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弘法大師と21世紀

◎空海密教との出会い

 今朝東京を発つとき上州は少し寒いかなと思ってまいりましたが、みごとに快晴に恵まれましたね。風が冷たくて身が引き締まる思いはしましたが、榛名山と赤城山に囲まれた伊香保には、なにか穏やかな奥行きを感じています。ここは竹久夢二が最後のアトリエを組んだところでした。
 さて今日は高野山真言宗の教師研修会という、たいへんな任務を抱えた方たちの会だと伺っています。2016年の高野山開創1200年をどのように迎えるのかということを、この2日間でいろいろ討議することになっているそうですね。私はその前座で生贄にされているような気分もしているんですが(笑)、なるべくそれをまぶすような話をしたいと思います。

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 高野山は私にとってもたいへん縁のある場所です。少年のころから聖なる場所といえば比叡山や高野山や大峯山で、また実際にもそういうところで、ささやかながら小さな神秘体験をしてきました。私は、京都の出身で、家は呉服屋を営んでいました。そのため京都の周辺にある密教的なトポス、たとえば比叡や愛宕には早くから親しんで、「大文字」の送り火なども毎年楽しみにしていました。松長説によるとあの大文字焼は、大日如来の「大」かもしれないとのことですね。また、父母に連れられて大峰山や高野山にもよく行きました。
 ただし、密教そのものに出会うまでにはそれからずいぶん時間がかかりました。というのも、高校生になると同時に東京に移り、やがて西洋の文学や思想に憧れて早稲田のフランス文学科に入ったんですが、そこから紆余曲折がいろいろ始まったからです。でもそのうち、フランス文学のことがわかることがそんなに大事だろうかという疑問をもった。むしろアンリ・マスペロの本(『道教』)などを読むようになり、東洋や日本の宗教文化や言語思想への関心がどんどん高まっていったんですね。こうして、自分が日々つかっている日本語のなりたちや古代語の世界、あるいは経典のもっている言語文化的な背景についてもっと知りたいと思うようになっていきました。
 たとえば、さきほど研修会の冒頭で皆さんが唱和された『般若心経』は、玄奘がサンスクリットから漢字に翻訳したものですね。けれども先ほどの読み方は、中国語ではなく、日本語的な発音によって漢字を音読したものでした。日本人は、中国から仏教と漢字をほぼ同時に輸入しながら、経典をそのまま中国語読みするのではなく、日本語らしい発音に置き換えて読むということを当初からやっていたんですね。漢字が入ってくるまでの日本は無文字社会だったわけですから、そのまま漢字の導入とともに中国語の国になってしまってもおかしくなかったんですが、そうはならなかった。しかも漢音や呉音の使い分けまでしました。いったいそれはなぜなのか。
 そんなことがだんだん気になり始めたのです。そのうち鎌倉の禅寺に通ったり、ベルクソンや西田幾多郎を読んだり、さらには日本神話や本居宣長に触れたりしていると、ますます日本における概念の生成ってどうなっているのかということに関心をもつようになります。こうして言語と文字と仏教の関係、さらには禅と浄土と密教という、この三つが非常に気になりだして、自分なりに本を読みながら追いかけていきました。弘法大師空海に関心をもつようになったのもそのころです。

 大学を卒業して数年後の27歳のときに、私は工作舎という小さな出版社をつくり、「遊」という雑誌を創刊しました。創刊とともに、世界中の70歳以上のおもしろい人たちに片っ端から会っていこうと決めて、ジョン・ケージやミルチャ・エリアーデや野尻抱影や湯川秀樹といった長老たちをどんどん訪ねていたんですが、そんななかで、那須政隆さんにもお会いする機会がありました。また一方で、空海が『三教指帰』の中でなぜあれだけ道教について詳しく書けるのだろうか、たとえば『原人論』のようなものを読んでいたんではないかといったことを解きたくて、吉岡義豊さんという、当時の道教学の最高峰の方のお宅にも通いました。
 そうこうしているうちに、しだいに私なりの空海像というものが浮かんできたんですが、ただ私は長らく言葉というものへの関心を深めていたので、とりわけ空海の言語思想とそこから派生する『吽字義』や『声字実相義』を詳しく知りたいというふうに、やや偏ったアプローチをしていました。
 私がそのようにして、おぼつかないながらも東洋や仏教や空海に出会っていった時代というのは、じつはちょうど世界がターニングポイントを迎えた時代でもありました。1967年~68年、さきほどの「遊」という雑誌を出す直前ですが、パリのカルチェラタンや日本の主要大学でほぼ同時に、学生たちが蜂起し、大学を封鎖したんですね。70年代になると、日本では三島由紀夫の自害や浅間山荘事件が起こり、世界中がオイルショックとドルショックの揺さぶりを受け、誰もが繁栄の時代の翳りを意識しはじめました。
 そんななかで、一種の東洋ブームや瞑想ブームがアメリカの西海岸のほうに生まれます。メディテーションやヨーガ、あるいは密教やタオイズムへの関心が高まり、これらがポップスやニューエイジ・サイエンスと混じりながら、さまざまなアーチストや研究者を巻き込んで、それが日本にも入ってきた。アメリカの発信側にも日本の受信側にも私の知り合いがたくさんいたこともあり、それまで弘法大師の著作の一部にかじりついていた私も、密教というものは時代のターニングポイントとかニューウェイブと非常に親和性が高いのではないか、ということを考えるようになりました。
 当時はまた、石元泰博という、シカゴ出身の日系2世のすばらしい写真家がいらっしゃいました。石元さんはシカゴ・デザイン研究所というバウハウスの理念をもった有名な学校で写真技法を学び、早くからアメリカでも図抜けたフォトグラファーとして活躍していましたが、日本に帰国後、「自分がどうしても撮りたいものがある」ということで、3年をかけて撮影したものがありました。それが東寺(教王護国寺)の真言院の国宝の金胎両部の曼陀羅でした。私は杉浦康平さんというグラフッィク・デザイナーとの縁によって、曼陀羅を撮影中の石元さんともおつきあいすることになりました。
 それまでにも曼陀羅を撮った美術写真というものはありました。けれども石元さんほど、曼陀羅に近寄って、格闘しながら一点一点を撮った写真はいなかった。また、多くの一般の人にとって、あれほどの曼陀羅を克明に見るという体験もなかった。西武美術館で開催された石元さんの曼陀羅写真展覧会は大きな話題になりました。またすばらしい写真集が作られ、そこには岩田慶治さんや松長有慶さんが文章を寄せられています。
 石元さんの曼陀羅への向かい方やそれを目にした人々の驚きを間近で体験したことから、私は、世の中に空海密教というものが伝わっていくには、密教学だけでは足りないのではないかと考えるようになりました。あるいは、大村西崖に始まった密教美術史研究や、吉田智教さんの密教美術論、真鍋俊照さんの曼陀羅研究も大事だと思いますが、それらだけでもまだ足りない。もっと感動的で官能的な密教曼陀羅のマクロとミクロにわたる極北というものを、一般の人々が見られるようにすべきではないか。そう感じたんですね。


◎弘法大師入定1150年に何があったか

 それから数年後の1984年、弘法大師入定1150年の御遠忌大イベントが高野山を中心に開かれることになり、そのとき松長有慶さんから私に、東京と高野山でシンポジウムをやりたい、そのコーディネーションとナビゲーションをやってほしいという依頼があったんです。このイベントは高野山が主催し、毎日新聞が共催するというものでした。
 私がこの依頼を受けてまず最初に考えたことは、空海密教を国際的に扱ったほうがいいということでした。そこで、人選をいろいろ練ったすえ、フリッチョフ・カプラとライアル・ワトスンとコリン・ウィルソンの3人を招くことにした。フリッチョフ・カプラはアメリカの物理学者で東洋思想にも詳しく、『タオ自然学』という本によって日本の読者にもよく知られていました。ライアル・ワトスンは『生命潮流』という、のちのエコロジーブームなどの原点になった本を書いた動物学者。コリン・ウィルソンは若くして『アウトサイダー』や『オカルト』といった本を著わした気鋭の評論家です。
 この3人と松長さんの4人をパネリストとして、私のナビゲートによるシンポジウムを高野山で2日にわたって行い、同じメンバーで東京でも開きました。空海の御遠忌の翌年の、1985年のことです。

 じつは、のちに松長さんが『密教―二十一世紀を生きる』という本のなかで、そのときのことをこのように書かれています。ちょっと読みますね。「一九八四年、弘法大師入定千百五十年の大法要の時期をはさみ、世はマンダラブームに沸き、それまであまり日が当らず、影の薄かった密教に、多彩なカクテル光線がまぶしく投げかけられた」。
 ただし、そのあとこんなふうに綴られているんですね。「この密教への関心の高まりを、真言僧侶や教団は、一つの思想として把握し、それを適切に社会化する努力をなさなかったことが、今さらながら悔やまれる」。
 松長さんは、そのときに檀信徒の浄財がハードにばかり回ってしまい、ソフトに転換できなかったということも書かれています。この文章は松長さんが「中外日報」に書いたものが、本に収録されたものだったようです。

