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クローン問題と生命の倫理

東京理科大学生命科学研究所所長  
東京大学名誉教授  
多田 富雄  


◎クローンとは何か 

 クローンというのは、もともと遺伝的に均一の細胞の集団のことを指していた。いま一個の細胞を適当な条件で培養すると、それは二個に分裂し、四個、八個というように枝分かれしながら数を増やしてゆく。このように枝分かれの結果生まれた、最初の一個と全く同一の性質を持った子孫の細胞を「クローン(分枝)」と呼ぶのである。突然変異を起こしたり、外界に適応することによって性質が変化したような細胞は除外される。 

 がんの中には、たった一個のがん細胞が分裂増殖して腫瘍を作るものがある。こういうがんはクローンとして増殖しているという。 

 単細胞生物であるアメーバやゾウリムシも、無性生殖で増えている限り単一のクローンである。クローンは均一な性質を持っているので生活環境が変化した場合、全部が死滅してしまうか、別のクローンと有性生殖をして遺伝子を交換することによって生き残りを計るほかない。 

 これを拡大解釈することによって、多細胞生物であっても、同一の祖先となる個体から無性生殖によって生まれ、遺伝的に均一な性質を持つ個体の一群をクローンと呼ぶようになった。たとえば、ソメイヨシノという桜の木は、もともと一本の木の枝を接木することによって増やしたものである。だから同一環境では同時に咲き始める。ソメイヨシノは無性生殖で増やしたのだからクローンとしての均一の性質を備えているのだ。 

 無性生殖は原始的生物では非常にポピュラーな生殖法である。しかし多様な個体を作り出すことができないから、環境の変化で絶滅する危険性も大きい。 

 人間のような多細胞生物も、もともとは受精卵というたった一個の細胞が分裂して作り出されたものである。では人間は、細胞のクローンなのかというと、そうではない。 

 受精卵は、はじめは単純な自己複製によって分裂するのだが、そのうちにいろいろな個別の遺伝子が発現して多様な細胞に変化してゆく。異なった遺伝子が発現して、性質の違った細胞に変化することを「分化する」という。分化は、特定の遺伝子が新たに働き出すことによって起こる。脳神経細胞や筋肉の細胞、血液や肝臓の細胞というようにそれぞれに特有の遺伝子が働き出すことによって分化が起こり、そうした多様な細胞が統合されたのが一人の人間という個体なのである。 

 分裂してやがて、人体を構成するあらゆる多様な細胞に分化する能力(これを全能性という)を持つ細胞は、受精卵とそれが分裂してできたごく初期の限られた数の細胞だけである。全能性を持つ胚の細胞は、あらゆる枝葉となる細胞に分化する根幹となる細胞で初期胚細胞という。種によって異なるが、哺乳動物では、八ないし十六細胞に分裂するまでは全能性を持っているとされている。だからこの段階までの胚を二つに分割すると遺伝的に同一の一卵性双生児が生まれる。畜産では、一個の受精卵から八頭もの同一の形質を持った子牛を作り出すことができる。こういうやり方で、動物のクローン化技術はすでに広く応用されているのである。 

 今日では水産や畜産の領域で、次々にクローン動物が作り出されている。魚類では、いわゆる処女生殖で多数のクローン魚を作り出す技術が開発されている。未受精卵に電気的な刺激を与えて、精子なしで発生を誘発し成魚を得る。卵を作るのは雌だけだから処女生殖で生まれる子供はすべて雌となる。 

 全能性という神のような特権を持つのは受精卵とそれが分裂してできた少数個の初期胚細胞だけと考えられてきた。これだけは多細胞生物共通の原則であった。だから一度分化して筋肉になった細胞は、もはや肝臓の細胞になることなどできない。分化というのは常に一方向的なものであって、先祖返りして別の方向に分化しなおすということはできないはずなのだ。それが生物学の大前提だったのである。そうでなければ、脳の中に筋肉ができてしまったりする。とんでもないことである。 

