うのはいわばそういうことで、聖武天皇に毘盧舎那仏をつくらせ、『華厳経』の説く蓮華蔵世界をこの国に具現させようとした華厳の学僧たちは、華厳思想の理解といい構想力といい、大変すぐれた人だったと思います。華厳は、人間や動物・植物だけでなく存在・事象のすべてに「仏性」を認めるほど、「空」を肯定的に質的転換したんです。
 ところが、華厳を相当に勉強したはずの西田さんと鈴木さんは、「空」を肯定的なベクトルに変換した華厳を「〈即非〉の論理」という自己否定の哲学にしてしまいました。
 大事なことは、仏教の思想を参考にするにも、その思想の本質をはずしてはいけないということ。自分勝手にその思想をツマミ食いしてはいけないのです。ましてや、学問研究の世界や思想の世界にいる人はなおさら。
 華厳は、仏国土に生きそこに存在するすべてのものが「仏性」によって救われていること、すなわち大乗が大乗たるコンテンツの衆生救済ということを正面から答えているのに、お二人の哲学や思想にはそれがないばかりか、自分だけ覚れればいいとしか思えません。それは声聞・縁覚のレベルです。身は大乗に置きながら実は小乗で、これは自己矛盾です。
 私から見れば、お二人は仏教の一番根本のテーマである「空」の思想史というか「空観」の内実の変化をご存じないのではないか。つまり、仏教思想の基本中の基本である「空」のことをよくおわかりになっていないのではないか。あのレベルの知性の人を、そう見るのは本当はしたくないことですが、そう勘ぐってしまいます。

それはそれとして、二十一世紀を生きる皆さんにもしも華厳を言うならば、世界はどの国も「相即相入」の相互互恵関係、「重々無尽」のネットワークの関係、ボーダーレス、世界は一つの時代。一国のみが繁栄し、一国のみ強国になり、他国を脅かし、他国を攻める、そんな時代ではありません。一国には多国から人々や物品が往来し、多国の言葉や宗教や文化が流入し、多種多様の情報が飛び交っています。
 世界は真理・真実しか通用しない「法界」であるべきですし、世界の国々は一毛孔即仏国土・一塵即仏国土であるべきです。世界の民は自らの「仏性」を自覚し、敵視敵対をやめ、互いに認め尊重し敬意を払い、互恵の関係で生きるべきです。
 そのリーダーになるべきは本来、華厳の思想を大成した中国であるべきですが、残念ながら一党独裁・覇権主義という「一即一」の利己主義国になっていて、ちょっとしたことでいつまでも隣国に腹を立てている始末。結局、華厳がわかるのは日本人しかいないのが現実のようです。これからの皆さんは一度は華厳思想を学んでいただきたいと思っています。その意味では、東大寺や仏教系大学などでもっともっと門戸を開放し、一般の人でも華厳を学ぶ機会が増えることを願っています。華厳の世界を日本人がみんなで世界に発信したら、国際社会は日本人を見直すでしょう。


おかしな夢が終った。夢は深層意識のファンタジーでありながら時に真実を言う時がある。

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