 一方、その1984年の御遠忌の年に、私は『空海の夢』という本を春秋社から出版しています。それまで私は編集者としてたくさんの本を作っていましたが、依頼されて著者として1冊の本を書き下ろしたのは初めてでした。だいたい自分が本の著者になるということには関心がなかったんです。たまたま春秋社に親しい編集者がいて、「松岡さん、自分で書いたらどうですか」とそそのかされてしまった(笑)。「さあ、最初の著書だ。何を書けばいいのだろう」とずいぶん悩みました。
 そのころの私はすでに工作舎から『自然学曼陀羅』という著書は出していました。「自然学」というのは、ロジカルに自然を解いていく古代ギリシャ以来の西洋科学のことで、「フィジックス」と言います。アリストテレスも『自然学』(physics)という本を書いています。もちろんそこには、天文学や幾何学や数学や、またアトムのような原子論も入ってくるんですが、これらの西洋科学の基本は、二元論です。二元論というのは、たとえば物質と精神とか、主体と客体といった二つの概念を、背反するものとして対立的に扱い、そこから二者択一的に選択していく方法です。

 私が自分の著書に『自然学曼陀羅』というタイトルをつけたのは、その西洋的な二元論ではなく、密教的な「而二不二」の考え方によって自然学というものを捉えてみたかったからなんですね。これはいまでも私の科学観、もっといえば私の考え方や世界観の根本です。それくらいに、私が密教から受けた影響は大きいものでした。ただし『自然学曼陀羅』という本では、曼陀羅や密教のことを書いたわけではありません。
 ただ、そういう本をすでに出していたせいか、春秋社のほうから「空海について書きませんか」と提案してきたんですね。最初は断りました。すでに司馬遼太郎さんが「中央公論」で『空海の風景』を連載されていましたし、あれを超えるようなものを書くのは大変だなと思った。けれども結局は担当者に押し切られて、悪夢のような日々を送りながら(笑)、『空海の夢』を書くことになりました。

 さて、1冊をどう構成しようかと悩んでいると、いよいよ執筆にかかる頃に、弘法大師の夢を2度ほど見ました。これはたいへん驚いた。
 一つ目は、弘法大師がたくさんの仏像を連れて歩いていく場面に出会ったという夢です。私が「それをどうするのですか」と聞くと、お大師が「子供たちにあげるのだ」と答える。「私もいっしょに行ってもいいですか」と訊ねると、突然そこに気味の悪い子供が出てきて「お前は子供じゃない」と言われて、驚いて目が覚めた。そういうへんな夢です。
 二つ目の夢はもっとへんでした。なぜか自分が樹の中に入っているんです。しかもその樹の外側に、赤ん坊が電気ドリルで何かを刻んでいる。「なにをしてるんだ」と聞くと、そこにお大師が出てきて「この子は文字をつくっているんだ」と言うんです。なんと書いているのか見ようとするんですが、彫られている内側からではうまく判読できない。梵字のようにも見えるけど、どうも梵字ではない。どうにかして解読したいのに解読できない、そんな夢です。
 『空海の夢』の序章に、私はこの二つの夢のことと、有名な明恵上人の「空海の夢」の話を入れました。明恵上人が、山道で空海の姿を見かけてそのあとをついていくと、僧房のようなところに入っていく。上人が後を追って入っていくと、空海がそのなかで眠っていて、枕元には梅の実のように美しい、水晶のような両眼が置かれていた、というあの夢ですね。

 このようにして、1年ほどかけて何とか『空海の夢』を書きあげたんですが、それがちょうど弘法大師入定1150年、1984年だったのです。そして翌年の1985年に、さきほどお話した、高野山シンポジウムがあった。
 このシンポジウムに招いたフリッチョフ・カプラやライアル・ワトスンの本は、じつは私の工作舎で出したものでした。のちにコリン・ウィルソンの本も工作舎から出しています。そのころの私は一方で、日本のニューエイジ・サイエンス・ムーブメントの仕掛け人のようにも思われていたんですね。その私が『空海の夢』を書いていたこともあって、また東京でもシンポジウムを開催したこともあって、高野山シンポジウムは非常に注目され、話題になりました。松長さんが私にシンポジウムのコーディネーションを依頼されたのも、おそらくそういうことを読んでいたんでしょう。
 ところが松長さんは、このときの一種の"密教ブーム"のようなムーブメントを、肝心の高野山側といいますか真言宗側が、完全に取り込めなかった、悔やんでも悔やみきれないとおっしゃっている。なぜニューエイジ・サイエンスと密教がもっと近づけなかったんだろうか、ということもお書きになっている。

 私はそのころ、工作舎とともに英語と日本語の同時通訳の会社もやっていました。私自身は語学力はほとんどないのですが、私の日本語力に関心をもった通訳者たちが、いっしょに何かやりたいと言ってどんどん集まってきたので、とりあえずフォーラム・インターナショナルという会社を作ったんです。そのなかには、日本の通訳者でトップエリートのうちの2人が入っていました。彼らは、通訳の技術を向上させるためには、日本語や日本文化についてもっと勉強する必要があると言うんですね。
 たとえば密教について英語で説明するときに、「即身」という言葉をどうやって英訳するか。これを密教的な知識や理解を抜きにして直訳してしまっては、おそらく伝わりませんね。実際に、高野山シンポジウムのときも、私は彼らとずいぶん議論をして、「即身」という言葉は、「in this very existence」というフレーズに訳そうというふうにしました。いまでもこれはいい訳だったと思います。
 とくに密教のつかう概念や言葉は非常に動的なものですから、それが削がれてしまうような通訳や翻訳ではほとんど伝わらないわけです。たとえば空海が『即身成仏義』のなかで、五大にもうひとつ一大をつけて六大にした六大観というものを書いていますが、こういう「六大」というものも、スタティックで要素的な概念ではなく、動的な感覚とともに捉える必要がある。普通の仏教では五大というのは宇宙の要素ですが、『即身成仏義』で言われている五大、六大というのは要素ではないんですね。
 皆さんが2016年の御遠忌に、かつての高野山シンポジウムのような国際会議をされるのか、そういったことを今後どのように組み立てようとされているのかどうかはよく知りません。またもちろん、英語にするばかりが能ではないと思います。けれども何か国際的な発信は起こしていったほうがいいでしょう。またそういったことをするには、できれば英語だけではなく、中国語やフランス語にもしたほうがいいですし、ただ翻訳をするのではなく、それをどういうふうにパフォーマティブに動かしていくか、というようなことがもっと重要だろうと思うんですね。

 私はたまたま同時通訳会社にかかわって、優秀な通訳者たちと付き合っていましたので、彼らといっしょに海外に出て、いろんな人たちと日本文化の話や、それこそ密教の話をかわす機会もずいぶんありました。その中にはアポロ9号で月面着陸に成功した元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカートもいましたが、やはり密教にたいへん関心をもっていました。シュワイカートには松長さんも天理の国際会議でお会いになったはずです。また一度でも日本に来て高野山に行ったことのある人などは、たいへん感動したと口ぐちに言ってました。護摩や法会は、彼らにとっても非常にエキサイティングなもののようですね。
 けれども、私たち日本人の側が、あるいは真言宗にかかわる皆さんの側が、海外にむけて空海や密教というものを、どうもうまく説明できていないのではないか。あるいは、そういったことは西洋の人たちには説明しにくいものだと思いすぎているのではないか。これまで話したような私の体験から言っても、決して空海や密教というものは英語で説明できないことではないと思います。


◎2016年までの8年間で何ができるか

 2016年の高野山開創1200年は8年後です。あっという間にきてしまいます。ちょっとそのころの日本を想像してみてください。
 今の日本は最悪ですね。冷凍ギョーザ事件や吉兆や赤福の偽装問題があり、社会保険庁問題や防衛省の問題もある。そればかりじゃありません。あらゆる企業も組織も、何か自分のルーツのようなものを見失っているようにおもいます。社会的な問題を起こしているところばかりではなく、合併やM&Aをどんどん進めるというやり方によって、多くの企業のルーツが見えなくなっている。私は、日本の銀行が「あさひ銀行」とか「さくら銀行」といった名称を使うようになったころから、よくわからなくなっていたんですが(笑)、「東京三菱UFJ」ともなると、本当にわけがわからない。
 こういった企業がいったい何をしているのかというと、日本がグローバル戦争に突き進んだために、そのグローバル・ルールに従うしかなくなってきたわけですね。売上や市場占有率だけではなく、株価や株式の発行高を競うようなグローバル・ルールを受け入れてしまった。
 このグローバル・ルールは、イギリスのサッチャー首相とアメリカのレーガン大統領がもたらした新自由主義という考え方にもとづくものです。新市場主義とも言いますね。政府による介入を極力なくし、競争の原理によって国際的な自由市場を活性化させようという方針です。これはよくいえば「小さな政府」ということですが、悪くいえば「市場任せ」ということです。そこに金融工学が加わりました。
 こうして世界中が、同じルールと物差しによって、市場競争を繰り広げることになった。もちろん日本も同じです。いつからこういうグローバリズムが台頭したかというと、じつは前の空海御遠忌の1984年で、このときがちょうど新自由主義の台頭期だったんです。
 私は、日本がこの金融市場型の新自由主義に巻き込まれているかぎりは、何も変わらない、それどころかますます悪くなるだろうと予想しています。いまから8年後、皆さんが高野山開創1200年目を迎えるときまでに、もしも日本が何かを起こせなかったら、日本は最悪になっていると思います。
 すでに『空海の風景』をお書きになった司馬さんが晩年、「日本の未来は、もう絶望です」ということを、2、30回繰り返して言われていました。そのころから、日本は何も起こせていなかったわけです。
 そう考えると、今からの8年というのは、政治家や企業家にとっても大きな8年でしょうけれど、皆さんにとっても何かを起こさなければならない8年ですね。どうでしょうか、8年では短いと思いますか。8年で何もできませんか。そんなことはないはずです。
 実際にも日本がたった8年で大きく変動したという歴史があるんです。たとえば、幕末の安政の大獄から明治維新までは8年です。8年で日本の仕組みが全部変わったわけですね。
 あるいはまた、日中戦争の起こった蘆溝橋事件から広島の原爆・敗戦までがちょうど8年です。あの"激動の時代"が8年間なんです。そう考えると、いまの私たちはいったい何をしているんですかね。
 しかも、日本の90年代は「失われた10年」、ようするに何もできなかった10年だったと言われているわけです。本当にそのとおりです。あの10年間、日本はろくなことをしなかった。10年どころか、それがいまだに続いていると見たほうがいいでしょう。
 もちろん、がんばっている人もいます。この会場にもそういう方がいらっしゃることでしょう。けれども日本全体のアクティビティを大きく見てみると、何も起こせなかった。ようするに、グローバル競争に勝てなかった、ただそれだけなんです。いっときは得意になってジャパンマネーがロックフェラービルを買ったけど、結局また取られてしまったとか、その程度のことしか起こっていないんです。