 ところがその大前提が覆されたのである。 

 イギリスのロスリン研究所というバイオテクノロジーの研究所の科学者が、すでに分化が完了したヒツジの成体の乳腺の細胞の核を、あらかじめ核をぬき出しておいた別の動物の未受精卵の中に取り込ませ、培養したところ、受精卵と同じように分裂と分化を始めた。一定の細胞数まで分裂させた上で、それを別の動物の子宮に着床させると一匹の完全なヒツジが生まれたというのである。 

 一九九七年二月、このニュースは全世界を駆けめぐった。カエルやイモリなどでは恐らく可能と考えられてきた多細胞生物のクローンが、哺乳動物でもできたのだ。世界中の生物学者がアッと言った。 

 すでに乳腺の細胞に分化して、運命が決定されていたはずの細胞が、受精卵と同じようにあらためてはじめから分化を始め、ついには個体のすべての細胞にまで分化した。全能性という、受精卵だけが与えられていた神のような特権が、体を構成する他の細胞にもあった。それまで哺乳動物ではあり得ないと思われていたことが簡単に成し遂げられてしまった。この実験の成功は、生物学の常識を破ったノーベル賞級の大発見だったのである。 


◎全能性の付与と細胞における時間 

 大発見の基礎となったのは、分化が完了した細胞に全能性を与えるための簡単な操作であった。それがまことに単純なものであったことが人々をさらに驚かせた。乳腺の細胞というは、乳汁の分泌というはっきりした役割のために乳蛋白の合成や細胞分裂などを行なっている。乳蛋白を作るための遺伝子のスイッチがオンになっているし、分裂した細胞に配分されるDNAを複製するさまざまな装置がすでに働いている。それでは分裂しても乳腺細胞しか生まれないはずである。 

 そこでロスリン研究所のウィルムット博士らは、培養した乳腺細胞への栄養を断って細胞を飢餓状態にした。すると核の中のすべての遺伝子のスイッチが切られ、細胞はあらゆる働きを止めた「休止期(GO期)」にリセットされる。普段だったら働いているはずの分裂や機能発現のための遺伝子が、精子や未受精卵のように休止している状態が人工的に作られたのだ。これを細胞の「初期化」という。遺伝子を「初期化」しておきさえすれば、その核を別の卵細胞の中に入れたとき、卵細胞に備わっている細胞分裂と分化を起こさせるスイッチとなる分子が働き易い。こんな簡単なやり方で、細胞内のすべての遺伝子がまずオフとなり、卵という環境条件の中で全能性がリセットされたのである。予測はみごとに当たり、乳腺細胞の核を移植された卵は発生を始め、とうとうクローン羊第一号のドリーが生まれたのである。ドリーからはやがて子が生まれた。こうしてすでに運命が決定されていた乳腺細胞に、全能性を「復活」させるという神話が現実のものとなったのである。 

 その後半年ほどの間に、同じような方法で牛やハツカネズミ(マウス)のクローン作製の成功が報じられた。研究は、実は世界各地ですでに進行中だったのである。 

 日本では良質の肉牛を生産するために、牛の生殖工学の研究がさかんに行なわれていた。受精卵から数回分裂した胚を分割して作ったクローン牛の技術はすでに実用段階にあった。それならば分割した胚の代りに体の別の細胞の核を未受精卵に入れ込みさえすればよい。牛では卵管上皮細胞の核が用いられる。 

 アメリカのオレゴン州では、同じように胚を分割する方法でクローン猿が生まれた。人工受精した卵から発生した胚を分割して核を取り出し、未受精卵に移植する。八個の移植された卵から、三匹の遺伝的に同一のクローン猿が生まれ、二匹が生きのびた。このやり方などはすぐにでも人間に応用が可能である。 

 マウスの場合は、受精卵の全能性は四細胞期ぐらいまでしか残らない。現在行なわれているクローン化技術は、卵細胞が排卵されるとき周りを取り囲むように存在する、卵丘細胞の核を利用する方法である。この細胞は卵細胞と同じ状態で作り出されたのだから、すでに「初期化」されている細胞である。卵丘細胞は、もともとそのままおいておけば死滅する運命にある細胞である。 

 このようにしてドリー誕生以来、次々に動物のクローン化の成功が報じられた。一九九八年末、韓国で突然報じられたヒトクローン化の基礎実験の結果をみても、人間のクローン化は技術的にはもう至近距離にきているのである。 

 そればかりか、全能性を持った初期胚細胞培養の技術、さらにはそれを株化して、試験官の中で分化させて血液細胞や皮膚の細胞、軟骨や線維芽細胞へと分化させ、それを人間の病気の治療に応用しようとする研究もスタートしている。その先には、近代医療のめざすさまざまな可能性が広がっている。偏見を捨てて仔細にこの問題を考えてゆかなければならないのはそのためだ。 


◎クローン動物の問題点 

 技術的には可能となったクローン動物について、まず科学的な問題点を考えてみよう。分化した細胞の核を用いたクローン技術には、未解決の問題も残されている。細胞の初期化技術によって、すでに運命が決定されている細胞の時間を受精卵のところまで巻き戻すことができるというのは本当だろうか。 

 ドリー誕生の実験では、二七七個の核を移植して最終的に生まれたのはドリー一匹だけだった。成功率ははなはだ低い。なぜだろうか。日本のクローン牛も成功率も低いばかりか、出生後死亡した例も多い。理由はまだわからない。 

 私たちの体の分裂する細胞では、細胞分裂を一回するごとに染色体の両端にあるテロメアというDNAの繰り返し配列が短くなってゆくことが知られている。テロメアが短縮してしまうと、細胞は分裂できなくなって死ぬ。テロメアの長さは細胞の費やしてきた時間や老化を反映しているらしい。それを継ぎ足して若返らせることはいまの所できない。 

 ドリーを作り出した乳腺の細胞は、それまでに何十回かの分裂を重ねてきた。テロメアは短くなっているはずだ。 

 また、分化して運命の決まった細胞では、遺伝子の働きを制限するDNAのメチル化という反応が起こっている。DNAの一部が封印されているのである。封印されたDNAを持つ核から体が発生するとどうなるのか。こんな基本的な問題さえまだ解決されていない。いまのクローン技術で、過ぎ去った時間を本当に逆行させることができるのかどうかはまだわからないのだ。 

 新聞に載ったドリーの、ひどくこましゃくれた成熟した羊のような顔を思い出してみよう。死んだクローン牛も、過熟児だったらしい。そうだとしたら、生命操作が踏み込むことができないDNAの時間というものを、もう一度考えなければならないと思う。 

 しかしこの段階でも、さまざまな応用が可能となっていることは否定できない。その第一は畜産領域である。この領域では、これまでにほとんどの和牛を、一頭の優秀な雄牛の精液から人工受精で作り出すことに成功している。われわれの食べている最高級のビーフの父親は、ほとんどが弦次郎という一頭の和牛だと聞いた。ただ保存した弦次郎の精子は、すでに底をついている。次の段階はクローン牛を作って無限に精子を得る技術であろう。 

 すでに胚からの核移植の方法で、八頭もの同一のクローン牛を生ませる技術が完成している。輸入牛をしのぐ、廉価で肉質のよいクローン和牛などは、間もなく市場に出回ることになると思う。 

 さらに胚へ有用な遺伝子を導入することによって、新しいタイプの家畜を作り出すこともできるだろう。何十年もかけて行なってきた育種は、遺伝子導入の技術を使えば一年もかけずに実現できるのだ。最高のサラブレッド、大量の乳を出す乳牛、高品質のウールを持つ羊など、いずれも世界の企業が注目しているものである。 

 そればかりか、予想される二十一世紀の食糧危機に対して、こうした新しいバイオ技術による良質の家畜の育成と生産は欠かせないと言われている。六十億を超えた世界の人口を飢えさせないためには、この技術を賢明に利用するしかない。さらに、さまざまな医薬品を作り出すクローン動物の経済効果は計り知れないだろう。ドリーの作製もこの目的によるものである。 