 今日の私の講演タイトルは「弘法大師と21世紀」ということになっています。ここからやっと、その話になっていくんですが(笑)、弘法大師のプログラムと行動力と実行力こそは、いまのように停滞した日本にもっとも必要なものだと思うんですね。そして、その弘法大師に連なる皆さんこそが、改めてそのことに学んで、それを日本に、あるいは世界に返していただきたいのです。
 もちろん皆さんには、まず皆さんの世界のなかで次世代に空海密教の教理や教義をどう継承していくかといった重要な課題もおありのことでしょう。けれども高野山開創1200年という歴史的な節目を機に、思いきったタイムテーブルを、次世代の子供たちや、また世界中にも伝えていったらどうでしょうか。私は、もし弘法大師が現代に生きていたら、きっとそのようなことを考えたと思います。


◎弘法大師空海の決断に学ぶ

 御存知のように、弘法大師空海は、20年間の予定だった唐への留学を、たった2年で切り上げて帰ってきました。
 その2年間の研修たるや凄まじいものだったことでしょう。だいいち、実際に行ってみるまでは、般若三蔵のような人物に出会えるかどうかもわからなかったでしょう。空海より30年も早く長安に来ていた日本僧の永忠も、ちょうど入れ違うようにして日本に帰っていますので、空海はほとんどのことを自分で計画を立て行動を起こすしかなかったと思います。それに空海は、最澄とはちがって、私度僧として行った。国の命によって行ったわけではなく、自分の意思で行ったのです。
 けれども、わずか2年後には恵果和尚から両界の伝法を受けるにいたっています。たった2年のことですよ。しかも、真言宗徒である皆さんの1200年の歴史は、まさにこの空海の2年間の上に乗っているともいえるわけです。
 もちろん、まだ真魚と呼ばれていた青年期に、すでに久米寺かどこかで『大日経』を読んではいたかもしれない。それにしても、『華厳経』はまだ読んでいなかったことでしょう。時代的にも、まだ般若三蔵が漢訳している最中だった。それなのに空海は先読みをしたんです。これはどういうことかといえば、あたかも空海は、「インターネットが日本に入ってくる前に、アメリカに行ってプロトコルをマスターしてしまう」といった先取りをしていたようなものですよ。ただしインターネットなら技術で済みますが、空海はサンスクリット語も漢語の概念も、また経典のコンテンツもすべて修得しなければならなかったはずです。それをやりきった。

 おそらく空海は、般若三蔵に師事しながら、パーリ語やサンスクリット、あるいはホータン経由の言葉などにも触れ、それが漢訳される場面にも付き添っていたことでしょう。北インド出身の般若三蔵は数カ国語をマスターしていたと言われますからね。
 そんな体験を通して、華厳的な「事事無礙法界」とか「而二不二」といった思想を、身体で汲み取っていったことでしょう。
 さらには、教理としては、「華厳」が最高峰だと感じていたにもかかわらず、南インドに発した密教ではない、またチベットに行った密教でもない、恵果和尚のもっている金胎両部の密教をこそ、日本に持ち帰るべきだと判断した。こういった決断力がすごいですね。
 私は、空海が長安での2年間に行った学習方法や決断といったものを、いまの子供たちにももっと伝えたほうがいいと思いますね。もちろん、リンカーンの伝記でも二宮尊徳の話でも、秀吉の話でもいいんです。お大師伝説も、それなりに知られてはいるでしょう。でも、子供たちには、こういう弘法大師の壮絶な2年間のことを、またたった1回きりのチャンスを決して逃さなかった決断をこそ伝えるべきですよ。
 おそらく恵果和尚も、空海に出会ったとたん、その優秀さや意思の強さや決断力を見抜いたのでしょう。だからこそ恵果も、大勢いたお弟子さんたち、新羅や安南、ホータンなどざまざまな地域から来ていたであろうお弟子さんたちのなかで、たった2人だけ、義明と空海だけに両界の潅頂を授け、2人を後継者とした。この最大の難関を突破して、最大の栄誉を、2年前までは何も知らなかった空海が受けたわけですよ。

 日本に帰国したあとも、空海は非常に考え抜いた行動をとっています。すぐには中央に行かずに、太宰府で4年間を過ごしています。この4年間、いったい何をしていたのかが謎なんですね。
 空海が戻ってきた年は、ちょうど桓武天皇が亡くなって、朝廷や仏教界の情勢に微妙な変化が起こり始めていました。そのようななかで、日本にどうやって密教を広めていくのか、じっくりと考えたかったのでしょう。そしてようやく四年後、いよいよ空海が上洛を果たしたときには、桓武のあとを継いだ平城天皇が退位し、嵯峨天皇の時代になっていました。
 嵯峨天皇は漢籍好きで中国好きの天皇でした。空海はいよいよそのときがきた、と考えて上洛したのでしょうね。このストラテジー、パフォーマンス、戦略、計画が、すごいと思いますね。でもこの段階では華厳の「事事無礙法界」を密厳に転換するところまでは思いついていなかったでしょう。

 その後のことは、皆さんは御存知なので省きますけれども、最澄との対決といいますか、徳一との論争といいますか、いろいろ行手を妨げることもおこるわけです。最澄の申し出は、今日でいえば自民と民主で大連立をやるかやらないかというようなものですよ。しかし空海は断った。あの決断もすごかった。結局空海は大連立はしないという判断をしたわけですね。最澄は最澄でおそらく、南都六宗が力を失ってきたことや、中国的な嵯峨天皇の登場といった時代状況をみはからって、これからは新しい宗教が日本を担わなければならないと考えていたことでしょう。おそらくは最澄のほうから、空海に「一緒にやらないか」と持ちかけたんだと思います。「君は保険庁と財務に強い。おれは建設と農林に強い。だから組もう」と言うようなものですよ(笑)。
 実際にも最澄は、空海が唐から持ち帰った仏典の請来目録を見て、非常に関心をもっていました。空海が学んできた密教の伝法、技術というものも教えてもらいたがっていた。それもこれも、護国のため、国を救うためという考えがあったようです。ある面では、空海よりも最澄のほうが非常にナショナルな国づくりのシナリオを持っていた可能性があります。
 ところが、空海は空海で、最澄と会ったとたんに、最澄以上にそのシナリオの先まで読んでしまったのでしょう。空海にはどうもそういった天才的な推理力というか直観力があったようです。相手がすごいと自分がもっとすごくなるんです。皆さんはどうですか。相手がすごいと無視してしまいませんか(笑)。

 それにしても、空海はどうしてそんな読みに長けていたのでしょうか。だいたい空海の出自の佐伯一族というのはコトダマを司る一族ですからね。またお母さんは学識の権威だった阿刀家の出身で、おそらくシャーマニックな女性だったのではないかとも言われます。もちろん空海も真魚時代に山野を駆け巡って修行を積み、虚空蔵求聞持法のようなものも修得していた。長安を2年で切り上げたり、「華厳」を修めながら恵果に会って密教を授かる、というような先見が、最澄を前にしたときにもパッと閃いたのでしょう。
 私たちは、この弘法大師空海のもっていた能力、時代を読み切っておおいなる決断とともにシナリオを組み上げていくという方法にもっと学ぶべきではないでしょうか。またとりわけ皆さんは、いまこそ高野山開創1200年に向かって、そういうことを起こしていくべきではないでしょうか。

 御存知だと思いますが、2011年に、法然の800年御遠忌と親鸞の750年御遠忌が京都の知恩院と東西の本願寺で大々的に行われることになっています。また、奈良ではいま2010年の平城遷都1300年に向けて大極殿を復元していますが、その完成とともに国際的な文化交流イベントや世界宗教者平和会議などが開催されることになっています。そのような京都・奈良の盛り上がりがあって、いよいよそのあとに、高野山が開創1200年を迎えるというわけです。皆さんは、どんな構想や計画をもって臨まれるんでしょうか。いったい何をしたいと考えているんですか。
 もちろん、ただ大きなイベントをすればいいというものではありません。箱物を作ればいいということもない。松長さんが、「空海御恩忌のときにそうすべきだった」とおっしゃったように、やはりソフトウェアというものを充実すべきだとおもいます。
 けれどもよく考えてみると、このソフトウェアはじつは密教そのもののなかにあるわけですね。決してオペラを持ってこようとか、高野山でマラソン大会をしようといったことにはしないでください(笑)。そういうことではなくて、空海密教そのものがもっている何かを21世紀に向けて大胆に展開すべきではないかと思います。