 もうひとつの応用領域は、絶滅に瀕した種の保存である。トキのようにたった一羽しかいなくなった動物種の保存は、クローン化以外には方法がない。地球の歴史の中では、これまでにもう九十パーセントもの動物種が絶滅している。救済を必要としている希少動物の種類もきわめて多い。 

 一方、シベリアの氷に閉ざされた土中からマンモスの遺体を引き上げて、その精子や体細胞のDNAを利用して絶滅した動物を復元しようという提案もある。DNAさえ抽出できれば、クローン技術を使って恐竜の復元も夢ではなくなる。 


◎クローン人間 

 さてそれでは、人間への応用はどうなるだろうか。 

 当のドリーを作り出したロスリン研究所の研究者たちは、この技術を人間に応用することには反対を表明している。しかしこの技術の研究が、人間にいつでも応用可能であることは認めている。 

 もともとドリーを作った目的は、人間の遺伝子を組み込んで、母乳中には含まれるが牛乳には少ない栄養素、アルファ・ラクトアルブミンを大量に含む乳を分泌するクローン羊を得ることだった。方法が完成すれば、人間のホルモンやサイトカインなど有用な生理活性物質、さらには難病を治療するに必要な医薬品をクローン動物に大量に作らせることができる。 

 その延長の上に、人間に著しく近い遺伝子組成を持った腎臓や心臓を持った動物を作り出す技術が考えられるだろう。人間に近い臓器を持つ動物のクローンを作って、移植医療に利用するのだ。そこには、臓器牧場の風景さえ広がっている。 

 その先については、ロスリン研究所は言明していない。しかしこの技術が、患者の細胞と全く同じ遺伝子を持った臓器を人工的に作り出すことに応用可能であることは明らかである。移植が百パーセント成功するためには、全く同じ組織適合抗原(HLA)を持った臓器の提供が不可欠である。それを得るためには、クローン技術の応用しかない。移植のための臓器が慢性的に不足し、免疫抑制剤の副作用が問題になっている現在、クローン技術を応用して臓器を供給する試みを否定することは困難であろう。 

 現在では、脳の発生に関与している遺伝子がいくつか知られている。自分の体細胞から、脳や頭部の発生に関わる遺伝子を破壊して無脳児クローンを作り、その臓器を利用することを本気で考えている科学者もいる。脳がなければ人間として認めないという人間観のゆきつくところである。たとえそこまではやらないにしても、試験官内で初期胚細胞を培養して、臓器や組織を作る試みは堂々と研究されている。白血病などの血液病の治療に有用な造血幹細胞などは、間もなく作り出されると思う。その研究を阻止することはできないだろう。 

 このようにして人間は、人間の目的のために人間のクローンやその部品を人工的に作り出してしまうことを少しずつ正当化してしまう。いったん禁を破ってしまえば理由はいくらでもつく。 

 その延長の上に、ナチスの虐殺などによって家系が絶えようとしている場合だけには、クローン人間を作り出すことを認めてもよいのではないか、というイスラエルの見解が現われる。最愛のわが子を、事故で一瞬のうちに失った母親が、その子の細胞で再び同じ幼児を得たいという欲求を否認することも困難であろう。 

 ヒットラーや中東の独裁者のクローンを作り出すとか、アインシュタインやモーツアルトのような天才を何人も複製するようなことは当面はあり得ない。それはそれで、別に規制することもできよう。しかし、そんなSFまがいの可能性だけを理由にクローン技術の研究まで禁止するという論理は通用しないだろう。 

 均一な遺伝子を持った複数の個体の存在自身を忌避するというなら、世界に大勢いる一卵性双生児の人権さえも否定することになる。それに個人としてのアイデンティティは、遺伝子だけで決まるものではない。発生の途上や生後のさまざまな環境との関わりあい、その間に起こる偶然性の取り込みなど、後天的な要素によって人間の同一性は決定されてゆくのだ。たとえ遺伝子が同一であっても、異なった個性と人格を持った人間が生まれることは、一卵性双生児で経験ずみではないか。 


◎生命倫理の観点から 

 一九九七年二月、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」の表紙に、クローン羊ドリーのこまちゃくれた顔が掲載されてから、「クローン問題」が盛んに論議されるようになった。一九九八年の十二月には、韓国の研究者が、人間のクローン化につながるような核移植をした卵細胞の体外培養に成功し、クローン問題は人間の本質にかかわる問題として改めて注意をひいた。 

 この間に欧米諸国の一部では、人間のクローン作製につながる研究を禁止ないしは自粛させる法律が制定され、日本でも科学技術会議が自粛案を提出し、文部省が研究者あてに通達を出した。いかにも慌ただしい動きであったが、罰則規定のない申し合わせが、実効を奏するかどうかはわからない。科学の進歩を人為的に止めることはできないのだから、通達があろうとも科学者は何らかの形で研究を進めるだろう。それがどのような形で社会に現われるかについては、研究者自身が予測しコントロールすることはできまい。 

 それに、クローン技術の人間への応用にはさまざまな有用な面があることも確かだ。気味が悪いとか、背徳的という単純な情緒的な拒否反応だけで根拠のない反対を表明しても、科学者は何らかの形で研究を進めるであろう。科学者の自粛にまかせておけないのだとしたら、いまこそこの問題について、市民、哲学者、宗教者を含めて真剣に考え、感情論ではない本質的で根拠のある提言をしなければ危険だと私は思う。 

 クローン人間が実現したとしても、実質的には人間という種の生存が脅かされたり、社会構造が変化したりというような具体的な影響は起こることはあるまい。そんなことが反対の根拠にはなるまい。 

 そうではなくて、たった一歩でも一度踏み出してしまったら、人間の存在そのものが危うくなるような、重大な思想的な問題が生ずるかもしれないのである。人類がいままで築き上げた人間観、価値観が、ひょっとすると瓦解してしまうかもしれないほどの重大な危機である。 

 そういう問題について、研究者や科学者、そして行政にのみ規制の責任を負わせるのは危険である。生物学者はこれまで遺伝子組換え技術、人間の胚の遺伝子操作などについて、自らの責任で自粛の態勢を守ってきた。いわゆるモラトリアムとしての自己規制である。 

 しかし、子供を得るために行なわれている胎外受精技術がいま際限なく拡大されて応用されているのをみても、医師や生物学者の良心にすべてをまかせておくことなどすでに無意味であることは明らかである。基礎科学者は、科学の進歩のために研究をするという欲求を捨てることはできまい。ましてやその延長に、すぐれた応用の沃野がみえたとしたら、自己規制の論理などは通用しない。科学の自律的進歩の過程で生ずる問題は、科学者だけではなくて人間すべての責任で解決してゆかなければなるまい。 私は、クローン問題はいますべての人間につきつけられた重い理念の問題だと思う。反対するにしても自粛するにしても、その根拠を自らに明確に問わなければならない。ことに宗教者は、この問題に答えるための努力を始めなければなるまい。 

 悪魔の科学技術という言葉があるが、それは西欧の理念である。神に対する悪魔。人間のクローン作製が神の摂理にもとるというのは、「神」の存在する西欧のものである。「神」を持たない東洋では、この言い方はそのままでは通用しない。西欧ではさらに、「悪」への意志というもうひとつの危険なテーゼもある。 

 東洋では何を基準に考えるべきだろうか。中国には「天」という理法があった。天の道にかなうかどうか。しかしその「天」さえ否定してきたのが近代である。 

 日本では「自然」という概念があった。生殖によらない人間の複製は、まさしく「自然」の理に反する。しかし、これほどまでに自然を破壊し、人工の理念が作り出してきた近代社会が、いまさら「自然」を持ち出して説得力があるだろうか。 

 くり返すが、この問題は基本的に理念の問題なのである。実際に人間のクローン化が起こったからといって当面何の実害もないだろう。ところが、人間という理念そのものが完全に崩れ去るかも知れないのだ。そのところを、宗教者、哲学者は真剣に考えなければならないだろう。 

 レディメイドの答えはない。 

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