◎空海密教の五つのポイント

 では、このへんで空海の作ったマスタープランについて、ちょっと覗いてみたいと思います。私は、21世紀の空海密教が世界に向けて発信すべきことは、次の5つではないか考えています。

 (1) 総合性
 (2) 象徴性
 (3) 行動性
 (4) 多元性
 (5) 官能性

 ふつうは、この総合性・象徴性・行動性・多元性・官能性が、ひとつの思想の中にまとまるということは希有だと思います。おそらく世界中を見渡しても、この5つを同時に成立させうるものは、空海密教だけだろうと思います。


(1)総合性

 まず、1番目の「総合性」というのは、先ほど話した西洋科学の二元論、さらには一神教的な世界観を超えているということです。
 一神教的な世界観というのは、唯一絶対の神だけを信仰するユダヤ教・キリスト教・イスラム教の考え方です。こういう宗教のもとでは、神様が一人いるだけではなく、そのモデルが人間社会にも適用されて、すべてがピラミッド構造でつくられています。一方、仏教をはじめとするアジアの宗教はだいたい多神教ですね。こちらはたくさんの神々や仏たちが共存しているという世界観です。

 そもそもなぜこういう一神教と多神教の違いが生まれてきたのかというと、一神教を生み出した民族のルーツは、だいたい砂漠の民なんですね。砂漠で生きていくためには、つねに正しい選択や正しい決断が迫られる。どっちに行けばオアシスがあるのかということを、的確にジャッジできなければ、熱砂のなかで死ぬかもしれないわけです。ですからそのジャッジは、つねに二者択一的なものになる。
 もしそのときに、いろんな人が「あっちがオアシスだ」「いやこっちがオアシスだ」とてんでに言い出したら、部族が分裂して壊滅してしまいかねません。だから全員一致で結論を決める。ようするにたった1人のリーダーの決断に従うか、多数決をとって反対者も無理やり従わせてしまいます。これが一神教的世界のルールの基本なんですね。ですので、一神教型の宗教は、唯一絶対の神だけを信仰する。それを「主なる神」とか「主よ」とか「主神」と呼びます。

 ところが、アジアの神、多神教の神仏は、「主なる神」ではないんですね。いつも天に君臨しているわけではなく、むしろ「客なる神」であって「客神」である。折口信夫は日本のカミを「マレビト」と呼びましたが、これは「まれにやってくる客人」という意味です。
 私は、おそらく弘法大師は、こういう一神教と多神教の違いというものも見抜いていたのではないかと考えています。というのも、ふつうは仏教では、新たに仏格をつくるということはないですよね。大乗仏教というのは如是我聞であって、みずから進んで仏を作り出したりはしません。
 ところが、密教は、それまで誰も聞いたことのないような新しい仏格、マハーヴァイロチャーナというものを新たに作り出したわけです。マハーヴァイロチャーナというのは、華厳の説くビルシャナ仏よりももっとすごい仏、スーパーイコンであるということですね。もちろん、それは一神教の神のようなものとは違います。けれども、多神多仏の宗教のなかで、とりわけ強力なイコンを新たに想定した密教は、一神教世界のもつ判断力や決断力やリーダーシップというものも重視していたのではないか。また空海も、密教がそういうものであることを鋭く見抜いたのではないか。そのようにも推察できます。
 しかもその方法としては、一神教的な二分法ではなく、右か左かという選択すらしない、「而二不二」という特別なメソッドを開発したわけです。すなわち、金胎は二つで一つ、善悪も二つで一つ、理屈も情念も二つで一つ。こういう考え方は、世界のどこにもなかった驚くべきものです。こういうメソッドこそ、いまの世界に必要になっているのではないでしょうか。

 私は昨年の暮れ、『世界と日本のまちがい』(春秋社)という本を出しました。「自由と国家と資本主義」というサブタイトルをつけました。その本に書いたのは、まさにいま言ったことでした。 
 グローバル資本主義が席捲しつつある今日の世界というのは、どうも何かまちがっているのではないか。そして、その発端がどこにあったのかということを、私は「イギリスのまちがい」という形で提示してみました。イギリスは、議会も株式会社も新聞も産業技術も作った、いわば世界の近代化のモデルをつくった国でした。いまの資本主義国家の多くは、ほとんどそのイギリスのモデルを使っているわけです。ただし、そのこと自体は、「まちがい」だったわけではありません。

 では、何が「まちがい」で、どこに問題があったのかというと、イギリスが世界のなかで優位性を保つために、東インド会社をつくってアジアを植民地化したり、三角貿易によってアヘン戦争を起こして無理やり中国を従わせようとしたような、そういうやり方にあったわけです。その後、このやり方をそっくり真似て世界の覇権を握ったのがアメリカでした。日本もまた、アメリカの黒船によって開港を迫られ、開国せざるをえなくなった。しかも日本にとってははなはだ不利な、不平等条約を結ばされてしまった。じつはこの、武力をもって他国を従わせ、自国に優位な条件を獲得するというやり方が、もうひとつのグローバル資本主義のモデルなんです。

 日本がいま巻きこまれているグローバル・ゲームというものの正体もこういうことなんです。しかも日本はいまそのゲームに負けつつある。このままいつまでもこのゲームにかかわっているかぎり、日本はもっとだめになっていくでしょう。中国のような国では、資本主義化政策をがんがん進めながら、一方で儒教の復興も進めるなど、イギリス・アメリカ型ではないモデルを作ろうとしています。日本も何かそういった新しいモデルを持ち出すべきだと思います。


(2)象徴性

 空海密教が21世紀に発信すべき二つ目は「象徴性」です。これは、密教にはイメージによってコミュニケーションできるメソッドがある、ということです。私流に言うと「イメージをマネージする」ということです。
 普通はマネージメントという言葉は、経営や組織や仕組みに対して使われるんですが、私はイメージやイマジネーションというものにもマネージメントがあるのではないか、いわば「イメージメント」とも呼ぶべきメソッドがあるのではないかと考えています。弘法大師空海は、どうもこのイメージメントの能力がすぐれていたのではないか。だからこそ、立体曼陀羅のようなものまで作れたのではないか。
 この空海のイメージ・コミュニケーション力は、今日の映像時代、インターネット時代、ブログ時代にこそ、もっとも必要とされるものだと思います。皆さんがそれを使わなかったらもったいないですよ。ここにいらっしゃる方だけでも、そうとうの数の檀信徒さんをお持ちだと思います。たとえばそういう信徒の方々と、これからどうやってコミュニケーションをはかりますか。いまの時代、あるいは今後の次世代のことを考えると、当然インターネットは欠かせないでしょう。密教のさまざまなシンボルやイコンや、また梵字なども、どんどんインターネットに載せていくべきですね。
 今日の研修会を仕切っていらっしゃる長柄行光さんは梵字にたいへんお詳しい方ですが、梵字の切り継ぎの手法なども驚くべきものですね。まさに梵字はイメージメントできる文字です。慈雲飲光もそのことに気づいた1人だったでしょう。ぜひ今の時代にふさわしい新しい言葉やコンセプトを作り、それも梵字にしていくといいですよ。きっと若い人たちもTシャツにしたくなるような、カッコいいものができるんじゃないですか(笑)。
 もともと日本では、サインや署名をするときも、花押という独特の書体の文字を書いていましたね。いまの日本人は、私もそうですが、DCカードとかアメックスといったカードを使ったときのサインなど、たいてい普通に署名してますね。日本人なのに「MATUOKA」とか「NAGARA」と、横文字にしたりしています。あんな横文字を書くなら、花押にすべきですよ(笑)。

 もっとも、最近はカードやサインすら必要なくなって、指紋による認証システムなども始まっています。この、「認証」ということ、ものの実体と存在を認証していく仕組みについても、空海は早くから独特の方法を実践していました。
 すなわち、辞書を作ることによって、言葉と意味をマッチングさせたのです。またたくさんの書を書き、その書も「飛白体」のように、文字が森羅万象を呼び起こすような、踊りながら飛翔するようなスタイルで書いている。言葉と意味、文字とイメージを合わせて、さらにそこに動きを加えるようにして、ダイナミックな宗教的コミュニケーションを起こさせるような、独特の書ですね。宗教的コミュニケーションというのは、まさに法身と人間とのあいだを認証関係で結ぶ、ということです。
 
 ふつうの見方では、大乗仏教というのは法身というものは説かないもの、説明しないもの、と考えますね。ところが空海の『即身成仏義』を読んで驚くのは、「法身は説ける」ということを言っているということです。法身は概念上の真理であって、それは知るものではあっても、説明不可能なものだというのが大乗仏教の根本の見方だったのに、空海はそこにダイナミックに切り込んでいるわけです。しかも、六大というものを、その法身の説明にしている。簡単に言えば「六回説きなおせ」と言ったわけですね。
 さきほど皆さんは『般若心経』を唱えられました。弘法大師も『般若心経』についてすばらしい本を書いている。それによると「六波羅蜜」というものは密教ではちょっと違うわけじゃないですか。密教では、「要素」か「働き」かという二分法で議論してはだめだと書いているわけです。にもかかわらず、六大というものは要素である、というふうに覚えてしまう。学習することによって、ついそう考えてしまう。これでは法身にならない、というのが空海の考え方だったわけですね。


(3)行動性

 以上のことは、三つ目の「行動性」というところにも大きく関係してきます。「要素」すなわちエレメントとして世界を捉えるのではなく、自分が能動的にそこに働きかけることによって、行動やパフォーマンスによって世界を捉えるということです。これが空海のもつもう一つの大きな特徴でありメソッドなんですね。
 それは一言でいえば、「三密瑜伽行」というものです。もちろんこの三密もエレメントではなく、行動を伴って動いているものです。私はそれを「イン・モーション」と言ってますが、これがすなわち、さきほどの高野山シンポジウムでも話題にした「即身」というものですね。
 この「イン・モーション」という訳し方も、シンポジウムの準備をするなかで、松長先生や同時通訳者たちといっしょにいろいろと議論して決めたものです。「動きのなかに」というニュアンスが表せたことがとてもいいと、松長さんもおっしゃっていました。

 じつは、このようにして、言葉とイメージをいろいろと組み替えて合わせていくことが、私の標榜している「編集工学」でもあります。つまり「情報を編集する方法」ということです。情報というのはすべての対象物、すべてのオブジェクトのことです。編集というのは、一言でいうとこのオブジェクトにくっついている名辞をいろいろ変えていくことです。私の重視する編集は「言い換え」のことなんです。
 たとえば、いまこの演台の上に、コップが置いてありますが、このコップを「コップ」とは呼ばずに、いろいろと言い換えをしていくわけです。どうですか。皆さん、言い換えできますか。
 まずこれは「日用品」と呼べますね。「器」「容器」とも呼べます。「ガラス」「商品」「割れもの」というふうに、いくらでも言い換えることができる。つまりこのコップは、30通り、50通り、100通りにだって言い換えることができるんです。こうことをしていくことが、編集の第一歩なんです。
 このことを「仏」や「悟り」にあてはめてみたらどうでしょうか。あるいは「瑜伽」や「般若」にあてはめて言い換えていったらどうでしょう。それを徹底してやったのが弘法大師だったのではないでしょうか。『空海の夢』にもさんざん書いたんですが、きっと空海の言い換え能力、編集能力は、私の1000倍、10000倍もすごかったと思います。
 たとえば、鄭玄という中国を代表する儒学者の書いたものを、空海は『三教指帰』のなかで徹底的に言い換えて使い切っています。福永光司さんがそのような分析をしていますね。こういう空海の編集力には、私もただただ驚くばかりです。

 でももっとすごいことは、空海はこの「コップ」のようなオブジェクトを、宇宙の要素というふうには見なかった、ということです。さきほど冒頭の挨拶で「自利と他利」の話をされている方がいましたが、まさに「自」と「他」のあいだにオブジェクトを置く、というのが空海の方法でしたね。つまり、オブジェクトそのものを見てしまうと、それは要素になってしまうんです。そうではなくて、つねに「自」と「他」というものを想定して、そのあいだにあるものとしてオブジェクトを捉え、そのありようのまま情報保存する。これが空海密教です。
 私はこのような空海の編集メソッドにたいへん憧れて、なんとか真似をしたいと考えてきました。19、20歳の頃に空海の言語哲学にはまってから以降、ずっとそうでした。当時、空海の本で読めるものとしては山喜房(佛書林)が出していた三巻の『弘法大師全集』くらいしかなく、そのころは学生で貧しかったので、苦労してやっとの思いで手に入れて読んだものでした。

 空海の方法は、現代の認知科学から見てもたいへん先駆的なものです。編集工学でも認知科学をいろいろ応用していますので、そういう立場から見ても、空海は画期的だったと思います。
 空海は何を考えたのかというと、「私」がここにいて、「コップ」がここにあるとは思わないということです。確かにここにコップはあるけども、これは器でもあり、商品でもあり、グラスなのかもしれない。物体であり物質であり、現象であるかもしれない。ということは、ここにいる私は、これを「器」と見るか「グラス」と見るか「物質」と見るか「現象」と見るかによって、動きが変わるはずだ、ということなんです。
 これを、認知工学的に言うと「アフォーダンス」と言います。ちょっと難しい言葉ですが、これはコップのほうが私の認知や行動をアフォード(afford)している、私の認知や行動はコップから与えられているというふうに見るということなんですね。
 たとえば、いまこのコップを演台の上に置きます。これを、私が手に取ろうとするときに、どういうことが起こるか。よく見てください。私の手はコップに近付くにつれて、指の開き方をコップの形に合わせようとしていますね。これがアフォーダンスです。
 この本をつかむときもそうですね。私の手は本の厚さに合わせて指をすぼめるようにして本に近付いていきます。その途中は、私の手でありながら、「本の手」ともいうような状態になる。あるいは、演台の下に落ちたペンを拾おうとするときも同じです。私の身体は、この演台のくぼみの高さに合わせて小さく屈み、演台の隙間に合わせて手を伸ばしていきますね。つまり私の身体は、演台化していくわけです。

 このように、人間の行為や心の行為というのはオブジェクトからアフォーダンスを受けているというのが、最近の認知科学の常識になりつつあるんですが、じつはこんなことはすでに1200年も前に空海が気がついていたことだったんです。
 21世紀の科学はさらに進んで、いま「万能細胞」というものが注目されています。もともと細胞というものは、どんな器官にでもなることができる可能性をもっていたのではないか、という理論ですね。つまり何かの契機が起こったときに、細胞が多種多様に変化して、人間の身体を構成するさまざまな器官になっていく。人間の身体は、細胞レベルでみても密教的である、ということがわかってきたわけです。
 皆さんもぜひこういった科学の研究成果とも手を携えるといいと思います。ただしそのときには「万能細胞ってすごいね」くらいの話ではだめですよ(笑)。この話で大事なことは、細胞が器官に変化していくときに、「場の影響」を受けている、ということなんです。これこそ、まさに空海がマンダラという場における尊像の位置を重視していたことにつながります。空海はその「場の影響」をさらに自身が発する呼吸の場とさえつなげました。すなわち、阿吽というものをあれほど重視したこととも関係することですね。つまり「阿」とか「吽」と言うときの、その声と、そこにある場や空気との関係が解ければ、すべての宇宙の秘密が解けるということです。

 「三密」「瑜伽」というのもそのことでした。まさに、そうなっていくこと、そこへ近づいていくこと、イン・モーションということです。もしそうじゃない瑜伽だったら、世の中で流行している普通のヨーガに負けてしまいます。もっとも、今はヨーガだけじゃなくて、「ブートキャンプ」みたいな激しいエクササイズが主流で(笑)、どうもオウム事件以降、静かに瞑想し続けるようなものはいまひとつ人気がなくなっているようです。でも、私は断然、「ブートキャンプ」みたいなものよりも、皆さんが毎朝やっているような読経と勤行にこそ、すばらしいエクササイズのヒントが入っているとおもいます。
 ただし、そういうことを皆さんももっと人々に伝えていくべきです。たとえば指で印を結ぶといったパフォーマンスは、やたらと一般の人には教えるものではないでしょう。でも、なぜそういうことしているのかということは、ちょっとは説明すべきです。あるいはまた、言葉を梵字にすることによって、いったい何がもたらせるのか、ということなども、もっともっと語っていくべきです。
 私は、人間の心身の関係性を取り戻すためのメソッドは、すべて密教にヒントがあると考えていますが、どうも密教側のみなさんが、そういうことをうまく取り出していないのではないかと思います。


(4)多元性

 四つ目の「多元性」はわかりやすいと思いますが、まずは密教には金胎の両界がある、ということですね。
 私は長らく、日本がグローバル・ルールに負けないためには、ダブル・スタンダードで行くべきだ、ということを提唱してきたんですが、最近はダブルではまだだめで、「デュアル・スタンダード」にすべきだ、というふうに考えを改めました。ダブルというのは二つを並列させるということですが、デュアルというのはそれを相互に行ったり来たりさせる、ということですね。相依とか相移即入と言ってもいいんですが、それによって多元を生む方法のことです。
 これも、まさに空海がやっていたことです。曼陀羅にたくさんの神仏、ヒンドゥー教の神までが持ち込まれて多元的になっている、という見方ももちろんできますが、それだけではなくて、金胎の両界が相互的な作用を起こして、重重帝網になっていくというところがもっとすごいと思うんですね。

 多元性についてもう一つ私が考えていることは、密教をこれ以上世の中に波及させるには、思いきって「神仏習合」ということをアピールすべきではないかということです。
 高野山を開創するときに弘法大師がやったことは、まさに天神地祇を招くことでした。まず天神地祇を招いて、祝詞を唱え、そうして高野山を開創されたわけです。密教が神仏の両方を大事にしているということは、インド密教まで遡った人やチベット密教では誰もが言うことなのに、日本の密教者がそれを言わないのはむしろおかしいことです。曼陀羅にもたくさんの神々が入っているわけですからね。日蓮が布教のために三十番神を入れたようなことを、いまの密教者こそが、もっともっと新しくやっていくべきです。ということは21世紀の新しい曼陀羅をつくる人が出てこないとだめなんです。
 もちろん、本堂や護摩壇に掛ける曼陀羅は正統な両界曼陀羅でいいと思うんです。でも、世界に発信するウェブやホームページでは、思いきっていろいろな神々を取り込んで、新しい曼陀羅を発表していったらどうでしょうか。他の宗派ではなかなかできないことですし、『般若心経』が読めない宗派だってあるわけですから、密教こそが「神仏習合」を言い出すべきですね。

 加うるにそこには、明治日本がやってしまった「神仏分離」「廃仏毀釈」に、仏教者として断固として異議を唱えるという意味もあると思います。べつにいまの神社本庁と闘う必要はないんですが、「神仏分離」が日本をだめにしたのだ、ということは言い続けるべきです。
 じつは私が『世界と日本のまちがい』の冒頭に書いたのが、そのことでした。数年前、宮崎に行ったときに、高千穂や椎葉とともに宮崎神宮を訪れたときのことから書き始めたんですね。宮崎神宮は、靖国神社や明治神宮と同じように明治時代に作られた官幣大社でした。宮崎は廃仏棄釈を徹底して行った上で、もともとあった神武天皇ゆかりの古い神社の上に、宮崎神宮というものを新しく作ってしまった。いったいそれは何だったのか、ということです。
 新しく神社をつくること自体がだめとは言いません。現代でもそういうことがいろいろあってもいいと思います。でもなぜそのために、たくさんの仏寺を潰してしまったのか。
 これは明治政府が、大教院という新しい省庁をつくり、ここで日本の宗教政策を統一再整理しようとしたことから始まったことでした。そのために日本中で神道と仏教が混乱し、そこから廃仏毀釈という具体的行動が広まってしまったわけですね。

 明治政府はこういった政策によって、本居宣長が説いた本来の古神道のような神々の世界も切り捨ててしまいました。すでに平田篤胤の時代には神道は変化していたんですが、幕末の大国隆正の時代に「皇道」と神道が結び付けられてしまい、それを国家神道として新たに政府が国民に押し付けていったということです。
 島崎藤村がいみじくも『夜明け前』という小説のなかで、そのことを鋭く批判しています。岩波文庫か新潮文庫で6冊ほどもある大著ですが、藤村は自分のお父さんをモデルにこの小説を書いています。藤村のお父さんは、平田国学の学徒でした。明治維新後に王政復古があると聞き、神々の日本が復活すると大きな期待を抱いていた。ところがいざ明治維新が起こってみると、政府のいう神道とは、西洋の富国強兵のロジックに加担するようなものだった。あまりに落胆した藤村のお父さんは精神に異常をきたし、明治天皇の御車に和歌をしたためた扇を投げつけ、そのあとに神社を焼き払うという事件を起こしてしまうんですが、それが小説のなかでもクライマックスとして描かれています。
 結局、明治維新はしたものの、日本はまだまだ「夜明け前」なのではないかという粗筋です。藤村は自分のお父さんの生涯を見つめ、そういうことを小説に託して訴えていたのです。
 藤村のいう「夜明け前」は、いまの日本にもつながっていると思います。時計の針をもういっぺん明治以前に巻き戻さなければ、日本の神仏の世界はいまなお本来の姿を失ったままではないでしょうか。そして、これからの21世紀は、寺と神社、神祇と仏教が手を携えるべきだと思うんですね。
 その場合、密教者の方々がイニシアチブをとる可能性が非常に高いのではないか。その理由は、弘法大師が兜率天から弥勒下生されるまでの間、何度も神祇と親しくされていたという、そのことにあるのです。

 私は最近、ずっと「母なる空海」ということを考えています。空海は男性ですから、むしろ「父なる空海」ではないかと思われる方がいるかもしれません。私はそういうジェンダーのことを言っているのではなく、母国とか母国語とか母体としての日本密教のことを考えたいのです。そのためあえて「父なる密教・母なる空海」とか、あるいは「父なる大師・母なる空海」というふうに考えたいと思っているんです。
 これについては、時間があればのちほど詳しく話したいと思いますが、その「母なる空海」というイメージのルーツには、高野山開創にあたって、空海が狩場明神と丹生都比売を勧進したということにあるんです。なぜ空海は、「父なる狩場」と「母なる丹生都比売」を高野山開創の先達にしたのか。空海はどうもその父性と母性を重視したのではないかということです。
 空海は丹生都比売を高野山の中にもお祀りしていますね。これは、世界的な宗教文化を見ても、きわめてユニークです。たとえばキリスト教がマリア信仰を思いついたのはずっとあとでした。明恵上人の仏眼仏母の信仰とともに、ぜひこのあたりのことを、高野山はもっとアピールすべきだと思います。
 私はかつては、空海が高野山を開いたことの背景に、水銀鉱脈が関係していたのではないか、ということに関心が偏っていました。NHKでそういう番組を作ったこともあります。四国に始まって高野山にいたるまで、空海の足跡を水銀鉱脈上にマッピングしながらたどっていくという番組でした。
 実際に空海と水銀はたいへん関係が深くて、水銀を掘るときの坑道の作り方なども、独自に技術開発をしています。空海は斜めに坑道を掘るという方法を考案しているんですね。また水銀をつかった金メッキの技術や、水銀を薬として用いる方法などにも長けていた。もちろん、今でもそういう空海の科学技術の知識に関心はありますが、高野山をやるなら、むしろ狩場明神と丹生都比売を先達の父・母に持ったということに、いまなら注目したいと思っています。
 このように空海密教には、さまざまな多元性というものがつねにあったわけです。そしてその多元性をこそ、今の時代にもっと出していくべきである。そのために、密教が神仏習合を重視してきたということも、もっと広めていくべきだと思います。


(5)官能性

 最後の「官能性」ということはなかなか難しいですね。皆さんにとっては『理趣経』が根本経典の一つなんですから、「大欲清浄」ということでいいとは思うんですが、ただ、この官能性をどうやって社会に持ち出せますか。難しいですよね。でもそれをやらなかったから、密教界は、オウム真理教や桐山密教が世の中に広まるような余地を作ってしまった、そのようにも考えるべきだと思うんです。密教が「官能性」をうまく引き受けられなかったために、あやしい、いい加減なものが世の中に噴き出してしまった。
 欲望というのは仏教的には「煩悩」ですが、社会的にはこれを言い換えれば「ニーズ」と言ってもいいでしょう。こういうふうに読み替えることによって、『理趣経』を新しく語るチャンスをつくっていく必要もあるのではないでしょうか。「妙適」といった言葉にこだわりすぎているようでは全然だめかもしれません(笑)。今日の現代人はもっと進んでいます。愛とかジェンダーとか、セクシュアリティとかエロスというものは、セックスとは限らないんです。そんなことくらい、男性も女性もどんどん超えています。川上弘美や江國香織、あるいは最近の女流芥川賞作家の作品など、ぜひ読んでみてください。セックスなんて出てこないですよ。しかも、恋も愛もちゃんと描かれています。こういう最近の女流作家の書くものや少女マンガ家が描くものは、とても『理趣経』っぽいと思います。

 残念ながら密教者の皆さんは、『理趣経』の説明がへたくそですね。教義はすばらしいのに、それを説明しようとすると、「密教も欲望を肯定するんですよ」とか「妙適という言葉がありましてね」とか、なんだか疚しそうに聞こえる(笑)。もっとも、司馬遼太郎さんもこれはヘタだった。だいたい司馬さんは小説や評論はすばらしいんですが、唯一の欠点があって、女性というものをうまく描けていないんです。もちろん、そこが司馬さんのいいところでもあるんですが、『理趣経』の説明などもあまりお上手ではなかったようです。
 しかし、今日21世紀の密教にとっては、この欲望の問題というのは、避けられないもの、欠かせないものではないでしょうか。またそれによって利他と自利を、生命的に、バイオホロニクス的に見たほうがいいのではないでしょうか。梅原猛さんが密教を「生命の海」というふうに名付けてから、皆さんも密教が生命的であることは十分感じていらっしゃるでしょう。そうであるならば、ホロニックな生命観と官能性をいっしょに扱っていくべきだと思いますね。ホロニックというのは、どんな部分にも全体の本質が帯びているということです。

 以上、「総合性」「象徴性」「行動性」「多元性」「官能性」について、ごくごく粗略に説明しました。しかしこれら5つのことをしっかりと打ち出していくことで、密教は断固として21世紀に向かっていけると思います。


◎空海を再発見した先達たち

 私の持ち時間も残り少なくなってきましたが、あともう少し、いくつかのことを付け加えたいと思います。

 これから皆さんにぜひやっていただきたいことがあります。
 一つは、明治以降に弘法大師を復活させた人々のことを検証してほしいのです。というのも、さきほどの神仏分離と廃仏毀釈とはまた別に、空海も密教も、明治時代にひどい扱いを受けていたわけですね。
 福澤諭吉の『文明論之概略』に、弘法大師のことが何と書かれているか、御存知ですか。中江兆民の『一年有半』に、空海はどのように書かれているんですか。「淫祠邪教」というふうに書かれているんですよ。あるいは密教のようなものはこれからの明治日本にまったく役に立たないというふうに書いている。
 明治時代、日本の近代化の啓蒙の先頭に立って、慶応大学をつくり「明六雑誌」をつくったあの福澤が、なぜそんなことを書いたのか。もっとも福澤は「脱亜入欧」ということを提言していた人ですから、密教だけではなく、アジアや東洋のものをほとんど切り捨てました。でもジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を掲げて立ち上った中江兆民までが、空海に対してそのような見方をして、弘法大師をくそみそに言っていたんです。
 しかし、当時の日本人がみんなそのように空海を見ていたわけではありません。独自に空海に着目した人々もいました。私は、高野山開創1200年までの8年の間に、ぜひ皆さんにこの「空海を再発見した人々」をすべてリストアップしてほしいと思うんですね。そうして、その人々とともに高野山開創の記念日を祝ってほしい。

 かなりの人数がいるはずです。今日は、そのうちの何人かを挙げるに留めますが、まず幸田露伴がいます。近代以降の日本で初めて空海に注目したのは幸田露伴です。露伴は『三教指帰』と『性霊集』と『文鏡秘府論』を高く評価しました。
 次に挙げるべきは、やはり『文鏡秘府論』に注目した内藤湖南です。民間の東洋学者でしたが、京都帝大に招かれました。また空海の書に最初に触れたのも湖南です。それまで書道界では大師流はまったく忘れられていたんですね。私は江戸時代の密教者の慈雲飲光の書も大好きなんですが、慈雲飲光の書は大師流ではないんです。惚れ惚れするようなすごい書ですが、お大師さんの系譜ではない。そもそも明治時代の書家たちは、中国から来た楊守敬に導かれて目覚めたんですが、内藤湖南だけが空海の書に着目したんです。
 それから3人目は南方熊楠です。21世紀の密教者は、南方熊楠と空海を絶対に切り離さないでほしいと思います。私は昨年、東京青山のワタリウム美術館の南方熊楠展で記念講演をして、その後すぐにNHKの番組でも熊楠について話をしたんですが、じつは熊楠は高野山の管長をした土宜法竜と大変親しかった。土宜法竜は、明治26年にシカゴで開催された世界宗教大会に、日本から密教代表として出席し、その帰りにロンドンに立ち寄ったときに南方熊楠と出会ったんですね。それ以降、2人はなんと800通もの文通をかわしています。この交流から熊楠は、萃点という独特の密教的な世界観を立てていくわけです。
 このことをぜひアピールしてください。私は、空海密教とともに、この熊楠の世界観、クマクス・マンダラもぜひ復活すべきだと考えています。

 4人目は岡倉天心です。岡倉天心を語らないで、どうして近代以降の密教が語れますか。天心は『東洋の理想』において空海の芸術性について書いております。もし今日、日本が「Asia is one」をアジアに呼びかけるならば、天心とともに空海も顧みられるべきです。天心は『茶の本』の中でもちゃんと『秘蔵宝鑰』に触れています。
 ちょっと話は変わりますが、今、私は、自民党と民主党の若手議員たちを10人ほど預かって、定期的に日本の話をさせられています。私自身は、政治にはまったく関心がないんですが、さる機関から、次の次の総裁候補と目される政治家たちを教育してほしいと頼まれましてね。その会で、一度『茶の本』を全員に読ませたことがあるんです。それまで彼らはみんな、ただの茶道の本だと思っていたようですが、実際に読んでみると、ぜんぜん違うということがわかったようでした。天心が『茶の本』に書いていることの半分は道教です。もう半分は、じつは空海密教なんです。すなわち、『秘蔵宝鑰』なんです。
 ちなみに、いまちょうど新渡戸稲造の『武士道』が復活してブームになっていますが、新渡戸が『武士道』のあとに書いた『帰雁の蘆』は、『十住心論』に触れています。
 
 そして、5人目が皆さんも御存知の大村西崖。『密教発達志』全5巻を著わした美術史家ですが、じつは大村西崖は東京美術学校の先生でした。ということは、東京美術学校を創立した岡倉天心の弟子だったんです。だから、大村西崖に注目するなら、天心も見たほうがいいわけです。
 6人目は菊池寛です。菊池寛は1935年の弘法大師入定1100年を記念して、ある作品を書いているんです。さて、何を書いたんでしょうか。『真珠夫人』じゃないですよ(笑)。まさに『十住心論』という作品を書いたんです。入定1100年を記念して、高野山があの天才・菊池寛を口説いて書かせたわけですよ。菊池寛は最初、戯曲にしようとして失敗して、最終的に『十住心論』という小説にしています。これもぜひとりあげてください。
 7人目、岡本かの子です。ぜひぜひ女性も取り上げたいですからね。岡本かの子をここに入れました。かの子は、『綜合仏教聖典講話』という有名な本を書いてまして、その中で「最高なのはこの2冊です」ということで、『秘蔵宝鑰』と『即身成仏義』を挙げています。
 岡本かの子が空海のこの2冊を高く評価していたというようなことは、ほとんど知られてないと思います。でもこのことさえ知れば、実は岡本太郎も密教ファンだったということが見当つくだろうと思うんです。そうであれば、あの大阪万博の「太陽の塔」は、「大日如来だ」というふうに、密教側が言い出してもいいわけですよ(笑)。「岡本太郎はお母さんの岡本かの子の影響で、密教というものをああいうふうに表現したんだ」と、皆さんが言えばいいんです(笑)。ただし大日如来は太陽じゃないですから、そのへんは、「太郎さんはちょっとイメージをはみ出したようですが、まあ爆発ですからいいでしょう」みたいな感じでですね(笑)。

 ほかに空海に注目した人々として、会津八一とか吉井勇とか斉藤茂吉などを挙げてもいいですね。みんな密教ファンでした。
 おそらく亀井勝一郎、小林太市郎といった名前なら、皆さんもすぐわかるでしょう。それから、宇井伯寿や木村泰賢や河口慧海といった、仏教研究やインド哲学の研究、チベット語の仏典研究の先駆者なども、皆さんのほうが詳しいことでしょうから、今日はとくに取り上げません。もちろん梅原猛や司馬遼太郎も加えていいと思います。
 意外な人物としては、湯川秀樹も空海に関心をもっていました。湯川さんがなぜ空海と三浦梅園を並べたのか、そういうことも注目してみてほしいですね。日本の天才の資質や論法を、湯川さんは空海や梅園の条理学に見たんです。とくに梅園の「反観合一の条理学」を研究することによって空海が読めるという方法は、三枝博音と湯川秀樹だけが発見したわけですから、そういう方法にも学んでみるべきだと思います。


◎IT時代に必要な空海密教の方法論

 最後に、IT時代、インターネット時代と弘法大師空海ということについて触れて終わりたいと思います。
 21世紀の世界も日本も、インターネット時代にあることはもちろんですが、ここ数年はとくに「検索社会」になりつつあります。グーグルが巨大化し、誰もがグーグル検索によって情報を得るという時代になっています。キーワードを打って検索するだけで、たちどころにどんな情報でも引っ張ってくることができるわけです。
 たとえば、この会場の旅館「天坊」のことも、もちろんインターネットで調べることができるし、もしも「天坊」という名前を忘れてしまっても、「群馬」とか「伊香保」とか「最大の旅館」というふうに、周辺のキーワードを選んで打ち込めば、あっというまに「天坊」が出てくるわけです。また、「伊香保・旅館」というふうに検索すると、伊香保にあるほとんどすべての旅館を調べることができますし、また出てきた旅館データの順番は、そのままアクセス・ランキングにもなっているんですね。
 そうすると、伊香保の全旅館は、それぞれインターネットのアクセス・ランキングの上位に入るように、ホームページの作り方やキーワードをいろいろ工夫することになるわけです。「料理が目当てで来るお客さんもいるだろう」とか「露天風呂というキーワードは欠かせないだろう」とかいうように、ユーザーがどんな検索語で旅館を探そうとするかを読み切って、類縁語を盛り込んでいくわけです。
 皆さんも、ぜひ一度「密教」「高野山」「奥の院」「弘法大師」「お遍路」「金胎両部」など、いろんなキーワードを入れて、調べてみるといいと思います。いったいどこの誰が発信している情報が、それぞれのキーワードに対して上位ランクされているのか。おそらくこういった調査を徹底的にやることで、現在のIT社会における密教の位置づけが見えてくると思います。またその一方で問題点も見えてくるはずです。

 そもそも皆さんは、いったいこれまでどうやって弘法大師や密教というものを布教されてきたんでしょう。ひょっとしたら、伊香保の温泉旅館のように、類縁語を駆使されているのではないですか。「何かお困りですか」とか「病気されたんですか」とか、「お母さんが亡くなって悲しかったでしょう」とか、「お子さんが心配ですか」とか言いながら、布教を進めてきたわけでしょう。
 密教のもっている五つの特性からいっても、こういった方法でかまわないんですが、でも、それだけでは、「密教とはどういうものか」を教えることにはなりませんね。では、檀家の方々や、またそのお子さんたちに布教するにはどういう言葉を用いればいいのでしょうか。弘法大師の言葉ですか。それとも護摩やムドラーですか。ちょっと決め手に困っているのではありませんか。
 やっぱり布教のためにどんなキーワードを使うかということを、もっと考えるべきではないでしょうか。21世紀の「密教のための言い換え」の編集フォームをもっともつべきではないでしょうか。今のままでは、皆さんが本当に伝えたいことが、検索にもかからなくなっています。そういうことは、今の時代、最低限ふまえておくべきです。

 そこまでやった上で、IT社会というものがどんどん検索社会・ランキング社会に向かっていることをどう見るかといえば、もちろん、こんな検索社会がこのままでいいわけがないんですね。なぜかというと、まさにランキングの知だからです。情報や知識というものが、アクセス・ランキングというたった一つの指標だけで並べられてしまうことが問題なんです。けれども、インターネットでは、今やそういう方法でしか知識に触れることができなくなっています。
 またこういうこともあります。グーグル社会や検索社会では、情報がピンポイントでしか選択できません。これは、密教的な考え方とはまったく合わないものです。密教というのは、つねに情報が揺らぎながら、幅を持って伝わっていく世界観ですね。たとえ「病気」というキーワードからスタートしたとしても、そこから一気に法身や三密にまで拡張させていくのが密教です。ソフトアイとハードアイを自在に使い分けながら、イメージをリンクさせていく。あたかも懐中電灯でふわっと言葉を照らすようにしながら、そのライトサークルの中にイメージを浮かびあがらせていく。密教のいいところは、これができるということです。これはコンピュータの検索エンジンではできません。

 もしいま、インターネット技術に、「密教ナビゲータ」や「密教エンジン」のようなものが導入できれば、もっと世界に密教の深みを伝達できると思います。あるいは弘法大師ナビゲータでもいいでしょう。私は、空海の方法論や密教の世界観に学ぶことで、いまの検索社会を変えていけるだけの新しい技術やシステムが生み出される可能性があると思っています。ぜひそういうことも、高野山開創1200年までに、皆さんが着手されてはどうでしょう。
 どうでしょうか。イニシャルコストとして2~3億円もかければ、十分な準備ができるでしょう(笑)。もちろん最初は小さなサイトからスタートしてもいいのですが、それならそれで、それを皆さんで、できれば毎日、手をかけてコンテンツを少しずつ増やしつづけてください。
 いま実際にインターネットを開くと、密教に関係したいろんなサイトが玉石混交で出てきます。でも一般の人々には、どのサイトがいいのか、どこのサイトがおもしろいのかということはなかなか判断がつきません。しかも誰もがインターネットとはそういうものだと思ってしまっています。でも、皆さんがそのように思ってあきらめてはだめですね。

 私は今、「千夜千冊」という本のナビゲーション・サイトを2000年以降、ずっとやり続けています。最近は一週間に数回更新するくらいですが、最初の3年間ほどは、ほぼ毎日更新しつづけました。毎回1冊の本を取り上げ、それについて私の読中・読後の感想や思索を綴るというもので、多い時には一晩で原稿用紙20枚分もの文章を書いています。
 この「千夜千冊」をスタートした当初は、ユニーク・ユーザーはせいぜい30人程度でした。それが1カ月後には300人ぐらいに増え、1年後にはアクセス数が2万、さらに2年目で20万、3年目には70万にもなり、そして1000冊目を達成したときには、120~130万アクセスに達していました。その後も増え続けて、現在は230万アクセスになっています。
 なぜこのような爆発的なアクセス数になっていったかというと、ひとつは更新を頻繁に行い、コンテンツ量をどんどん増やしていったということもありますが、もうひとつはキーワード・リンクを「千夜千冊」内に張りめぐらしたということが大きかったんですね。
 たとえば、「千夜千冊」1本分の私の文章には、だいたい10~20個ほどのキーワード・リンクが張られています。あるキーワードにさしかかったときに、リンクをたどって、そこから別の「千夜千冊」に飛んでいくことができるわけです。このリンキング作業は、私の研究所のスタッフが毎日毎日やってくれています。「千夜千冊」は現在1220夜分の膨大なコンテンツ量になっていますが、それだけではなくて、「千夜千冊」全体が網の目のようなリンクによってつながっているという状態になっているんです。
 ですので、いま皆さんが何かの言葉を入れてグーグルで検索すると、「千夜千冊」がヒットする可能性が極めて高いと思います。しかもトップ10以内の上位ランクに出てくることが多いはずです。松岡正剛が誰かをまったく知らない人でも、グーグル検索でたまたま「千夜千冊」がヒットして、サイトに入ってくるということが頻繁に起こるわけですね。

 このように、私のようなたった1人の著者の書いているサイトでも、そのようなことが可能なんです。ぜひ皆さんも、密教や空海に関するインターネット上のネットワーキングをもう一度考え直したらどうでしょう。
 またできれば、高野聖に始まった別院・別所のようなもの、また西行や契沖が高野山に来て修行していたような仮住まい感覚のある密教のネットワークがほしいですね。一般の人々が、いきなり密教の教義に入っていくのは大変です。もちろん、ちゃんと得度しなければ得られない情報もあるとは思いますが、そうではなくて、もうちょっと軽く、密教文化というものに誰でも入っていけるような、広がりのあるネットワーキングをめざしてほしいですね。
 ぜひともそれをお願いしたいと思います。


◎父なる大師・母なる空海

 最後に、もう一つだけ、さきほどちょっと触れた「父なる大師、母なる空海」という、ちょっと変わった言葉の意味について話しておきたいとおもいます。
 さきほども言いましたように、私は、空海が高野山開創にあたって最初に招いた狩場明神と丹生都比売という男女神を、これからはカップリングしてアピールしたほうがいいと思うんですね。 
 狩場明神というのは、山や森を押さえている神です。五来重さんが研究されたように、その背景には修験道が関係していたと考えられます。一方、丹生都比売は「丹生」という名前があらわすように水銀とかかわりがあるとも考えられますが、じつは丹生都比売の奥には罔象女(ミズハノメ)という、日本で一番多く祀られている女神への信仰も関係しています。罔象女は水を司る神で、たいてい村里から少し離れた水分(みくまり)に祀られていました。
 つまり空海が狩場明神と丹生都比売を祀ったということは、山や森のネットワークと、水のネットワークを両方重視したということです。これは、まさに今日の環境論にもズバリつながるような考え方です。
 これまでは皆さん、ちょっと狩場明神と丹生都比売を粗末に扱ってきたのではないかと思いますが(笑)、これからはぜひカッコよく世の中にアピールしていただきたい。そして、空海が重視した山や森や水を背景にして、「父なる大師、母なる空海」ということも考えていただきたいと思うのです。

 さて、私がなぜ「母なる空海」という言い方をしているかというと、「母」という言葉こそ、21世紀のキーワードになると思っているからですね。「母」というのは母親という意味もありますが、母国や母国語といった言葉にも使われるように、「おおもと」という意味でもあるわけですね。英語でも「マザー・ランド」とか「マザー・ランゲージ」と言いますので、「母なるもの」が「おおもと」であるというのは、ほとんど世界共通の考え方だと思います。
 そして、弘法大師空海がおやりになったことは、すべてマザー・プログラムだったのではないか。そのように私は考えています。あの2年間の中国滞在を経て空海が日本にもたらしたもの、あるいは伏見稲荷を巻きこんで東寺をつくったこと、狩場明神や丹生都比売とともに高野山を開いたこと、『十住心論』という認識と意識の根本的なプログラムをつくったこと、さらにそれをダイジェストし『秘蔵宝鑰』を著わしたこと、言語哲学としての『声字実相義』と『吽字義』を書いたこと、辞書をつくり綜芸種智院をつくったこと。こういった空海のすべてを「日本のマザー・プログラム」というふうに呼ぶべきではないか。「密教のマザー・プログラム」ではないですよ。それももちろんそうですが、「日本のマザー・プログラム」でもあったのではないかということです。
 だからこそ、空海は「父なる大師」でもあるけれども、「母なる空海」でもあろう。こう言いたいわけですね。
 この「母なる空海」という言葉は、私はたいそう気にいってまして、3年前に『空海の夢』の新装改訂版を出したときに、新たに加えた最終章のタイトルにも使いました。でも、残念ながらまだあまり世の中の反応がないんですね(笑)。今日もここにお見えになってる密教21フォーラムの長澤弘隆さんは「これはいいですね。もっともっと言ってください」と励ましてくださるんですが、ふつうは「なんで空海が母なの」という反応なんでしょうね。それでも私は、この「母なる空海」という言葉に託したことは、きっとこれから世界中で注目されていくと思います。
 またそのためにも、こういう抽象的な言葉だけではなく、このことを託せる人々に出会っていきたいとも思います。あるいは、そういうものを担ってくれる軍団とともに、「世界と日本のまちがい」に対して立ち向かっていきたいとも思っています。

 冒頭に申し上げたように、私はたまたま高野山や弘法大師、また密教というものに若い頃から親しんできました。那須政隆猊下との出会いもありました。私はべつに行者ではないからこれを仏縁とは言うべきではないと思いますが、たいへんな恩寵を受けました。
 一方で、岡倉天心や内藤湖南や幸田露伴や南方熊楠といった人物たちにも惹かれ、こういった先人たちのなかにも空海の『十住心論』が潜んでいるということを自分なりに読み解いてきました。でも、私もまた、こういう自分の見方を、声を大にしては言ってこなかったんですね。これからは私もぜひそれをやらなければいけないな、と思います。

 8年後、高野山開創1200年を迎えます。これも冒頭申し上げたように、安政の大獄から明治維新までが8年でした。蘆溝橋事件から敗戦までが八年でした。ましてお大師様は中国に渡ってから2年、帰国してから4年、合わせてもたった6年で京都に入洛して、嵯峨天皇にマザー・プログラムを提出し、宮中に真言院をつくり、御修法を確立したわけです。
 皆さんがこれから、8年の空海、8年の弘法大師をめざされることを期待して、拙い講演を終わりたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。

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